15世紀の寵姫アニェス・ソレルのファッション(ジャン・フーケの『ムランの聖母子』)

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美しいバストが自慢だった、フランス王シャルル7世の公式寵姫アニェス・ソレル。宮廷で彼女が着ていたドレスとは。

『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵
『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵
目次

『ムランの聖母子』( Virgin and Child Surrounded by Angels ) 1450年代前半 ジャン・フーケ

『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵
『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵

引用元:『ムランの聖母子』

『ムランの聖母子』
『ムランの聖母子』

引用元:『ムランの聖母子』

モデルはシャルル7世の愛妾だったアニェス・ソレルだと言われていますが、この絵は彼女の死後に描かれています。 

聖母が被る冠は真珠やルビーにエメラルドと、大変豪華な造りです。

聖母は死後、天で主なる神または御子キリストに冠を授けられ、「天の女王」として認められる。《ムランの聖母子》では、シャルル7世の寵愛を受け、間に子どもをもうけたアニエスを”天上の聖母”として称えている。

木村泰司(監修). 2012. 『名画の美女 巨匠たちが描いた絶世の美女50人』. 洋泉社. p.54.

幼いキリストに授乳する聖母の姿ですが、つい、はだけた胸と頭上の冠に目が行きますね。

聖母が胸を露わにする表現は、「神と人を取りなす乳母」としての役割を意味する「オステンタティオ」といいます。(参考:『ヌードの美術史 身体とエロスのアートの歴史、超整理』 美術手帖)

胸を露わにするマリアの表現は「授乳の聖母」という伝統的な聖母子像のタイプに由来するもので、目を伏せたその表情には血の気が失せているものの謎めいた気品を帯びている。だがこの聖母像は仏王シャルル7世の寵姫アニュス・ソレルの面影を伝えていると言われている。彼女は年代記も折り紙付きの美女と伝えているが、国政を左右するほどの寵愛を受け、ボーテ=シュル=マルヌの城館を賜り、「ボーテの奥方」といううってつけの呼び名を与えられた。

利倉隆(著). 2004. 『エロスの美術と物語』. 美術出版社. p.94.

『エロスの美術と物語』では「アニュス」と表記されています。 

聖母子の周囲に描かれている印象的な赤と青の天使は、

赤い天使が玉座を支え、青の天使は聖母子に向かって両手を合わせたり、仰ぐようにしたりして2人を見守っている。天使にも階級があり、人間が目にする天使と違い、絵画に描かれる赤や青の天使は上級天使と見なされる。

木村泰司(監修). 2012. 『名画の美女 巨匠たちが描いた絶世の美女50人』. 洋泉社. p.54.

つい、「ブキミ」と思ってしまいますが(;・∀・)。 

「コルセット」という言葉

『図説 ヨーロッパ服飾史』では、この『ムランの聖母子』を挙げ、

コルセットということばは、前開きの紐締めを特徴とするこのような衣服を指したのが最初である。

徳井淑子(著). 2015. 『図説 ヨーロッパ服飾史』. 河出書房新社. p.95.

とあります。

コルセットと聞くと、背後でぎゅーぎゅー締め付けるイメージですが、確かにこの聖母の衣装は「前開きの紐締め」ですね。

19世紀絵画の中のコルセット

『ムランの二連祭壇画』( Melun Diptych )

聖母に抱かれているキリストが指で何かを指しています。

この指の先には、『エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステバノ』(聖ステファノとも表記)がありました。

『エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステバノ』(ムランの二連祭壇画左翼)
『エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステバノ』(ムランの二連祭壇画左翼)

引用元:『エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステバノ』(ムランの二連祭壇画左翼)

現在この絵はベルリンの絵画館に収蔵されていますが、本来は二連の祭壇画なんですね。二枚で一対です。

『聖母子像』の宝石、『エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステバノ』の人物の表情、柱、衣服のリアルな質感。見事ですね。

左の人物、エティエンヌ・シュヴァリエはフランス国王シャルル7世の財務官でした。

右の男性は「聖ステバノ(ステファノ)」で、彼の守護聖人です。

二連祭壇画では、シュヴァリエのように注文主であり寄進者でもある人物が対となって、聖母子に祈りを捧げるさまが描かれた。シュヴァリエはフーケのパトロンでもあった。

木村泰司(監修). 2012. 『名画の美女 巨匠たちが描いた絶世の美女50人』. 洋泉社. p.55.

『エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書』( Heures d’Étienne Chevalier ) ジャン・フーケ

『三賢者の礼拝』(1460年以前) 『エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書』のミニアチュール
『三賢者の礼拝』(1460年以前) 『エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書』のミニアチュール コンデ美術館蔵

引用元:『三賢者の礼拝』 『エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書』のミニアチュール

こちらもフーケによる作品。

コンデ美術館の収蔵品であるこの絵は子牛皮紙(ヴェラム)に描かれたミニアチュール。

高さ21 cm、幅 15 cmの大きさのものです。

左端にはシャルル7世の兵士達がいますが、彼らは王のシンボル・カラーの三色(赤・白・緑)を着けています。(参考:『ヨーロッパ服飾史』 河出書房新社)

シャルル7世( Charles VII, 1403年2月22日-1461年7月22日)

シャルル7世 1450年頃 ジャン・フーケ ルーヴル美術館蔵

シャルル7世 1450年頃 ジャン・フーケ ルーヴル美術館蔵
シャルル7世 1450年頃 ジャン・フーケ ルーヴル美術館蔵

引用元:シャルル7世

フーケが描いた、フランス・ヴァロワ朝の第5代国王シャルル7世の肖像です。

イングランドとの百年戦争のなか登場した「オルレアンの少女」ジャンヌ・ダルクが、戴冠に協力・貢献した王様ですね。 

19世紀の画家が描くジャンヌ・ダルクの甲冑と1429年時の武具の値段

同時に、イングランド側に捕らわれたジャンヌを「見殺しにした」王様としても知られています。見殺しにした理由については諸説あるようです。

シャルル7世の墓碑彫刻

シャルル7世 サン・ドニ修道院の墓碑彫刻
シャルル7世 サン・ドニ修道院の墓碑彫刻

引用元:シャルル7世 サン・ドニ修道院の墓碑彫刻

『デスマスク』によると、シャルル7世は死後すぐにデスマスクがとられ、蠟製の人形が制作されたことが知られているそうです。

この像は、18世紀末のフランス革命で、歴代王の墓が掘り起こされ、荒らされた時に破損したようですが、

サン=ドニ修道院に眠っていたその墓碑彫刻は、やはり同じく革命の犠牲となったため、現在は胸から上の部分しか残されていないが、どこか憂いを宿して妙にリアルなその表情には、たしかにデスマスクの面影が生きているにちがいない。

岡田温司(著). 2011-11-18. 『デスマスク』. 岩波新書. p.48.

シャルル7世とその周辺にご興味があれば、『シャルル七世年代記 フランスをつくった王』がわかり易いです。

愛妾アニェス・ソレル( Agnès Sorel, 1421年-1450年2月9日)

16世紀に描かれたアニェス・ソレル

ジャン・フーケにちなむアニェス・ソレル(16世紀) 

アニェス・ソレル 1526年頃-1550年頃の間  ジャン・フーケにちなむ ウフィツィ美術館蔵
アニェス・ソレル 1526年頃-1550年頃の間  ジャン・フーケにちなむ ウフィツィ美術館蔵

引用元:アニェス・ソレル

フランス王シャルル7世の愛妾、アニェス・ソレル。

シャルル7世に見初められた時、彼女は22歳ほど。

アニェスは、王妃マリー・ダンジューの弟ルネ・ダンジューの妻イザベルの侍女をしていました。

「ヨーロッパで初の公式の寵姫(メトレス・アン・ティトゥル)になった」

「女性で初めてダイヤモンドを身につけた」

「才色兼備」

「抜群のプロポーション。バストがご自慢だった」

この辺りまでは「へえ」なのですが、そのご自慢バストを見せつける衣裳を着ていたと聞いたら、いかがです?

「それがね、アナタ、剥き出しなんですよ」と言われたら、「へ、へえ」となりませんでしょうか。

アニェス・ソレル 16世紀 画家不詳 フランス、アンジェ美術館蔵

アニェス・ソレル 16世紀 画家不詳 フランス、アンジェ美術館蔵
アニェス・ソレル 16世紀 画家不詳 フランス、アンジェ美術館蔵

引用元:アニェス・ソレル 16世紀

アニエスは、忠実を表す犬に手を置いています。王に対する彼女の愛情や忠誠心の露われです。こうしたシンボリズムや、人物を暗い背景に置く描写には、ネーデルラント絵画の影響がうかがえます。

木村泰司(著). 2010-11-20. 『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』. 光文社新書. p.61.

 ※本書ではこの絵の制作年代は「15世紀」となっています。

15世紀頃の被り物・エナン( hennin )

14世紀末から15世紀頃流行した被り物で、エナン(hennin)と呼ばれるものがあります。

エナンにはいろいろなデザインがありますが、円錐形の、高さのある帽子で、こんな感じです。

『若い女の肖像』 1470年頃、絵画館(ベルリン)
『若い女の肖像』 1470年頃、絵画館(ベルリン)

引用元:『若い女の肖像』

この時代は髪が見えないことが美しいとされたため、髪はエナンの下にすべて隠し、隠しきれない髪の生え際を剃っていた。

能澤慧子(監修). 『世界服飾史のすべてがわかる本』. ナツメ社. p.66.

このクリストゥスの絵には、きれいに剃った額に、エナンを起こすためのループが見えます。 

フーケにちなむという一番上のアニェス・ソレル像の額にも宝石のようなものが見え、『ムランの聖母子』なども額が随分綺麗に出ています。

こちらにも輪のようなものが見えていますよね。

アニェス・ソレル 16世紀 画家不詳 個人蔵

アニェス・ソレル 16世紀 画家不詳 個人蔵
アニェス・ソレル 16世紀 画家不詳 個人蔵

引用元:アニェス・ソレル

『エロスの美術と物語』では、『ムランの聖母子』について述べた後、この黒衣の肖像画についても言及があります。

一方でアニュス終焉の地ロシュ城には無名の画家による彼女の肖像画が伝わっている。やはりコルセットをはずし胸を露わにしているが、こちらは肖像画だけに慎みを欠いた印象を与え(片方の胸を見せる女性像はしばしば娼婦を意味する)、その伏目にも誘惑者の妖しさが漂っている。これは彼女が創案した大胆きわまる着付けであったとされ、かなりの悪評を買ったらしい。

利倉隆(著). 2004. 『エロスの美術と物語』. 美術出版社. p.94.

シャルル7世が与えたボーテ・シュル・マルメの別荘の名前から「メトレス・ド・ボーテ〈麗しの君〉」と呼ばれたアニエスは、

美しい胸が自慢の余り、体型を強調したドレスだけではもの足りず、片方の乳房をむき出しにしていました。

木村泰司(著). 2010-11-20. 『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』. 光文社新書 . p.58.

王の愛人だった美姫びきアニェス・ソレルは歴史上もっとも有名な乳房の持ち主の一人であった。腰のあたりまでデコルテにした衣裳が流行したほどである。ジャン・フーケ〔一四一五(二〇)~七七(八一)。宮廷画家〕はアニェスが惜しげもなくはだけてくれた胸を、幼子イエスに乳を与える聖母の姿におきかえて描き、その美しさを永遠のものにした。

ロミ(著). 高遠弘美(訳・解説). 2016-9-25. 『乳房の神話画』. 角川ソフィア文庫. p.42.

剥き出しというか、まる出しと言うか。

自信が無ければできない流行のファッションですね。

当然、王妃を始めとした宮廷人たちからは顰蹙ひんしゅくを買いましたが、シャルル7世はこれを禁ずることはありませんでした。

シャルル7世の妃マリーは嫉妬を表すことをせず、アニェスとうまくやっていくことを選びました。

 一四人生んだ子どものうち四人が死んで以降、敬虔なマリー王妃は黒いドレスしか着なくなった。一方、アニエスは宮廷のファッションリーダーだった。廷臣ジャン・ジュヴナル・デ・ジュルサンはアニエスの - 彼の見るところ - 恥じらいのなさに憤っている。デ・ジュルサンは王に進言した。あまりに肌を露出するローブ・デコルテは禁止なさるべきです。乳首が、いえ、乳房が全部丸見えではありませんか。だが王はこのファッションが気に入っていたようで、禁止しようという素振りをついぞ見せなかった。

エレノア・ハーマン(著). 高木玲(訳). 2005-12-30. 『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』. KKベストセラーズ. p.92.

アニェスの死

王の子どもを3人も産み、寵愛を得て王妃以上に贅沢な生活をしていたアニェス。

しかし、女と見れば手当たり次第と言われたシャルル7世の心をしっかりと捉え、時には叱咤激励し、王の関心を国政に向けさせます。

一方、母のマリー王妃を想うシャルルの息子ルイは、父の寵姫アニェスを憎んでいました。

1450年、4番目の子どもを妊娠していたアニェスは病に倒れます。

そして2月9日、まだ28歳という若さで亡くなってしまいました。

アニェスの死を「毒殺」と考えたシャルル7世は、財務官だったジャック・クールに疑いをかけます。

アニェスという後ろ盾を失ったジャック・クールは国王の資産を横領したことがばれ、シャルル7世は彼の財産を没収、禁固刑に処してしまいます。(3年後に脱走)

アニェスの死はヒ素中毒と考えられてきましたが、2005年に彼女の遺骸を調査したところ、毛髪から多量の水銀が発見されたそうです。

ではその多量の水銀はどうやって体内に?

調査に当たった病理解剖学博士フィリップ・シャルリエ氏の研究チームは、彼女の死を水銀中毒であるとしています。

彼らの調査によると、アニェスは当時、回虫症を病んでシダや水銀で治療をしていたといいます。古くから水銀はさまざまな病気の薬として用いられてきましたが、使い方を誤れば死を招く猛毒であることはいうまでもありません。

桐生操(著). 『本当にこわい宮廷の物語』. 中公新書ラクレ. p.96.

昔から、シャルル7世の息子ルイも容疑者のひとりとされていたそうです。

アニェス・ソレルの死についてはフィリップ・シャルリエ氏の著書をどうぞ

hanna and books でご紹介しています『死体が語る歴史 古病理学が明かす世界』から、寵姫アニェス・ソレルの死因

シャルル7世は晩年、原因不明の足の腫瘍に悩まされていました。

彼はルイによる毒殺を恐れて食を絶ち、痩せ衰え、最後には食べ物を受け付ける力を失って行きました。

1461年7月22日午後、シャルル7世は亡くなります。

憎い父の死を待ち侘びていた息子ルイが国王に即位。

後に人々から「蜘蛛」と呼ばれるルイ11世の治世が始まりました。

ルイ11世(1423年7月3日 - 1483年8月30日) 16世紀 ジャン・フーケにちなむ絵 ブルックリン美術館蔵
ルイ11世(1423年7月3日-1483年8月30日) 16世紀 ジャン・フーケにちなむ絵 ブルックリン美術館蔵

引用元:ルイ11世

ネーデルラント17州総督マルグリット・ドートリッシュ(前)

フランチェスコ・ラウラーナに帰属するデスマスク

フランチェスコ・ラウラーナに帰属するデスマスク
フランチェスコ・ラウラーナに帰属するデスマスク

引用元:フランチェスコ・ラウラーナに帰属するデスマスク Michel wal CC-BY-SA-3.0

白い大理石で作られた、アニェス・ソレルの「デスマスク」です。

フランチェスコ・ラウラーナ(Francesco Laurana, 1430年頃-1502年以前)という彫刻家がいますが、以下の説明文によると、このマスクは「フランチェスコ・ラウラーナに帰属」するようです。

Masque mortuaire d’Agnès Sorel (marbre). Attribué à francesco da Laurana. Hôtel Lallemant, Bourges, Frances

「フランチェスコ・ラウラーナに帰属するデスマスク」の解説(Wikipedia)

説明文には「レプリカ」とは書いてありません。

例えレプリカであったとしても、レプリカを作るにはその元がなきゃね。

デスマスクの耳の部分を取ることはとても難しく、後から別につけられるほうが多いそうです。

このマスクには耳がありません。

てことは、これって、耳をつける前の、直接取ったデスマスク???

ジャン・フーケ(Jean Fouquet, 1415年 / 1420年頃-1478年 / 1481年頃)

メダルの自画像 1452年-1458頃 ルーヴル美術館蔵
メダルの自画像 1452年-1458頃 ルーヴル美術館蔵

引用元:メダルの自画像

フランス、トゥール出身の画家。

パリやイタリアでも活動し、フランドル美術の影響が見られます。 

シャルル7世亡き後、シャルルの息子であり次のフランス王となったルイ11世に宮廷画家として仕えました。

主な参考文献
  • 木村泰司(監修). 2012. 『名画の美女 巨匠たちが描いた絶世の美女50人』. 洋泉社.
  • 利倉隆(著). 2004.『エロスの美術と物語』. 美術出版社.
  • 美術手帖(編). 2012. 『ヌードの美術史 身体とエロスのアートの歴史、超整理』. 美術出版社.
  • 岡田温司(著). 2011-11-18. 『デスマスク』. 岩波新書.
  • 木村泰司(著). 2010-11-20. 『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』. 光文社新書.
  • 能澤慧子(監修). 『世界服飾史のすべてがわかる本』. ナツメ社.
  • エレノア・ハーマン(著). 高木玲(訳). 2005-12-30. 『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』. KKベストセラーズ.
  • 桐生操(著). 『本当にこわい宮廷の物語』. 中公新書ラクレ.
  • 徳井淑子(著). 2015. 『図説 ヨーロッパ服飾史』. 河出書房新社.
  • ロミ(著). 高遠弘美(訳・解説). 2016-9-25. 『乳房の神話画』. 角川ソフィア文庫.
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コメント

コメント一覧 (19件)

  • Pちゃん (id:hukunekox)様
    遅くなってすみません💦
    妙にリアルで、私にはちょっとブッキーな聖母子像です。
    水銀は当時化粧品などに入っていましたし、体内の寄生虫退治にも使われていました。しかし多量の水銀となると、やっぱ誰かが…??
    アニェスは私もそれなりの策士だったと思います。
    当時も今も、「片乳出し」ファッションはビックリだったのでしょうが、出せるほどのものをお持ちなのは羨ましい限りです。
    あと、多分、デスマスクは取られているようです。取らせるとしたら、やっぱり王様かな。
    あの大理石のものはそれを元に起こしてるのかもしれませんね。あの彫刻家は他にもそーゆーの作っているみたいなので。
    ご丁寧に、コメントどうも有難うございました🍩🍩

  • ハンナさん☺️✨
    こんにちは😃絵画の質が変わりましたね〜やはり描いてる方によって全然変わりますね〜☺️
    アニェス、水銀摂ってたら亡くなるのはやはり、その水銀のせいかなと思ってしまいますね
    片乳だしてアピール、若くてもなかなかの策士さんのような、、デスマスク綺麗ですね、王がとらせたのでしょうか、、残ってるのも凄いですね(*´Д`*)

  • id:Miyukey様
    返信遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。
    コメント有難うございました。
    元ネタ(原本)が幾つあるのかわかりませんが、シャルル7世が「喜んでいた」という記述はよく目にします。
    まあ、ふつー出しませんよね。
    王妃は高貴な婦人らしく感情を露わにすることはしないようにしていたようですが、息子(王子)はアニェスに敵意剥き出しでした。剣を持って追いかけたこともあったそうです。
    母親に対して同情的だったと言いますから、王妃の内心はやっぱり…。
    私、王妃自身もこのダンナ、もしくは愛人の殺害計画を密かに妄想していたのではないかな、とちょっと思っているのですが、どうでしょう?
    今回も読んで下さって有難うございました。
    またよろしくお願い致します。

  • sakumana (id:sakura_marina)様
    返信遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。
    コメント有難うございました。
    そうですね、写真も無い時代ですから、亡くなったひとを偲んで描いたものもとても多いと思います。今回の『ムランの聖母子』ではアニェス・ソレルはこの絵が描かれた時にはもう亡くなっていました。天に召された彼女を「聖母」として描いている。王の寵姫に聖性を付与して「尊い」存在としたのかなと素人なりに思いました。
    豪華な宝石はアニェスの持っていた権力をも表すのでしょうかね。私は「デカいな。一個欲しいな」とすぐ物欲に塗れた感想になります。
    肖像画の見方をきちんと学んだら面白いだろうと思います。私は小さい頃から、絵の人物より身に着けた宝石やドレスの布地、髪型にばかり目が行っていました。
    後世の画家によって描かれた肖像画を見る場合、描いた画家が何処まで「当時のもの」をリサーチし、再現しているのか、考えながら観るのも面白いなとようやく最近思うようになりました。
    今回も読んで下さって有難うございました。
    またよろしくお願い致します。

  • 石山藤子 (id:genjienjoy)様
    返信遅くなり、本当に申し訳ありません。
    コメント有難うございました。
    おフランスの国王陛下が持てる公式寵姫は一時期にお一人様で、「未婚じゃないこと」などの条件がございます。で、決まれば、ちゃんと皆に、本妻さん(王妃)にもお披露目もしちゃうというね…。
    勿論、仰るように、「公式」でなければ、愛人は同時進行で複数いたようです。
    ルイ15世公式寵姫デュ・バリー夫人のお披露目の様子も以前書いたことがあります。もしお暇がありましたら、参考程度に覗いていただければと思います。
    https://hanna-gemutlichkeit.hatenablog.com/entry/36304131
    派手で華やかな公式寵姫がいると民衆の怒りはそちらに行き、地味で信心深い王妃には同情が行きますので、公式寵姫はある意味「防波堤」の役も果たしていたそうです。
    ルイ16世は珍しく寵姫を持たなかった王様なので、王妃マリー・アントワネットに憎悪が集中したとよく言われます。
    公式寵姫という立ち場も意外とバカにならないと思ったハンナでした。

  • だるころ9216 (id:darucoro9216kun)様
    遅くなって本当にすみません。
    コメント有難うございました。
    『ムランの聖母子』の左バスト、私などは左胸の方が右胸よりも形が良かったとかなんじゃないか?と思っています。
    「アニェスはなぜ左を出しているのか」に対する答ががっつり書いてある書籍にまだ当たっていないのでよくわからないのです。
    「授乳の聖母」は右胸を出しているものもよくあるので、何かしらお約束があるのかな、とか、時代によるのかな(流行?)とか。
    医学も今ほど発達していない時代なので、何処まで人体の仕組みをわかってたのかななど、考え出せば興味は尽きませんね。
    アニェス・ソレルは後日また改めて登場します。是非お見知りおきを(・∀・)。
    だるころさんの「ソレルさんの胸は確かに綺麗」に深く頷いてしまいました。
    またよろしくお願い致します。

  • まーたる (id:ma-taru)様
    あああっと言う間に日にちが経ってしまいました。遅くなって本当に申し訳ありません。
    まーたるさん、さすがです。ちゃんとご存知だったんですねシャルル7世。私なんか、百年戦争→ジャンヌ・ダルク→青髭ジル・ド・レ→シャルル7世の順番で、出て来るの遅っ!!ですよ(;’∀’)
    アニェスの片ムネ出しファッション、よくやったねと思います。現代とで当時では考え方も慣習もかなり違うでしょうが、常識的な?宮廷人からヒンシュクを買うデザインだったことは間違いなく、すごく善く解釈するのなら、「愛する王が喜んでくれるなら何でもやる」という気持ちだったのかな?と思います。実際はわからないですけどね。
    青と赤の天使、私は見る度「ブッキー」と思います。こんな感想ですみません
    今回も有難うございました。

  • ハンナさん
    こんばんは!
    いくらバストが自慢とはいえ、剝き出しは、ないですよねー。周りの顰蹙をかうのも無理はありません。
    でもシャルル7世は喜んだんですね・・・なんだか、やっぱり男女というのは、いつの時代もどこの世界も同じなんだなーと思います。
    私なら妃マリーのようにアニェスとうまくやっていくことは選ばず、嫉妬していたかもしれません。
    絵画の裏にあるいろいろな人間模様が面白いですね!!^^
    今回も勉強になる記事をありがとうございました。

  • ハンナさん、こんばんは。
    豪華で美しいドレスと装飾品を身に纏った肖像画で、片方の胸を晒している姿。何とも言えない、複雑な心境で拝見しました。
    肖像画は、時を経た現代では歴史ある芸術品になっていますが、当時の方々にとっては自分の姿を記録しておく、写真のようなものだったのではないかと思いました。

  • ハンナさん、こんにちは(*^^*)
    愛人に公式とか非公式とかあるの!?と言うのが正直な感想。
    キリスト教は一夫一妻だったからこんな制度(?)があったのかな…
    でも、「非公式の愛人」は
    もっと昔の王様にも、いっぱいいたんだろうなぁ😅

  • ムランさんは必ず左が出てますよね。
    心臓のある左の方が母乳が出やすいって言われていますもんね。
    佐馬鷹さんの紋章にも有りましたね。
    悶々の紋章
    母乳が守る子孫繁栄の城って素敵ですよね。
    必ず初乳を子供に飲ませる事が大切ですもんね。
    ソレルさんの胸は確かに綺麗です。

  • こんにちは(о´∀`о)
    シャルル7世、シャルル7世と考えてて、あ❗️もしやジャンヌ・ダルクが活躍したときの❗️と思い、その王様の寵姫だったのか〜とまた一つ勉強になりました。
    バストに相当の自信がなければできないファッションですが、シャルル7世を堕落させないよう国政にしっかり目を向けさせる賢姫でもあったのかなと思います。
    『ムランの聖母子』
    片方の胸がはだけている絵は衝撃的でありますが、美しいなぁと感じます(*☻-☻*)
    青と赤の天使の存在感がめちゃくちゃすごいですが、この色鮮やかさには目を奪われてしまいます。
    今日もとても勉強になりました。
    いつもありがとうございます(*´꒳`*)
    暑い日が続きますが体調にはくれぐれも気をつけてお過ごしくださいね🍀

  • ko-todo (id:ko-todo)様
    うん、ミワさんに見える(笑)(・∀・)

  • ko-todo (id:ko-todo)様
    王様の寵愛が無ければ出来ないことだったかもしれませんが、私としましては公開できるレベルのものであることがまず羨ましいです。まずそこよ。
    ロココのプフ・スタイルも、最初は自分の好きな愛着モノ(舅に実父に夫に子どもにオウム)をのっけたところから広まっていったと言いますが、さすがにあの軍艦スタイルは重かったでしょうねえ…。ファッションリーダーの、追及していく姿勢ってスゴイですね。私ムリ。
    水銀は化粧品にもそれなりの量が入っていたり、この後来る梅毒の治療にも使われたりしましたもんね。でも、本当に毒殺だったのかな?他の本でも毒殺と断言はしてなかった筈(今手元にないの)。
    書籍によって少々書かれていることが違っているのでここではできるだけ中立にして、興味が有ったら本読んでみてねと思っています。
    ホントはどっちだったんでしょうねえ。
    今回も読んで下さって有難うございました。

  • おはようございます^^
    犬に手を置く絵…
    美輪明宏さんにしか見えない、残念な鑑賞眼でかたじけないww
    しっかし…
    いくらご自慢とは言え、ポロリなさるとは大胆な…。
    ヘアスタイルも時代でそれぞれなんですね^^
    高く盛り上げ船だの何だの飾ったり、見えない様に剃ったり…。
    ファッションリーダー的な方がなさると、多少(かなり?)変でも、流行るというのは、今も昔も同じですねww
    毒殺なのか治療なのか…
    とはいえ、この当時、お化粧品に含まれる毒物も多くて…。
    宮廷生活は命がけですね。

  • 森下礼 (id:iirei)様
    「まあね、機能さえ果たせばね」と強がってみたりもしますが、ある程度のヴォリュームは欲しいと思いますね個人的には。いつの日かハニーやフジコみたいになれるのかと楽しみにしていましたが、まだなれません。
    昔、病気発覚直前に半年で10キロ減り、医師から「頻尿ですか」と訊かれ、「いえ。貧乳ですが」と返したら笑ってくれず、「こいつはマジでヤバいんだ」と本当に自分が重篤なことを理解しました。その後入院中に、「貧乳は、症状ではありません」と笑ってくれましたけど。
    病気になったりして痩せるとムネから痩せていくことも学びました。未だに戻ってきません。
    今回も読んで下さって有難うございました。

  • id:happy-ok3様
    ご丁寧なコメント有難うございます。
    私よりid:happy-ok3様の方がお詳しいのではないでしょうか。
    『三賢者の礼拝』はミニアチュール(細密肖像画)で、小さく限られたスペースに細かく描き込まれています。同じジャンルならヒリヤードやホルバインも素晴らしいと思いますが、あれほどギッシリ描きこめるフーケもスゴイと思います。
    今回も読んで下さって有難うございました。

  • 私は女性でないので解りませんが、バストの大きな女性は、そのバストの重さのために、しばしば「肩こり」に悩まされると聞いたことがあります。大きすぎるのも考え物ですね。

  • こんにちは。
    聖ステパノと授乳の聖母は、2連なのですね。
    ステパノは、信仰篤き人でした。
    三賢者の礼拝は、素晴らしい絵ですが、小さいサイズなのですね。
    周囲にいる兵士たちは、天の守りの軍でしょうね。
    アニェスさんの事も、シャルル7世のことも、人の手によって、命が・・・だと思います。
    それは、西洋だけでなく、他の国(東洋)でも、似たような事は多々(悲しいですが)起きていました。
    権力やお金、などが絡むと、悲しい事が起きますね。(残酷にも)
    色々、今日も詳しく有難うございます。

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