「かみのけ座」になったベレニケ2世の美髪

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神話になった、紀元前3世紀頃のプトレマイオス朝に実在した人物、ベレニケ2世のお話です。

ベレニケ2世(プトレマイオス3世時代の貨幣) メトロポリタン美術館蔵
ベレニケ2世(プトレマイオス3世時代の貨幣) メトロポリタン美術館蔵
目次

ベレニケ2世(紀元前267年または266年-紀元前221年)

古代ローマ時代にはこの星座は設定されていた、といいますから、その歴史は結構古い「かみのけ座」。 

キュレネ王女ベレニケは、古代エジプトのプトレマイオス朝のファラオ・プトレマイオス3世の妃で共同統治者です。

夫の死後、彼女自身もファラオとして即位しました。

 ベレニケ2世(プトレマイオス3世時代の貨幣) メトロポリタン美術館蔵
ベレニケ2世(プトレマイオス3世時代の貨幣) メトロポリタン美術館蔵

引用元:ベレニケ2世(プトレマイオス3世時代の貨幣) PHGCOM CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0

夫のプトレマイオス3世エウエルゲテス(紀元前284年頃-紀元前222年、在位:紀元前246年-紀元前222年)。

プトレマイオス3世(息子プトレマイオス4世により発行された金貨) 大英博物館蔵
プトレマイオス3世(息子プトレマイオス4世により発行された金貨) 大英博物館蔵

引用元:プトレマイオス3世 Jastrow

夫妻は優れた統治能力を発揮し、領土の拡大、文化活動の保護や改革を行い、プトレマイオス朝の全盛時代を築きました。

プトレマイオス朝のファラオには、あの世紀の美女「クレオパトラ(7世)」もいます。

夫妻には後のプトレマイオス4世フィロバトル、アルシノエ3世ら子供たちがいました。

 プトレマイオス3世のただ1人の妃であったベレニケ2世は, 王の父とは異母兄弟となるキュレナイカ王マグスの娘だった。彼女は王とのあいだに, 後継者となるプトレマイオス4世をふくむ6人の子どもをもうけた。

ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 月森左知(訳). 2008-6-20. 『古代エジプト 女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.253.

※ベレニケ2世の父親はマグス(メガスとも表記)といい、その母はベレニケ1世です。

ベレニケ1世は、プトレマイオス1世と再婚し、プトレマイオス朝エジプトの最初の女王となりました。

プトレマイオス1世にはプトレマイオス2世という息子があり(プトレマイオス3世の父)、プトレマイオス2世とマグスは異母兄弟ということになります。

プトレマイオス4世(紀元前244年頃-紀元前204年) 大英博物館蔵
プトレマイオス4世(紀元前244年頃-紀元前204年) 大英博物館蔵

引用元:プトレマイオス4世 Jastrow

アルシノエ3世(紀元前246年頃 – 紀元前204年) ペルガモン博物館蔵
アルシノエ3世(紀元前246年頃 – 紀元前204年) ペルガモン博物館蔵

引用元:アルシノエ3世 User:MatthiasKabel CC-BY-SA-3.0-migrated CC-BY-SA-3.0

ベレニケの最初の結婚

紀元前250年頃、ベレニケはマケドニアの王子デメトリオスと最初の結婚をします。

間もなく父キュレネ王マグスが死去。

次のキュレネ王となった夫は、ベレニケの母・アパメー2世と愛人関係になり、怒ったベレニケは夫を殺害しました。

と言われています。

『古代エジプト 女王・王妃歴代誌』では、

ベレニケ2世は意志が強く, すぐれた能力の持ち主で, 自らの領土と競走馬をもっていた。乗馬好きの王妃は戦場でも夫と並んで馬を走らせていた, とローマ時代の作家は賞賛しているが, この話はとうてい事実であったとは思われない。わがままな彼女が最初の婚約者だったマケドニアの皇太子ディミトリウスを殺したという噂と同様に無視するべき話だろう。

ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 月森左知(訳). 2008-6-20. 『古代エジプト 女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.253

とあります。

果たして真相は?

本当に彼女は前夫を嫉妬から殺害したのでしょうか。

夫の不在時は統治者として 

プトレマイオス3世の姉妹に、ベレニケ・フェルノフォラス (フェルノフェラス)という女性がいます。

こちらのベレニケはシリアのアンティオコス2世に嫁いでいましたが、シリア宮廷内で対立し(後に殺害?)、プトレマイオス3世は加勢のためエジプトを離れます。

その際、

王はエジプト古来の伝統にのっとって, 不在中の統治を妻にまかせた。このシリア宮廷内の勢力争いは, プトレマイオス3世の介入によって, 第3次シリア戦争へと発展し、王の不在は5年もの長さにおよんだ。ベレニケ2世はその死後, アレクサンドリアの人びとの崇拝の対象となる栄誉を与えられた。

ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 月森左知(訳). 2008-6-20. 『古代エジプト 女王・王妃歴代誌』. 創元社. pp.253-255. 

「かみのけ座」の神話へ

この第3次シリア戦争 (紀元前246年-紀元前241年頃)の間の出来事が神話になっていきます。

セレウコス朝シリアに侵攻中の夫を想う王妃ベレニケ2世は、夫が無事に戻ったなら美しいことで名高い自分の髪を美の女神アフロディテ(アプロディーテー)に捧げることを誓います。

夫プトレマイオス3世は無事に帰還。

ベレニケ2世は誓い通り自らの髪を切り、アフロディテの神殿に奉納します。

『ベレニケに扮したカテリーナ・サグレド・バルバリーゴ』 1741年 ロザルバ・カッリエーラ デトロイト美術館蔵
『ベレニケに扮したカテリーナ・サグレド・バルバリーゴ』 1741年 ロザルバ・カッリエーラ デトロイト美術館蔵

引用元:『ベレニケに扮したカテリーナ・サグレド・バルバリーゴ』

18世紀イタリアの画家・ロザルバ・カッリエーラが、貴族女性カテリーナ・サグレド・バルバリーゴ( Caterina Sagredo Barbarigo )をモデルにして描いた「ベレニケ」です。美しいですね。

ところが、です。

翌朝見ると、奉納された筈のベレニケの髪がありません。

当然王と王妃は大激怒。

神官たちは死を覚悟しました。

その時、宮廷付きの天文学者であるコノンという人物が進み出ます。

そして、

「女神は王妃様の美しい髪の毛が捧げられたことを喜び、天に上げて星座にしたのです」

と言って、夜空に浮かぶ獅子座の尾のあたりを示したのです。

かみのけ座(Coma Berenices コマ・ベレニケス)
かみのけ座( Coma Berenices コマ・ベレニケス)

引用元:かみのけ座(Coma Berenices) Till Credner  CC-BY-SA-3.0

コノンのこの機転により、神官たちの命は救われました。

コノンは、「サモスのコノン(Conon of Samos)」といわれ、紀元前280年頃-紀元前220年頃に実在した数学者、天文学者です。

アルキメデスのらせん研究の先駆者として知られています。

みんな助かって良かったですね。

(でも、髪の毛は何処に行ったんでしょう?まさか誰か捨てちゃった…?(;・∀・) ) 

ゲラルドゥス・メルカトルによるかみのけ座と乙女座 1551年
ゲラルドゥス・メルカトルによるかみのけ座と乙女座 1551年

引用元:ゲラルドゥス・メルカトルによるかみのけ座と乙女座 1551年

クラゲのようなものが女性の上に飛んでいますが、「メルカトル図法」で知られる16世紀ネーデルラントの地理学者、メルカトルによるかみの毛座と乙女座です。

ベレニケ2世のその後

ベレニケ2世像(ギリシャ時代の彫刻をローマ時代に模刻したもの) ミュンヘン、グリュプトテーク蔵
ベレニケ2世像(ギリシャ時代の彫刻をローマ時代に模刻したもの) ミュンヘン、グリュプトテーク蔵

引用元:ベレニケ2世像(ギリシャ時代の彫刻をローマ時代に模刻したもの) User:Bibi Saint-Pol

神話に登場するのが、紀元前3世紀頃のプトレマイオス朝に実在した人物たちというのが面白いですよね。

古代エジプト、といいますが、ベレニケ2世がその髪を捧げたのは古代ギリシャの女神アフロディテです。

古代エジプト神話にはイシスやハトホルといった女神様たちがいますが、ここにはその名前が挙がりません。

愛と美の女神であるハトホル信仰はやがてローマ帝国に広がり、ハトホルはギリシャではアフロディテと同一視されたとされています。

この時代にはもうギリシャ色が強く、美女として有名なクレオパトラ7世がギリシャ系の容姿をしていたというのはナットクです。

 ベレニケ2世のその後ですが、

 プトレマイオス3世は勤勉な辣腕家で, ベレニケ2世という愛する妻がいた。そのため, 王と王妃は, 臣民から敬意を勝ちとることができた。ところが, 王位を引き継いだ息子のプトレマイオス4世は, 父とはまったくちがっていた。即位して1年とたたないうちに, 彼は母のベレニケ2世と弟のマグスの殺害を命じた。

ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 月森左知(訳). 2008-6-20. 『古代エジプト 女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.255.

ベレニケ2世は息子や廷臣たちの陰謀によって殺害されました。

プトレマイオス4世は姉妹であるアルシノエ3世と結婚し、長く子供に恵まれませんでしたが、紀元前210年頃息子(後のプトレマイオス5世)が生まれます。

しかし、プトレマイオス4世は紀元前205年頃急死(暗殺説あり)、アルシノエ3世は紀元前204年夏頃クーデターで殺害され、幼いプトレマイオス5世が即位しました。

ベレニケ2世のモザイク画 グレコ・ローマン博物館蔵

ベレニケ2世のモザイク画 グレコ・ローマン博物館蔵
ベレニケ2世のモザイク画 グレコ・ローマン博物館蔵

引用元:ベレニケ2世のモザイク画

古典様式で描かれたベレニケ2世のモザイク画。アレクサンドリア市を擬人化して描いていて, 頭には戦艦の船首を戴いている。

ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 月森左知(訳). 2008-6-20. 『古代エジプト 女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.254. 

歴代の女王・王妃を知るための一冊

主な参考文献
  • 『星座と神話がわかる本』 宇宙科学研究所倶楽部(編) Gakken
  • ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 月森左知(訳). 2008-6-20. 『古代エジプト 女王・王妃歴代誌』. 創元社.
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コメント

コメント一覧 (3件)

  • こんばんは。
    髪の毛座は存じあげておりましたが、
    モデルがいたとは・・・。
    ただ、だいたいこの辺の星座は神話がつきものですものね。
    記事を拝見し納得できました。(笑)。

  • こんにちは。ハンナ様。
    >「、春の星座「かみのけ座」にまつわる神話です。」
    >「プトレマイオス朝のファラオには、あの「クレオパトラ(7世)」もいます。」
    そうなのですね。
    ファラオの歴史、人物像によって、歴史も動きますね。
    ベレニケ2世は誓い通り自らの髪を切って、アフロディテの神殿に奉納したのに、亡くなってしまったのですね。
    そこから、星座になったと言われるのですね。
    でも、一体どこに????
    >「ベレニケ2世は息子や廷臣たちの陰謀によって殺害されました。」
    プトレマイオス3世もベレニケ2世も、立派な人だったのに、
    この時代は(他の国でも)
    権力をめぐって、身内を…。
    悲しいですね。こういうことは、どの国でも、起きていましたが。
    >「ベレニケ2世のモザイク画」
    モザイク画は、こういう人のものは珍しいですね。
    今日も詳しく、そして、歴史の背後にあることをありがとうございます。

  • かみのけ座のベレニケは実在の人物だったんですね!😲
    神話や伝説がモチーフの星座がほとんどなのに
    実在の人物とは珍しい。
    徳のある王妃様だったようですね。
    だから星座のモチーフにうってつけ、だったのかな。

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