
1400年代
ベリー公ジャンのいとも豪華なる塩入れ「ネフ」

1400年代、王弟ベリー公ジャンがランブール兄弟に制作を依頼した豪華な時祷書(じとうしょ)。
一時期、ネーデルラント総督マルグリット・ドートリッシュも所有していました。
「1月」に描かれた宴会で、ベリー公ジャンの近くに置かれた舟形のものについて解説します。
メリュジーヌ伝説と『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の3月

この時祷書の3月の図では、城の上に竜が飛んでいます。
19世紀の画家が描くジャンヌ・ダルクの甲冑と1429年時の武具の値段

1431年、ジャンヌ・ダルクが処刑されます。
19世紀の画家たちが描くジャンヌの甲冑姿と、1429年当時の武具のお値段について。
15世紀の寵姫アニェス・ソレルのファッション(ジャン・フーケの『ムランの聖母子』)

1450年代前半に描かれた『ムランの聖母子』。
モデルは、バストが自慢のフランス王シャルル7世の寵姫アニェス・ソレルです。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世皇后エレオノーレの衣裳

1452年、ポルトガル王女エレオノーレは、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世と結婚します。
ふたり間の子どもが、後の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と、バイエルン公妃となるクニグンデ姫。
エレオノーレの衣装にはザクロが描かれています。
ハプスブルク家のクニグンデ姫の「騙され婚」と1516年「ビール純粋令」

チロル奪還の野望を抱くバイエルン公。
偽造文書でハプスブルク家のクニグンデ姫を騙して結婚します。
クニグンデ姫は、ポルトガル王女エレオノーレと神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の娘です。
蛇舌石 かえる石 毒殺を防ぐための道具

かつて毒殺を恐れた人々は珊瑚のお守りを身に着けたり、蛇舌石やかえる石などを毒殺を防ぐ道具として用いました。
図はそのかえる石の取り出し方。
1492年、カトリック両王とも縁が深い、ローマ教皇アレクサンデル6世が即位。
教皇なのに「悪魔が服を着ている」とまで言われたアレクサンデル6世の息子はチェーザレ・ボルジア、娘はルクレツィアです。
トウガラシ、ハンガリーにやってくる。

ハンガリーの料理グヤーシュにはパプリカ・パウダーが使われています。
コロンブスがスペインにトウガラシを持ち帰ったのは1493年のことでした。
19世紀の歴史画に描かれたカスティーリャ「狂女王」フアナ

後世の歴史画で見るカスティーリャ女王フアナの姿です。
狂女王フアナの子供たち、と孫娘『デンマークのクリスティーナ』

1496年、スペインとネーデルラントの二重結婚が行われます。
後に狂女王と呼ばれたカスティーリャ王女フアナは、ブルゴーニュ公フィリップと結婚。6人の子どもたちに恵まれます。
一方、フィリップの妹マルグリットは、フアナの兄フアンと結婚。
1538年、画家ハンス・ホルバイン(子)の傑作『デンマークのクリスティーナ』のモデルになった女性はフアナの孫娘に当たります。
ネーデルラント17州総督マルグリット・ドートリッシュ(前)

スペインとネーデルラントの間で行われた二重結婚の、もう一組のカップル、皇女マルグリットとスペイン王子フアン。
後のネーデルラント総督となったマルグリット・ドートリッシュ。
1529年に締結された「貴婦人の和」に至るまでの道のりを見て行きます。
ネーデルラント17州総督マルグリット・ドートリッシュ(後)~1529年「貴婦人の和約」締結
