15世紀に関する記事

パプリカ
パプリカ
目次

1400年代

ベリー公ジャンのいとも豪華なる塩入れ「ネフ」

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(1月) 1412年と1416年の間 コンデ美術館
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(1月) 1412年と1416年の間 コンデ美術館

1400年代、王弟ベリー公ジャンがランブール兄弟に制作を依頼した豪華な時祷書(じとうしょ)。

一時期、ネーデルラント総督マルグリット・ドートリッシュも所有していました。

「1月」に描かれた宴会で、ベリー公ジャンの近くに置かれた舟形のものについて解説します。

メリュジーヌ伝説と『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の3月

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(3月) コンデ美術館蔵
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(3月) コンデ美術館蔵

この時祷書の3月の図では、城の上に竜が飛んでいます。

19世紀の画家が描くジャンヌ・ダルクの甲冑と1429年時の武具の値段

『ジャンヌ・ダルク』 1865年 ジョン・エヴァレット・ミレー 個人蔵
『ジャンヌ・ダルク』 1865年 ジョン・エヴァレット・ミレー 個人蔵

1431年、ジャンヌ・ダルクが処刑されます。

19世紀の画家たちが描くジャンヌの甲冑姿と、1429年当時の武具のお値段について。

15世紀の寵姫アニェス・ソレルのファッション(ジャン・フーケの『ムランの聖母子』)

『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵
『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵

1450年代前半に描かれた『ムランの聖母子』。

モデルは、バストが自慢のフランス王シャルル7世の寵姫アニェス・ソレルです。

神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世皇后エレオノーレの衣裳

エレオノーレ・ヘレナ・フォン・ポルトゥガル 1468年以降 ハンス・ブルクマイアー 美術史美術館蔵
エレオノーレ・ヘレナ・フォン・ポルトゥガル 1468年以降 ハンス・ブルクマイアー 美術史美術館蔵

1452年、ポルトガル王女エレオノーレは、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世と結婚します。

ふたり間の子どもが、後の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と、バイエルン公妃となるクニグンデ姫。

エレオノーレの衣装にはザクロが描かれています。

ハプスブルク家のクニグンデ姫の「騙され婚」と1516年「ビール純粋令」

クニグンデ・フォン・エスターライヒ(1465年3月16日-1520年8月6日) 1485年頃 ティッセン=ボルネミッサ美術館蔵
クニグンデ・フォン・エスターライヒ 1485年頃 ティッセン=ボルネミッサ美術館蔵

チロル奪還の野望を抱くバイエルン公。

偽造文書でハプスブルク家のクニグンデ姫を騙して結婚します。

クニグンデ姫は、ポルトガル王女エレオノーレと神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の娘です。

蛇舌石 かえる石 毒殺を防ぐための道具

生きている蛙の頭からトード・ストーンを取り出す図
生きている蛙の頭からトード・ストーンを取り出す図

かつて毒殺を恐れた人々は珊瑚のお守りを身に着けたり、蛇舌石やかえる石などを毒殺を防ぐ道具として用いました。

図はそのかえる石の取り出し方。

1492年、カトリック両王とも縁が深い、ローマ教皇アレクサンデル6世が即位。

教皇なのに「悪魔が服を着ている」とまで言われたアレクサンデル6世の息子はチェーザレ・ボルジア、娘はルクレツィアです。

トウガラシ、ハンガリーにやってくる。

「インド・ロング・ペッパー」 1543年 レオンハルト・フックス画
「インド・ロング・ペッパー」 1543年 レオンハルト・フックス画

ハンガリーの料理グヤーシュにはパプリカ・パウダーが使われています。

コロンブスがスペインにトウガラシを持ち帰ったのは1493年のことでした。

19世紀の歴史画に描かれたカスティーリャ「狂女王」フアナ

『狂女王フアナ』 1877年 フランシスコ・プラディーリャ プラド美術館蔵
『狂女王フアナ』 1877年 フランシスコ・プラディーリャ プラド美術館蔵

後世の歴史画で見るカスティーリャ女王フアナの姿です。

狂女王フアナの子供たち、と孫娘『デンマークのクリスティーナ』

『デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃』 ハンス・ホルバイン画 1538年 ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
『デンマークのクリスティーナ、ミラノ公妃』 1538年 ハンス・ホルバイン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

1496年、スペインとネーデルラントの二重結婚が行われます。

後に狂女王と呼ばれたカスティーリャ王女フアナは、ブルゴーニュ公フィリップと結婚。6人の子どもたちに恵まれます。

一方、フィリップの妹マルグリットは、フアナの兄フアンと結婚。

1538年、画家ハンス・ホルバイン(子)の傑作『デンマークのクリスティーナ』のモデルになった女性はフアナの孫娘に当たります。

ネーデルラント17州総督マルグリット・ドートリッシュ(前)

マルグリット・ドートリッシュ  1490年-1491年 メトロポリタン美術館蔵
マルグリット・ドートリッシュ  1490年-1491年 メトロポリタン美術館蔵

スペインとネーデルラントの間で行われた二重結婚の、もう一組のカップル、皇女マルグリットとスペイン王子フアン。

後のネーデルラント総督となったマルグリット・ドートリッシュ。

1529年に締結された「貴婦人の和」に至るまでの道のりを見て行きます。

ネーデルラント17州総督マルグリット・ドートリッシュ(後)~1529年「貴婦人の和約」締結

マルグリット・ドートリッシュ(1480年1月10日ー1530年12月1日) 1518年 ベルナールト・ファン・オルレイ ブルー美術館蔵
マルグリット・ドートリッシュ 1518年 ベルナールト・ファン・オルレイ ブルー美術館蔵
目次