
1500年代
1500年代初め、画家ラファエロ、ベッリーニ、ティツイアーノ他多くの画家が活躍します。
時代はルネサンスに向かいます。
目利きの枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼとボルケーゼ美術館のコレクション

引用元:枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼ Sailko CC-BY-3.0
ボルケーゼ美術館にある数々の絵や彫刻。
ドメニキーノ、ベルニーニ、ルーベンス、ティツイアーノなどを観て行きます。
画家ドッソ・ドッシの作品も収蔵されていますが、ドッソ・ドッシはフェラーラ公アルフォンソ1世・デステと、息子エルコレ2世に仕えました。
ディアナよりニンフに目が行く、ドメニキーノの『狩りをする女神ディアナ』

引用元:『狩りをする女神ディアナ』
画家ドメニキーノは、ボルケーゼ枢機卿によって牢に入れられてしまいました。
その理由は、ボルケーゼ枢機卿に絵を譲らなかったから…。
ルクレツィア・ボルジアの結婚記念画 『神々の饗宴』

引用元:『神々の饗宴』
1502年、ルクレツィア・ボルジアは、フェラーラ公国のアルフォンソ1世・デステと3度目の結婚をします。
ベッリーニの『神々の祝宴』は、ルクレツィアとアルフォンソの結婚記念画と言われています。

ヘンリー7世 「冬の王」のお見合い肖像画

引用元:ヘンリー7世
1505年、マルグリット・ドートリッシュに贈るため、イングランド王ヘンリー7世の「お見合い肖像画」が制作されます。
「チェーザレ・ボルジアのケープ、今、サライのもの」

引用元:『洗礼者ヨハネ』
1507年 イタリア統一を目論むチェーザレ・ボルジアが戦死します。
チェーザレがレオナルド・ダ・ヴィンチにあげたケープ、今はサライのもの。
アン・ブーリン マルグリット・ドートリッシュの私設学校への留学

引用元:“Portrait of a Lady, called Anne Boleyn”
1509年、父ヘンリー7世の死去に伴い、ヘンリー8世がイングランド王として即位します。
1513年 後にヘンリー8世二番目の王妃となるアン・ブーリンが、マルグリット・ドートリッシュの「学校」へ留学。
その後アンはフランスへ渡り、フランソワ1世妃クロードの宮廷へ移ります。
同じ頃レオナルド・ダ・ヴィンチがその近くに住んでいました。
アン・ブーリンはレオナルド・ダ・ヴィンチの姿を見掛けたか?

引用元:『モナ・リザ』
ルイ12世妃マリー・ダングルテールの「胎児管理人」

引用元:メアリー・テューダーとサフォーク公チャールズ・ブランドン
1514年、フランス王ルイ12世とイングランド王女が結婚します。
王女メアリーは政略結婚を承知し、フランスへ嫁いで行きますが、嫁ぎ先の宮廷ではルイーズ・ド・サヴォワの目が光っていました。
1515年 フアナの長男カールは神聖ローマ皇帝に選出され、カール5世となります。
翌年1516年、スペイン王「カルロス1世」に。
1556年以降のスペインは、息子フェリペ2世の治世です。
16世紀、日本の銀が欧州に影響を与えたのかもしれない 『金融史がわかれば世界がわかる ―「金融力」とは何か』

引用元:クレオパトラ7世のコイン
1519年、フアナの長男カールとフランスのフランソワ1世が神聖ローマ皇帝選挙で一騎打ちに。マルグリット・ドートリッシュはフランソワ1世を上回る資金を調達し、カールを支援します。