16世紀に関する記事

『ペリカン・ポートレート』 1573年頃 ニコラス・ヒリヤード ウォーカー・アート・ギャラリー蔵
『ペリカン・ポートレート』 1573年頃 ニコラス・ヒリヤード ウォーカー・アート・ギャラリー蔵
目次

1500年代

1500年代初め、画家ラファエロ、ベッリーニ、ティツイアーノ他多くの画家が活躍します。

時代はルネサンスに向かいます。

目利きの枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼとボルケーゼ美術館のコレクション

シピオーネ・ボルゲーゼ(1577年9月1日 – 1633年10月2日) 1632年 ベルニーニ作 ボルケーゼ美術館蔵
シピオーネ・ボルゲーゼ 1632年 ロレンツォ・ベルニーニ ボルケーゼ美術館蔵

引用元:枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼ Sailko CC-BY-3.0

ボルケーゼ美術館にある数々の絵や彫刻。

ドメニキーノ、ベルニーニ、ルーベンス、ティツイアーノなどを観て行きます。

画家ドッソ・ドッシの作品も収蔵されていますが、ドッソ・ドッシはフェラーラ公アルフォンソ1世・デステと、息子エルコレ2世に仕えました。

ディアナよりニンフに目が行く、ドメニキーノの『狩りをする女神ディアナ』

『狩りをする女神ディアナ』( Diana and her Nymphs ) 1617年 ドメニキーノ ボルケーゼ美術館(ローマ)
『狩りをする女神ディアナ』( Diana and her Nymphs ) 1617年 ドメニキーノ ボルケーゼ美術館

引用元:『狩りをする女神ディアナ』

画家ドメニキーノは、ボルケーゼ枢機卿によって牢に入れられてしまいました。

その理由は、ボルケーゼ枢機卿に絵を譲らなかったから…。

ルクレツィア・ボルジアの結婚記念画 『神々の饗宴』

『神々の饗宴』  1514年 / 1529年 ワシントン、ナショナル・ギャラリー蔵
『神々の饗宴』  1514年 / 1529年 ワシントン、ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:『神々の饗宴』

1502年、ルクレツィア・ボルジアは、フェラーラ公国のアルフォンソ1世・デステと3度目の結婚をします。

ベッリーニの『神々の祝宴』は、ルクレツィアとアルフォンソの結婚記念画と言われています。

ヘンリー7世 「冬の王」のお見合い肖像画

イングランド王ヘンリー7世(1457年1月28日-1509年4月21日) ミケル・シトウ? 1505年 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵
イングランド王ヘンリー7世 1505年 ミケル・シトウ? ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵

引用元:ヘンリー7世

1505年、マルグリット・ドートリッシュに贈るため、イングランド王ヘンリー7世の「お見合い肖像画」が制作されます。

「チェーザレ・ボルジアのケープ、今、サライのもの」

『洗礼者ヨハネ』1514年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ ルーヴル美術館蔵
『洗礼者ヨハネ』1514年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ ルーヴル美術館蔵

引用元:『洗礼者ヨハネ』

1507年 イタリア統一を目論むチェーザレ・ボルジアが戦死します。

チェーザレがレオナルド・ダ・ヴィンチにあげたケープ、今はサライのもの。

アン・ブーリン マルグリット・ドートリッシュの私設学校への留学

"Portrait of a Lady, called Anne Boleyn" 1532年-1535年頃 ハンス・ホルバイン画
“Portrait of a Lady, called Anne Boleyn” 1532年-1535年頃 ハンス・ホルバイン画

引用元:“Portrait of a Lady, called Anne Boleyn”

1509年、父ヘンリー7世の死去に伴い、ヘンリー8世がイングランド王として即位します。

1513年 後にヘンリー8世二番目の王妃となるアン・ブーリンが、マルグリット・ドートリッシュの「学校」へ留学。

その後アンはフランスへ渡り、フランソワ1世妃クロードの宮廷へ移ります。

同じ頃レオナルド・ダ・ヴィンチがその近くに住んでいました。

アン・ブーリンはレオナルド・ダ・ヴィンチの姿を見掛けたか?

『モナ・リザ』 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1503年-1506年頃 ルーヴル美術館蔵
『モナ・リザ』 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1503年-1506年頃 ルーヴル美術館蔵

引用元:『モナ・リザ』

ルイ12世妃マリー・ダングルテールの「胎児管理人」

メアリー・テューダーとサフォーク公チャールズ・ブランドン 1515年 ヤン・ホッサールトに帰属 ウォバーン・アビー蔵
メアリー・テューダーとサフォーク公チャールズ・ブランドン 1515年 ヤン・ホッサールトに帰属 ウォバーン・アビー蔵

引用元:メアリー・テューダーとサフォーク公チャールズ・ブランドン

1514年、フランス王ルイ12世とイングランド王女が結婚します。

王女メアリーは政略結婚を承知し、フランスへ嫁いで行きますが、嫁ぎ先の宮廷ではルイーズ・ド・サヴォワの目が光っていました。

1515年 フアナの長男カールは神聖ローマ皇帝に選出され、カール5世となります。

翌年1516年、スペイン王「カルロス1世」に。

1556年以降のスペインは、息子フェリペ2世の治世です。

16世紀、日本の銀が欧州に影響を与えたのかもしれない 『金融史がわかれば世界がわかる ―「金融力」とは何か』

クレオパトラ7世のコイン 大英博物館蔵
クレオパトラ7世のコイン 大英博物館蔵

引用元:クレオパトラ7世のコイン

1519年、フアナの長男カールとフランスのフランソワ1世が神聖ローマ皇帝選挙で一騎打ちに。マルグリット・ドートリッシュはフランソワ1世を上回る資金を調達し、カールを支援します。

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