私たちの身近な食べもの「パン」。菓子パンに惣菜パン、いろいろ売られていますが、パンの歴史は結構古い。『パンの文化史』から、古代のパンについてご紹介させていただきます。
『パンの文化史』
パンの文化史専門家、舟田詠子氏の著作。
巻末の著者力歴を拝読すると、ウィーン在住、千葉大学、東海大学元非常勤講師とのことでした。
世界の各美術館に収蔵されているパン焼きの模型、ポンペイの遺跡を観に行く前に目を通しておきたい一冊です。
- 舟田 詠子(著)
- 出版社 : 講談社 (2013/12/11)
- 発売日 : 2013/12/11
- 文庫 : 352ページ
- ISBN-10 : 4062922118
- ISBN-13 : 978-4062922111
本書の原本は、朝日新聞社から刊行された『パンの文化史』です。
使われている画像はほとんど同じですが、文庫版になって更に見やすいと思います。入手するなら文庫の方をどうぞ。
- 舟田 詠子(著)
- 出版社 : 朝日新聞社 (1998/1/1)
- 発売日 : 1998/1/1
- 単行本 : 314ページ
- ISBN-10 : 4022596929
- ISBN-13 : 978-4022596925
この本の目次
- はしがき
- 序章 米偏世界へ渡来した異邦人
- 第一章 パンとは何か
- 1 パンづくりとは何か
- 2 ムギ
- 3 無発酵パンと発酵パン
- 第二章 パンの発酵
- 1 パンはなぜふくらむのか
- 2 パン種
- 3 「たねなしパンの祭り」
- 4 「最後の晩餐」のパン
- 5 発酵と不浄
- 第三章 パン焼き
- 1 古代遺跡が語るパンの発達
- 2 古代人のパン焼きのくふう
- 3 中世のパン焼き
- 第四章 パンを焼く村を訪ねて
- 1 パンを焼く村を訪ねて
- 2 パンの保存
- 3 パンと十字印
- 第五章 パン文化の伝承
- 1 パン文化の伝承
- 2 嫁のパン焼きと姑のパン焼き
- 3 祭りの象形パン
- 4 民話の中の記憶
- 5 パン窯にまつわる暗い影
- 第六章 貴族のパンと庶民のパン
- 1 中世の白パン社会と黒パン社会
- 2 パン屋
- 終章 パンは何を意味してきたか
- 1 パンのほどこし
- 2 ある巡礼の古い記録から
- 注
- あとがき
- 図版リストとクレジット
- 参考文献紹介
- 索引
最後の晩餐のパン、大航海時代のパン、ヘンゼルとグレーテルに出てくるパン…。ご興味がお有りなのはどのパンでしょうか。
私は古代のパンかな。例え砂漠の砂混じりでも、古代エジプトのパンもひと口食べてみたいし、古代ギリシャ・ローマのパンも食べてみたい。
気になる第三章はこんな感じです。
- 第三章 パン焼き
- 2 古代人のパン焼きのくふう
- パン窯の二つのタイプ / メソポタミアのパン焼き設備 / エジプト人のパン焼き〔壺に入れて / なぜ壺焼きなのか〕 / ギリシャ人のパン焼き〔灰の下で / 串につけて / カバーをかぶせて〕 / 幌馬車のようなパン窯で / ローマ人のパン焼き〔カバーをかぶせて〕 / ヨーロッパの鉄器時代のパン焼き / パン窯の完成 / 古代人のパン焼きのくふう
- 2 古代人のパン焼きのくふう
古代のパン
古代エジプトのパン焼き
食べたいという食欲ばかりでなく、どんなふうに焼いていたのかも興味あります。
古代エジプトの壺焼きの歴史は古く、時代によって形の変遷があるとのこと。
本書に下の像が掲載されており、解説も付けられています。
引用元:エジプト人の前2500年頃の、壺パン焼きの像 Einsamer Schütze Roemer- und Pelizaeus-Museum
最初、頬杖?と一瞬思ってしまった左手は、暑さのせいで顔にかざしているのだそうです。
尖っているように見えるのは「円錐形の壺」。
火のまわりに円錐形の壺をさかさに積み上げ、熱している。
舟田 詠子(著). 2014-7-2. 『パンの文化史』. 講談社. p.111.
下の画像は、メケトレさんという方のお墓の副葬品。
パン焼き、ビール造りの様子の模型です。
引用元:メケトレの墓の出土品 CC-Zero
メトロポリタン美術館:Bakers and Brewers from Meketre’s Model Bakery and Brewery
こちらは出土した当時のパン。
メトロポリタン美術館:Triangular loaf of bread
本書に掲載されているのは大英博物館収蔵の三角パン(前2000年頃)ですが、解説に、「「ベンベン」と呼ばれていた」とあります。
引用元:出土した、様々な形のパン Museo Egizio, Turin CC-BY-2.0-IT
いろいろな形が面白いですね。
第20王朝の2代目のファラオ、ラムセス3世(在位:紀元前1186年頃-1155年頃)の墓に描かれたものです。
上段左から、足で生地をこねる人たち、壺の下にパン生地と液を運ぶ人たち、パン生地を丸める人たち…と、多くの人々が働いていますね。
人々の上には様々な形のパンがありますが、見ていて実に楽しい!
うずまきの菓子を棒の先につけて、ふたつきの鍋で揚げる人、タヌールで焼く人、その上は籠にはいった果実を煮る人、ロールケーキ風のものをタヌールへ担いでいく人。人びとの上にはできあがったうずまきの菓子、牛形のパン、三角のパン、丸パンなどが見える
舟田詠子(著). 2014-7-2. 『パンの文化史』. 講談社学術文庫. p.110.
タヌール( tannour または、タンドール Tandoor )は円筒型の「パン窯」です。
本書には、古代エジプトで使われていたタヌールの画像も掲載。
現代のパン屋さんで様々な形状や味のパンが見られるように、古代エジプトにもいろいろな形のパンが存在していたんですね。
砂混じりのパンが原因で…
例え砂が混じっていようと、ちょっと食べてみたいと思う「当時のパン」。
しかし、古代エジプトのミイラを調査し、彼らの死因が判ってくると、「砂混じりのパン」は結構危ないということも判ってきます。
ジェドと呼ばれる女性のミイラは生前、奥歯に大きな嚢胞を抱え、激痛に苦しんでいたようです。
ジェドはその嚢胞が原因で亡くなったそうですが、
それは当時のエジプト人のほとんどが砂混じりのパンなどを食べるため、歯が摩耗して歯槽膿漏や歯からの感染症にかかっている人が多かったことも示していた。
ミイラ学プロジェクト(編著). 2019-7-30. 『教養としてのミイラ図鑑 世界一奇妙な「永遠の命」』. KKベストセラーズ. .41,
食べ続けることによって、口の中も傷つけ、歯も摩耗する…。
やっぱり怖いな…。
ミイラに興味がある方、お勧めします
古代ギリシャのクリバノス・パン
引用元:デメテル Marie-Lan Nguyen CC-BY-2.5
ギリシャ神話に出てくる女神デメテルは、人間に穀物の栽培方法を教えた豊饒神です。
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスも、紀元前5世紀にエジプトを訪れ、「エジプト人は、パン食い人だ」と書いています。
『食卓の賢人たち』(アテナイオス(著) 柳沼重剛編(訳) 岩波書店)にもいろいろなタイプのパンが登場しますが、49ページには、火桶で焼く、「クリバノス・パン」の名が出てきます。
「アテナイじゃ火桶のことを klibanos というが、ヘロドトスは『歴史』の第二巻(92節)で、真っ赤に焼けたklibanos」と書いている」(p.51)とあります。
「ソブロン(前5世紀)も、『女たちのミモス』の中で、「女神さまたちの召し上がり物なるクリバノス・パンにホモロスに半パンをばヘカテ様に奉り」と言ってるね。」というところで、「女神さまたちの召し上がり物」のフレーズがとても気になりまして。
女神さまに差し上げるくらいのものだから、クリバノス・パンなるものはかなり美味しい(高級?)ものなのでは。
この「ギリシャ人のパン焼き設備」クリバノスについても、『パンの文化史』でもページが割かれています。アテナイオスについてレポートなどお書きになる場合は一読をお勧めします。
著者はアテナイオスの説明を挙げておられます。
灰焼きのパンはよく焼けないので重く、消化もよくない。イプノス窯やカミノス窯で焼いたのは消化が悪くてこなれない。火桶で焼いたのや揚げ物用の平鍋で焼いたものは、オリーヴ油を使うので通じはいいが、油の蒸気が立つので腹によくない。何といってもクリバノスで焼いたパンが、すべての点でいちばんすぐれている。味がいい、腹にいい、消化がいい、身になりやすい、というわけだ。
舟田詠子(著). 2014-7-2. 『パンの文化史』. 講談社学術文庫. p.118.
クリバノスで焼いたパン、最強ですね。
優れもののクリバノスは、古代ローマ人に受け継がれました。
ローマ人もクリバノスを受け継ぎ、clibanus と綴っていた。この言葉は、最古の料理書と言われる『アピーキウスの料理書』にも登場する。パンでなく、仔山羊や仔羊をまるごとローストするときに使用指示がある。プリニウスも『博物誌』に「クリバノスで焼いたパン」を記録している。
舟田詠子(著). 2014-7-2. 『パンの文化史』. 講談社学術文庫. p.120.
美味しいものや食べ方というものは廃れることなく、ずっと長く続いていくものなんだなと改めて感じます。
ギリシャ語のクリバノスという語は、辞典によるとクリテース〈オオムギ粒〉とバウノス〈炒り窯〉の複合語だそうである。するとこれは〈オオムギの炒り窯〉という意味になる。こんな言葉からも炒りムギからパンへの発展過程を推測させる。そして「クリバノス」から「クリバノスで焼いたパン」という言葉、さらに「パン屋」という言葉も生まれている。〈オオムギ粒〉〈炒り窯〉〈パン〉。クリバノスというキーワードは、はるかな時間のかなたにある、パンの起源へとわれわれの想像を駆りたてるのである。
舟田詠子(著). 2014-7-2. 『パンの文化史』. 講談社学術文庫. p.121.
古代ローマのパン「オクタプロモス」
引用元:ポンペイで発見された古代ローマ時代のパン Beatrice CC-BY-SA-2.0-IT
炭化してしまった、古代ローマ時代のパン。八等分できる線が入っています。
上から見ただけでは判りづらいですが、横から見ると、ふっくらと厚みもあります。
引用元:ポンペイ出土の古代ローマ時代のパン Jebulon CC-Zero
このような八つの割りパンは、古代ギリシャから受けついだものらしい。ヘーシオドス(紀元前七〇〇年前後)の『仕事と日』に、「八人前のパンを四つ割りにして食事に与え」という表現で現れているのだから、大変に古い伝統をもつパンで、「オクタプロモス」という名がついていた。
舟田詠子(著). 2014-7-2. 『パンの文化史』. 講談社学術文庫. pp.130-133.
この炭化したパンは、2022年の【特別展 「ポンペイ」】で来日しています。
とても貴重な品々がナポリから日本にやってきましたが、私が絶対に見たかったのはこのパン!といっても過言ではありません。
写真がしょぼくて申し訳ありません。図録の写真はすごくわかり易いですよ。
図録の解説には、
典型的な形のパン(パニス・クアドラトゥス)は、焼く前にナイフで放射状の切れ目を入れ、分けやすいようにしてあった。
芳賀京子(監修). 東京国立博物館, 朝日新聞社. 【特別展 「ポンペイ」】(2022年)p.128.
とあります。
この絵のパンは六等分ですね。
パン屋さんとはいうけれど、パン屋さんの服装がキレイで、なんだかちょっと偉そう?
パンを差し出す人物がカウンターの後ろにいることや、彼の上品な服装からみて、この絵はパン屋ではなく、高位公職者からのパンの施与を表わしているのではないかと考える研究者もいる。あるいは公的納入業者に選ばれたパン屋、あるいはプロパガンダや政治目的のために施与を行うパトロヌス(庇護民たちの保護者)だという説もある。
芳賀京子(監修). 東京国立博物館, 朝日新聞社. 【特別展 「ポンペイ」】(2022年)p.129.
このパン屋さんの正体が気になりますねえ。
この本にもパンの話が載っています。
内容自体は軽いエッセイみたいな感じ? 専門的な感じではありませんが、古代ローマの雰囲気を、ざーっと軽く読みたい時にはいいかも。
おいしい古代ローマ物語 アピキウスの料理帖古代ローマの料理について、詳しくなりたいなら読んでおいた方がいいと思います
これなら私でも作れそうな古代ローマの料理
中世の「トランショワール」
中世の富裕層の宴会風景です。
食卓には料理が並べられ、騎士である男性が料理を切り分けています。
よく見ると、料理が載っているのは、現代の私たちが目にするような陶磁器のお皿ではありません。
この当時、料理を盛ったり肉を切ったりするのに使われていたのは「パン」、または、それに代わる木製の板皿で、フランス語でトランショワール(トランシュワール)、英語でトレンチャーと呼ばれました。
肉を切るのに使われたパンには肉汁が染みており、まな板代わりにした後は最後まで食べられました。
この「トランショワール」については第六章で読むことができます。
こうしたまな板や皿代わりのパンは、すでにローマ人も知っていた。ウェルギリウスの『アエネーイス』(紀元前一世紀初め)に、飢えのあまり「食卓を噛る」とか「食卓までも食べ尽す」という奇妙な表現が現れるのだが、その「食卓」とは、実はパンでできていたのである。薄くて堅い円形のパンで、四つ割りにするために、十の字の分割線がついていた。そのパンの上に食べ物を載せ、普段はのっている物だけを食べるのに、今は空腹でこれまでも食べる、というくだりである。この食卓パンは、さしずめ折敷とか、プレイスマットの役割で、元は供物をのせた盆だという。
舟田詠子(著). 2014-7-2. 『パンの文化史』. 講談社学術文庫. pp.248-249.
立食パーティーなんかで、クラッカーの上に食材をのっけて食べる、というのもそれに近い感じなのかな。
食材の肉汁や果汁で指を汚すことなく、最後まで美味しく食べられますね。
中世の食事の様子を描いた絵画を観る場合にも、料理を載せた「お皿」に注目すると面白いかもしれません。