本の帯には「リネンを愛し リネンにかかわる人のための必読書」とあります。リネン愛溢れる一冊です。
『リネンの歴史とその関連産業』
この小さくて薄い書籍に、多くの情報が詰まっていることに感動しますよ。リネンの歴史にリネンの構造の話。リネンの将来。
リネンへの熱い愛が伝わってきます。
私のような丸きりの門外漢が言うのも何ですが、仕事でリネンを扱う方は目を通して欲しい。
繊維とか布製品、古代のファッションなど、それらに関する自由研究やレポートを書く方にも読んでいただきたい。
本書に関わっておられる方々、関係機関がまたすごいんですよね。
欧州麻連盟( CELC )というのがあるのも初めて知りました。
監修者の香山 学 氏は日本麻紡績協会理事・会長補佐とありますし、翻訳をされた尾崎直子氏も科学分野・技術分野でも実績がある方とのことです。(日本語訳、わかりやすいです)
この本の目次
- まえがき
- 序章
- 第1部 リネンと関連技術の歴史
- 第2部 リネンに関する技術
- 第1章 リネンの構造と携帯
- 第2章 生産技術と加工技術
- 第3章 用途および製品
- 第3部 フランス経済におけるリネン
- 第4章 フランスにおけるリネン
- 第5章 諸外国との競争
- 第4部 技術の進展とリネンの将来
- 第6章 リネンとほかの繊維
- 第7章 リネンの加工工程に関する批判的考察
- 第8章 将来の展望
- 監修者あとがき
- 参考文献
興味があるのは「リネンの歴史」
この本を手に取った理由。それはリネンの歴史について書かれているから。
「世界最古の衣類って、リネンで出来てるんでしょ?」くらいの知識しかありませんでしたし、リネンを発明した人物についてなんて、正直そんなの今まで考えたことも無かったです。
リネンの発明者の「正確な名前も国籍も生年月日も不明」という文の後、
唯一わかっているのは、この人物がコーカサス地方または近東に住んでいたということだ。近年、炭素同位体の測定法に基づく考古学的発見によって、リネンの起源が紀元前10,000年から15,000年に遡ることがわかった。また、リネンが利用されていたという最も古い証拠が、紀元前8,000年のスイスの湖上集落(タインゲン湖)から見つかっている。
ジャック・ル―ル(著). 香山 学(監修). 尾崎直子(訳). 2022-5-30. 『リネンの歴史とその関連産業』. p.8.
紀元前1万年ですって?
具体的に想像もできない程の大昔です。
また、香山 学 氏の「監修者あとがき「サステナビリティ素材リネン(亜麻)」では、2009年9月13日付の日本経済新聞掲載の「グルジアの洞窟から3万年前の最古級の糸発見」の記事を挙げておられます。
記事によれば、ジョージア国立博物館と米国ハーバード大学等の国際チームが「黒や青緑の先染めの亜麻糸を発見した」と、米国科学誌『サイエンス』に発表した」とのことである。亜麻=リネンは人類最古の繊維といわれ、その歴史は紀元前8千年、約1万年前が従来の定説であった。しかし、今回はこれを大幅に上回る発見であった。実に3万年前とは驚きある。その後の調査研究で3万8千年前のものと判明し、染色されたものや、紐や縄を作るのに使われていたことを窺わせる捻じられた跡があるものも含まれていたという。
ジャック・ル―ル(著). 香山 学(監修). 尾崎直子(訳). 2022-5-30. 『リネンの歴史とその関連産業』. p.138.
紀元前1万年とか3万年とか3万8千年とか…。とにかくすんごく大昔、というくらいで、ぴんと来ない…。
そんなに大昔からリネンの利用があったことに、ただ驚嘆です。
古代エジプトのリネン産業
古代エジプト語では shenu 、古代ギリシャ語では linon 、ラテン語では linum と呼ばれ、衣服に船の帆の材料にと生活の中で活用されてきたリネン。
古代ローマの博物学者大プリニウス( 23年-79年)も、リネンについて言及しています。
大プリニウスの時代より更に昔、古代エジプトのリネン産業について、
古代エジプトのリネン産業の最も古い遺跡は紀元前6,000年に遡り、この文明の歴史の起源とほぼ一致している。リネン産業は紀元前4,000年には発展の頂点を迎え、都テーベの複数の神殿の壁には、花盛りのリネンや、紡績前にリネンを繊維を準備する様子を表した彫刻が施されている。また、墓の彫刻の中には、この時代に使われていた織機を表したものもある。
ジャック・ル―ル(著). 香山 学(監修). 尾崎直子(訳). 2022-5-30. 『リネンの歴史とその関連産業』. p.9.
とあります。ここでは模型と壁画をご紹介します。
古代エジプトの役人ゲムニエムハトの墓の副葬品
引用元:ゲムニエムハトの墓の副葬品 Ny Carlsberg Glyptotek, København
ゲムニエムハト( Gemniemhat )が生きていたのは、第一中間期(紀元前2180年頃-紀元前2040年頃)の終わり、または第11王朝(前2134年-前1991年)の始めだったとのことです。
古代エジプトの役人メケトレの墓の副葬品
引用元:メケトレの墓の出土品 Soutekh67 CC-BY-SA-3.0
メトロポリタン美術館には、メケトレ( Meketre )の墓から出土した他の模型も収められています。
美術館の解説によると、メケトレが生きていた時代は中王国時代、第12王朝頃とのこと。
エジプト中王国は「紀元前2040年頃-紀元前18世紀頃」、第12王朝は「紀元前1991年頃-紀元前1782年頃」。
クヌムホテプ2世の墓の壁画
引用元:織工たちが描かれた場面の複製画
メトロポリタン美術館:Weavers, Tomb of Khnumhotep
墓に描かれた絵の複製。「右側の女性たちは麻糸を撚り、左側の2人は織機で布を織っています。」と説明があります。
墓の持ち主は、第12王朝のファラオ、クヌムホテプ2世( Khnumhotep II )です。
実際の道具
下の画像は「紡績中にリネン繊維を濡らすための、フック付きの古代エジプトのボウル」との説明がありました。
引用元:リネン用の容器 Dvortygirl CC-BY-SA-3.0
詳しくは本書の「古代エジプトの技術」の項をご覧ください。へー、そんな風にやってたんだーと思いました。
すみません、古代の農業ナメてました。
手仕事から工業へと発展したリネン加工。
名声を獲得したリネンは、インドやペルシャ、後にはギリシャやローマへと輸出されるようになりました。
ファラオたちは大がかりな王立工房をテーベ、パノポリス、メンフィスなどの都市に設置しました。
着色布、登場
紀元前1500年頃、着色布が歴史に登場します。
そんな大昔に布を染める技術があったんですね。
染色の技法はペルシャとインドからエジプトに伝わり、加工技術は非常に高いものだったようです。
古代エジプトの年代記は、指輪の内側を通せるトゥニカについてしばしば触れているが、このような衣服は「空気で織ったもの」と形容された。
ジャック・ル―ル(著). 香山 学(監修). 尾崎直子(訳). 2022-5-30. 『リネンの歴史とその関連産業』. p.12.
「空気で織ったもの」とはロマンティックな響きですが、それほどに緻密というか、高品質なものだったのですね。
博物館に収蔵されているリネン
メトロポリタン美術館蔵:Gable–topped chest and linens
ハトネフェル( Hatnofer )の墓から発見された三つのチェストの内のひとつで、チェストは「おそらくこの埋葬のために特別に作られたものと思われる」とのこと。
チェストには、様々な品質と織りのリネンが収められていました。
引用元:ハトネフェルの墓から発見されたリネン Daderot CC-Zero
あれ、これは現代の雑貨屋さんや洋服売り場で売られているものですか?と思うようなリネンですね。
リネン産業が古代エジプトで発達した理由
「ファラオがリネン産業の発展に力を入れたから」「リネン栽培に適した土壌だったから」「諸外国でも大人気だったから」とこんな理由だったらすぐ思いつくところです。
著者は、
リネン産業が古代エジプトでなぜここまで発展したのかを理解するためには、この国独特の宗教儀式の象徴的な役割について考える必要がある。
ジャック・ル―ル(著). 香山 学(監修). 尾崎直子(訳). 2022-5-30. 『リネンの歴史とその関連産業』. p.12.
と仰っています。
紀元前1500年頃に着色布が登場するまで、リネンの仕上げ工程は漂白に限られていました。
白。汚れの無い、高貴なイメージです。
元来、リネンの使用は概して崇拝的儀式にもっぱら限られていた。白色は純粋さを表すことから、人類文明の黎明期において、ほぼ全ての国家はリネンを神聖の象徴として聖職者の衣服または神殿の儀式に取り上げた。古代エジプト宗教に限っていえばリネンは繊維の中で最も傷みにくく、霊魂は不滅なため現世の肉体の形を維持しなければならない、という考え方と合致していた。そのため、エジプト人は死後の人体にリネンの包帯を巻いた。
ジャック・ル―ル(著). 香山 学(監修). 尾崎直子(訳). 2022-5-30. 『リネンの歴史とその関連産業』. p.12.
リネンの包帯を使用した理由はこんなところにもあったんですね。
『教養としてのミイラ図鑑』によると、貧乏な庶民だとそのまま地面に埋められましたが、庶民でもお金持ちだと包帯巻きにされ、棺に入れられて埋葬されました。
王族ともなれば、豪華な黄金のマスクに立派に装飾された棺が用意されます。
身分の高い人のミイラにはきれいな包帯が用いられ、指の一本一本に至るまで丁寧に巻かれたそうですが、庶民の場合は粗悪な包帯でグルグル巻きにされるだけだったようです。
ファラオのミイラに関しては、最も長いもので1,000メートル分の布が使用されていた。墓の中には織機までを納め、必要に応じて故人が自らの保存を図れるようにした。
聖職者と死者の衣から、リネンは王、後に領主の装いとなり、一般的に使用されるようになったのはさらに時代を下ってからである。しかしその後も織組織の豪華さや、織り糸の細さは、使用者の社会的地位に依存するものであった。
ジャック・ル―ル(著). 香山 学(監修). 尾崎直子(訳). 2022-5-30. 『リネンの歴史とその関連産業』. pp.12-13.
コラム「ミイラの布はどれくらいの長さになるのか?」に、「大小全部の布をつなぎ伸ばしていくと、約300~400mほどの長さ」との記述があります。布をふんだんに使う…贅沢。
亜麻布の利点について、「ごく細い糸に紡いで織ることができるから、涼しく軽く、スケスケの美しい贅沢な生地ができる」こと、色は「神聖な白」であり、清潔に、真っ白に保つために頻繁に洗濯できることなどが挙げられています。
わぁ懐かしい~!なんて言うと年バレ? さわやかな、夏にぴったりな香水です。「ホワイトリネン」の名前を思い出したので、ちょっと紹介したくて(笑)
着装例
古代エジプトの貴族階級の衣装、「着てみるとこんな感じ」。これも今すぐ何処かに着て行けそうですよね。
引用元:化粧する貴族女性 _ Keith Schengili-Roberts _CC-BY-SA-3.0-migrated CC-BY-SA-2.5,2.0,1.0
下のふたつの画像の衣裳の材質について記載がありませんでしたが、ステキです。
引用元:エジプトの女性の服装(復元。スペイン国内での古代エジプト展) El Pantera CC-BY-SA-4.0
引用元:エジプトの女性の服装(復元。スペイン国内での古代エジプト展) Vestido y tocado Ángel M. Felicísimo CC-BY-2.0
古代エジプト人はリネン一辺倒だったのか?
古代エジプト人がリネンを気に入っていたのはよくわかります。私も好きですもん。
でも他の素材、シルクとかコットンは?ウールは?とちょっと気になりまして。
長い長いエジプトの歴史の中で、時には外国から取り入れたファッションの流行もあったことでしょう。
『イシスの娘』を参考にさせていただくと、木綿と絹は、ギリシャ・ローマ時代になるまでエジプトでは知られておらず、ウールを原料にした衣類はローマ時代以前には珍しかったのだそうです。
羊は大掛かりに飼育されていたということですが、ヘロドトスは「ウールを基にしたいかなるものも神殿の中に入らない」と述べ、ウールは「宗教上忌むべきもの」であると考えていました。
この説はプルタルコスにも受け継がれます。
プルタルコスは、「祭祀たちは羊を畏れ敬うので、その毛や肉を用いるのを控える」と書き残しています。
けれども、ウールがあまり広まらなかったのは、単に質のいい羊毛がとれなかったからと考えたほうが自然である。エジプトの羊は毛が少なく、もともとミルクを絞り肉を食べるために飼われていた。ウールの生産に向く羊ではなかったのである。
最近指摘され始めたのは、考古学の資料から見るとヘロドトスは思い違いをしていて、たしかにエジプト人は昔から亜麻布の衣服をまとって描かれるのを好んだが、ウールの衣類はこれまで考えられて以上に広まっていたらしいということである。むろんそのころの資料に、ウールを着るのがタブーだったということを示すものはない。
ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館. p.196.
タブーだったとは限らないし、案外ウールも着られていたかもしれないのですね。
暑い時にはやっぱりリネンが良さそうです。でも寒い時期には、やっぱりウールの羽織り物なども用いられたのでしょう。
※ヘロドトス(紀元前484年頃-紀元前425年頃。古代ギリシアの歴史家)
※プルタルコス( 46年頃-119年以降。ローマ帝国時代のギリシア人歴史家)
衣服の色
ウールの衣服を染めることは割りと手軽にできるけれど、「亜麻布を染めるには、新しい色が落ち着くまで二段階の特別な工程を通さなくてはいけない。」と『イシスの娘』にあります。
エジプト人は機織りには眼を見はる技量を誇ったのに、亜麻布を染める技術は発達させなかった、と長いあいだ考えられてきた。だから、明るい青、赤や黄色など、色のある図柄の上っ張りを着た女性が絵に残っていても、それは外国の女性か、外国の衣服を着た召使いだと解釈されていた。
ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館. pp.196-197.
紀元前1500年頃に着色された布が登場した、と『リネンの歴史とその関連産業』にありましたが、早速着てみた人は、時代の先端を行くお洒落さんだったんでしょうかね。
それとも、実は何か理由、例えば宗教的とか政治的な意味などもあったのでしょうか。
そういったこともいずれ解明される日が来るかもしれません。楽しみです。
そして、先に挙げた引用文に続いて、近年、以前とは異なった解釈が出てきたと仰っています。
ところがエジプト学者は最近になって、こういう疑問を投げかけている。ちょうど、わりと広まっていたと思われるウールの衣類があまり語られなかったように、衣服を染めるといっても、それは彼らにはたいして重みのあることではなかったのではないかというのである。確かに、衣服に楽しそうな絵が描かれた人形が、労働者の墓からいくつも見つかっている。それを見ると、面白い図柄のついた上着は、考えられているよりはありふれていたのではないかと思えてくる。人形の衣服が、亜麻布を染めたドレスのつもりだったのか、ウールを染めたドレスのつもりだったのかは分からない。ふつうは白か、ややくすんだ白が正装用の色としてつねに標準で、墓壁の絵の人物が着ているものは決まって明るい白だった。
ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館. p.197.
とあります。
古代エジプト人も、色の着いた衣服や柄のある衣服も好んだのかな。
でも彼らにとって「白」というのは、また特別な意味を持っていたのだろうかと考えてしまいます。
古代エジプトの女性の生活が大変興味深い。おすすめできる一冊です。
いつか古代エジプトに旅行に行ったら、どんな服装をしているか見てみたい。お土産にリネンも有りかも。
女神ファーマ
ローマ神話の女神ファーマ(ファマ)について載っていたので、ちょっと書き留めておきます。
本書では「ファマ」となっています。
ファーマは、ギリシャ神話に登場する「噂」「名声」の女神ペーメー(またはペメ)です。
引用元:ファーマ User:Brunswyk CC-BY-SA-3.0-migrated
ローマ神話に登場する評判の女神ファマは、「純真さ」の装いとしてリネン布を選んだ。また、彼女はリネンの青い花を「純白さ」「詩的な素朴さ」の象徴とした。今日ではきっと、白い花をつけるリネンを生み出した神を、ファマは称えたであろう。
ジャック・ル―ル(著). 香山 学(監修). 尾崎直子(訳). 2022-5-30. 『リネンの歴史とその関連産業』. p.44.
引用元:リネン繊維の原料となる亜麻植物の詳細 Köhler’s Medizinal-Pflanzen
ヨーロッパで鑑賞用として栽培されているリネンは、白い花をつける品種のみだそうです。
可憐な青い花から、石鹸の香りがしてきそうな気がするのは私だけ?