古代エジプト、新王国時代の墓から出土した、トトメス3世妃の頭飾りについて。これと似た飾りが上野の東京国立博物館にあります。
第18王朝のファラオ トトメス3世
古代エジプト文明において、最も繁栄した紀元前1550年以降。
新王国時代、第18王朝のファラオ・トトメス3世は大帝国を築きます。
引用元:新王国時代(紀元前1450年頃)のエジプト Andrei nacu(英語版ウィキペディア) CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0
トトメス3世の共同統治者ハトシェプスト(在位:紀元前1479 – 紀元前1458年頃)
トトメス1世の娘、ハトシェプスト。
彼女は異母兄弟であるトトメス2世の王妃でした。
称号は「王の娘、王の姉妹、偉大なる王の妻」。
引用元:ハトシェプスト座像
Seated Statue of Hatshepsut メトロポリタン美術館
トトメス2世の死後、側室の男児トトメス3世が即位します。
トトメス3世がまだ幼かったため、トトメス2世妃であったハトシェプストが共同統治者となりました。
共同統治が始まって2年後、ハトシェプストは自ら王として即位します。
引用元:ハトシェプスト女王葬祭殿 Ijanderson977
遠征よりも内政に注力したハトシェプスト女王。
彼女の時代にはプントなどの南方や東地中海地域との通商も盛んに行われました。
ハトシェプストの治世は20年程で突然終わりを告げます。
ハトシェプストが亡くなった後、トトメス3世は唯一の王として、その後30年以上に渡りエジプトを統治しました。
トトメス3世(在位:紀元前1479 – 紀元前1425年頃)
引用元:トトメス3世
古代エジプト第18王朝6代目のファラオ。トトメス2世と側室イシスの息子。
後継者はアメンホテプ2世です。
「軍事の天才」ともいわれ、ハトシェプスト没後はレヴァント地方に軍事遠征を繰り返します。(「メギドの戦い」が有名)
引用元:トトメス3世の遠征の記録(トトメス3世年代記) アメン神殿、カルナック
義母ハトシェプストが亡くなった後、トトメス3世はハトシェプスト葬祭殿の浮彫りを彼女の部分だけ削り取るなど記録から抹消します。
トトメス3世は自分を長いこと抑えつけていたハトシェプストを恨んでいたのか。
そうだ(そうだろう)と書いている書籍もあるし、トトメス3世がは生前のハトシェプストを憎んでいたとする仮説を裏付ける証拠はないとしている書籍もあります。
ハトシェプスト女王について20ページほど解説
トトメス3世の三人の側室
トトメス3世は、属国化した小国から側室を娶(めと)りました。
ルクソール近郊、ワディ・ガバナット・エル・クルド( Wady Gabbanat el-Qurud )の墓には、トトメス3世に嫁いだ三人の外国人妻たちが埋葬されていました。
出土した財宝
1916年の夏、発見された墓からは数々の宝飾品や保存用のアラバスター製の壺が出土しました。
埋葬のうちの木でできた部分とミイラは墓がナイル川の水路に位置していたために朽ちはてていたが、石や金でつくったものは残されていた。同じ年の9月に公式の発掘作業が開始されたときには、墓泥棒が捨てていった遺物だけが残っていた。数年後、この墓に納められていた遺物が骨董品市場に出まわり、そのうちの数点がニューヨークのメトロポリタン美術館の収蔵品にくわえられた。
ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 2008-6-20. 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.141.
ミイラが無かったため死因は不明ですが、三人の名前は判りました。
その名前から三人がシリアまたはパレスティナ地方出身であることが判っていますが、同じ国の出身であるかは判っていないそうです。
メトロポリタン美術館が入手した宝飾品のうち「ガゼルの付いた金の冠」と「ロゼット文様の頭飾り」について、『古代エジプト女王・王妃歴代誌』では画像付きで以下のような説明があります。
トトメス3世の異国人の妻が使っていた頭飾り3点のうち2点(復元)。下の頭飾りには2頭のガゼルの装飾がついている。ガゼルはコブラや羽毛と同じように、創造や再生を象徴し、ハトホル女神とも関係がある。中王国時代から使われるようになったガゼルの冠は、地位の高い王族の女性たちがかぶっていたが、妃や王妃の母がかぶることはなかった。
ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 2008-6-20. 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.142.
引用元:トトメス3世妃の頭飾り CC-Zero
Rosettes — see 26.8.117a メトロポリタン美術館
引用元:トトメス3世妃の頭飾り CC-Zero
Diadem with a Pair of Gazelle Heads メトロポリタン美術館
どちらもゴージャスですね。
トトメス3世妃の頭飾り
高さ 24.1 ㎝ ほどのこの頭飾りは金、透明ガラス、カーネリアン、ジャスパー、トルコ石などで作られています。
「薔薇の模様をかたどった小さな飾りが総計450個もつながっている」そうです。(参考:『芸術新潮(2009年9月号)』)
重そう。
引用元:トトメス3世妃の頭飾り Mary Harrsch CC-BY-2.0
引用元:トトメス3世妃の頭飾り Mary Harrsch CC-BY-2.0
引用元:トトメス3世妃の頭飾り CC-Zero
『古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで』(慶応義塾大学出版会)にも、白黒ですが、この頭飾りの画像が掲載されています。
関連記事( hanna and books ) 『古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで』から、第18王朝の美術工芸品
ロゼット模様
引用元:頭飾りのロゼット模様 CC-Zero
婦人頭飾断片(ふじんあたまかざりだんぺん) 新王国時代第18王朝 東京国立博物館
2024年9月10日(火)から2024年12月1日(日)東洋館 3室で展示されています。
あっ、メトロポリタン美術館の頭飾りの写真がある!
同形同大の部品数百点からなる髪飾りの一部。金の台枠に色ガラスを象眼したものを綴り,連続するロゼット文の帯としたものを数十本,頭髪の上から垂らしていたものであろう。これらは,象眼されたガラスの色の違いから,3種類に分けられる。わずかな類品が欧米のコレクションに見られるが,とくにトトメス3世王妃のものとされる,ニューヨーク・メトロポリタン美術館蔵品は,本作品によく似ている。
東京国立博物館(2023年)
さすが、東京国立博物館。見られて嬉しい。眼福です。
数千年前にこんな細工物が作られていたなんて、と思うと、しばらくガラスケースから離れられませんでした。
で、トータルコーディネートはこんな感じ?
引用元:エジプトの女性の服装(復元。スペイン国内での古代エジプト展) Vestido y tocado Ángel M. Felicísimo CC-BY-2.0
当時の貴族階級の服装をイメージしやすいですね。すっごく素敵じゃございませんこと?
トルコ石
古代エジプトのアクセサリーによく使われているトルコ石。
トトメス3世妃の頭飾りにも使われています。
「トルコ石」との名称から、トルコで産出されるからトルコ石、と思ってしまいそうですが、そうではありません。
ペルシャで採れたものが、トルコを経てヨーロッパにもたらされたことから付いた名前だとされています。
人間とトルコ石の付き合いの歴史は古く、紀元前5000年ほど前の古代エジプトの遺跡からブレスレットが出土しているほど、装飾品として利用されてきました。
イランでは2000年も前から採掘していました。ペルシャと言われていた時代には世界の主要な産地でした。また、同じようにエジプトもトルコ石の長い採掘の歴史を持っています。エジプト人がシナイ半島で採掘していたのです。ですから、古代エジプトではシナイ半島を「トルコ石の国」と呼んでいたとされています。
宝石と生活研究会(編著). 2011-7-25. 『おもしろサイエンス 宝石の科学』. 日刊工業新聞社. p.140.
「トルコ石の国」なんて、素敵な呼び名。
「ヘッド・ドレス」
古代エジプトでは全王朝を通じて、頭に着ける(被る)「ヘッド・ドレス」が用いられました。
衛生観念が発達していたエジプトでは、男達は顔を剃りあげて、かつらをかぶる風習があった。したがって、ウィッグそのものをアクセサリーとして目立たせる方法をとったのである。金の短い管をつくり、それをつないで基盤のような効果を出したかつらもある。イーラハンで発見されたセソトリス二世の娘のシト・ハトル・ユーネット王女の墳墓からも、優秀な細工の金のウィッグが出土している。同時に、美しい宝冠も発見された。壁画から判断すると、ウィッグと宝冠の二種類のヘッド・ドレスは全王朝を通じて貴族間に普及していたようである。宝冠はシンプルな黄金のヘア・バンド型で、紺色の花模様をファイエンスで象眼したものである。正面にコブラがニュッとカマ首をもたげている。この毒蛇コブラ像は、実は王族の印である。歴代のファラオとその王妃のヘッド・ドレスは、必ずと断言していいほどコブラで飾られている。
その他にも、各種のデザインのヘッド・ドレスが壁画から明らかにされている(ツタンカーメンの玉座を参照)が、あまりにも壮重で巨大なものは、祭典か儀式用だったのであろう。
J・アンダーソン・ブラック(著). 山内沙織(訳). 1993-2-1. 『ファッションの歴史 上』. PARCO出版. pp.66-67.
引用元:サトハトホルイウネト王女の金の王冠(復元) Hans Ollermann CC-BY-2.0
こちらもカッコいい冠ですね。中王国時代の王女の宝冠です。
センウセレト2世の王女の宝飾品 家で古代エジプトの王女様気分!シトハトホルユネト妃の「金の王冠」「胸飾り」
前出の引用文中にある、
イーラハンは、「ラフーン」または「エルラフーン」( El-Lahun ) 、
セソトリス二世は、「センウセレト2世」( Senusret II, 在位:紀元前1897年―紀元前1878年。古代エジプト第12王朝の4代ファラオ)、
シト・ハトル・ユーネット王女は、「シトハトホルユネト」「サトハトホルイウネト」( Sithathoriunet )
かと思います。
書籍またはネットの記事によって日本語表記、呼称が微妙に違うかもしれません。
この記事では、Wikipediaまたは美術館や書籍での表記を用いています。
また、「ファイエンス」とあるのは、現在では「ファイアンス」( faience )と多く表記される「焼き物」、陶磁器です。
その他の出土品
アクセサリー
トトメス3世妃の襟飾り 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
引用元:トトメス3世妃の襟飾り CC-Zero
首や肩にずっしり来そうな襟飾り。
メトロポリタン美術館の解説では、金やカーネリアン、黒曜石、ガラスで出来ているとのこと。
このネックレスはトトメス3世の三人の妃の一人の持ち物でした。
ハヤブサの頭部の後ろに王の名が刻まれ、ネックレスがトトメス3世から妃への贈り物であることを示しているのだそうです。
金製のハゲタカの胸当て 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
引用元:トトメス3世妃墳墓から出土した金製のハゲタカの胸当て CC-Zero
メトロポリタン美術館の解説によると、この胸当てのハゲタカはおそらく女神ネクベトを描いたもので、伝統的な葬儀の紋章だったそうです。
首飾りはハヤブサの頭部を模(かたど)っており、胸当てと同じ埋葬地から出土しているとあります。
トトメス3世妃の襟飾り 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
引用元:トトメス3世妃の襟飾り CC-Zero
Broad collar of Nefer Amulets メトロポリタン美術館
メトロポリタン美術館のサイトでは「 Broad collar of Nefer Amulets 」となっています。
「nefer」のヒエログリフは「良い」または「美しい」という意味の言葉を意味するそうです。
ネフェルティティ( Nefertiti )、ネフェルタリ( Nefertari )など、美人で有名な王妃の名前にも入っていますよね。
このネックレスは着けるひとに幸運をもたらすことを意図していたようです。
トトメス3世妃のガードル(飾り帯) 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
Girdle with Fish-Shaped Beads メトロポリタン美術館
金製の飾り帯。ビーズは魚の形をしています。
トトメス3世妃のペンダント 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
引用元:トトメス3世妃のペンダント CC-Zero
Pendant in the Shape of an Uraeus メトロポリタン美術館
メトロポリタン美術館のサイトでは「 Pendant in the Shape of an Uraeus 」です。
本品は頭部と下の部分が欠損。丸味を帯びた形や中の丸い模様は、コブラを模しているようです。
ウラエウス(英語:uraeus)は、アスプコブラが鎌首を持ち上げた様子を様式化した「蛇形記章」のこと。ファラオの神性、王権を表しています。
ツタンカーメン王のマスクの額にも、エジプト神話に登場する女神ウアジェト( Wadjet )を表すコブラと、女神ネクベト( Nekhbet )を表す白いハゲワシから成る蛇形記章が付いています。
ツタンカーメン王のマスクも掲載 家で古代エジプトの王女様気分!シトハトホルユネト妃の「金の王冠」「胸飾り」
トトメス3世妃のネックレス 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
引用元:トトメス3世妃のネックレス(金の輪に通したメロンのビーズ) CC-Zero
Melon Beads on a gold wire メトロポリタン美術館
美術館の収蔵品名には「Melon Beads on a gold wire」とあります。なんかシンプルでカワイイ。
トトメス3世妃の金製のイヤリング 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
Pair of Ribbed Penannular Earrings メトロポリタン美術館
トトメス3世妃のブレスレット、腕輪 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
トトメス3世妃の三連ビーズ 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
引用元:トトメス3世妃の三連ビーズ CC-Zero
Three Strings of Beads メトロポリタン美術館
材質は金、ラピスラズリ、ターコイズガラス( turquoise glass, 青緑色のガラス)とのことです。
輸入品であるラピスラズリを使っているんですね。贅沢っ!
トトメス3世妃のカフ・ブレスレット 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
引用元:トトメス3世妃のカフ・ブレスレット、猫の飾り付き CC-Zero
Cuff Bracelets Decorated with Cats メトロポリタン美術館
あしらわれた猫は女神バステトを意識しているのでしょうか。
バステトは猫頭の女神です。
このブレスレットも金、カーネリアン、ラピスラズリ、ターコイズガラスで作られています。
猫頭の女神 シストルムにカゴ 古代エジプトの女神バステトの「持ち物」
トトメス3世妃のカフ・ブレスレット 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
Hinged Cuff Bracelet メトロポリタン美術館
金にカーネリアン、ガラスがはめ込まれている腕輪。
内側のカルトゥーシュなどから、本品はトトメス3世からの贈り物だったことが示唆されている、とのことです。
先に挙げたブレスレット二点には「turquoise glass」と説明がありましたが、この留め具付きのブレスレットには「Gold, carnelian, turquoise, glass」とありましたので、金とカーネリアン以外にトルコ石、ガラスが使われているようです。
金製の指覆い 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
引用元:トトメス3世妃墳墓から出土した金製の指覆い CC-Zero
金製のサンダル 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
引用元:トトメス3世妃墳墓から出土した金製のサンダル CC-Zero
引用元:トトメス3世妃墳墓から出土した金製のサンダルとブレスレット CC-Zero
トトメス3世妃の手鏡 第18王朝(新王国時代) メトロポリタン美術館蔵
引用元:トトメス3世妃の手鏡、ハトホルの紋章の形をした持ち手付き CC-Zero
Mirror with Handle in the Form of a Hathor Emblem メトロポリタン美術館
この復元された手鏡には、牛の耳をした女神ハトホルの頭が付いています。
ハトホルの頭にはトトメス3世のカルトゥーシュ。
材質には金と銀が使われていたことから、高貴な人物の所有であったことがわかります。
様々な器(化粧容器、杯 他)
Wide-necked jar and lid naming Thutmose III メトロポリタン美術館
左の容器は化粧用容器です。首周りと蓋の縁は金箔付き、ガラス胴体部分には碑文。
メイク道具いろいろ 古代エジプト女性になった気分でメイク。まずはメイク道具から。
中央の杯は「蓮の花の形」をしているそうですが、「カップの形状は典型的なエジプトのもの」で、輸入品ではないとのこと。
右はドリンクグラス。
西アジアからの輸入品で、「トトメス3世の外国人妻のひとりによって、持参金の一部としてエジプトに持ち込まれた可能性がある」そうです。
Bottle and lid naming Thutmose III メトロポリタン美術館
Large Krater with Strap Handles メトロポリタン美術館
トトメス3世の三人の外国人妻( Menhet, Menwi and Merti )のカノポス容器
カノポス容器とは、ミイラ作りの時に、遺体から取り出した内臓を納めるための「いれもの」です。
引用元:カノポス容器(紀元前900年頃と800年頃の間) Walters Art Museum CC-BY-SA-3.0
ミイラ使いみちの使いみち 香油とミイラ 古代エジプトのミイラの使い道
妃三人の名前については、『古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで』(山花京子(著), 慶応義塾大学出版会)ではメンヘト、メンヴィ、メルティとなっていますが、この記事ではメトロポリタン美術館の表記に従い、マンハタ、マヌワイ、マルタとしました。
『古代エジプト女王・王妃歴代誌』(ジョイス・ティルディスレイ(著), 吉村作治(監修), 創元社)ではマンハタ、マヌワイ、マルタとされています。
マンハタ( Manhata )
引用元:トトメス3世妃墳墓から出土したカノポス容器 CC-Zero
Canopic Jar of Manhata メトロポリタン美術館
本品はメトロポリタン美術館に展示されている、マンハタの名前が刻まれたカノポス容器二個のうちのひとつです。
元々マンハタには、ミイラになる過程で取り除かれた四つの内臓(肝臓、肺、胃、腸)をそれぞれ保存するための、四つの容器がありました。
この容器に書かれたテキストは、内臓をホルスの四人の息子のひとり、ドゥアムトエフ (Duamutef) の保護下に置くことを示しているそうです。ジャッカルの姿をしたドゥアムトエフは胃を守ります。( Wikipedia:ホルスの4人の息子)
マンハタには彼女の名前が刻まれた銀の酒瓶と、ハート形のお守りもあります。
引用元:トトメス3世妃マンハタの名が刻まれたお守り CC-Zero
引用元:トトメス3世妃マンハタの名が刻まれたお守り CC-Zero
Heart Amulet of Manhata メトロポリタン美術館
美術館によると、「来世での裁きの際に故人に証言しないように心に呼びかける呪文は通常、ミイラの胸に置かれた緑色の石でできた大きなスカラベに刻まれていたが、マンハタにはスカラベの代わりに、ハート形をしたお守りが与えられた。」とあります。
お守りを固定している金製の線の先端は、鳥の頭の形をしているそうです。よく見れば、そう、かも。
材質は金と緑色片岩(りょくしょくへんがん、 green schist(グリーンシスト))。
マヌワイ( Manuwai )
引用元:トトメス3世妃墳墓から出土したカノポス容器 CC-Zero
Canopic Jar of Manuwai メトロポリタン美術館
三人の妃たちはそれぞれ、ミイラになる際内臓を保管したカノポス容器のセット一式と共に埋葬されたそうです。
この人の形をした容器はマヌワイという女性のもの。
黒い塗料で強調された目元は痕跡だけが残り、女神ネイトとイムセティを想起させる碑文には青い塗料の痕が残っています。
女神ネイト( Neith, Ni, Ne, Neit )はエジプト神話の戦いの女神。
また、イムセティ ( Imsety ) は、人間の姿をしていて肝臓を守る、ホルスの息子のひとりです。( Wikipedia:ホルスの4人の息子)
引用元:トトメス3世妃マヌワイのハート形スカラベ CC-Zero
Heart Scarab of Manuwai メトロポリタン美術館
Libation Vessel of Manuwai メトロポリタン美術館
三人の妃はそれぞれこのような銀の容器を持っていたそうです。
これは、「ある種の献酒器に似た形をしているが、注ぎ口は無い」とあります。
容器の碑文は、「正当化された王の妻、マヌワイへの王の祝福として与えられた」です。
マルタ( Maruta )
引用元:トトメス3世妃墳墓から出土したカノポス容器 CC-Zero
Canopic Jar of Maruta メトロポリタン美術館
引用元:トトメス3世妃マルタのハート形スカラベ CC-Zero
Heart Scarab of Maruta メトロポリタン美術館
同時期に葬られたという三人の外国人妻。
彼女たちは姉妹、親族だったのでしょうか。
三つのカノポス容器の顔はあまり似ていませんね。
若いようにも見えますが、実際には何歳だったのでしょう。
そして彼女たちの死因は…。
気になる。
- ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 2008-6-20. 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 創元社.
- J・アンダーソン・ブラック(著). 山内沙織(訳). 1993-2-1. 『ファッションの歴史 上』. PARCO出版.
- 山花京子(著). 2010-9-1. 『古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで』. 慶応義塾大学出版会.
- 宝石と生活研究会(編著). 2011-7-25. 『おもしろサイエンス 宝石の科学』. 日刊工業新聞社.
コメント
コメント一覧 (1件)
ハンナさん、こんにちは。
エジプトは、歴史が古いから、クレオパトラさんか、最近の人のような錯覚に襲われます。(笑)
ハトシェプスト女王と言うのは、とても力量のあった女王と言われていますね。
下手な、戦争ばかりしたがる男より、民にとって理想的な女王様だったのだろうなと思っています。
トトメス3世は、その偉大さに嫉妬心もあったのではないかと思っています。
それにしても、豪華な宝飾品の数々。
エジプトの巨大さがよく分かります。
三人の妻の死因…想像したくありませんが殉死でしょうか。