香油とミイラ 古代エジプトのミイラの使い道

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ミイラ作りには予算に応じて3つのコースがあったそうです。

ここでは富裕層向けコースと、後世におけるミイラの「使い道」について見て行きます。

カノポス容器 紀元前900年頃と紀元前800年頃の間 ウォルターズ美術館蔵
カノポス容器 紀元前900年頃と紀元前800年頃の間 ウォルターズ美術館蔵

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目次

ミイラ作りの「松竹梅」

古代エジプト人は、なぜ遺体をミイラにして保存しようとしたのでしょうか。

ミイラ製作をひとことでいえば、遺体に防腐処理を施すことである。これは遺体を生前の姿で保存することが望ましいと考えられたからこそ、始まった工夫ということができる。つまり古代エジプトでミイラ製作が始まる前提には、死後の再生という発想と、その再生のために肉体が必要であるという発想があったことになる。

和田浩一郎(著). 2014-4-7.『古代エジプトの埋葬習慣』. ポプラ社. p.85.

いずれ復活した時の為に、体は出来るだけ最良の状態で残しておきたいものです。

最高の防腐処置をしてもらえるのは、勿論ファラオです。または金持ちの貴族など。

古代エジプトのミイラ製作には、予算に応じて3つのグレードがあり、あまり予算が無い庶民は最も安い「梅」コースを利用したようです。

ミイラの作り方(富裕層の方向けのコース)

では、簡単にミイラ作りの行程をご紹介します。

富裕層に属するひとが亡くなった場合、まず家族や近しい人たちとお別れをし、ナイル川の西岸に渡る旅をします。

一連の儀式が済むと、遺体は「清めのテント」に運ばれ、水とナトロンを使って体を洗われました。

ナトロンの袋 ツタンカーメン王のエンバーミング・カシェより 紀元前1336年-紀元前1327年頃
ナトロンの袋 ツタンカーメン王のエンバーミング・カシェより 紀元前1336年-紀元前1327年頃

引用元:ナトロンの袋

※エンバーミング・カシェ 「ミイラ処理したものの隠し場」と称される遺構。(参考:『古代エジプトの埋葬習慣』)

炭酸ナトリウムなど複数のナトリウム化合物が混合した物質、ナトロン。

ナトロンは遺体の水分を吸収するだけでなく脂肪組織の分解も進め、また腐敗を進行させるバクテリアや菌類の活動を抑えることにも役立つ優れた物質だった。恐らく古代エジプト人は魚などの塩漬けを作る経験から、ナトロンのような塩類の有効性を認識していたのだろう。

和田浩一郎(著). 2014-4-7.『古代エジプトの埋葬習慣』. ポプラ社. p.88.

ミイラ製作に欠かせないナトロンですが、石鹸が無い時代の石鹸の代わりとしても使われました。

その後、遺体はミイラ職人に引き渡されます。

ミイラ製作(体毛除去から香油塗布まで)

はい、こちらミイラ職人Aです。

では説明して行きますね(^^)。

最初に遺体の体毛を除去します。

よく切れるナイフで左脇腹に切れ目を入れ、内臓を抜き取ります。

抜き取った内臓は洗ってカノポス箱などに収めます。

下の画像はカノポス容器といい、取り出した内臓を入れる入れ物です。

なかなかステキな容器でしょう?

4個1セットになっております。

カノポス容器 紀元前900年頃と紀元前800年頃の間 ウォルターズ美術館蔵
カノポス容器 紀元前900年頃と紀元前800年頃の間 ウォルターズ美術館蔵

引用元:カノポス容器(紀元前900年頃と800年頃の間) Walters Art Museum  CC-BY-SA-3.0

心臓は必要ですので、大事に亜麻布にくるんでから内部に戻します。落とさないでくださいね。

終わりましたら、鼻の穴から鉄製のかぎ針のような細長い道具を入れ、脳を掻き出して行きます。

掻き出し終わった後、腐食性の液体を入れて洗浄し、溶けた脳を取り出します。

空になったところへ樹脂を流し込みます。

内臓を取り出したところには亜麻布などで詰め物をしていきますよ。

まず、ご遺体の体腔内を水とヤシ酒(ヤシの樹液を発酵させたもの)で洗浄します。

次に脱水のためのナトロン、香りをつける乳香、そして殺菌作用のある樹脂の包みですね。

これらを詰めます。

それが終わったら、血液や汚れなどを洗い流し、脇腹を縫い合わせます。

汚れを拭き取り、遺体をナトロンで覆います。

そうしたら40日ほど乾燥させます。

ナトロンや体の中の詰め物は時々交換します。

ここまでこんな感じです。

終盤の詰め物の行程を『古代エジプトの埋葬習慣』ではこのように記述しています。

 内臓が取り除かれた体腔内は、まず水とヤシ酒(ヤシの樹液を発酵させたもの)で洗浄され、次に脱水のためのナトロン、香りをつける乳香、そして殺菌作用のある樹脂の包みが詰め込まれた。さらに遺体は全身がすっぽりとナトロンの包みで覆われ、およそ四〇日間の乾燥が開始された。

和田浩一郎(著). 2014-4-7.『古代エジプトの埋葬習慣』. ポプラ社. p.98.

『世界のミイラ』では、水とヤシ酒で洗い流した後、

 洗浄が徹底的に終わると、ミイラ職人はナトロンとミルラの入った亜麻布袋を肛門か切開口から体内につめていく。

 そして、ゴム樹脂やおがくず、コケ類を体内につめる。これによって体内の水分や体液を吸収して徹底的に乾燥させるのだ。

『世界のミイラ』 近藤二郎(監修) 宝島社新書 p.58.

となり、徹底的に乾燥させていることがわかります。

乾燥させている間も、遺体を覆うナトロンや体内の詰め物は適宜交換されました。(水分や脂肪分を吸収してしまっているため)

乾燥期間が終了すると、遺体には数回にわたって香油が塗られた。神々の体は香油の香りを発するとされたことから、その香りをミイラにも付与することと、乾燥して硬くなった皮膚に柔軟性を与え、この後に行われる整形作業を容易にすることがその目的だった。

和田浩一郎(著). 2014-4-7.『古代エジプトの埋葬習慣』. ポプラ社. p.99.

さて、乾燥し終わり、香油も塗りました。

おがくずを詰めてあるから、見た目もふっくら。

生前、あるいはそれ以上の姿になるように整形も終了しています。

呪文を唱えながら手足から布を丁寧に巻いて行き、ようやく完成です。

亜麻布で包んだら紐でしっかり縛り、護符や『死者の書』と一緒に棺に入れます。

ここまでに、「香油」という言葉が何度か出て来ていますね。

それほどにこの「香油」はミイラ作りに欠かせないものだったことがわかります。

『塩の世界史 歴史を動かした小さな粒 上』では、古代ギリシアのヘロドトスの記述から、

まずヤシ酒で、それからすりつぶしたスパイスの混ぜもので内部を完全に洗う。純粋なミルラ、カシアほか強い香料を詰める。乳香は使わない。切り口を縫い合わせたのち、体ごとナトロンに70日漬ける。

『塩の世界史 歴史を動かした小さな粒 上』 マーク・カーランスキー(著) 山本光伸(訳) 中公文庫 p.58.

とあります。

ミルラ(没薬)
ミルラ(没薬)

引用元:ミルラ(没薬)

乳香
乳香

引用元:乳香

ミイラはビチュメンと誤解され、

万能薬として

ミイラ、英語でいうところの「mummy」の語源は、ペルシア語でビチュメン(Bitumen)を意味する「ムーミヤ」であるとされています。

ビチュメンとは、瀝青(れきせい)のことで、天然アスファルトです。

中世のヨーロッパでは、万能薬といえる扱いを受けてきた「薬」でした。

『古代エジプトの埋葬習慣』によると、エジプトで掘り出されたミイラは鈍く光る黒い物質に覆われていたために、ビチュメンが塗布されているとヨーロッパ人に誤解されてしまいました。

実際には樹脂だったり付着していた埃だったりしたのですが、ヨーロッパには供給量の少ない希少なビチュメンの代わりにミイラが使われてしまうのです。

この時ペルシア語からラテン語に導入されていた「ムーミヤ(mumia)」がその呼称になったそうです。

12世紀以降、砕いたミイラを粉末にして、「ムミア」という薬として使用することがヨーロッパに広まりました。

16世紀までにはカイロやアレクサンドリアにミイラの保管所ができ、そこにエジプト人が盗掘したミイラをラクダに積んで運び入れた。その保管所からポルトガルやベネチアの船でフランスに運ばれ、ミイラ取引が盛んな都市リヨンで売買にかけられた。

『世界のミイラ』 近藤二郎(監修) 宝島社新書. p.31.

ミイラは「万能の解毒剤」「長寿の薬」として高値で取引されました。

王族のミイラには貴重な香料が使われていましたから、

特に16世紀のフランスでは人気を博し、ヴァロワ朝9代フランス王のフランソワ1世は、どこに行くときも常備薬として持ち歩いていたそうです。この時代、ヨーロッパでは、香りがペストなどの伝染病から身を守る手段として信じられていたことも香料がふんだんに使われていたミイラ人気の秘密だったようです。

 『香りと歴史 7つの物語』 渡辺昌宏(著) 岩波ジュニア新書 p.8.
フランソワ1世(1494年-1547年) 1535年頃 ジャン・クルーエ ルーヴル美術館蔵
フランソワ1世(1494年-1547年) 1535年頃 ジャン・クルーエ ルーヴル美術館蔵

引用元:フランソワ1世

コレクションとして

15世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパでは、「驚異の部屋」(ヴンダーカンマー、 Wunderkammer )と呼ばれるものが流行しました。

世界のあちこちから収集してきた珍しいものを飾る部屋です。

「ほぼ何でもアリ」ですので、自然のものでも人工物でもお構いなしです。

17世紀初めナポリのフェッランテ・インペラートの「驚異の部屋」
17世紀初めナポリのフェッランテ・インペラートの「驚異の部屋」

引用元:「驚異の部屋」(ヴンダーカンマー)

墓の副葬品だったものは勿論、ミイラ本体もこういった部屋のコレクションとして並べられました。

肥料として

古代エジプトでは、猫は聖獣として大切に扱われていました。

神殿に奉納された猫のミイラも多く出土しています。

動物のミイラはヨーロッパに輸出され、重りとして船に積み込まれ、肥料や燃料となりました。

エジプト本土でも同様の用途に消費されたようです。

布は包装紙として

南北戦争時代のアメリカでは、戦争中の原材料不足を補うため、ミイラを包んでいた亜麻布から紙を作ろうとしました。

そのために貨物船数隻分のミイラの巻き布が輸入され、ミキサーにかけられた。できあがったのは茶色い包装紙で、雑貨屋や肉屋で商品を包むのに使われたという。 

和田浩一郎(著). 2014-4-7.『古代エジプトの埋葬習慣』. ポプラ社. p.114.

包みを解かれたミイラのほうは、新大陸でも燃料として利用されていたようだ。かのマーク・トゥエインは、ミイラが石炭のかわりに蒸気機関車に積み込まれていると書き残している。

和田浩一郎(著). 2014-4-7.『古代エジプトの埋葬習慣』. ポプラ社. p.114.

※マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835年11月30日-1910年4月21日)は、アメリカ合衆国の作家、小説家。『トム・ソーヤーの冒険』の著者。

解包ショーに使用されたり、絵具としても…

発掘したミイラを台座に乗せ、劇場の観衆の前でミイラの包帯を解いて見せるショーも行われました。

また、かつての「マミー・ブラウン」という茶系の絵具の原料は、ミイラでした。

透明度が高く、イギリスのラファエル前派によって好んで使用されましたが、原料が何であるかわかってからは次第に使われなくなりました。

匂いに耐えきれず、

19世紀末。

ルクソールの王家の谷で、大発見がありました。

古代王族の手つかずの墓が発見されたのです。

各地でミイラが発掘され、調査隊もやってきますが、

ほどなく、旅行者を名乗る人びとがエジプト人のミイラを一体まるごと、あるいはその一部を、家に持ち帰りはじめた。そして戦利品はヨーロッパの博物館や個人の邸宅を誇らしげに飾った。だが、すべてのミイラが生き延びられたわけではない。1874年に、裕福な二人の婦人、ブロックルハースト姉妹が、イギリスのアメリア・エドワーズという作家と競売で競り合ったすえ、地元の商人からパピルスとミイラを買い取った。エドワーズによると、姉妹はその貴重な戦利品を自分の船に乗せ、ナイル川を渡ったのだが、「古代エジプト人の香油の匂いに耐えきれず、その週の終わりにだいじな死者を川に沈めた」という。

『ツタンカーメン 死後の奇妙な物語』 ジョー・マーチャント(著) 木村博江(訳) 文藝春秋 P.21.

なんてバチ当たりな所業でしょうか。死者を冒涜するなんて、許せません。

それにしても、永遠の命を求めて膨大なコストと手間暇をかけてミイラになったのに、勝手に墓を暴かれて、挙句に「匂いに耐えきれない」という理由で川に沈められたとは…。 

気の毒過ぎです。

主な参考文献
  • 和田浩一郎(著).2014-4-7.『古代エジプトの埋葬習慣』.ポプラ社.
  • 近藤二郎(監修). 『世界のミイラ』. 宝島社新書.
  • マーク・カーランスキー(著). 山本光伸(訳). 『塩の世界史 歴史を動かした小さな粒 上』. 中公文庫.
  • 渡辺昌宏(著). 『香りと歴史 7つの物語』. 岩波ジュニア新書.
  • ジョー・マーチャント(著). 木村博江(訳). 『ツタンカーメン 死後の奇妙な物語』. 文藝春秋
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コメント

コメント一覧 (2件)

  • flowerphoto様
    読んでくださって有難うございました。
    コレクションとして飾られたり、薬や絵具、肥料にされたり、とミイラになった古代エジプト人がとても気の毒になってきます。
    また、「予算に応じて」という件には、「現代でも同じ」と、親近感を持ってしまいます。
    世界史の授業ではあまり言われないと思いますが、こういう話がすごく面白く思えるんですよね。
    また読んでくださると嬉しいです。
    有難うございました。

  • こんばんは!
    ミイラがお部屋のコレクションにまでされていたことに驚きました。ミイラづくりにも松竹梅のランクがあったのですね。興味深いお話をありがとうございました!

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