画家ヴァン・ダイクの名が付いたレースとヒゲ(ヴァンダイク・ブラウンの項に追記しました)

古代エジプトのミイラとその髪の毛

  • URLをコピーしました!

今回は「古代エジプトでかつらをかぶる」の記事の続きです。後半ではミイラの画像も出てきます。

「死者の書」に描かれたネジェメト王妃 紀元前1050年頃
「死者の書」に描かれたネジェメト王妃 紀元前1050年頃

画像の上でクリックまたはタップすると大きい画像が出ます。また、画像の左下にある「引用元」のリンクをクリックしていただければ、元のファイルをご覧になることができます。「引用元」の表示が無いものは、この記事内に掲載したpublic domain の元ファイルから、解説のために必要な部分を拡大したものです。

目次

「古代エジプトでかつらをかぶる」 

古代エジプトでは、自分の髪を剃ったり短くしてかつらをかぶりました。

暑い国で、かつら?と思ってしまいますが、かつらの利用は、砂漠の強い日差しを避けたり剃ることで毛髪にシラミがたかるのを防ぐ目的もあったようです。

かつらをかぶることは、紀元前2600年頃は王者の特権でしたが、次第にあらゆる階級に受け入れられていきます。

様々な豪華な頭飾りが登場し、女性のヘアスタイルは厚みのあるボブから胸の前で垂らすロングへと流行が移り、「おしゃれ」の意味合いが強くなりました。

そこで、人びとは髪を剃ったり短くしたりしましたが、発見されたミイラは「生まれつきの髪をたっぷり生やして」いました。 (参考:『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館)

体毛に関しては、清潔を重視する古代エジプト人はシラミ防止の意味もあって剃っていましたが、荒俣宏氏の『ハゲの文化史』(ポプラ新書. p.246. )には、「体毛は醜い獣を連想させるとして、男女ともに剃ることが義務付けられていた」とあります。

ちなみに、神に仕える古代エジプトの神官は、職務上の理由から体毛と髪を剃り上げていました。

「任務につくときには、シラミがいたり、その他同じように不愉快なものがいたりするといけないので、一日おきに身体全体の毛を剃る」ことが求められた。また「昼に二度、毎晩二度冷水浴をし、その他数えきれない儀式を守った」。彼らは頭を剃り、身体に香油を塗り、足と手と爪を清潔に保ち(爪は短く保った)、口をすすぎ、開口部をすべていぶした。

『清潔の歴史 美・健康・衛生』 ヴァージニア・スミス(著) 鈴木実佳(訳) 東洋書林 p.70.

子どもたちの場合、男女ともに「髪の一部を編んで頭の片側にたらした髪型をしており、ときにはそれ以外の髪を剃ったり刈り上げたりすることも」ありました。

(参考:『ナイルに生きる人びと』 片岸直美・村治笙子・畑守泰子(著)  仁田三夫(写真) 山川出版社 p.91. )

「ラブレター」と呼ばれるパピルス

今から3200年前のこと。

複数のファラオの墓の建設に携わった人物で、ケンヘルケプシェフという男性がいました。

頑張って勉強し書記になった人物で、仕事のストレスを抱えて不眠症になっていたこともわかっています。

多くの手紙や家計簿などのパピルスを残したケンヘルケプシェフさんでしたが、そのパピルス、後に言うところの文字資料のひとつに、「ラブレター」があります。

そのなかに、男性が女性の髪をラピスラズリに例えている言葉が出てきます。 

あの子はほかの誰よりも麗しい

きらめく見事な白い肌 首筋は長く 乳房は艶やか

髪はさながらラピスラズリ 指はスイレンの花のよう

あの子は 僕の心を奪った 

彼の声で私の心は乱れ 私は病気になってしまう

彼が恋しくてどうにもならない 私はあなたのモノです

『NHKスペシャル 知られざる大英博物館 古代エジプト』 NHK出版 p.116.

書籍から一部を抜き出したものですが、男性が恋している女性は美しい髪をしているようです。

私にはそれは女性自身の髪に思えてしまうのですが、この言葉は彼女のかつらを褒めているものなのでしょうか。

 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』で紹介されている新王国時代の「愛の歌」では、 

まだ髪が半分しか結いあがっていないのに、私の心は、あなたへの私の愛を思いました。だから私は、早くあなたに会いたくて、身なりもかまわずに走って来たのです。さあ、私が髪を編むあいだ待ってくれますか。じきに私はあなたのものです。

ー 新王国時代、愛の歌

『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. p.183.

 頭を剃るのが流行ったことは分かっているのに、どの時代のミイラも、生まれつきの髪をたっぷり生やして見つかっている。恋の詩を見ると、清潔で、輝くようなふさふさの髪が讃えられたこともやはりたしかである。

『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. p.185.

この記述の後、著者は、王妃アフメス・ネフェルタリのミイラが、気を利かせたミイラ職人により、人毛で編んだかつらをかぶっていたことを挙げています。 

彼女はだいぶ年をとってから亡くなった人なので、自然の髪はもうほとんど残っていなかったのだろう。このかつらはミイラ職人が気を利かせたものだが、たぶん彼らは、死後の世界で頭の毛もなしに生まれ変わるようないたわしい思いを、王妃ともあろう方にさせるわけにいかないと考えたのである。

『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. p.185.

また、 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』(p.218.)では、長い髪を念入りに頭に巻き付けた『身元不明女性D(「Unknown Woman D」)』(カイロ・エジプト博物館蔵)の写真が挙げられています。

女性は、アメンヘテプ2世の墓で発見された、壊れた棺の蓋の中で発見されたとありますが、

この蓋にはセトナクト王の銘が刻まれており、1905年に解剖によって性別があきらかになるまでは、セトナクト王のミイラだと信じられていた。

『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 吉村作治(監修). ジョイス・ティルディスレイ(著). 創元社. p.218. 

何か、ミステリーの匂いがしますね。

ひょっとしたらこの女性、在位2年という短命に終わった第19王朝最後のファラオ、タウセレト女王のミイラかも…。

医術パピルスに見られる髪の悩み

また、医術について書かれたパピルスでは、髪に悩むひと向けにこのような処方もあります。

 医術パピルスは、風采を上げる処方なるものをいろいろ紹介している。望みもしないのに毛が抜けていく頭や、慢性のフケ症といった、世の中によくある悩みの種の治療である。また、あまり美しく見えないねずみ色の髪をごまかすには、黒蛇の脂や黒牛の脂、あるいは雌犬の生殖器を粉末にしたものがよく効く、などと教えている。

『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. p.186.

望んでいないのに毛が抜けてしまうのは明らかに自分の頭であり、ごまかす必要のある「ねずみ色の髪」とは、やはり自分の髪ではないかと思います。

この他、

禿げた人の髪の毛を生えさせる処方 ー ライオンの脂、カバの脂、鰐の脂、猫の脂、蛇の脂、アイベックス(*湾曲した大角をもつヤギ)の脂、これらをすべて混ぜ、禿げた人の頭によくすり込む。

 ー エーベルス医術パピルス

『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. p.185.

ライオン、カバ、ワニ、猫、ヘビ、アイベックス(野生のヤギの一種)の脂肪を混ぜ合わせたものは、犬の足指と共に禿頭の治療に使われていた。

『最悪の医療の歴史』. ネイサン・ベロフスキー(著). 伊藤はるみ(訳). 原書房. p.14.

かつらを着けるのだから、別に禿げていても問題ない。ですよね??

しかし実際には、女性の美しい髪への賞賛があり、薄い髪に対する悩みがありました。

この後ご紹介するミイラにも自毛が残っています。

では、自らの髪を保ちながらかつらをかぶる目的とは?

暑さ・シラミ対策や祭儀の為だけでなく、特に女性はおしゃれ目的で、「いろいろな髪形」を楽しんでいたのではないかなと思うのです。

ミイラ作り

髪を残して体毛除去

ミイラになる遺体は「清めのテント」で洗われた後、「ウアベト」(清らかな場)と呼ばれる建物に移され、そこで低い作業台に横たえられます。

ウアベトとは、本格的なミイラ製作が行われる、ミイラ職人の工房ですが、 

ウアベトでは遺体の再度の洗浄と頭髪を除く体毛の除去が行われ、次に内臓の摘出へと移っていった。

『古代エジプトの埋葬習慣』. 和田浩一郎(著). ポプラ新書. p.91.

そう、頭髪を除いた体毛を除去するのですね。

ということは、やはり遺体には少なからず自分の髪が生えている状態であるということですよね。 

ミイラの整形

『古代エジプトの埋葬習慣』によると、古王国時代のミイラは生前の姿をありのままに保存するものではなく、彫像のように理想化された故人の姿をミイラの上に表現するものでした。

しかし新王国時代に入ると、 

ミイラの整形は手の込んだものになっていく。まず眉を描く、白髪をヘンナ(植物性の染料)で染める。髪を整え少ない部分には付け毛をするといった、化粧に類することが行われた。

『古代エジプトの埋葬習慣』. 和田浩一郎(著). ポプラ新書. p.100.

死者の再生のために遺体の完全性を重要視し、空洞になった眼窩や、生前に事故などで欠損した指などを細工物で補うことが行われました。

更に後の第21王朝時代になると、整形の手法はこのようになります。

新王国時代に導入されたものがより徹底して行われた。ミイラは顔だけでなく、全身に彩色が施されるようになった。肌の色を再現するために、壁画と同様のルールで男性は赤褐色、女性は黄色に塗られた。この時代には頭髪さえも除去されてしまうことが多く、代わりにカツラが多用された。

『古代エジプトの埋葬習慣』. 和田浩一郎(著). ポプラ新書. p.101.

故人を理想化された姿で表現するより、新王国時代と第三中間期におけるミイラの整形は、「生前の姿をできる限り再現する方向性で行われていたといえるだろう」とのことです。 

これ以降ミイラの画像が出て来ますので、苦手な方はお戻りください。

女性のミイラ

王妃ネジェメト(またはネジェムト Nodjmet )

『古代エジプトの埋葬習慣』(p.103.)では、テーベ西岸で発見されたネジェメト王妃のミイラ(前から見た図)が掲載されています。

ネジェメト( Nodjmet, ネジェムトとも表記)王妃は、新王国時代最後のファラオ・ラムセス(ラメセスとも表記)11世の娘。

「正式な意味ではエジプトの王妃ではなかった」と、『古代エジプト女王・王妃歴代誌』(p.232.)とありますが、ネジェメト王妃のミイラに添えられていた「死者の書」では、「王の妻、二国の主人たる王の母、聖なる子コンス神の母、アメンの後宮の長、高貴なる貴婦人の長、二国の貴婦人、ネジェムト」と書かれています。

下の画像は「死者の書」に描かれたネジェメト王妃。隣にはアメン大司祭である夫ヘリホルがいます。 

「死者の書」に描かれたネジェメト王妃 紀元前1050年頃
「死者の書」に描かれたネジェメト王妃 紀元前1050年頃

引用元:ネジェメト王妃「死者の書」

このネジェメト王妃のミイラです。

ネジェメト王妃のミイラ 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
ネジェメト王妃のミイラ 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ネジェメト王妃のミイラ

第21王朝のその後のミイラと同じように、ネジェムトのミイラは生前と同様の丸みをつけるために手足につめ物がしてある。義眼を嵌め込み、頬にはつめ物をして、人間の毛髪でつくった眉をつけ、薄くなった白髪には編んである茶色の鬘をかぶせてある。その結果、顔にしわが目立つにもかかわらず、ミイラには驚くほど生き生きとした、若々しい表情が与えられている。

『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. p.233.

 『古代エジプトの埋葬習慣』で正面の画像を見ると、王妃の髪がかつらであることがわかり易いです。

あと、顔の下半分が、ちょっと…。

パネジェム2世妃ネスコンス( Nesikhons )

第21王朝時代のミイラ職人の技術には目を瞠るものがありました。

第21王朝時代の大司祭・パネジェム2世(Pinedjem II, ピネジェム2世とも表記)在職:前990年-前969年)の妻のひとり、ネスコンス。

オシリス神の前に立つネスコンス ロンドン、ピートリー博物館蔵
オシリス神の前に立つネスコンス ロンドン、ピートリー博物館蔵

引用元:オシリス神の前に立つネスコンス BabelStone CC-BY-SA-3.0

ネスコンスはパネジェム2世の実の姪です。

夫より先に亡くなり、ディール・アル=バハリの背後の断崖に造られた一族の墓に埋葬されました。

パネジェム2世妃ネスコンス 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム2世妃ネスコンス 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ネスコンス(全身)

パネジェム2世妃ネスコンス 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム2世妃ネスコンス

引用元:ネスコンス(正面)

パネジェム2世妃ネスコンス 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム2世妃ネスコンス

引用元:ネスコンス(横顔)

ネスコンスのミイラは第21王朝のミイラ職人がいかにすばらしい技術をもっていたかを証明するみごとな例である。ちょうどいい具合につめ物をしているため、まるで生きているかのような外見を保っている。

『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. p.235.

パネジェム2世王女ネストネブイシュル( Nesitanebetashru )

パネジェム2世とネスコンスの娘にして、シェションク2世王妃、ネストネブイシュル。

パネジェム2世王女ネストネブイシュル 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム2世王女ネストネブイシュル 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ネストネブイシュル

1866年にガストン・マスペロがこのミイラの包帯を解いた。ミイラの保存状態はきわめてよく、王妃の顔の色は全体に明るい黄色で、ところどころに茶色く変色した箇所があった。茶色の髪は短く、ウェーブがかかっている。

『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. p.238.

ガストン・マスペロ(1846年-1916年)氏はフランスの考古学者。カイロ博物館の第2代館長。

パネジェム1世妃ヘヌウトタウイ( Duathathor-Henuttawy )

パネジェム1世

パネジェム1世は、紀元前1070年から1032年頃にかけてのアメン大司祭です。

彼は大司祭ビアンク(ビアンキとも表記)と、上に挙げたネジェメトとの間に生まれました。

ネジェメトはビアンク亡き後、ビアンクの後継者となったヘリホルと結婚し、パネジェム1世は継父ヘリホルの地位を継いでアメン大司祭となったのです。

そのパネジェム1世の妻がヘヌウトタウイ(彼女の父親はラムセス(ラメセス)11世のようです)。

パネジェム1世とヘヌウトタウイの間に生まれた子供のひとりに、メンケペルラーという息子がいました。 

このメンケペルラーもアメン大司祭の地位に就いた人物です。

彼の子供に、スメンデス2世(兄)とパネジェム2世(弟)がいます。

先にパネジェム2世妃ネスコンスをご紹介した際、ネスコンスはパネジェム2世の実の姪だと書きました。

ネスコンスはこのスメンデス2世の娘なのです。

パネジェム1世妃ヘヌウトタウイ 

シストルムを持つパネジェム1世妃ヘヌウトタウイ
シストルムを持つパネジェム1世妃ヘヌウトタウイ

引用元:シストルムを持つヘヌウトタウイ

原典:http://edoc3.bibliothek.uni-halle.de/lepsius/tafelwa3.html

 この時代のミイラ職人たちは、技術力に自信を持って作業に励んでいたのかもしれない。しかし自信が過信となった失敗も、しばしば認めることができる。全身の皮膚に数ヶ所切り込みを入れておがくずなどを詰める作業では、熱心さのあまりか詰めこみすぎて明らかに生前より顔が膨れてしまった例や、皮膚が裂けてしまった例も認められるのである。

『古代エジプトの埋葬習慣』. p.102.

この時代、とは第21王朝の時代。

つめ込みすぎの失敗例として、『古代エジプト女王・王妃歴代誌』では王妃であるヘヌウトタウイが挙げられています。 

ミイラ職人がつめ物をしすぎたために、古代に顔の皮膚が裂けて、中のつめ物が見えていた。その損傷は近年になって修復された。

『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. p.234.
パネジェム1世妃ヘヌウトタウイ 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム1世妃ヘヌウトタウイ 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ヘヌウトタウイ

少しでも良く見せようとした気遣いが…。

おいたわしい結果に…。

ヘヌウトタウイのかつらは人毛ではなく、黒い繊維で作られていたそうです。

また、名前 Duathathor-Henuttawy の中に、ハトホル(Hathor)と、女神の名が見えましたので、英語版のWikipedia に頼ったところ、”Adorer of Hathor”「ハトホルを崇拝する者」と出て来ました。

別記事のサトハトホルイウネト(メトロポリタン美術館の表記では、シトハトホルユネト)王女の名前 Sithathoryunet にも「Hathor」があり、彼女の名前の意味は「“daughter of Hathor of Dendera” デンデラのハトホルの娘」でした。

パネジェム1世王女マアトカーラー( Maatkare Mutemhat )

マアトカーラー(マートカラーとも表記)は、パネジェム1世とヘヌウトタウイの娘で、メンケペルラーとはきょうだいです。

シストルムを持つマアトカーラーのレリーフ
シストルムを持つマアトカーラーのレリーフ

引用元:マアトカーラーのレリーフ

マアトカーラーは神官として一生を独身で過ごしました。

称号は「アメン神の妻」です。

「アメン神の妻」という称号は、わかっているかぎりでは、第18王朝の半ばになくなり、第19王朝になってから復活したものだ。もともと「神の妻」はエジプト王妃の称号だったが、第20王朝のラメセス6世の治世以降は、もっぱら独身の王女に授けられるようになった。

『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. p.234.
パネジェム1世王女マアトカーラー 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム1世王女マアトカーラー 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:マアトカーラー(ミイラ)

彼女の遺体に巻いてあった包帯は、墓泥棒によって引き裂かれていたそうです。

独身だった彼女の棺は、母ヘヌウトタウイと一緒にディール・アル=バハリのミイラの隠し場所で発見されました。

彼女が小さなミイラを抱いていることが判り、「神官である王女に子供が!」と人びとが驚いたことは想像に難くないのですが、 後のX線検査で、それは子供ではなく、マアトカーラーのペットのヒヒがミイラ化したものだと判明。

『古代エジプト女王・王妃歴代誌』では、大きな胸のふくらみとお腹の皮膚のたるみ具合のせいで、マアトカーラーが出産時に死亡したと誤解された件を、「ミイラ職人がつめ物をしすぎたせいかもしれない」としています。(p.234.)

アメンホテプ3世妃ティイ( Tiye )

ティイ(紀元前1398年頃-紀元前1338年頃)は、新王国時代、第18王朝のファラオ・アメンホテプ3世の正妃であり、ツタンカーメンの祖母にあたります。

本来なら正妃になれない血統でしたが、ティイはアメンホテプ3世に寵愛され、正妃となりました。 

アメンホテプ3世と王妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵
アメンホテプ3世と王妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:アメンホテプ3世と王妃ティイ Ihab mohsen CC-BY-SA-4.0

ティイ像 ベルリン美術館蔵
ティイ像 ベルリン美術館蔵

引用元:ティイ像 Rolf Dietrich Brecher CC-BY-SA-2.0

王妃頭部断片(黄色の碧石) 新王国時代 第18王朝 メトロポリタン美術館蔵
王妃頭部断片(黄色の碧石) 新王国時代 第18王朝 メトロポリタン美術館蔵

引用元:王妃頭部断片 CC-Zero

メトロポリタン美術館による解説(日本語版)はこちらです。

下がった口元から、王妃ティイでは?との噂がある頭部。

他にもネフェルティティなど、美女の名が挙がっています。

上半分が無いことが残念ですが、この唇、セクシーでとても素敵ではありませんか?

アメンホテプ3世妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵
アメンホテプ3世妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ティイ(ミイラ)

KV55 号と呼ばれる墓から出土し、暫定的にハトシェプストだと言われてきた、通称「 The Elder Lady 」(年配の女性)。

もしこの女性がティイであるとすれば、ティイは死亡時には55歳にはなっていたと考えられ、このミイラは予想していたよりもいくらか若いということがあり、

解剖学者のグラフトン・エリオット・スミスは「年配の女性」が驚くほどふさふさした長い髪をしていたと記している。

…〔年配の女性〕は中年の小柄な女性で、ウェーブのかかった豊かな茶色の髪を真ん中で分け、両わきに流しており、その長い髪は肩まで垂れている、毛先はあきらかに天然でちりちりした巻き毛になっている。歯はすり減っていることを除くと、悪いところはない。胸骨が完全に癒合している。白髪はまったくなかった。

このミイラは左腕を胸の上で交差させ、右腕はわきにまっすぐ下ろしている。これは絵画や彫刻に見られる一般的なポーズだが、ミイラにはめったに見られない。

『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. p.158.
アメンホテプ3世妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵
アメンホテプ3世妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ティイ(ミイラ横顔)

そして2010年2月17日付けのナショナル・ジオグラフィックの記事「ツタンカーメンの謎、DNA調査で解明」で、このミイラは王妃ティイであるという鑑定結果が掲載されました。 

 また、これまでは「Old Lady(老婦人)」と呼ばれていたミイラはツタンカーメンの祖母にあたるアメンホテップ3世の王妃ティイで、「Younger Lady(若い方の女)」と呼ばれていたミイラがツタンカーメンの母親だと判明した。

ナショナル ジオグラフィック  「ツタンカーメンの謎、DNA調査で解明」

ファラオのミイラの髪の毛の状況

トトメス2世( Thutmose II )

トトメス2世 新王国時代 第18王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
トトメス2世 新王国時代 第18王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:トトメス2世

トトメス4世( Thutmosis IV )

トトメス4世 新王国時代 第18王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
トトメス4世 新王国時代 第18王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:トトメス4世

ラムセス2世( Ramesses II )

ラムセス2世 新王国時代 第19王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
ラムセス2世 新王国時代 第19王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ラムセス2世

故人に対し、少々不謹慎な興味で申し訳ありませんが、少なくともしょっちゅう頭の全剃りをなさっていたわけではなさそうな…。 

主な参考文献
  • 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』 ティルディスレイ(著) 細川晶(訳) 新書館
  • 『清潔の歴史 美・健康・衛生』 ヴァージニア・スミス(著) 鈴木実佳(訳) 東洋書林 
  • 『ハゲの文化史』 荒俣宏(著) ポプラ新書
  • 『ナイルに生きる人びと』 片岸直美・村治笙子・畑守泰子(著)  仁田三夫(写真) 山川出版社
  • 『最悪の医療の歴史』 ネイサン・ベロフスキー(著) 伊藤はるみ(訳) 原書房
  • 『NHKスペシャル 知られざる大英博物館 古代エジプト』 NHK出版
  • 『古代エジプトの埋葬習慣』 和田浩一郎(著) ポプラ新書
  • 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』 吉村作治(監修) ジョイス・ティルディスレイ(著) 創元社
よかったらシェアしてください
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメント一覧 (40件)

  • まどろみ (id:madoromi-life)様
    こちらこそ、ご丁寧に有難うございます。
    夜勤イヤ過ぎてヤバいです(笑)。遊んでるのならともかく、夜はフツーに眠い(-_-)zzz いえ、今日の昼もフツーに眠かった…。使いたい時にネットが繫がらなかったので、最近サボりまくっていることでもあるし、ちょっと勉強していたのですが、久しぶりに少ない脳みそを使ったからでしょうか…。
    やっぱりストレス多いんだなあと改めて感じているところですが、こうしてわざわざ気にしていただくのは有り難く、とても嬉しいです。
    益々まどろみさんのファンになっちゃいますよ(≧◇≦)
    でもまどろみさんもご自分の健康には十分気を付けてくださいよ!!

  • ハンナさん、先ほど帰宅しました。やっぱりご丁寧にお返事があり恐縮です。
    お知らせが20件しか無いので、このコメントが書かれた記録が既になく、
    でも、いつもハンナさんの事だから答えてしまっているかもと思い、案の定。
    逆にお手数お掛けしてしまって恐縮です。
    ハンナさんが備忘録と謙遜されても、素敵な内容ばかり💖
    私たちにとっては宝の山ですよ、これからも楽しく拝見します!
    ただ、ご体調だけは絶対にご無理されないで下さいね。
    ここへ来る方全員が、心配が止まなくなっちゃいますから頼みます<(_ _)>
    ハンナさんもご存じの通り、気圧の変化が大きいこの変わり目は、
    とにかく体へのダメージも大きい、楽しく乗り越えないとです♬~☆
    いつも元気を有難うございます、感謝してます。お返事不要で💖

  • まどろみ (id:madoromi-life)様
    メッセージ有難うございます~(≧◇≦)!!!
    いや~もう常に眠くて眠くて仕方がありませんでした。上手く眠れないでいるうちにもう次の夜勤になってしまいますよ(-_-メ)。耳イタも時々あるかな。
    皆様の記事も拝読しているのですが、遅くに帰宅してネットが繫がるのを待っている→寝落ち→変な時間に飛び起きる→少し寝て出勤→眠い の繰り返しでした。
    同僚の健康な青年が睡眠の問題を口にするくらいですから、病気持ちの私など常にドキドキですよ。まどろみさんに人生含めてコンサルしていただきたいくらいです(;´∀`)
    それでも「書き留めておきたい」気持ちはあり、次の夜勤までに一つ記事を出したいと思います。基本的に後で見返すためのもので、備忘録ですのでね(笑)。
    ご心配有難うございます。とても嬉しかったです。
    まどろみさんもご自身の健康には気を付けてくださいましよ~。くれぐれも×10000 (^o^)/

  • ハンナさん、おはようございます!
    先日までは小トド姐さんの所で見かけてましたら安心してましたが、
    その後お変わりなくお過ごしですか?
    ハンナさんも芯の真っすぐさはお仕事を頑張れてしまうから・・・。
    暑さもプラスされて、いろいろな方が疲れが出るタイミングのようなので、
    どうか、くれぐれもご無理されぬよう、体力を維持して下さいね。
    記事と全く関係ないので、お返事はお気に為さらずに~☆(#^.^#)☆
    ハンナさんの直向きさを良いお手本と思っているオマヌケより☆

  • パンダくん (id:ponponpanda8787)様
    お忙しいなか来て下さって有難うございますうう(≧◇≦)。
    いいんです、ミイラはびよーんしなくても(笑)。
    小さい頃はミイラ男のイメージで怖くて、その後は「神秘の古代エジプト」や「黄金のファラオ」のイメージが強かったのですが、今では数千年前の人々の生活が興味深いです。
    パピルスの内容等はまた別記事にしたいのですが、「恋文」は実は男性が書いたそうなんです。当時多くの女性は読み書きできなかった筈ですから。
    これは「髪」を挙げていたので出しました。
    引用した本が今手元に無く、「この本のここに書いてあります」と書けず、コメントで頂いた場合には個別に伝えさせていただくことにしてしまいました。お手数おかけしてすみません。
    しかし、女性の美しさ、髪の美しさを称える気持ちは当時にも確かにあったのだと思っています。
    今回も読んで下さって有難うございました(≧▽≦)。

  • ハンナさん、こんなに遅くに失礼します。
    エジプト、やっぱりすごいです。この魅力はなんなのでしょう。ハンナさんの記事を読ませていただく前は、ただ、エジプトに神秘的なものを感じていましたが、今は少し踏み込んだところで魅力を感じています。
    解明されないところも多い中、人々はとっても人間臭く生きていたんだな〜と今更ながら感じています。カツラでもこんなに奥深くて、この時代にこの人たちは生きていたんだな〜と思いを馳せてしまいます。
    ラピスラズリ。この表現は最高です。いつの時代も人は恋をし、自分を着飾り、美しさを求めるのですね。
    今回、ミイラさんはビヨーンができませんでした〜(笑)
    ハンナさん、歴史音痴の私をいつも楽しませていただきありがとうございます。マスクに暑さ、過ごしにくい時期ですが、お気をつけてお過ごしくださいね。

  • 定年親父 (id:teinenoyaji)様
    まさしく!!
    昔、ルーヴルや大英博物館で古代のミイラや棺を観ることが出来るのはいいなと思っていましたが、来世の復活を信じていた人々が全く異国の土地で眠っているのだと思うと、何か気の毒な気持ちになります。
    かと言ってまるきり元のままにしておいては、墓荒らしにあったり猛暑の影響があったりしますしね…。
    せめて、私なりの敬意を持ってこの人々から勉強させていただきたいと思っています。
    読んで下さって有難うございました。

  • 思わず息をのむほど、ミイラの写真は生々しいですね。若い頃、フランスの田舎の博物館でミイラを見ましたが、こんな所にこんなにたくさんあることに驚いたことを思い出しました。あるべきところにある方がいいと思ったものです。

  • ナゲー (id:nagee4678)様
    コメント有難うございます。
    大丈夫です。神官の皆さまは頭髪・体毛は全剃りでしたし。
    毛髪の悩みは古代からあるようで、彼の太陽王ルイ14世は鬘愛用者。絶対に他人にその真の姿を見せなかったとの話もございます。
    しかしながら、毛と人格は無関係。ちなみに私はショーン・コネリー、フィル・コリンズのファンです。
    ご来店、まことに有難うございました。

  • ナゲーブログにご訪問頂き、ありがとうございました。
    ミイラの記事、興味深く拝見しました。髪の毛が残っているミイラさんを見て、とても羨ましく思いました。ナゲーはミイラに向いてない事が分かりました!

1 2

コメントする

CAPTCHA


目次