古代エジプトのミイラとその髪の毛

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今回は「古代エジプトでかつらをかぶる」の記事の続きです。後半ではミイラの画像も出てきます。

「死者の書」に描かれたネジェメト王妃 紀元前1050年頃
「死者の書」に描かれたネジェメト王妃 紀元前1050年頃

画像の上でクリックまたはタップすると大きい画像が出ます。また、画像の左下にある「引用元」のリンクをクリックしていただければ、元のファイルをご覧になることができます。「引用元」の表示が無いものは、この記事内に掲載したpublic domain の元ファイルから、解説のために必要な部分を拡大したものです。

目次

「古代エジプトでかつらをかぶる」 

古代エジプトでは、自分の髪を剃ったり短くしてかつらをかぶりました。

暑い国で、かつら?と思ってしまいますが、かつらの利用は、砂漠の強い日差しを避けたり剃ることで毛髪にシラミがたかるのを防ぐ目的もあったようです。

かつらをかぶることは、紀元前2600年頃は王者の特権でしたが、次第にあらゆる階級に受け入れられていきます。

様々な豪華な頭飾りが登場し、女性のヘアスタイルは厚みのあるボブから胸の前で垂らすロングへと流行が移り、「おしゃれ」の意味合いが強くなりました。

そこで、人びとは髪を剃ったり短くしたりしましたが、発見されたミイラは「生まれつきの髪をたっぷり生やして」いました。 (参考:『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館)

体毛に関しては、清潔を重視する古代エジプト人はシラミ防止の意味もあって剃っていましたが、荒俣宏氏の『ハゲの文化史』(ポプラ新書. p.246. )には、「体毛は醜い獣を連想させるとして、男女ともに剃ることが義務付けられていた」とあります。

ちなみに、神に仕える古代エジプトの神官は、職務上の理由から体毛と髪を剃り上げていました。

「任務につくときには、シラミがいたり、その他同じように不愉快なものがいたりするといけないので、一日おきに身体全体の毛を剃る」ことが求められた。また「昼に二度、毎晩二度冷水浴をし、その他数えきれない儀式を守った」。彼らは頭を剃り、身体に香油を塗り、足と手と爪を清潔に保ち(爪は短く保った)、口をすすぎ、開口部をすべていぶした。

『清潔の歴史 美・健康・衛生』 ヴァージニア・スミス(著) 鈴木実佳(訳) 東洋書林 p.70.

子どもたちの場合、男女ともに「髪の一部を編んで頭の片側にたらした髪型をしており、ときにはそれ以外の髪を剃ったり刈り上げたりすることも」ありました。

(参考:『ナイルに生きる人びと』 片岸直美・村治笙子・畑守泰子(著)  仁田三夫(写真) 山川出版社 p.91. )

「ラブレター」と呼ばれるパピルス

今から3200年前のこと。

複数のファラオの墓の建設に携わった人物で、ケンヘルケプシェフという男性がいました。

頑張って勉強し書記になった人物で、仕事のストレスを抱えて不眠症になっていたこともわかっています。

多くの手紙や家計簿などのパピルスを残したケンヘルケプシェフさんでしたが、そのパピルス、後に言うところの文字資料のひとつに、「ラブレター」があります。

そのなかに、男性が女性の髪をラピスラズリに例えている言葉が出てきます。 

あの子はほかの誰よりも麗しい

きらめく見事な白い肌 首筋は長く 乳房は艶やか

髪はさながらラピスラズリ 指はスイレンの花のよう

あの子は 僕の心を奪った 

彼の声で私の心は乱れ 私は病気になってしまう

彼が恋しくてどうにもならない 私はあなたのモノです

『NHKスペシャル 知られざる大英博物館 古代エジプト』 NHK出版 p.116.

書籍から一部を抜き出したものですが、男性が恋している女性は美しい髪をしているようです。

私にはそれは女性自身の髪に思えてしまうのですが、この言葉は彼女のかつらを褒めているものなのでしょうか。

 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』で紹介されている新王国時代の「愛の歌」では、 

まだ髪が半分しか結いあがっていないのに、私の心は、あなたへの私の愛を思いました。だから私は、早くあなたに会いたくて、身なりもかまわずに走って来たのです。さあ、私が髪を編むあいだ待ってくれますか。じきに私はあなたのものです。

ー 新王国時代、愛の歌

ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館. p.183.

 頭を剃るのが流行ったことは分かっているのに、どの時代のミイラも、生まれつきの髪をたっぷり生やして見つかっている。恋の詩を見ると、清潔で、輝くようなふさふさの髪が讃えられたこともやはりたしかである。

ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館. p.185.

この記述の後、著者は、王妃アフメス・ネフェルタリのミイラが、気を利かせたミイラ職人により、人毛で編んだかつらをかぶっていたことを挙げています。 

彼女はだいぶ年をとってから亡くなった人なので、自然の髪はもうほとんど残っていなかったのだろう。このかつらはミイラ職人が気を利かせたものだが、たぶん彼らは、死後の世界で頭の毛もなしに生まれ変わるようないたわしい思いを、王妃ともあろう方にさせるわけにいかないと考えたのである。

ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館. p.185.

また、 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』(p.218.)では、長い髪を念入りに頭に巻き付けた『身元不明女性D(「Unknown Woman D」)』(カイロ・エジプト博物館蔵)の写真が挙げられています。

女性は、アメンヘテプ2世の墓で発見された、壊れた棺の蓋の中で発見されたとありますが、

この蓋にはセトナクト王の銘が刻まれており、1905年に解剖によって性別があきらかになるまでは、セトナクト王のミイラだと信じられていた。

『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 吉村作治(監修). ジョイス・ティルディスレイ(著). 創元社. p.218. 

何か、ミステリーの匂いがしますね。

ひょっとしたらこの女性、在位2年という短命に終わった第19王朝最後のファラオ、タウセレト女王のミイラかも…。

医術パピルスに見られる髪の悩み

また、医術について書かれたパピルスでは、髪に悩むひと向けにこのような処方もあります。

 医術パピルスは、風采を上げる処方なるものをいろいろ紹介している。望みもしないのに毛が抜けていく頭や、慢性のフケ症といった、世の中によくある悩みの種の治療である。また、あまり美しく見えないねずみ色の髪をごまかすには、黒蛇の脂や黒牛の脂、あるいは雌犬の生殖器を粉末にしたものがよく効く、などと教えている。

ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館. p.186.

望んでいないのに毛が抜けてしまうのは明らかに自分の頭であり、ごまかす必要のある「ねずみ色の髪」とは、やはり自分の髪ではないかと思います。

この他、

禿げた人の髪の毛を生えさせる処方 ー ライオンの脂、カバの脂、鰐の脂、猫の脂、蛇の脂、アイベックス(*湾曲した大角をもつヤギ)の脂、これらをすべて混ぜ、禿げた人の頭によくすり込む。

 ー エーベルス医術パピルス

ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館. p.185.

ライオン、カバ、ワニ、猫、ヘビ、アイベックス(野生のヤギの一種)の脂肪を混ぜ合わせたものは、犬の足指と共に禿頭の治療に使われていた。

『最悪の医療の歴史』. ネイサン・ベロフスキー(著). 伊藤はるみ(訳). 原書房. p.14.

かつらを着けるのだから、別に禿げていても問題ない。ですよね??

しかし実際には、女性の美しい髪への賞賛があり、薄い髪に対する悩みがありました。

この後ご紹介するミイラにも自毛が残っています。

では、自らの髪を保ちながらかつらをかぶる目的とは?

暑さ・シラミ対策や祭儀の為だけでなく、特に女性はおしゃれ目的で、「いろいろな髪形」を楽しんでいたのではないかなと思うのです。

ミイラ作り

髪を残して体毛除去

ミイラになる遺体は「清めのテント」で洗われた後、「ウアベト」(清らかな場)と呼ばれる建物に移され、そこで低い作業台に横たえられます。

ウアベトとは、本格的なミイラ製作が行われる、ミイラ職人の工房ですが、 

ウアベトでは遺体の再度の洗浄と頭髪を除く体毛の除去が行われ、次に内臓の摘出へと移っていった。

『古代エジプトの埋葬習慣』. 和田浩一郎(著). ポプラ新書. p.91.

そう、頭髪を除いた体毛を除去するのですね。

ということは、やはり遺体には少なからず自分の髪が生えている状態であるということですよね。 

ミイラの整形

『古代エジプトの埋葬習慣』によると、古王国時代のミイラは生前の姿をありのままに保存するものではなく、彫像のように理想化された故人の姿をミイラの上に表現するものでした。

しかし新王国時代に入ると、 

ミイラの整形は手の込んだものになっていく。まず眉を描く、白髪をヘンナ(植物性の染料)で染める。髪を整え少ない部分には付け毛をするといった、化粧に類することが行われた。

『古代エジプトの埋葬習慣』. 和田浩一郎(著). ポプラ新書. p.100.

死者の再生のために遺体の完全性を重要視し、空洞になった眼窩や、生前に事故などで欠損した指などを細工物で補うことが行われました。

更に後の第21王朝時代になると、整形の手法はこのようになります。

新王国時代に導入されたものがより徹底して行われた。ミイラは顔だけでなく、全身に彩色が施されるようになった。肌の色を再現するために、壁画と同様のルールで男性は赤褐色、女性は黄色に塗られた。この時代には頭髪さえも除去されてしまうことが多く、代わりにカツラが多用された。

『古代エジプトの埋葬習慣』. 和田浩一郎(著). ポプラ新書. p.101.

故人を理想化された姿で表現するより、新王国時代と第三中間期におけるミイラの整形は、「生前の姿をできる限り再現する方向性で行われていたといえるだろう」とのことです。 

これ以降ミイラの画像が出て来ますので、苦手な方はお戻りください。

第21王朝時代の神官のミイラ解体をまとめた書籍『ミイラ解体』を紹介

大英博物館双書 1 古代エジプトを知る ミイラ解体 「王家の谷」造営職人長ホルエムケニシの生涯と死

女性のミイラ

王妃ネジェメト(またはネジェムト Nodjmet )

『古代エジプトの埋葬習慣』(p.103.)では、テーベ西岸で発見されたネジェメト王妃のミイラ(前から見た図)が掲載されています。

ネジェメト( Nodjmet, ネジェムトとも表記)王妃は、新王国時代最後のファラオ・ラムセス(ラメセスとも表記)11世の娘。

「正式な意味ではエジプトの王妃ではなかった」と、『古代エジプト女王・王妃歴代誌』(p.232.)とありますが、ネジェメト王妃のミイラに添えられていた「死者の書」では、「王の妻、二国の主人たる王の母、聖なる子コンス神の母、アメンの後宮の長、高貴なる貴婦人の長、二国の貴婦人、ネジェムト」と書かれています。

下の画像は「死者の書」に描かれたネジェメト王妃。隣にはアメン大司祭である夫ヘリホルがいます。 

「死者の書」に描かれたネジェメト王妃 紀元前1050年頃
「死者の書」に描かれたネジェメト王妃 紀元前1050年頃

引用元:ネジェメト王妃「死者の書」

このネジェメト王妃のミイラです。

ネジェメト王妃のミイラ 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
ネジェメト王妃のミイラ 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ネジェメト王妃のミイラ

第21王朝のその後のミイラと同じように、ネジェムトのミイラは生前と同様の丸みをつけるために手足につめ物がしてある。義眼を嵌め込み、頬にはつめ物をして、人間の毛髪でつくった眉をつけ、薄くなった白髪には編んである茶色の鬘をかぶせてある。その結果、顔にしわが目立つにもかかわらず、ミイラには驚くほど生き生きとした、若々しい表情が与えられている。

ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 2008-6-20. 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.233.

 『古代エジプトの埋葬習慣』で正面の画像を見ると、王妃の髪がかつらであることがわかり易いです。

あと、顔の下半分が、ちょっと…。

パネジェム2世妃ネスコンス( Nesikhons )

第21王朝時代のミイラ職人の技術には目を瞠るものがありました。

第21王朝時代の大司祭・パネジェム2世(Pinedjem II, ピネジェム2世とも表記)在職:前990年-前969年)の妻のひとり、ネスコンス。

オシリス神の前に立つネスコンス ロンドン、ピートリー博物館蔵
オシリス神の前に立つネスコンス ロンドン、ピートリー博物館蔵

引用元:オシリス神の前に立つネスコンス BabelStone CC-BY-SA-3.0

ネスコンスはパネジェム2世の実の姪です。

夫より先に亡くなり、ディール・アル=バハリの背後の断崖に造られた一族の墓に埋葬されました。

パネジェム2世妃ネスコンス 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム2世妃ネスコンス 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ネスコンス(全身)

パネジェム2世妃ネスコンス 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム2世妃ネスコンス

引用元:ネスコンス(正面)

パネジェム2世妃ネスコンス 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム2世妃ネスコンス

引用元:ネスコンス(横顔)

ネスコンスのミイラは第21王朝のミイラ職人がいかにすばらしい技術をもっていたかを証明するみごとな例である。ちょうどいい具合につめ物をしているため、まるで生きているかのような外見を保っている。

ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 2008-6-20. 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.235.

パネジェム2世王女ネストネブイシュル( Nesitanebetashru )

パネジェム2世とネスコンスの娘にして、シェションク2世王妃、ネストネブイシュル。

パネジェム2世王女ネストネブイシュル 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム2世王女ネストネブイシュル 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ネストネブイシュル

1866年にガストン・マスペロがこのミイラの包帯を解いた。ミイラの保存状態はきわめてよく、王妃の顔の色は全体に明るい黄色で、ところどころに茶色く変色した箇所があった。茶色の髪は短く、ウェーブがかかっている。

ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 2008-6-20. 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.238.

ガストン・マスペロ(1846年-1916年)氏はフランスの考古学者。カイロ博物館の第2代館長。

パネジェム1世妃ヘヌウトタウイ( Duathathor-Henuttawy )

パネジェム1世

パネジェム1世は、紀元前1070年から1032年頃にかけてのアメン大司祭です。

彼は大司祭ビアンク(ビアンキとも表記)と、上に挙げたネジェメトとの間に生まれました。

ネジェメトはビアンク亡き後、ビアンクの後継者となったヘリホルと結婚し、パネジェム1世は継父ヘリホルの地位を継いでアメン大司祭となったのです。

そのパネジェム1世の妻がヘヌウトタウイ(彼女の父親はラムセス(ラメセス)11世のようです)。

パネジェム1世とヘヌウトタウイの間に生まれた子供のひとりに、メンケペルラーという息子がいました。 

このメンケペルラーもアメン大司祭の地位に就いた人物です。

彼の子供に、スメンデス2世(兄)とパネジェム2世(弟)がいます。

先にパネジェム2世妃ネスコンスをご紹介した際、ネスコンスはパネジェム2世の実の姪だと書きました。

ネスコンスはこのスメンデス2世の娘なのです。

パネジェム1世妃ヘヌウトタウイ 

シストルムを持つパネジェム1世妃ヘヌウトタウイ
シストルムを持つパネジェム1世妃ヘヌウトタウイ

引用元:シストルムを持つヘヌウトタウイ

原典:http://edoc3.bibliothek.uni-halle.de/lepsius/tafelwa3.html

 この時代のミイラ職人たちは、技術力に自信を持って作業に励んでいたのかもしれない。しかし自信が過信となった失敗も、しばしば認めることができる。全身の皮膚に数ヶ所切り込みを入れておがくずなどを詰める作業では、熱心さのあまりか詰めこみすぎて明らかに生前より顔が膨れてしまった例や、皮膚が裂けてしまった例も認められるのである。

『古代エジプトの埋葬習慣』. p.102.

この時代、とは第21王朝の時代。

つめ込みすぎの失敗例として、『古代エジプト女王・王妃歴代誌』では王妃であるヘヌウトタウイが挙げられています。 

ミイラ職人がつめ物をしすぎたために、古代に顔の皮膚が裂けて、中のつめ物が見えていた。その損傷は近年になって修復された。

ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 2008-6-20. 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.234.
パネジェム1世妃ヘヌウトタウイ 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム1世妃ヘヌウトタウイ 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ヘヌウトタウイ

少しでも良く見せようとした気遣いが…。

おいたわしい結果に…。

ヘヌウトタウイのかつらは人毛ではなく、黒い繊維で作られていたそうです。

また、名前 Duathathor-Henuttawy の中に、ハトホル(Hathor)と、女神の名が見えましたので、英語版のWikipedia に頼ったところ、”Adorer of Hathor”「ハトホルを崇拝する者」と出て来ました。

別記事のサトハトホルイウネト(メトロポリタン美術館の表記では、シトハトホルユネト)王女の名前 Sithathoryunet にも「Hathor」があり、彼女の名前の意味は「“daughter of Hathor of Dendera” デンデラのハトホルの娘」でした。

パネジェム1世王女マアトカーラー( Maatkare Mutemhat )

マアトカーラー(マートカラーとも表記)は、パネジェム1世とヘヌウトタウイの娘で、メンケペルラーとはきょうだいです。

シストルムを持つマアトカーラーのレリーフ
シストルムを持つマアトカーラーのレリーフ

引用元:マアトカーラーのレリーフ

マアトカーラーは神官として一生を独身で過ごしました。

称号は「アメン神の妻」です。

「アメン神の妻」という称号は、わかっているかぎりでは、第18王朝の半ばになくなり、第19王朝になってから復活したものだ。もともと「神の妻」はエジプト王妃の称号だったが、第20王朝のラメセス6世の治世以降は、もっぱら独身の王女に授けられるようになった。

ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 2008-6-20. 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.234.
パネジェム1世王女マアトカーラー 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
パネジェム1世王女マアトカーラー 第21王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:マアトカーラー(ミイラ)

彼女の遺体に巻いてあった包帯は、墓泥棒によって引き裂かれていたそうです。

独身だった彼女の棺は、母ヘヌウトタウイと一緒にディール・アル=バハリのミイラの隠し場所で発見されました。

彼女が小さなミイラを抱いていることが判り、「神官である王女に子供が!」と人びとが驚いたことは想像に難くないのですが、 後のX線検査で、それは子供ではなく、マアトカーラーのペットのヒヒがミイラ化したものだと判明。

『古代エジプト女王・王妃歴代誌』では、大きな胸のふくらみとお腹の皮膚のたるみ具合のせいで、マアトカーラーが出産時に死亡したと誤解された件を、「ミイラ職人がつめ物をしすぎたせいかもしれない」としています。(p.234.)

アメンホテプ3世妃ティイ( Tiye )

ティイ(紀元前1398年頃-紀元前1338年頃)は、新王国時代、第18王朝のファラオ・アメンホテプ3世の正妃であり、ツタンカーメンの祖母にあたります。

本来なら正妃になれない血統でしたが、ティイはアメンホテプ3世に寵愛され、正妃となりました。 

アメンホテプ3世と王妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵
アメンホテプ3世と王妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:アメンホテプ3世と王妃ティイ Ihab mohsen CC-BY-SA-4.0

ティイ像 ベルリン美術館蔵
ティイ像 ベルリン美術館蔵

引用元:ティイ像 Rolf Dietrich Brecher CC-BY-SA-2.0

王妃頭部断片(黄色の碧石) 新王国時代 第18王朝 メトロポリタン美術館蔵
王妃頭部断片(黄色の碧石) 新王国時代 第18王朝 メトロポリタン美術館蔵

引用元:王妃頭部断片 CC-Zero

メトロポリタン美術館による解説(日本語版)はこちらです。

下がった口元から、王妃ティイでは?との噂がある頭部。

他にもネフェルティティなど、美女の名が挙がっています。

上半分が無いことが残念ですが、この唇、セクシーでとても素敵ではありませんか?

アメンホテプ3世妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵
アメンホテプ3世妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ティイ(ミイラ)

KV55 号と呼ばれる墓から出土し、暫定的にハトシェプストだと言われてきた、通称「 The Elder Lady 」(年配の女性)。

もしこの女性がティイであるとすれば、ティイは死亡時には55歳にはなっていたと考えられ、このミイラは予想していたよりもいくらか若いということがあり、

解剖学者のグラフトン・エリオット・スミスは「年配の女性」が驚くほどふさふさした長い髪をしていたと記している。

…〔年配の女性〕は中年の小柄な女性で、ウェーブのかかった豊かな茶色の髪を真ん中で分け、両わきに流しており、その長い髪は肩まで垂れている、毛先はあきらかに天然でちりちりした巻き毛になっている。歯は磨り減っていることを除くと、悪いところはない。胸骨が完全に癒合している。白髪はまったくなかった。

このミイラは左腕を胸の上で交差させ、右腕はわきにまっすぐ下ろしている。これは絵画や彫刻に見られる一般的なポーズだが、ミイラにはめったに見られない。

ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 2008-6-20. 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 創元社. p.158.
アメンホテプ3世妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵
アメンホテプ3世妃ティイ カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ティイ(ミイラ横顔)

そして2010年2月17日付けのナショナル・ジオグラフィックの記事「ツタンカーメンの謎、DNA調査で解明」で、このミイラは王妃ティイであるという鑑定結果が掲載されました。 

 また、これまでは「Old Lady(老婦人)」と呼ばれていたミイラはツタンカーメンの祖母にあたるアメンホテップ3世の王妃ティイで、「Younger Lady(若い方の女)」と呼ばれていたミイラがツタンカーメンの母親だと判明した。

ナショナル ジオグラフィック  「ツタンカーメンの謎、DNA調査で解明」

ファラオのミイラの髪の毛の状況

トトメス2世( Thutmose II )

トトメス2世 新王国時代 第18王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
トトメス2世 新王国時代 第18王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:トトメス2世

トトメス4世( Thutmosis IV )

トトメス4世 新王国時代 第18王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
トトメス4世 新王国時代 第18王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:トトメス4世

ラムセス2世( Ramesses II )

ラムセス2世 新王国時代 第19王朝 カイロ・エジプト博物館蔵
ラムセス2世 新王国時代 第19王朝 カイロ・エジプト博物館蔵

引用元:ラムセス2世

故人に対し、少々不謹慎な興味で申し訳ありませんが、少なくともしょっちゅう頭の全剃りをなさっていたわけではなさそうな…。 

主な参考文献
  • 『清潔の歴史 美・健康・衛生』 ヴァージニア・スミス(著) 鈴木実佳(訳) 東洋書林 
  • 『ハゲの文化史』 荒俣宏(著) ポプラ新書
  • 『ナイルに生きる人びと』 片岸直美・村治笙子・畑守泰子(著)  仁田三夫(写真) 山川出版社
  • 『最悪の医療の歴史』 ネイサン・ベロフスキー(著) 伊藤はるみ(訳) 原書房
  • 『NHKスペシャル 知られざる大英博物館 古代エジプト』 NHK出版
  • 『古代エジプトの埋葬習慣』 和田浩一郎(著) ポプラ新書
  • ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館
  • ジョイス・ティルディスレイ(著). 吉村作治(監修). 2008-6-20. 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』. 創元社
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コメント

コメント一覧 (40件)

  • 都会の隅で農的暮らし (id:bontosyougatu)様
    確かに。戦後のシラミ対策、私も体験談を聞いています。
    やっぱり剃っちゃうことが有効なんですねえ。
    読んでくださって有難うございました。

  • シラミ対策で、体毛を剃っていたということ。父親の子どもの頃の写真が丸坊主だったのを思い出しました。興味深く拝見しました。

  • ことぶ㐂(ことぶき) (id:lunarcarrier)様
    コメント有難うございます。
    美人はいくつになっても美人で、トクだなあと思っていましたが、ミイラになってもそうなんですよね(笑)
    ネジェメト王妃、正面から見ると結構びっくりで、「詰め込み過ぎだろぉ!!!」とソッコー突っ込みたくなります。
    職人さんの仕事熱心さの表れなんですかね(;´∀`)

  • どんぐり (id:saki-compass)様
    コメント有難うございますう( ;∀;)嬉しいです。
    夜勤後一週間くらいはもー毎日眠くて仕方なくて。変な時間に寝落ちするものだから、調整が大変です。
    ええと、そうなんです、ミイラをですね、飲んだり絵具にしたり、もう失礼千万な扱いなんですよ。まったく、当時の欧米人てやつはぁ(# ゚Д゚)。
    奴らの所業については、「香油とミイラ 古代エジプトのミイラの使い道」https://hannaandart.com/entry/2019/11/07/001545
    にちょっと書きましたので、ご興味とお時間がおありでしたらご覧になってくださいませ。こんなことしても呪われないんだから、古代エジプト人は相当寛容だったんだと思います。まったくぅ。

  • 佐馬鷹 (id:coatsofarms)様
    コメント有難うございます。
    返信遅くなって申し訳ありません。
    子どもの頃はミイラはブキミでコワいものでした。
    大英博物館でガラスケースに入ったミイラを見ていた時、「彼はまさか、死んで数千年後に、赤の他人たちからこれ程にじろじろ眺め回されるとは思ってなかっただろうな。写真まで撮られて(-ω-)」と思いました。
    古代では、死は今よりもっとありふれたものだったでしょうね。
    死んだ後また生まれ変わることを信じていた古代エジプト人。素晴らしい保存技術のおかげで、今こうして彼らを見ることができます。
    彼らがかつて現実に生きて生活していたのだと思うと、その人生や生活様式をもっと知りたいという気になります。
    今回もお付き合いいただいて、有難うございました。

  • ネジェメト王妃可愛いなと思ったけど
    あとの子はちょっと無理(^-^;

  • Pちゃん (id:hukunekox)様
    コメント有難うございます~。返信遅くなって申し訳ありません。
    ところで、スカラベのガチャ(@_@)??あ、それとってもツボです。いいですねええ。そんなガチャがあるんだー。いいなー。
    いや、古代エジプトですねえ、もちろん好きなんですが専門家も多いですし、私より詳しいファンの方も大変多くいらっしゃいます。私の場合は、ちょっと邪道かもしれません(笑)。
    もう少し続けたら、ロココの時代に飛びます。
    またお付き合いくださいませ。
    よろしくお願いします(≧▽≦)

  • まどろみ (id:madoromi-life)様
    遅くなって申し訳ありません。
    コメント有難うございました。
    すみません、超~うろ覚えなのでうまく言葉にできないのですが、ケンヘルケプシェフはかなり多くの書き物(文字資料)を残したそうです。あのパピルをいつの時点で所有したのか不明だそうですが、若い頃のケンヘルケプシェフが恋に憧れてずっと所有していたのか、または、あれは後の自分の奥様に宛てたものか…と想像する、というのを何かで聞いたことがあります。わかったらまた改めて記事にしたいと思います( ̄▽ ̄)。
    同性愛に関しては、古代ギリシアやローマにもあったし、古代エジプト神話にはそれっぽいのもあるので、大っぴらじゃなくてもあったと思っています。探したら出て来そうですよね。
    王道の「世界史」や「古代エジプト史」は私より詳しいファンや専門家にお任せし、私は自分的にツボなものをゆるゆる楽しみたいと思っています。
    奥が深いかはわかりません(笑)。
    先日までサーチコンソールも人並みに利用していましたが、改めてログインが必要になり、面倒で放置状態です。
    何かの機会で、今までそんなものに興味が無かったひとがたまたま目にして、「へえ。そんなことがあったんだ。オモシロいじゃん」と思っていただければすごく嬉しいことですけどね。
    夜勤をやるとその後一週間くらいは眠くて仕方がない日々が続きます。それなりに寝てはいると思うのですが、その間頭も回らず、突然変な時間に寝落ちしたりして、返信も遅くなってしまいます。
    それでも、こうしてまどろみさんの感想などいただけるのは嬉しいです。
    追記でも追加でも大歓迎( ̄▽ ̄)。
    またぜひよろしくお願い致します。

  • ハンナ(id:hanna_and_art)さん
    お疲れじゃないですかだいじょうぶですか(^-^)?
    ミイラを粉末にして飲む!?室内に飾る!?肥料!?絵具!?燃料!?ビックリです!
    さすがにその感性には、、、( ̄∀ ̄)
    そんなそんなとんでもないです!お手持ちの資料でこんな充実っぷり✨充分楽しませていただいてます♪
    絵画でも何でも興味津々です〜もちろん楽しみにしていますね╰(*´︶`*)╯

  • どんぐり (id:saki-compass)様
    コメント有難うございます。
    他にももっと生きているようなミイラもありましたが、今回は髪の毛の状態がわかるひとだけ(特に男性)にしてしまいました。
    若い頃はブキミでコワいという印象でしたが、知れば知るほど「生活者」としての古代エジプト人に惹かれます。
    このように素晴らしい技術で保存されたご遺体がたくさんあっただろうに、中世のヨーロッパ人はミイラを粉末にして飲むわ、室内に飾るわ、肥料にするわ、絵具にするわ、南北戦争の頃は燃料にしちゃうわ、なんて罰当たりな真似を…と思わずにいられません”(-“”-)”
    「恋文」は実は男性が書いたそうなんです。当時多くの女性は読み書きできなかった筈ですから。
    パピルスの内容等はまた別記事にしたいのですが、これは「髪」を挙げていたので出しました。
    引用した本が今手元に無く、「この本のここに書いてあります」と書けず、コメントで頂いた場合には個別に伝えさせていただくことにしてしまいました。お手数かけてすみません。
    このブログで紹介している本はほぼ自分のものですが、実家にあったりして今手元に無くても、いつもなら図書館で確認するのですが、コロナ禍の影響で図書館が休館中…。実家の本をゆっくり発掘する時間も無く、現在の手持ちだけだと限界あるかなあと思っているところです( ;∀;)。
    古代エジプトもの、あと何回かやって、それからまたロココに戻る予定です。以前やったウィリアム・ホガースの『当世風結婚』の続きがそろそろ気になってまして(笑)。
    またどうかお付き合いくださいませ。

  • love-petit-four (id:korekara-watashi)様
    コメント有難うございます。
    20歳頃、訪れた大英博物館でガラスケースに入ったホンモノを見た時、結構衝撃的でした。室内の一種独特な匂い、不気味だけど妙にカラフルな棺、かつて生きて動いていたであろう人間。「ミイラ男」のイメージが増幅されて、かなり怖かったです。それが次第に変わって行って、非常に高度な文明のなか、私たちと同じように「生活して」いたんだなと思うようになりました。
    ある職人が仕事を休んだ(サボった)理由に「家のドアを修理する」というのがあり、これはまあ普通ですが、「仲間のミイラをつくるため」とあったのを見て、(@_@)驚きました(笑)。ロマンを感じると共に、面白さ発見でした。

  • まーたる (id:ma-taru)様
    コメント有難うございました。
    ラムセス2世、見ていただけましたか。
    保存状態の良し悪し、有名どころという以上に「髪の毛の保存状態のわかり易さ」で選んでしまいました。
    ティイ王妃、髪の量多くてびっくりですよね。あの長さを見たら、「髪を剃っていた」説に、?と思ってしまいます。
    我が国の黒髪、19世紀英国のファム・ファタル、女性の髪はやっぱり男性を絡めとってしまうものなのかも。
    でも「美しさ」は今の方がヴァリエーション豊富。美はある程度作ることが出来ますからね。その分内面の成熟が大事ですね。
    パピルスの内容等はまた別記事にしたいと思いますが、あの「恋文」は男性が書いたそうなんです。「髪」にふれていたので出しましたが、当時多くの女性は読み書きできなかったのだそうで。
    引用した本が今手元に無く、「この本のここに書いてあります」と書けず、コメントで頂いた場合には個別に伝えさせていただくことにしてしまいました。お手数かけてすみません。

  • id:kagenogori様
    コメント有難うございました。
    そうですよね、気品はやっぱり王家のひとだからなのでしょうかね。もっと「素敵な」ミイラもあったのですが、ここでは髪の毛の状態がわかり易い方のものを載せました。
    また、あの「恋文」は男性が書いたそうなんです。当時多くの女性は読み書きできなかった筈ですから。
    パピルスの内容等はまた別記事にしたいのですが、これは「髪」を挙げていたので出しました。
    引用した本が今手元に無く、「この本のここに書いてあります」と書けず、コメントで頂いた場合には個別に伝えさせていただくことにしてしまいました。お手数かけてすみません。

  • ただミイラと一言で表現するだけでは怖いものを想像しましたが、
    今回の記事で改めてミイラをじっくりと見て、考えが変わりました。
    死者・死後の世界への思いが半端ないんですね。
    それこそ現代人よりも何倍も死者と向き合っていたのではないでしょうか。
    ミイラという埋葬の文化、その発展と継承。
    古代エジプトの送り人たちの真摯な努力の賜物ですな。
    感服します。

  • こんばんは😊
    読み応えある記事、じっくり読ませて頂きました✨ヘアーに対してのこだわりが古代エジプトではすごい価値基準だったんですね✨
    沢山の文献とお写真ありがとうございます✨
    ティイ妃、美しい方だったんですね〜ミイラを見ても綺麗な方だったのが、よくわかりました
    なんだか私もこちらでエジプトのお話しを見てて
    気になって、ガチャでスカラベを取ってしまいました←全然関係なくてすいませんw😂

  • あれれ?桁が増えて1000になってます(笑)追記失礼します。
    あの恋文、対象にしたのは女性と思ってました。エルトンジョンの様に
    男性が男性にラブソングを歌うノリでしたか~。君の髪はまるでラピスのよう
    なんて言われたら、最高の例えで女性ならルンルン♡と思っていましたから。
    男性が女性に出せず仕舞いで終わったもの、或いは、憧れ的なものではなく、
    男性に向けて書いた恋文となると古代エジプトにもゲイがいた・・・。
    そこは私も勉強が不十分でした<(_ _)>有難うございます。
    しかし、若干精神が乱れていた人の所持、どう手に入れたのか・・・。
    でも本当に男性宛てなら想像してしまうととても面白いです。男性が男性に
    ラピスのような髪と口説かれていたのですから、願わくば、宛てがなくても
    空想の女性に書いが、持っていたのが、男性のケンヘルケプシェフだったと。
    大事に持っていたのも尊敬や敬意があってかも知れませんが。
    ハンナさんの切り口は本当に移動博物館ですね。まだまだ奥が深そうです。
    今日もハンナさんと遣り取りが出来て、そても楽しい時間でした☆×10000☆

  • 森下礼 (id:iirei)様
    ご来店有難うございます
    『魁!!男塾』、読んだことはありませんが、知っています。そんな漫画だったんですかあ。
    言われてみれば、ネスコンス、言葉の感じが、「根・酢・昆布」っぽい(-_-;)。
    いやそれより、ギリシャ流の拳法て。
    ギリシャ人もびっくり的なΣ(・ω・ノ)ノ!

  • まどろみ (id:madoromi-life)様
    お忙しいなか有難うございます。
    あの「恋文」は男性が書いたそうなんです。当時多くの女性は読み書きできなかった筈ですから。
    パピルスの内容等はまた別記事にしたいのですが、これは「髪」を挙げていたので出しました。
    引用した本が今手元に無くて、いろいろうろ覚えだった為、「この本のここに書いてあります」と書けず、コメントで頂いた場合には個別に伝えさせていただくことにしてしまいました。お手数かけてすみません。
    あの「恋文」は男性が書き、男性(ケンヘルケプシェフ)が大事に所持していたものだそうです。仕事のストレスで不眠症に悩んでいたケンヘルケプシェフ氏はどんな思いであれを保管していたのでしょうか。そこに惹かれています。
    移動博物館、何て素敵な響きでしょうか(;´∀`)そうだったらいいなあ~。
    自分の好きなものを誰かと楽しめる、とても楽しいです。博識のまどろみさんにそう言っていただくとほんとに嬉しいですね!
    あ、ご自愛×100は一桁間違えました。
    ×1000です。

  • ハンナ(id:hanna_and_art)さん
    ミイラ、、、本当に凄い保存技術ですよね、、、多少崩れてしまっているとは分かっていますが、表情まで読み取れそうなほどのお顔!
    ラブレターだなんて、何から何まで現代とそう違いはなかったんですね、毎回不思議な気分になります(*´∇`*)♪

  • ミイラをまじまじと見たのは初めてでした!
    包帯でグルグル巻きにされていたのですよね?
    そちらのほうが想像力もプラスされて、怖く感じます。
    エジプト文明、どんな華やかな物だったのか、ロマンを感じますね~~

  • こんばんは(о´∀`о)
    古代エジプトの歴史は本当に奥深くて素晴らしいですね❗️
    ミイラも保存状態は様々ですが、個人的にラムセス2世のミイラを見ることができて興奮してます(*≧∀≦*)
    王妃ティイのミイラは静かに語りかけてくるようです。
    髪の毛の悩みは古代も現代も同じようにあるのですね
    (; ̄ェ ̄)
    私ももともと細い上に猫っ毛で癖があり、産後ますます細くなり地肌が目立つように(T_T)
    歳のせいもありますが、やはり髪の毛はコシとハリが欲しいところです( ̄▽ ̄;)
    日本でも平安時代の女性の美しさの一つに、髪は長く艶やかであることがあげられるのですが、やはり女性の髪がつやつや絹のようななめらかさに男性は魅了されたのでしょうか(●´ω`●)
    ラピスラズリの髪(*☻-☻*)
    古代エジプトの人はなんて美しい感性をされていたんだろう(*☻-☻*)
    ラピスラズリの髪の乙女と彼女に恋する男性に思いを馳せながら、今回のハンナさんの記事を思い切り堪能させていただきました❗️
    ありがとうございます(*☻-☻*)

  • ko-todo (id:ko-todo)様
    ラブレターですね、あれほんとはもう少し隠しときたかったんですが、やっぱり出してしまいました。
    男性が自分の想像で自分視点で書いたのでしょうから、我が国の雅な歌の交換とは性格が違いますが、それでも「髪の美しさ」には触れている。
    結局、「だから…、ねえ?」程度の感想しか書けませんでしたが、ここだけの勝手な感想を言わせていただければ、余裕のない庶民は簡単に済む丸刈りとか短髪にして労働し、髪やかつらを手入れをする余裕のある特権階級のひとは好きにしていたのかなーなどと(笑)。
    全剃りしてたと言い切るには髪が有り過ぎですよね(笑)。
    いろんな謎が解けたら更に面白そうです。
    庶民の日常、読み書きのできる書記たちの日常…男女の出会いとか交際って実際どうだったんでしょうね。
    逢瀬の際、女性はオークルに肌を塗り、かつらを着けて恋人に会いにいったんでしょうかね。気になります。
    そして、ミイラ女性のかつらはやっぱり暑かったように思います。重そうだし。
    今回も付き合って下さって有難うございました。消化不良、すみません(;´∀`)またよろしくお願い致します。

  • ミイラの写真はさすがにインパクトありますが、不思議と気品が感じられますね。
    ラブレターも情熱的かつ言葉が美しい!
    やはり他の古代文明とはひと味違うエレガントさがあるような気がします(#^^#)

  • 「ネスコンス」と聞くと、別の事を思い浮かべてしまいます。以前「週刊少年ジャンプ」に連載されていたマンガ『魁!!男塾』で、ギリシャ流の拳法の達人で「クヌムのネスコンス」のという人が出てくると思って下さい。この人、生まれた時からお酢のツボのなかで育てられ、体中柔らかいのです。その身体能力を武器に、戦うという人でした。時代考証などいい加減で、架空の出版社(民明書房)をでっち上げて、その会社の出版物からの引用として荒唐無稽な拳法を解説したりしていました。いかにも男の子好みの「バカ漫画」でした。笑えましたよ。

  • ハンナさん、こんばんは☆(#^.^#)☆
    エジプトから移動博物館がやって来たようで、今回も見応えがあります。
    しかしいつの時代も恋はステキですね。
    それにかなり本気で惚れ込まれていた恋文ですよね(*´▽`*)
    エジプトでラピスラズリと言ったら、金や銀以外のあらゆる宝石類の中で、
    一番貴重な石と位置付けられてきた石。本気度が伺えますね。
    女性も幸せだったでしょう♡ 沢山見せていただき有難う御座います♬

  • ラブレター…
    ラピスラズリの髪って、きっと、艶々の黒髪だったのでしょうね。
    ってか…
    彼は、肌色を黄色く塗ってカツラをつけていない素の彼女を知ってるって事ですよね…。
    特別の時以外は、髪も剃らず、メイクもしてなかったって事なのかなぁ…。
    それにしても…
    剃ってたの?剃ってなかったの?どっちなのぉ~なミイラさん達…。
    絨毯のカツラって…
    さすがに、暑くね?
    ティイさんは、ミイラの姿でも、生前の美しさがうかがえますね^^
    あぁ~
    こんな事しか浮かばない無知な私を許し給え~

  • schun (id:schunchi2007)様
    いつも有難うございます( ;∀;)。
    古代エジプト、すべてにおいて奥が深過ぎて、なかなか他の時代や地域に飛べません。未だに宴会場にすらたどり着けないんですよぅ(´;ω;`)
    髪は剃っちゃうと多くの本に書いてあるのに、ミイラさんたちは生やしてるというのが私的にナゾでした。
    ファラオの方々もこんな顔だったんだ~とより一層身近に感じていただけましたでしょうか(^^)
    今回も有難うございました。

  • こんにちは。
    カツラや地毛についても奥が深いですねぇ〜
    なかなか古代の人も、大変だったんだなぁ〜って
    拝見しながら感じました。
    ミイラもすごいですね。
    表情があって、彫像や絵とはまた違った理解となりました。
    今日もお勉強になりました。
    ありがとうございました!!

  • だるころ9216 (id:darucoro9216kun)様
    コメント有難うございますう(ノД`)・゜・。
    それにしても、またまた先回りの読みですね。あんまりここで言うと直ちにネタが尽きてしまうし、本文で全部言っちゃうと余談で長くなっちゃう…と思い、書かなかったのですが、あの恋の歌は男性が書いた筈です。当時、ほとんどの女性は読み書き出来なかったので…(;´∀`)
    いつも鋭く指摘されるので、ハラハラです(笑)。
    動物の脂、材料集めの時点でもう挫折なんですが、確かに仰る通り、脂だし、乾燥防止に効果有ったかも。なるほど!!でした。多分そうなんじゃないかな。
    ミイラ見てくださいましたか。
    ひと様の体を眺めまくるのもどうかと思いますが、こうして残るなんて、すごい技術ですよね、古代の人とこうして対面できるんですもんね!
    あと、古代エジプトでは、獲ったナイルの魚を昔から干物にしたりしていたので、塩抜きするのは結構上手だという説があったりします。
    今回もお付き合いくださって有難うございました

  • わぁーじっくり読んでしまいました。
    リハビリでも禿げの治療に紫外線とか使います。
    鍼治療もしたりします。
    でも…効果が一定では有りません。
    効果がある人も居れば、全く無い人もいます。
    今回の動物の脂を肌に塗るのは、禿げの治療と言うより肌荒れや湿疹対策だった気がします。
    乾燥した地域なので、特に肌の油脂分の補給は必要だったと思います。
    然るに、禿げの治療というより皮膚の乾燥を防いでフケや肌荒れ対策は万全だった感じですね。
    (勝手な想像です)
    ラブレターは…表面的な事を褒めるテクニックに特化してますね。女性はかなり時間をかけてお手入れをしていた→それを褒められると「嬉しい×∞」だった感じですね。内面を褒めるラブレターだったら、もっと読み込んだかもです。
    ミイラの技術は素晴らしいです。
    これを書くと長くなりそう。保存技術の発展にさぞ繋がった事でしょう。
    食べ物でも人間でも酸化させると腐るのだから、それを防ぐ方法を考えなくちゃです。
    そのテクニックの一つは脱水ですよねぇ〜。成人の60パーセントは水分ですから…。
    体内の水分を取り除く!色々な方法を考えて、試して、考えて、試しての繰り返しだったと思われます。
    いやぁ〜こんな事を考えてたら、日が暮れちゃいますねぇ↑(コメントは、この辺で止めときます)

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