バステト様への捧げもの、大英博物館の『ゲイヤー-アンダーソンの猫』

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 ※画像の左下にある「引用元」のリンクから元のファイルをご覧になることができます。

大英博物館にある、しゅっとした感じのネコの像。この像を寄贈したゲイヤー-アンダーソン氏の名前をとって、「ゲイヤー-アンダーソンの猫」と呼ばれています。

『ゲイヤー-アンダーソンの猫』(バステト女神像) 新王国時代 紀元前600年以降 大英博物館蔵
『ゲイヤー-アンダーソンの猫』(バステト女神像) 新王国時代 紀元前600年以降 大英博物館蔵
目次

『ゲイヤー-アンダーソンの猫』(バステト女神像)( the Gayer-Anderson cat ) 新王国時代 紀元前600年以降 大英博物館蔵

『ゲイヤー-アンダーソンの猫』(バステト女神像) 新王国時代 紀元前600年以降 大英博物館蔵
『ゲイヤー-アンダーソンの猫』(バステト女神像) 新王国時代 紀元前600年以降 大英博物館蔵

引用元:『ゲイヤー-アンダーソンの猫』 高さ42㎝ Einsamer Schütze CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0

紀元前600年以降、新王国時代の作品で、古代エジプト神話の女神・バステト様への捧げものとして作られたそうです。

この像を寄贈した、ロバート・グレンヴィル・ゲイヤー-アンダーソン( Robert Grenville Gayer-Anderson )氏のお名前から、この猫は『ゲイヤー-アンダーソンの猫』と呼ばれています。 

実に完成度が高いですよね。耳や鼻の輪、首周りの飾りがお洒落です。

『ゲイヤー-アンダーソンの猫』(バステト女神像) 新王国時代 紀元前600年以降 大英博物館蔵
『ゲイヤー-アンダーソンの猫』 大英博物館蔵

引用元:『ゲイヤー-アンダーソンの猫』(正面) Einsamer Schütze CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0

『ゲイヤー-アンダーソンの猫』 大英博物館蔵
『ゲイヤー-アンダーソンの猫』 大英博物館蔵

引用元:『ゲイヤー-アンダーソンの猫』 CC-BY-SA-3.0

『ゲイヤー-アンダーソンの猫』(バステト女神像) 新王国時代 紀元前600年以降 大英博物館蔵
『ゲイヤー-アンダーソンの猫』 大英博物館蔵

引用元:反対側から見た姿 Oxyman CC-BY-SA-3.0-migrated CC-BY-2.5

像の高さは 42 ㎝、幅は 13 ㎝。ロストワックス製法で作られ、耳輪と鼻輪は後から追加された可能性があるそうです。( Wikipedia:ロストワックス

大英博物館のサイトではこの像の3D画像が掲載されています。ぐるぐる回して、通常では見られない部分も見られます。

バステト様はきっと、この捧げられた像をお気に入りだったと思います。

 バステト様への捧げもの(メトロポリタン美術館の猫)

猫の小像 紀元前332年-30年頃 メトロポリタン美術館蔵
猫の小像 中王国時代 紀元前332年-30年頃 メトロポリタン美術館蔵

引用元:猫の小像  CC-Zero

メトロポリタン美術館:猫

この像の高さは約 30 ㎝ ほど。

下は、2012年に像が来日した時の『日経おとなのOFF  白熱 西洋美術教室』での解説です。

この像はプトレマイオス朝時代のもので、元来は猫のミイラの容器だったという。太陽神ラーの娘で豊饒・多産の神であるバステトが猫の頭を持つといわれ、やがて猫と同一視されるようになったため、この時期、猫やほかの動物のミイラが多数奉納された。といっても実際にミイラが納められていることはまれで、体の一部や別の動物の骨だったり、中に何も入っていなかったりすることが多かった。

『日経おとなのOFF 白熱 西洋美術教室』

「この像の完成度の高さを見れば、社会的地位の高い人物によるバステト神への捧げ物であったことが分かる。」とも述べられていますが、しなやかな肢体が美しく、素人目にもとても高い完成度であることがわかります。

現在は失われている金の輪のピアスと、目の形をした護符が刻まれた首輪が、猫の神聖さをさらに強調しています。

https://www.metmuseum.org/ja/art/collection/search/544118
猫の小像 紀元前332年-30年頃 メトロポリタン美術館蔵
猫の小像 紀元前332年-30年頃 メトロポリタン美術館蔵

引用元:猫の小像  CC-Zero

失われたピアス、首輪、座り方も、ゲイヤーーアンダーソンの猫を思い起こさせます。

古代エジプトの女神バステトの「持ち物」

女神バステト

猫頭をしていらっしゃるバステト様は愛と豊穣を司り、多産のシンボルでもある女神様です。

ワンピースのようなお召し物に、子猫様たちとご一緒だったり、アイギス(盾)やガラガラのようなシストルムと呼ばれる楽器をお持ちです。

バステト像
バステト像

引用元:バステト Kotofeij K. Bajun CC-BY-3.0

雌ライオンの頭を持つセクメト様(バステト様と同様ラーの娘。人類殲滅計画の実行者でビール大好き)や、湿気の神様であるテフヌト様と同一視されることもあります。

セクメトの像 ウィーン美術史博物館蔵
セクメトの像 ウィーン美術史博物館蔵

引用元:セクメトの像 Captmondo CC-BY-SA-3.0

神話では、ハトホルは雌ライオンの頭部を持つセクメトに変身し、人類を殲滅しようとします。

しかしラーが撒いたビールを人間の血と思って飲み、酔っ払って爆睡。

そのおかげで彼女は使命を忘れてしまい、人類は救われたのです。

セクメトの持つライオンの獰猛さはやがて、家庭を守り多産の象徴である猫、バステトへと変化します。

ビール最強神話ビールが女神の人類抹殺計画から人間を救う(古代エジプトの神話)

バステト( Bastet ) 紀元前664年-紀元前30年頃 メトロポリタン美術館蔵

バステト 紀元前664年-紀元前30年頃 メトロポリタン美術館蔵
バステト 紀元前664年-紀元前30年頃 メトロポリタン美術館蔵

引用元:バステト メトロポリタン美術館蔵

メトロポリタン美術館:Bastet

メトロポリタン美術館のバステト像は、おそらく胸にアイギス(盾、イージス)を、もう一方の手にはシストルムを持っていたと考えられています。

お召し物について、メトロポリタン美術館の解説は「彼女のドレスには、点線と裏地のバンドが交互に並んだ精巧な縞模様が施されています。バステトは常に装飾されたドレスを着ているわけではありませんが、彼女にとっては他の女神よりもはるかに一般的です。」(Google翻訳)としています。

バステト像( Bastet with Nefertum figure, sistrum, and basket ) 紀元前945年-紀元前600年頃 メトロポリタン美術館像

バステト像 紀元前945年-紀元前600年頃 メトロポリタン美術館像
バステト像 紀元前945年-紀元前600年頃 メトロポリタン美術館像

引用元:バステト CC-Zero

メトロポリタン美術館:Bastet with Nefertum figure, sistrum, and basket

頭部と足はありませんが、この像もとてもいいプロポーションですね。

お召し物はストライプのロング・ドレス。

手に何か持っています。まず、右手を見てみましょう。

シストルム(シストラム)(sistrum)

右手に持つのは「シストルム(シストラムとも表記)」といい、ガラガラのような古代の楽器です。

バステトの持ち物であると同時に、ハトホルの持ち物でもあります。

門型シストルム 第26王朝(紀元前664年 - 紀元前525年) ルーヴル美術館蔵
門型シストルム 第26王朝(紀元前664年-紀元前525年) ルーヴル美術館蔵

引用元:門型シストルム Rama CC-BY-SA-2.0-FR

 愛の女神であり、「音楽の女王」であり、王族の誕生に付き添うハトホルは、とくにシストルムという女性専用の楽器で音楽とは切り離せない縁がある。これは大きい輪の形をしたガラガラのような打楽器で、長い柄がついていて、そこがハトホルの頭(*雌牛の姿で現わされる)の模様になっていることが多い。このシストルムは始め、ナイル・デルタのパピルス葦を表していた。神話によるとハトホルは、まだ若い自分の息子とこのナイル・デルタに隠れたことになっている。

ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館. p.154.

王国時代の終わりごろになると、シストルムといえばイシスの祭儀に使われる用具として知られるようになっていく。シストルムを鳴らすときはだいたいいつも、メニトと呼ばれたビーズのネックレスをいっしょにガチャガチャ鳴らした。女性の楽士が、空いたほうの手を使って鳴らしたのである。

ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館. p.154.

息子・ネフェルトゥム(Nefertum)

左手には、 息子ネフェルトゥムの像を持っています。

バステト像 紀元前945年-紀元前600年頃 メトロポリタン美術館像
バステト像 紀元前945年-紀元前600年頃 メトロポリタン美術館像

引用元:バステト CC-Zero

ネフェルトゥムはプタハとセクメトの間の息子とされていますが、セクメトとバステトは同一視されますので、バステトの息子ともいえます。

ネフェルトゥム 紀元前664年と332年の間 ルーヴル美術館蔵
ネフェルトゥム 紀元前664年と332年の間 ルーヴル美術館蔵

引用元:ネフェルトゥム Rama CC-BY-SA-2.0-FR

カゴ(basket)

時々カゴをお持ちです。編み目が模様のように見えるこのカゴ、お洒落ですね。

バステト像 紀元前945年-紀元前600年頃 メトロポリタン美術館像
バステト像 紀元前945年-紀元前600年頃 メトロポリタン美術館像

引用元:バステト CC-Zero

盾(aegis)

イシスの「盾」 紀元前924年-600年頃 メトロポリタン美術館蔵
イシスの「盾」 紀元前924年-600年頃 メトロポリタン美術館蔵

引用元:イシスの「盾」 CC-Zero

メトロポリタン美術館:Aegis of Isis

盾はギリシア語で「アイギス( Aegis )」、英語で「イージス( Aegis, Egis )」と呼ばれます。大型の護符で、邪悪なものをはね返すとされました。

ギリシア神話では盾(アイギス)は女神アテナの持ち物です。

バステト像 紀元前664年-前30年頃 メトロポリタン美術館蔵
バステト像 紀元前664年-前30年頃 メトロポリタン美術館蔵

引用元:バステト CC-Zero

メトロポリタン美術館:Bastet

メトロポリタン美術館によると、このバステト像は「後期およびプトレマイオス朝の時代で最も人気のある奉納品の 1 つ」でした。

お召し物はやっぱり装飾的なロングのドレス。右手にはシストルムを持っていたと思われるとのこと。

子猫

子猫を世話するバステト 美術史美術館像
子猫を世話するバステト 美術史美術館像

引用元:子猫を世話するバステト Captmondo CC-BY-SA-3.0

多産のシンボルとしてのバステト像。母性を感じますね、

足元に数匹の可愛い子猫がいることもあります。 https://www.ancient.eu/image/4528/bastet/

古代エジプトの猫

古代エジプト人も犬や猫をペットとして飼っていました。

紀元前3000年より以前、世界で初めて、古代エジプト人が猫の家畜化に成功したと言われています。

畑の農作物を食い荒し、家の中にまで出没するネズミを食べてくれる猫。

益獣として重宝され、紀元前2000年頃から神として崇められるようになりました。

紀元前15世紀「ナクトの墓」の壁画に描かれた猫

第18王朝8代トトメス4世と第9代アモンホテプ3世の時代に、アメン神の書記として仕えたナクトの墓の壁に描かれた猫。

「ナクトの墓」の壁画に描かれた猫 紀元前15世紀
「ナクトの墓」の壁画に描かれた猫 紀元前15世紀

引用元:「ナクトの墓」の壁画に描かれた猫

椅子の下で丸くなっていますが、猫が絵に描かれた場合は「女性の椅子の下に」いるのだそうです。

 いっぽう猫は、神秘的によそよそしく生まれつき自主性が強いので、犬よりもはるかに敬われ、さまざまな象徴となった。とくに絵に描かれた猫を見ると、決まって女性の椅子の下に座っていて、男性と一緒にいるところはめったにない。これからも分かるように猫は、女性らしさと女性の性能力の象徴であり、強い力を持った猫の女神というのも現れる。ナイル・デルタにあるブバスティスの町を中心におこなわれた雌猫の神バストの祭りは、末期王朝時代からギリシャ・ローマ時代のあいだはかなり大衆に知れ渡った祭りだった。猫はむろん、蛇をはじめ、鼠や害虫を寄せ付けないだけでなく、水鳥を捕まえるなど日々の暮らしにも役に立った。

ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館. pp.171-172..

(文中の「バスト」は原文のままです)

ハトホルの「酒飲みの祭り」ビールが女神の人類抹殺計画から人間を救う(古代エジプトの神話)

古代エジプト人はバステト神の化身である猫を大切に扱いました。

飼い猫が亡くなった場合は丁寧に葬らなければならないという規則もありました。

傷つけたり殺した場合は厳罰が処されました。また、飼っていた猫が死んでしまった場合は人間と同様に丁寧に葬らなければいけないという規則もありました。実際に、墓地跡の遺跡からはおびただしい数の猫のミイラや骨が発掘されています。

和田浩一郎(監修). 『クレオパトラとエジプトの謎』. 宝島社. p.57. 
猫のミイラ 大英博物館蔵
猫のミイラ 大英博物館蔵

引用元:猫のミイラ Mario Sánchez CC-BY-SA-2.0

末期王朝時代以降、神殿に聖獣と同じ種の動物のミイラを奉納するという信仰が盛んになります。

奉納用のミイラは神殿で作られていました。

高位の人物のペットや聖獣として神殿で飼われていた動物は、専用の墓に埋葬されることもあった。また末期王朝時代以降は、神殿に聖獣と同じ種の動物のミイラを奉納するという信仰が盛んになり、そのためのミイラ生産が神殿で行われていた。奉納用の動物は神殿で飼育・処理され、参拝者たちにミイラとして販売されていたのである。その数は膨大なもので、例えばサッカラでは、一〇〇万体以上のミイラが出土している。

和田浩一郎(著). 2014. 『古代エジプトの埋葬習慣』. ポプラ社. .p.114.
古代エジプトの埋葬習慣

タイトルだけ見るとなんとなく固そうな印象を受けますが、そんなことはありません。ミイラに興味をお持ちの方なら楽しめます。古代の人々がどのように死者を葬ったのか、知りたい方はぜひ。

鳥や犬、ワニもミイラにされましたが、古代エジプト展では他の動物に比べ、猫のミイラを目にすることが多いように思います。

2017年の『大英自然史博物館展』でも、始祖鳥の化石や恐竜の鉤爪の化石と一緒に猫のミイラが来ていました。

下は私が撮影した猫のミイラです。

猫のミイラ(自然史博物館 2017年) 筆者撮影
猫のミイラ(自然史博物館 2017年) 筆者撮影

猫のミイラのその後

後世になり猫などの動物のミイラは肥料や燃料として使われましたが、和田浩一郎氏は『古代エジプトの埋葬習慣』の中で、「燃料や肥料にされた動物ミイラの大半は、このような奉納用だったと考えられる」と仰っています。

ヨーロッパに輸出された動物のミイラは、バラスト(重り)として船に積み込まれヨーロッパ各地に運ばれていった。エジプト本土でも、同様の用途でミイラが消費された。

『古代エジプトの埋葬習慣』. p.114.

肥料に燃料に重り…。

16世紀のフランスでは、国王フランソワ1世がミイラを「薬」として飲むなど、ミイラは万能薬扱いでした。

香油とミイラ 古代エジプトのミイラの使い道

フランソワ1世(1494年-1547年) 1535年頃 ジャン・クルーエ ルーヴル美術館蔵
フランソワ1世(1494年-1547年) 1535年頃 ジャン・クルーエ ルーヴル美術館蔵

引用元:フランソワ1世

フランソワ1世って?と思われた方はアン・ブーリンはレオナルド・ダ・ヴィンチの姿を見掛けたか?

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『ゲイヤー-アンダーソンの猫』との思い出

高校の美術の授業で動物の立体模型を造ったのですが、私が見本に選んだのはこれでした。

この気品あるお姿に惹かれ、犬派でぶきっちょな私が、「この猫すてき。これ作ろう」となったのです。

もちろん出来上がったものは似ても似つかぬものでした。

しゅっとした姿に仕上げたくて、「ああでもない、こうでもない」と背骨になる針金を徹夜でぐるぐる回しているうちに、朝方、針金がぼっきり折れてしまいましてね。

もうね、心も折れましたよ。泣きました。その日の17時が提出期限でしたから。

学校を辞めたくなりました。

結局、提出時間をオーバーしましたが提出しました。

やっつけで作った、四つ足の、不格好な猫みたいなのを。

『ゲイヤー-アンダーソンの猫』を観るたび思い出します。

主な参考文献
  • 『エジプト神話の図象学』(クリスチアヌ・デローシュ=ノブルクール(著) 小宮正弘(訳) 河出書房新社
  • 『クレオパトラとエジプトの謎』 和田浩一郎(監修) 宝島社
  • 『古代エジプトの埋葬習慣』 和田浩一郎(著) ポプラ社
  • ティルディスレイ(著). 細川晶(訳). 2002-8-5. 『イシスの娘 古代エジプトの女たち』. 新書館.
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