バロック期に活躍したアンニ―バレ・カラッチの『聖ルカと聖カタリナの聖母』。聖カタリナと似たポーズを取る『聖マルガリータ』、その他ルーヴル美術館の収蔵品数点を掲載しました。
『聖ルカと聖カタリナの聖母』( L’Apparition de la Vierge à saint Luc et à sainte Catherine ) 1592年 アンニ―バレ・カラッチ
引用元:『聖ルカと聖カタリナの聖母』
ドゥノン翼712展示室 , INV 196 ; MR 119 L’Apparition de la Vierge à saint Luc et à sainte Catherine
画家一家カラッチ一族の重要人物、アンニーバレ・カラッチによる『聖ルカと聖カタリナの聖母』。
邦題は『聖母子の美術全史』(ちくま新書)を参考にしましたが、『聖ルカと聖カタリナに姿を現した聖母子』『聖ルカと聖カタリナへの聖母の出現』のようなタイトルになっている場合もあるかと思います。
引用元:『聖ルカと聖カタリナの聖母』
聖ルカの前に姿を現す聖母子。
驚いて見上げる聖ルカ。
聖母子の周りにもひとがいて、書物のようなものを持っている者もいますね。
Wikipedia では、この絵の、聖母子の周囲にいる四人のひとりがルカとあります。右上に羊皮紙のようなものを持っている人物がそうでしょうか。
引用元:『聖ルカと聖カタリナの聖母』
引用元:『聖ルカと聖カタリナの聖母』
引用元:『聖ルカと聖カタリナの聖母』
聖ルカは福音書の著者のひとりで、職業は医者だったとされます。
ルカの象徴は翼のある牛。
初めて聖母子の姿を描いた人物と言われ、医者だけではなく画家の守護聖人でもあります。
足元には絵を描くための道具、絵の具、絵筆、羊皮紙がありますね。
引用元:『聖ルカと聖カタリナの聖母』
しばしばルカは聖母子を描いている姿で描かれています。
ルカが画家でもあったとの記述は聖書にはありませんが、なぜ画家の守護聖人とされたのでしょうか。
『すぐわかるキリスト教絵画の見かた』から一部を引用します。
なぜルカが最初の聖母子の画家とされたのかの経緯は明らかではない。一説によると「ルカによる福音書」にイエスの幼年時代に関する記述が多いからともされるが、この伝説自体は六世紀からその存在が確認されている。
千足伸行(監修). 2009-4-20. 『すぐわかるキリスト教絵画の見かた』. 東京美術. p.137.
引用元:『聖ルカと聖カタリナの聖母』
冠を着け、書物を手にしている聖カタリナ(またはアレクサンドリアのカタリナ)はエジプトで生まれ、高い教育を受けました。
キリスト教の洗礼を受けたカタリナは、夢に現れた幼子イエスによって指に指輪をはめられ、「神秘の結婚」をしたとされます。
カタリナは時のローマ皇帝に求婚されますが、その求婚を断ります。
皇帝は50人の学者を送り、カタリナの信仰を打ち破ろうとしました。
しかし学者たちは逆にカタリナに論破されてしまい、キリスト教に改宗してしまいます。
怒った皇帝は学者たちを処刑しました。
カタリナも大釘の付いた車輪で処刑されそうになりますが、天から落ちた稲妻が車輪を破壊。
一旦は救われたカタリナでしたが斬首され、殉教しました。
よく見ると、カタリナの足元には彼女のシンボルである(壊れた)車輪があります。
引用元:『聖ルカと聖カタリナの聖母』
絵の来歴
この絵は、1589年、レッジョエミリア大聖堂(イタリア)の公証人礼拝堂の注文で描かれ、1592年に完成しました。
聖ルカは「画家と公証人の両方の守護聖人として選ばれた」ようです。
絵はレッジョエミリアの公証人礼拝堂に掛けられていましたが、1786年にモデナ公のギャラリーに移されます。
1798年、ナポレオンによる侵攻の際に略奪に遭い、未だ返却はされないまま、現在のルーヴル美術館に在ります。(参考:ルーヴル美術館, Wikipedia )
アンニーバレ・カラッチ( Annibale Carracci, 1560年11月3日 – 1609年7月15日)
カラッチは、上部に聖母子、下部に聖人を配置する構図を多く使用しました。
『聖母子の美術全史』ではラファエロの絵画『フォリーニョの聖母』を挙げ、ラファエロに倣った「ピラミッド構図」に言及しています。
『フォリーニョの聖母』( Madonna di Foligno ) 1511年 – 1512年 ラファエロ・サンツィオ ヴァチカン絵画館蔵
引用元:『フォリーニョの聖母』
聖母に対する敬愛、聖母像の変遷など、「聖母」に詳しくなりたい方向けです。この小さな書籍に研究の成果が詰まっています。私たちは安価でそれを手に入れることができる。本ってすごい。
『聖マルガリータ』( Santa Margherita ) 1599年 アンニーバレ・カラッチ サンタ・カテリーナ・デイ・フナーリ教会
引用元:『聖マルガリータ』
サンタ・カテリーナ・デイ・フナーリ教会にある、カラッチの『聖マルガリータ』。
ポーズが『聖ルカと聖カタリナの聖母』の聖カタリナとほとんど同じですね。
同時代のバロックの巨匠カラヴァッジォは、この『聖マルガリータ』が公開されたとき見に来ました。
そして長いこと眺めて、「自分の時代に真の画家を見ることができてうれしい」と言ったのだそうです。
口が悪かったというカラヴァッジォが賞賛したとなると、ただでさえ素晴らしい『聖マルガリータ』がさらに神々しく思えてしまいます。
関連記事 カラヴァッジォとカラッチのコラボ『聖母被昇天』『聖ペテロの磔刑』『聖パウロの回心』
『聖母の美術全史 ―信仰を育んだイメージ』『もっと知りたい カラヴァッジョ』の著者、宮下規久朗氏による《聖マタイの召命》。読む価値あります。
カラヴァッジォについてもっと知るなら
画家アンニーバレ・カラッチ
アンニーバレ・カラッチは、イタリアのボローニャを中心に活動した「ボローニャ派」の画家です。
兄アゴスティーノ、従兄ルドヴィーコも画家で、「カラッチ一族」などと称されます。
1585年頃に画学校を設立し、グイド・レーニ、ドメニキーノ、グエルチーノなど多くの画家たちを世に送り出しました。
引用元:自画像
ファルネーゼ枢機卿の庇護を受けたアンニーバレ・カラッチは、1597年頃、ドメニキーノやレーニたち弟子を総動員してファルネーゼ宮殿の天井装飾を手がけます。
しかしこの仕事に対する報酬は予想に反して低く、このことが原因となってカラッチはうつ病になってしまいました。
完成から数年後カラッチは亡くなりました。
カラッチの弟子のひとり、フランチェスコ・アルバーニもファルネーゼ宮の壁画制作にあたっています。
弟子フランチェスコ・アルバーニの絵画はこちら ルーヴルにあるボルケーゼの『眠れるヘルマフロディトゥス』
ファルネーゼ枢機卿
グラフィックアーツ学科(予約して閲覧可) , INV 7394, Recto Portrait d’Odoardo Farnese
ファルネーゼ宮殿天井画 1597年 – 1604年
引用元:『バッカスとアリアドネの勝利』
上の画像はファルネーゼ宮殿の天井画。
下のふたつはルーヴル美術館のサイトです。
ファルネーゼ宮殿の天井画のコピーです( 1700年頃? )。大きさは 15.7 × 29.5 cm とあります。
, RF 4333, Recto Le Triomphe de Bacchus et d’Ariane
アンニ―バレ・カラッチによる天井画のためのスケッチ( 1597 – 1602年頃 )。 大きさは 24.5 × 42.7 cm。
, INV 7184, Recto Le Triomphe de Bacchus et Ariane
こちらも観ておきたい!ルーヴル美術館にあるカラッチの聖母の絵
『さくらんぼの聖母』( La Vierge aux cerises ) 1500年代
引用元:『さくらんぼの聖母』
ドゥノン翼716展示室 , INV 194 ; MR 132 La Vierge aux cerises
『聖母の誕生』( La Naissance de la Vierge ) 1605年 – 1609年頃
引用元:『聖母の誕生』
ドゥノン翼716展示室 , INV 190 ; MR 113 La Naissance de la Vierge
『聖母の誕生』は、1605年にモデナ公チェーザレ・デステから注文された油彩画。
1609年にカラッチが亡くなったときはまだ未完成だったようです。
1797年ナポレオン侵攻時に略奪され、その後ルーヴル美術館のコレクションに加わったとのことです。(参考:Wikipedia, ルーヴル美術館の解説)
カラッチの作品を動画で鑑賞
Learn From Masters 様の動画です。巨匠カラッチ作品一気見ができます。
- 千足伸行(監修). 2009-4-20. 『すぐわかるキリスト教絵画の見かた』. 東京美術.
- 宮下規久朗(著). 2021-6-10. 『聖母の美術全史 ―信仰を育んだイメージ』. ちくま新書.
- 早坂優子(著). 2011-7-10. 『鑑賞のためのキリスト教美術事典』. 視覚デザイン研究所.
- 宮下規久朗(著). 2009-12-20. 『もっと知りたい カラヴァッジョ』. 東京美術.
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