ドメニキーノの『リナルドとアルミーダ』

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    トルクァート・タッソの叙事詩『エルサレムの解放』の物語のひとつ、「リナルドとアルミーダ」。ドメニキーノのアルミーダはとても魅力的です。

    『リナルドとアルミーダ』( Renaud présentant un miroir à Armide ) 121×168 cm 1617年-1621年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『リナルドとアルミーダ』 1617年-1621年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵

    展示室変更、貸し出し・修復中などで展示されていない場合もあります。美術館のサイトをご確認ください。

    目次

    『リナルドとアルミーダ』( Renaud présentant un miroir à Armide ) 1617年 – 1621年頃 ドメニキーノ

    ドゥノン翼716展示室Renaud présentant un miroir à Armide , INV 798 ; MR 185

    『リナルドとアルミーダ』( Renaud présentant un miroir à Armide ) 121×168 cm 1617年-1621年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『リナルドとアルミーダ』 121 × 168 cm 1617年 – 1621年頃 ドメニキーノ

    引用元:『リナルドとアルミーダ』

    果実が実る豊かな庭園でくつろぐふたりの男女。

    『リナルドとアルミーダ』( Renaud présentant un miroir à Armide ) 121×168 cm 1617年-1621年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『リナルドとアルミーダ』 ドメニキーノ

    引用元:『リナルドとアルミーダ』

    やや女性的な印象を受ける若者が差し出す鏡に自分を映し、身繕いをする女性。

    若者に向けて愛の矢を射かけるキューピッド(アモル)に、

    『リナルドとアルミーダ』( Renaud présentant un miroir à Armide ) 121×168 cm 1617年-1621年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『リナルドとアルミーダ』 ドメニキーノ

    引用元:『リナルドとアルミーダ』

    睦み合うキューピッドに鳩。ひとりのキューピッドは眠っているようです。

    鳩は愛と美を司る女神のアトリビュート(持ち物)ですね。

    『リナルドとアルミーダ』( Renaud présentant un miroir à Armide ) 121×168 cm 1617年-1621年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『リナルドとアルミーダ』 ドメニキーノ

    引用元:『リナルドとアルミーダ』

    ふたりを紐で結びつけているキューピッド。

    『リナルドとアルミーダ』( Renaud présentant un miroir à Armide ) 121×168 cm 1617年-1621年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『リナルドとアルミーダ』 ドメニキーノ

    引用元:『リナルドとアルミーダ』

    画面左上には、ふたりの様子を覗き見るような兵士姿の男性がいます。

    『リナルドとアルミーダ』( Renaud présentant un miroir à Armide ) 121×168 cm 1617年-1621年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『リナルドとアルミーダ』 ドメニキーノ

    引用元:『リナルドとアルミーダ』

    この「リナルドとアルミーダ」の着想は、16世紀に生きた詩人トルクァート・タッソの叙事詩『エルサレムの解放』(『解放されしエルサレム』)から取られています。

    ドメニキーノによる本作品は1966年、1993年にも来日しており、その時の図録から一部引用します。

    勇士ルノー(リナルド)は, アルミード(アルミーダ)の恋の虜となり, 香わしく美しい庭の奥に身をひそめ, キリスト教徒が, ソリマン(ソリマーノ)に打ち破られているというときに彼女の腕の中にあって栄誉も何も忘れてしまう。しかしやがて気をとりもどしてエルサレムの城壁に戻り, この神の都を十字軍の手に奪還する働きをする。

    ウインザーに残されている6点の準備のための素描から, ポープ・ヘネシーはこの作品を1610-1612年ごろ, つまり作者がまだカルラッチの影響下にあった時期のものとしている。

    『フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展』(1966年). 東京国立博物館. p.98.

    「カルラッチ」はドメニキーノの師匠であるアンニーバレ・カラッチ( Annibale Carracci, 1560年11月3日 – 1609年7月15日)です。

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    『リナルドとアルミーダ』 1734年 フランソワ・ブーシェ

    シュリー翼919展示室Renaud et Armide. , INV 2720 ; MR 1213

    『リナルドとアルミーダ』( Renaud et Armide ) 高さ 1.355 m 幅 1.705 m 1734年 フランソワ・ブーシェ ルーヴル美術館蔵
    『リナルドとアルミーダ』( Renaud et Armide ) 1734年 フランソワ・ブーシェ

    引用元:『リナルドとアルミーダ』

    18世紀の画家フランソワ・ブーシェによる『リナルドとアルミーダ』です。

    妖艶なアルミーダに鏡を向けるキューピッド。

    愛を乞うようにアルミーダを見るリナルドは武具を身に着けており、彼が騎士であることがわかります。

    至近距離でふたりの様子を覗く男たちもいますね。

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    ドメニキーノの「リナルド」

    薔薇色の衣装を身に着けたリナルドは、一見勇壮な騎士っぽく見えません。

    魔女アルミーダは、十字軍に参加した騎士リナルドを殺す筈でした。

    しかし逆に恋に落ちてしまい、リナルドを自分の魔法の島に連れ帰ります。

    リナルドはアルミーダの腕の中で、十字軍の騎士としての栄誉を忘れてしまいます。

    そのリナルドのもとへ届けられた鏡。

    愛が陥れた堕落を鏡に映しだすことは、リナルドを引き止めている魔力への対抗策であり、自尊心が沸き起こり、アルミーダが閉じ込めている快楽の世界から自らを引き離す力を与える。フランス語でル・ドミニカンと呼ばれるドメニコ・ザンビエーリ〔ドメニキーノ〕は、この〔リナルドが〕自分を取り戻す直前の瞬間を描いた。

    『ルーヴル美術館展 愛を描く』(2023年). 国立新美術館./ルーヴル美術館/日本テレビ放送網. p.13.

    愛の光景が繰り広げられている庭園の陰では、リナルドの仲間たちが、リナルドが自分の姿を鏡に映すのを待っています。

    ここにいるリナルドは勇猛な十字軍の戦士ではありません。アルミーダの虜です。

    ドメニキーノが描いたのは、本来の自分や自分の使命を思い出す直前の瞬間のリナルドです。

    バラ色のチュニックを着たリナルドの肉体は恋人と同様に白く、顔立ちも優美で男性的な属性は全て失われ、いわんや十字軍の兵士としての属性である「男根を暗示する武具〔兜や剣〕は、布から突き出た剣の柄というあからさまなもの以外の全てをなくしている。

    『ルーヴル美術館展 愛を描く』(2023年). 国立新美術館./ルーヴル美術館/日本テレビ放送網. p.14.
    『リナルドとアルミーダ』( Renaud présentant un miroir à Armide ) 121×168 cm 1617年-1621年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『リナルドとアルミーダ』 ドメニキーノ

    引用元:『リナルドとアルミーダ』

    強い男でも無力化してしまう、女の愛の魔力か。

    男性から見れば、女性とは男性を誘惑し、堕落させる危険な存在なのか。

    『アルミーダの庭のカルロとウバルド』 1685年 – 1690年頃 ジュゼッペ・パッセリ

    ドゥノン翼721展示室Charles et Ubalde dans le jardin d’Armide , RF 1997 23

    ※2025年4月現在展示されていません

    『アルミーダの庭のカルロとウバルド』( Charles et Ubalde dans le jardin d'Armide ) 95×108 cm 1685年-1690年頃 ジュゼッペ・パッセリ ルーヴル美術館蔵
    『アルミーダの庭のカルロとウバルド』( Charles et Ubalde dans le jardin d’Armide ) 95 × 108 cm 1685年 – 1690年頃 ジュゼッペ・パッセリ

    引用元:『アルミーダの庭のカルロとウバルド』

    2023年の『ルーヴル美術館展 愛を描く』でドメニキーノの絵画とともに来日しています。

    仲間の騎士リナルドをアルミーダの魔力から救うためにやってきたカルロとウバルド。

    ふたりの女から食事に招かれ、誘惑されます。

    髪をほどき、魅惑的な微笑みを浮かべる女。

    カルロとウバルドは女たちのもとを立ち去るという場面です。

    『カルロとウバルドの誘惑』 1629年 – 1630年頃 ジョヴァンニ・ビリヴェルト

    ドゥノン翼729展示室La tentation de Charles et Ubalde , RF 1986 65

    ※2025年4月現在展示されていません

    『カルロとウバルドの誘惑』( La tentation de Charles et Ubalde ) 1629年-1630年頃 ジョヴァンニ・ビリヴェルト ルーヴル美術館蔵
    『カルロとウバルドの誘惑』( La tentation de Charles et Ubalde ) 1629年-1630年頃 ジョヴァンニ・ビリヴェルト

    引用元:『カルロとウバルドの誘惑』

    こちらもドメニキーノの作品と一緒に2023年に来日。

    アルミーダからリナルドを救おうとするふたりを、女たちが誘惑します。

    ドメニキーノ( Domenichino, 1581年10月21日 – 1641年4月6日)

    ドメニキーノの肖像

    ドメニキーノの肖像(ドメニコ・ザンピエーリ、1581年-1641年) 1760年
    ドメニキーノの肖像(ドメニコ・ザンピエーリ、1581年 – 1641年) 1760年

    引用元:ドメニキーノの肖像

    ドメニコ・ザンピエーリ( Domenico Zampieri )は、イタリアのボローニャに生まれました。

    小柄だったことから「小さいドメニコ」(ドメニキーノ)と呼ばれます。

    ローマに出てきたドメニキーノは、アンニーバレ・カラッチに師事。

    ライバルにグイド・レーニがいます。

    ドメニキーノ胸像( Le Dominiquin ) 大理石 1818年 ジュリー・シャルパンティエ

    ドゥノン翼715展示室Le Dominiquin , LL 227 ; N 15634

    ドメニキーノ胸像( Le Dominiquin ) 大理石 1818年 ジュリー・シャルパンティエ ルーヴル美術館蔵
    ドメニキーノ胸像( Le Dominiquin ) 大理石 1818年 ジュリー・シャルパンティエ

    引用元:ドメニキーノ胸像 Jospe CC-BY-SA-3.0

    『狩りをする女神ディアナ』( La caccia di Diana ) 1617年 ドメニキーノ ボルケーゼ美術館蔵

    『狩りをする女神ディアナ』 225 cm×320 cm 1617年 ドメニキーノ ボルケーゼ美術館
    『狩りをする女神ディアナ』 225 × 320 cm 1617年 ドメニキーノ ボルケーゼ美術館蔵

    引用元:『狩りをする女神ディアナ』

    私の好きな絵画のひとつ、ドメニキーノの傑作『狩りをするディアナ』です。

    アルドブランディーニ枢機卿の依頼で制作されましたが、これに目をつけたシピオーネ・ボルケーゼ枢機卿に譲るよう迫られ、ドメニキーノは断ります。

    すると、欲しいものを入手するのに手段を問わないシピオーネ・ボルケーゼ枢機卿は、ドメニキーノに「教皇の甥を侮辱した罪」を着せ、牢に放り込んでしまいました。

    ドメニキーノは三日間閉じ込められたといわれています。

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    ディアナよりニンフに目が行く、ドメニキーノの『狩りをする女神ディアナ』

    フェルディナンド1世・ゴンザーガ( Ferdinando Gonzaga, Duke of Mantua, 1587年 – 1626年)

    フェルディナンド1世・ゴンザーガ( Portrait of Ferdinando I Gonzaga as a boy ) 1600年-1603年頃 ピーテル・パウル・ルーベンス
    フェルディナンド1世・ゴンザーガ 1600年 – 1603年頃 ピーテル・パウル・ルーベンス

    引用元:フェルディナンド1世・ゴンザーガ

    ルーベンスが描いた、若き日のマントヴァ公フェルディナンド・ゴンザーガ。

    ドメニキーノの『リナルドとアルミーダ』は1620年から1621年頃、マントヴァ公フェルディナンド・ゴンザーガのために描かれたようです。

    ルネサンス期の美術コレクター、イザベラ・デステやその息子フェデリーコ2世・ゴンザーガの流れを汲むフェルディナンドもやはり美術収集には熱心でした。

    フェデリーコ2世・ゴンザーガも美術愛好家

    コレッジョの神話画とウィリアム・ホガースの『当世風の結婚』(第四場)

    なかなか複雑なヨーロッパの名家をまるっと解説

    フェルディナンドの父ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ(1562年 – 1612年)も芸術や科学の庇護者でした。

    父ヴィンチェンツォは、作曲家クラウディオ・モンテヴェルディ、画家ピーテル・パウル・ルーベンスを雇い入れ、詩人トルクァート・タッソ(『エルサレム解放』)とも友人でした。

    ちなみに、ヴィンチェンツォの妻でフェルディナンドの母親であるエレオノーラ・デ・メディチはルーベンスの大作『マリー・ド・メディシスの生涯』で見ることができます。

    エレオノーラは、実妹でフランス王アンリ4世妃となったマリー・ド・メディシス(マリア・デ・メディチ)の隣に立つ黒衣の女性です。

    リシュリュー翼801展示室Le Débarquement de la reine à Marseille, le 3 novembre 1600 , INV 1774 ; MR 965

    『マリー・ド・メディシスの生涯』(1622年~1625年)より「マリーのマルセイユ到着」 ピーテル・パウル・ルーベンス ルーヴル美術館所蔵
    『マリー・ド・メディシスの生涯』(1622年 – 1625年)より「マリーのマルセイユ到着」 ピーテル・パウル・ルーベンス

    引用元:『マリー・ド・メディシスの生涯』

    フェルディナンドが亡くなった時、マントヴァの経済状態はどん底でした。

    ゴンザーガ・コレクションは売りに出されます。

    ゴンザーガ・コレクションのひとつだったヴィーナス像

    ルーベンスのおすすめ「レリー・ヴィーナス」

    1628年にはルーベンスの仲介で、英国王チャールズ1世が絵画や彫刻のコレクションをまとめ買いしています。

    ドメニキーノの『リナルドとアルミーダ』は収集家の手を経て、1685年にルイ14世に売却されました。

    リシュリュー翼853展示室Portrait de Charles 1er, roi d’Angleterre (1600-1649), à la chasse , INV 1236 ; MR 666

    『狩場のチャールズ1世』 1635年頃 アンソニー・ヴァン・ダイク
    『狩場のチャールズ1世』 1635年頃 アンソニー・ヴァン・ダイク

    引用元:『狩場のチャールズ1世』

    ルーヴル美術館にあるコレッジョの作品も元はゴンザーガ家のもので、持ち主はチャールズ1世、マザラン枢機卿、ルイ14世と変わりました。

    ドゥノン翼712展示室Vénus, Satyre et l’Amour endormi , INV 42 ; MR 163

    『眠れるヴィーナスとキューピッド、サテュロス』( Vénus, Satyre et l'Amour endormi ) 1524年-1527年の間 コレッジョ ルーヴル美術館蔵
    『眠れるヴィーナスとキューピッド、サテュロス』( Vénus, Satyre et l’Amour endormi ) 1524年-1527年の間 コレッジョ ルーヴル美術館蔵

    引用元:『眠れるヴィーナスとキューピッド、サテュロス』

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    ルーヴル美術館で見られるドメニキーノの絵画

    『羊飼いたちとエルミ二ー』 1622年 – 1625年頃

    ドゥノン翼716展示室Herminie chez les bergers , INV 799 ; MR 189

    『羊飼いたちとエルミ二ー』( Herminie chez les bergers ) 1622年 - 1625年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『羊飼いたちとエルミ二ー』( Herminie chez les bergers ) 1622年 – 1625年頃 ドメニキーノ

    引用元:『羊飼いたちとエルミ二ー』

    『リナルドとアルミーダ』と同じく、タッソの叙事詩『エルサレムの解放』から。

    この作品は, タッソーの『解放されしエルサレム』の女主人公エルミ二ー(エルミニア)が羊飼いたちの前に現れたところを主題としているが, 実際には作者の名声のもとになっていた山岳的風景画を描くための口実にすぎない。水も空も山も木も, すべては自然の永遠な構成元素という趣きを示し, 自然の偉大さや美しさに比していかに人間が小さいものであるかという当時のヨーロッパ絵画には目新しい感情がここに表されている。

    『フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展』(1966年). 東京国立博物館. p.98.

    収集家エバーハルト・ヤバッハ( Everhard Jabach, 1618年 – 1695年)を経て、1662年にルイ14世によって取得されました。

    この作品も1966年に来日し、『フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展』図録に書かれた来歴によると、

    本展に出品したドメニキーノの《ルノーとアルミード》の対幅としてトリアノンを飾るため1695年に大きく描き直された。

    『フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展』(1966年). 東京国立博物館. p.98.

    とあります。

    『聖母子と聖ヨハネ(「沈黙」または「カラッチの沈黙」)』 1605年頃

    La Vierge et l’Enfant Jésus avec saint Jean, dit aussi Le Silence, ou encore Le Silence du Carrache , INV 195 ; MR 114

    『聖母子と聖ヨハネ(「沈黙」または「カラッチの沈黙」)』( La Vierge et l'Enfant Jésus avec saint Jean, dit aussi Le Silence, ou encore Le Silence du Carrache ) 38 × 47 cm 1605年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『聖母子と聖ヨハネ(「沈黙」または「カラッチの沈黙」)』( La Vierge et l’Enfant Jésus avec saint Jean, dit aussi Le Silence, ou encore Le Silence du Carrache ) 38 × 47 cm 1605年頃 ドメニキーノ

    引用元:『聖母子と聖ヨハネ(「沈黙」または「カラッチの沈黙」)』 Sailko CC-BY-SA-3.0

    解説欄に、「英国ロイヤルコレクションのハンプトンコート宮殿に収蔵されているアンニーバレ・カラッチの絵画に若干の変更を加えて、1605年頃に描かれた複製」とあります。

    この作品もルイ14世に購入され、1797年までルーヴルに移されるまでヴェルサイユ宮殿に在りました。

    参考として、ドメニキーノの師カラッチの絵も掲載しました。

    『聖母子と洗礼者聖ヨハネ (「沈黙」) 1599年 - 1600年頃 アンニーバレ・カラッチ ハンプトンコート宮殿蔵
    『聖母子と洗礼者聖ヨハネ (「沈黙」) 1599年 – 1600年頃 アンニーバレ・カラッチ ハンプトンコート宮殿蔵

    引用元:『聖母子と洗礼者聖ヨハネ (「沈黙」)』

    『聖母子と聖フランチェスコ』 1621年 – 1625年頃

    ドゥノン翼716展示室La Vierge à l’Enfant avec saint François (ou saint Antoine de Padoue) , INV 791 ; MR 180

    『聖母子と聖フランチェスコ』( La Vierge à l'Enfant avec saint François (ou saint Antoine de Padoue ) 43 × 36 cm 1621年-1625年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『聖母子と聖フランチェスコ』( La Vierge à l’Enfant avec saint François (ou saint Antoine de Padoue ) 43 × 36 cm 1621年-1625年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵

    引用元:『聖母子と聖フランチェスコ』

    『聖母子と聖フランチェスコ』( La Vierge à l'Enfant avec saint François (ou saint Antoine de Padoue ) 43 × 36 cm 1621年-1625年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『聖母子と聖フランチェスコ』 ドメニキーノ

    引用元:『聖母子と聖フランチェスコ』 Sailko CC-BY-SA-3.0

    1625年、アンリ4世妃マリー・ド・メディシスに献上された作品。

    ルイ14世のコレクション。

    『聖セシリアと楽譜を持った天使』 1600年 – 1625年頃

    ドゥノン翼716展示室Sainte Cécile avec un ange tenant une partition musicale , INV 793 ; MR 181

    『聖セシリアと楽譜を持った天使』( Sainte Cécile avec un ange tenant une partition musicale ) 160 × 120 cm 1600年-1625年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
    『聖セシリアと楽譜を持った天使』( Sainte Cécile avec un ange tenant une partition musicale ) 160 × 120 cm 1600年 – 1625年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵

    引用元:『聖セシリアと楽譜を持った天使』

    楽器を手にしているのは聖セシリア(聖チェチリア)。

    元ルドヴィシ枢機卿のコレクションでしたが、1662年にルイ14世のコレクションに加わったようです。

    ドゥノン翼で見られるドメニキーノ作品

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