18世紀ロココ絵画の先駆けとなったアントワーヌ・ヴァトー。今回は小説の表紙に使われた神話画『ニンフとサテュロス(ユピテルとアンティオぺー)』です。
『ニンフとサテュロス(ユピテルとアンティオぺー)』( Nymphe et satyre, dit parfois Jupiter et Antiope ) 1716年 アントワーヌ・ヴァトー
優雅で、どこか哀愁が漂う雅宴画で知られる18世紀の画家アントワーヌ・ヴァトー(ワトーとも表記 Antoine Watteau, 1684年10月10日-1721年7月18日)による神話画です。
引用元:アントワーヌ・ヴァトーの肖像
「ニンフとサテュロス」または「ユピテルとアンティオぺー」
森の中、白い裸身をさらして無防備に眠るニンフ(精霊)に、そっと近づくサテュロス(半人半獣の精霊)。
好色な目を向けつつ、サテュロスが慎重な手つきでニンフから布を取り去る、という場面です。
酒神デュオニュソスの従者でもあるサテュロスの頭には、デュオニュソスにちなむ葡萄の葉の冠が。
この作品は『ニンフとサテュロス』の他に、 『ユピテルとアンティオぺー』という名も付いています。
『ユピテルとアンティオぺー』の物語は、古代ローマ、詩人オウィディウスの『変身物語』から。
テバイ王の美しい娘アンティオぺーを見初めた神ユピテル(ギリシア神話のゼウス)はサテュロスに姿を変え、眠るアンティオぺーに近付きます。
ユピテルと交わったアンティオぺーは双子を妊娠。
その後アンティオぺーは大変な苦労を強いられることになります。
ユピテル?サテュロス?
サテュロスまたは神ユピテル(ゼウス)が、眠るニンフまたはアンティオぺーにそっと近づき、その衣服をはぎ取る。
このような場面は、女性のヌードを描く口実に使われました。
「これは神話の中の場面であって、生身の女性の裸を描いたわけではないんですよ」という「言い訳」ですね。
『名画で読み解くギリシア神話』では同じ主題のヴァン・ダイクの絵画が挙げられていますが、ヴァン・ダイクの絵には、この毛むくじゃらの人物が実は主神ユピテル(ゼウス)であることを示すための目印が描かれています。
ユピテルの持ち物(アトリビュート)は鷲、雷電です。
引用元:『ユピテルとアンティオぺー』
ヴァン・ダイクの鷲は雷電、稲妻を加えていますよね。
ということは、ここにいるのはサテュロスではなく、サテュロスに変身した主神ユピテルであると判ります。
引用元:『ユピテルとアンティオぺー』
ヴァトーの作品には鷲などのユピテルの目印がありません。
ヴァトーは「ユピテル」、「サテュロス」、どちらを描いたのでしょうか。
『ギリシア神話の名画はなぜこんなに面白いのか』にはこのような記述もあります。
今こういう絵を持っている美術館は、どっちの名前を付けてよいのか困るよね。ご先祖様が昔この絵を「ゼウスとアンティオぺ」と言われて購入したけれども、子孫がルーヴル美術館に寄贈したら、今の画題にはただの「サテュロスとニンフ」か、あるいはゼウスの名は( )の中にしか残っていない。図象学的な証拠がないから変えられたのはやむを得ないけれども、この絵が流通した昔の伝承は、今でも大事に生かすべきだと思うのだけどなあ。
井出洋一郎. 2011-6-26. 『ギリシア神話の名画はなぜこんなに面白いのか』. 中経の文庫. pp.31-32.
『ユピテルとアンティオぺ―』を寄贈した筈なのに、後世に美術館に展示された時には『ニンフとサテュロス』のように、違うタイトルになっていた、と。
下の絵画もかつては『ユピテルとアンティオぺー』の名で呼ばれていましたが、現在は「ヴィーナスとサテュロス」「ニンフとサテュロス」を描いたものとされています。
『眠れるヴィーナスとキューピッド、サテュロス』( Vénus, Satyre et l’Amour endormi ) 1524年-1527年の間 コレッジョ ルーヴル美術館蔵
『眠れるヴィーナスとキューピッド、サテュロス』( Vénus, Satyre et l’Amour endormi )
展示場所:ドゥノン翼、712展示室
書籍によっては『ユピテルとアンティオぺー』になっているかもしれません。
この作品を収蔵しているルーヴル美術館では、現在は『眠れるヴィーナスとキューピッド、サテュロス』となっています。
『ニンフとサテュロス』( Nymph snd Satyrs ) 1527年 二コラ・プッサン ナショナル・ギャラリー蔵
引用元:『ニンフとサテュロス』
『官能美術史』によれば、この『ニンフとサテュロス』も長く『ユピテルとアンティオぺー』の主題と見なされていたようです。
とても勉強になる書籍だと思います。今回のヴァトーの絵画、プッサンの絵画も掲載されています。「裸の絵」って奥が深いと改めて感じますね。海外の美術館、美術展に行く前に読むと役に立ちそうです。
有名絵画を観る前に神話の知識をGET。
他にも多くの書籍が出ています。
下に挙げた2冊は電子書籍は出ていませんが、神話の場面の解説、名画とその見所が解説されています。
『シャンゼリゼ(エリュシオンの園)』( Les Champs Elysées ) 1717年-1718年頃 アントワーヌ・ヴァトー ウォレス・コレクション蔵
英国の美術館にあるヴァトーの絵画。
美しい身なりの男女が談笑している場面ですが、右に立つ男性をご覧ください。
その頭上にはある彫刻が…。
右腕に頭をのせ、足を少しずらして眠るポーズは『ニンフとサテュロス(ユピテルとアンティオぺー)』とほぼ同じです。
『ニンフとサテュロス』では、眠る女性を眺めていたのはサテュロスでしたが、今この像を見ているのは、ちょっと変わった衣装に身を包んだ男性です。
動画でヴァトーの作品を鑑賞
LearnFromMasters 様の動画では、解説はありません。
麗しいロココの絵画に泣けてきます。
ルーヴル美術館にあるヴァトーの絵画
素描も含めればこんなもんじゃない数なのですが、ここでは5点ご紹介します。
サテュロスのためのスケッチ( Satyre soulevant une draperie
) 1715年頃 アントワーヌ・ヴァトー
引用元:サテュロスのためのスケッチ
『サテュロスのためのスケッチ』( Satyre soulevant une draperie )
グラフィックアーツ相談室で予約して閲覧可
一緒にニンフのスケッチが無いのが残念。
『ディアナの水浴』( Diane au bain ) 1715年頃 アントワーヌ・ヴァトー
引用元:『ディアナの水浴』
展示場所:シュリー翼、917展示室
『二人の従姉妹』( Les deux Cousines ) 1716年頃 アントワーヌ・ヴァトー
引用元:『二人の従姉妹』
展示場所:シュリー翼、918展示室
『シテール島への巡礼』( Pèlerinage à l’île de Cythère ) 1717年 アントワーヌ・ヴァトー
引用元:『シテール島への巡礼』
『シテール島への巡礼』( Pèlerinage à l’île de Cythère )
展示場所:シュリー翼、917展示室
『ピエロ』( Pierrot ) 1718年頃 アントワーヌ・ヴァトー
引用元:『ピエロ』
自宅で美術館の名品を鑑賞
ジュースキントの小説『香水 ある人殺しの物語』の表紙
2007年の映画『パフューム ある人殺しの物語』の原作。
18世紀のフランスを舞台にした、ある調香師の物語です。
香水、調香師と聞くと、なんだかロマンティックな物語を想像してしまいそうですが、ちょっと違います。「処女の香り」、「殺人」がこの小説のキーワード。
ヴァトーの表紙に惹かれ、ドイツ語版にチャレンジしてみましたが…わっかんねー。という感想でした。そんな感想ですみません。もちろん私のショボい語学力のせいです。前半は結構面白かったんですけどね。
その後日本語版で読み直しましたが、やっぱり難解でした。
好き嫌いも大きく分かれる作品だと思います。
時間を置いて読めば、また違う印象を持つかも、とまだしつこく手元に持っています。
- 吉田敦彦(監修). 2013-7-20. 『名画で読み解くギリシア神話』. 世界文化社.
- 井出洋一郎. 2011-6-26. 『ギリシア神話の名画はなぜこんなに面白いのか』. 中経の文庫.
- 池上英洋. 2014-11-10. 『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』. 筑摩書房.
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