自分大好き「ナルシスト」の語源になった神話『エコーとナルキッソス』。バロック期に活躍したフランスの画家プッサンが描いた、ナルキッソスの死の場面です。
『エコーとナルキッソス』( Echo et Narcisse ) 1628年-1630年 二コラ・プッサン ルーブル美術館蔵
引用元:『エコーとナルキッソス』
『エコーとナルキッソス』( Echo et Narcisse )
展示場所:リシュリュー翼、909展示室
画面の手前には青年が倒れています。
悲し気に彼を見つめ、今にも消え入りそうな女性の名前はエコー。
引用元:『エコーとナルキッソス』
引用元:『エコーとナルキッソス』
エコーの顔がぼやけてはっきりしませんね。
引用元:『エコーとナルキッソス』
ナルキッソスに足をかけ、松明(たいまつ)を持つキューピッド。
バロック・ロココの名品が掲載されています。解説もわかりやすく、欧州の絵画を観るならその前に必読です。
『エコーとナルキッソス』の物語
エコーの恋
ギリシャ神話のひとつで、ローマ時代のオウィデイウスの『変身物語』による、「ナルシスト」「ナルシズム」の語源となった物語です。
男性女性関係なく求愛される美貌の持ち主、狩人のナルキッソス。
木霊(こだま)のニンフであるエコーも、ナルキッソスにすっかり心を奪われてしまいました。
かつておしゃべりだったエコーは、女神ヘラの怒りによって声を奪われ、今ではただ相手の言葉を繰り返すことしかできません。
ナルキッソスに恋をしても自分から話しかけることはできないのです。
ナルキッソスの前に姿を現したエコーは、腕を彼の首に巻き付けようとします。
するとナルキッソスは、「君の言う通りになるなら死んでしまうよ」と言い、エコーを残してその場を去ってしまいました。
「君の言う通りになるなら…」エコーは悲しくナルキッソスの言葉を繰り返します。
森の洞窟に引きこもったエコーは次第に身も心もやつれて行きました。
そしてついに声だけを残し、身体は石と化してしまいます。
ナルキッソスの恋
一方、ナルキッソスはエコーにしたことと同じ仕打ちを他の者にもしていました。
恨みに思った相手は復讐の女神に祈ります。
「どうか、ナルキッソスにも身を焦がすような、かなわぬ恋をさせてください」
女神はその願いを聞き入れました。
ある時、山の奥の泉で喉を潤そうとしたナルキッソスは息を呑みます。
泉の中にいたのは、見たこともないほど美しい少年でした。
少年 -水面に映った自分自身- に激しい恋をしたナルキッソス。
口付けしようとしても、この腕に抱こうとしても、ナルキッソスの想いは叶うことはありません。
苦しい恋に身を焦がしたナルキッソスはその場を動くことができなくなりました。
寝食も忘れて水面に映った自分自身を見つめ続けるナルキッソス。
泉のほとりで力尽きてしまいます。
「むなしい恋の相手だった少年よ、さようなら」
「さようなら」
エコーはナルキッソスの最後の言葉を繰り返します。
ナルキッソスの命の火が消えたあと、そこには亡骸(なきがら)の代わりに、水仙の花が咲いていました。
(参考:『ギリシア神話の名画はなぜこんなに面白いのか』 井出洋一郎(著) 中経の文庫)
引用元:『エコーとナルキッソス』
『ギリシア・ローマ神話の絵画【改訂版】』によれば、キューピッドが持つ松明はナルキッソスの消えゆく生命の灯を象徴。
さらには、葬儀の松明や火葬台の火というニュアンスも含んでいる、とあります。
息絶えたナルキッソスを悼んで水の精たちは髪を切って供え、森の精たちも嘆き悲しんだ。だが、死体が消えていた。そのかわりに、白い花びらにまわりをとり巻かれた黄色い水仙の花が見つかった」と『変身物語』は伝えている。
千足伸行(監修). 2014-11-15. 『すぐわかるギリシア・ローマ神話の絵画【改訂版】』. 東京美術. p.115.
プッサンのナルキッソスの周りにも花が咲いています。
死にゆくナルキッソスを見つめるエコー
「フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展」では、「プーサンは, このふたつの物語を1枚の画面に表現している。」との記述があります。
エコーのナルキッソスに対する恋の物語。
ナルキッソスの自分自身への恋物語。
ナルキッソスに振られたエコーは洞窟に引きこもり、悲恋の心痛からやがてその身は石になり、声だけの存在になってしまいました。
プッサンのナルキッソスの物語のラストシーンには、エコーの姿も描かれています。
でも、ナルキッソスが死にゆく場面に、声だけのエコーの「姿」は「無い」筈では?
「声だけ」になったエコーを視覚化するのは不可能ですが、『西洋絵画の歴史 2 バロック・ロココの革新』内の言葉を借りれば、プッサンはエコーを「背景の石に溶け込むような色調で」描きました。
「フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展」にはこのような記述もあります。
レントゲン線調査によれば, この作品は, もうひとつの別の大きな絵の描いてあったカンヴァスを切って再度使用したものであることがわかる。エコーの身体がややぼけたような描き方になっているのは, おそらく絵具の層を以前の色の上に重ねたせいであろう。
「フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展」(1966年). 東京国立博物館.
悲し気にナルキッソスを見やるエコーの姿はとても印象に残るものになりました。
後世の画家、例えば英国の J. W. ウォーターハウスもプッサンに倣い、エコーとナルキッソスを同じ画面に描いています。
『エコーとナルキッソス』の来歴(かつての持ち主はルイ14世)
ルーヴル美術館の来歴欄には、「 Angelo Giori 枢機卿(1586年-1662年)のために描かれた可能性がある」とあります。
「フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展」の図録によると、「おそらく1660年, ド・モンコニス M. de Monconys によってローマで購入されたものと推定される」とのこと。
この作品は1683年には既にルイ14世の所蔵でした。
ニコラ・プッサン( Nicolas Poussin, 1594年6月15日-1665年11月19日)
「哲人画家」とも称されるプッサン(プーサンとも表記)はフランス生まれのフランス人ですが、人生の多くの時間をイタリアのローマで過ごしました。
1640年、フランス国王ルイ13世の要請でプッサンは帰国。
しかし母国での滞在はわずか二年間でした。
プッサンはローマに戻り、1665年に同地で亡くなります。
ルイ13世の次の国王であるルイ14世の首席画家シャルル・ル・ブラン( Charles Le Brun, 1619年-1690年)は、ローマでプッサンに学びました。
ル・ブランは王立絵画彫刻アカデミーの設立に尽力します。
アカデミーの会長に就任したル・ブランは、師プッサンの芸術理論を継承。
フランスの美術アカデミーはプッサンを最高の規範としたのです。
『西洋絵画の歴史 2 バロック・ロココの革新』から一部引用します。
プッサンはフランス人だが、画家としての活動の舞台はイタリアであり、ローマに骨を埋めた。にもかかわらず、17世紀のフランスを代表する画家と見なされているのは、彼のおもなパトロンがフランスの貴族や知識人たちであり、プッサンは彼らに作品を送り続けて故国の画壇に強い影響力を与えたからである。
高階秀爾(監修). 高橋裕子(著). 2016-2-6. 『西洋絵画の歴史 2 バロック・ロココの革新』. 小学館101ビジュアル新書. 小学館. p.102.
フランスでの名声とは逆に、イタリアではプッサンは「マイナーな存在」だったと高橋氏は書いておられます。
イタリアでは大画家は大規模な祭壇画や公共建築の壁画を手がけるのに対し、プッサンはもっぱら個人の邸宅向けの、中規模のイーゼル画を制作していました。
様式面においても、強烈な明暗対比や観る者を絵画世界に引き込む壮大で華麗なイリュージョンより、『アルカディアの牧人たち』に見られるような、「整然たる構図と端正な人物像、そこから生まれる静かで瞑想的な雰囲気」の「古典主義的」な特性がより強く表れています。
芸術家の肖像( Portrait de l’artiste ) 1650年 二コラ・プッサン ルーヴル美術館蔵
引用元:『芸術家の肖像』
展示場所:リシュリュー翼、825展示室
ルーヴル美術館の解説では、このプッサンの自画像は1649年9月から1650年5月の間に、フランスの作家で芸術理論家シャンテルー( Paul Fréart de Chantelou, 1609年-1694年)のために描かれたそうです。
ポール・フレアール・ド・シャンテルーは、ルイ13世によるプッサンの招聘(しょうへい)に関わった人物です。
ルーヴル美術館にあるプッサンの『マナの収集』はシャンテルーのために制作されました。
プッサンがローマに帰ってしまった後もふたりの交流は続き、プッサンはローマからこの自画像をシャンテルーに送ったのです。
ルーヴル美術館にあるプッサンの絵画を堪能する
『ギターを演奏する女のいるバッカス祭』( Bacchanale à la joueuse de guitare ) 1628年頃 ニコラ・プッサン ルーヴル美術館蔵
『ギターを演奏する女のいるバッカス祭』( Bacchanale à la joueuse de guitare )
展示場所:リシュリュー翼、826展示室
(東京国立博物館の「フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展」(1966年)では『ルートを奏する女のいるバッカス祭』( la Bacchanale à la joueuse de Luth )というタイトルになっています。
こちらを参考に「ルート」(リュート)を「ギター」に、「奏する」を「演奏する」にさせていただきました。もし他に既存の、または適切な邦題をご存知でしたらこちらからお知らせください。よろしくお願い致します)
『アシュドッドのペスト』( La Peste d’Asdod ) 1630年頃 ニコラ・プッサン ルーヴル美術館蔵
引用元:『アシュドッドのペスト』
『アシュドッドのペスト』( La Peste d’Asdod )
展示場所:リシュリュー翼、826展示室
邦題は「アシュドッド」が「アシドト」、「ペスト」が「疫病」となっている場合もあります。
旧約聖書サムエル記の場面を描いています。
『サビニの女たちの掠奪』( L’enlèvement des Sabines ) 1637年-1638年頃 ニコラ・プッサン ルーヴル美術館蔵
引用元:『サビニの女たちの掠奪』
『サビニの女たちの掠奪』( L’enlèvement des Sabines )
展示場所:リシュリュー翼、825展示室
『マナの収集』( Les Israélites recueillant la manne dans le désert ) 1637年-1639年 二コラ・プッサン ルーヴル美術館蔵
引用元:『マナの収集』
展示場所:リシュリュー翼、825展示室
『アルカディアの牧人たち』( Les bergers d’Arcadie ) 1638年-1640年頃 ニコラ・プッサン ルーヴル美術館蔵
引用元:『アルカディアの牧人たち』
『アルカディアの牧人たち』( Les Bergers d’Arcadie )
展示場所:リシュリュー翼、825展示室
「アルカディア」とは、古代ギリシャの理想郷のこと。
4人の牧人が墓石に刻まれているラテン語の銘文を見ています。
その銘文「エト・イン・アルカディア・エゴ」(Et in Arcadia ego, 我もまたアルカディアにあり)の解釈は分かれています。
『オルフェウスとエウリュディケのいる風景』( Orphée et Eurydice ) 1650年頃 ニコラ・プッサン ルーヴル美術館蔵
『オルフェウスとエウリュディケのいる風景』( Echo et Narcisse )
展示場所:リシュリュー翼、909展示室
こちらも神話画、竪琴の名手オルフェウスと愛妻エウリュディケの物語。
エウリュディケが蛇に咬まれる直前の場面です。
動画でプッサンの作品一気鑑賞
LearnFromMasters 様の動画では、解説はありませんが、プッサンの作品を一気に観ることができます。
- 「フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展」.(1966年)国立博物館.
- 高階秀爾(監修). 高橋裕子(著). 2016-2-6. 『西洋絵画の歴史 2 バロック・ロココの革新』. 小学館101ビジュアル新書. 小学館.
- 井出洋一郎(著). 2011-6-26. 『ギリシア神話の名画はなぜこんなに面白いのか』. 中経の文庫.
- 木村泰司(著). 2019-12-5. 『時代を語る名画たち』. ぴあ.
- 千足伸行(監修). 2014-11-15. 『すぐわかるギリシア・ローマ神話の絵画【改訂版】』. 東京美術.
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