19世紀末、フランス人画家ギュスターヴ・モローが描いた『オルフェウス』。若い娘が男の首と竪琴を抱えている絵です。
『オルフェウス』( Orpheus ) 1865年 ギュスターヴ・モロー
引用元:『オルフェウス』
若い女性が抱くのは、竪琴に載った頭部です。
頭部はオルフェウスという名の竪琴の名手。
引用元:『オルフェウス』
それにしても美しい衣裳ですね。手の込んだ刺繍、エキゾチックな柄。
この女性はオルフェウスにとって、サロメやユディットのように、自身の運命を左右する「運命の女(ファム・ファタル)」だったのでしょうか。
引用元:『サロメ』
美術史美術館:Judith mit dem Haupt des Holofernes
サロメは自分を拒絶した男の首を、ユディットは討ち取った敵将の首を持っています。
19世紀末には、男を不幸に落とす「運命の女」のテーマが好まれました。
女たちはその瞳、その髪で、男たちを誘惑します。
ギュスターヴ・モローの『オルフェウス』は1866年のサロンに出品されました。
サロンのカタログに紹介されたグュスターヴ・モローの詩的な作品には、「若い娘がトラキアの岸でエーブル川に沿って流れ着いたオルフェウスの頭と彼の竪琴をうやうやしく持つ」というコメントが添えられていた。グュスターヴ・モローは英国のラファエル前派主義者同様に伝統的な図像とは縁を切り、この時すでに象徴主義を唱えていた。
Septembre 2000. 『オルセー美術館 絵画』. EDITIONS SCALA. pp.34-35.
このコメントから、オルフェウスを殺害したのはこの女性ではないことがわかりますね(^^;。
いくつかの書籍では『オルフェウス』は『オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘』などとなっています。
なぜ娘が首を運んでいるかというと、
酒神ディオニュソスを軽んじて彼の巫女たちに八つ裂きにされ、竪琴と一緒に海に流されたオルフェウス。流れ着いた生首を拾って弔った親切なトラキアの娘が、まるでオルフェウスを殺した❝運命の女❞であるかのように描かれていて、ちょっと気の毒です。
山田五郎(著). 2018-3-10. 『知識ゼロからの西洋絵画 困った巨匠たち対決』. 幻冬舎. p.85.
とあるように、拾って弔っただけなのにね…サロメとかユディットの印象が強くてですね…つい、彼女がオルフェウスを…と。
また、このオルフェウスの首のモデルについてこのような記述があります。
幻想画家モローによって描かれたオルフェウスの首は、ミケランジェロの作品「瀕死の奴隷」の石膏マスクをモデルに描かれたという。
春燈社(編集・執筆). 2020-8-5. 『怖くて美しい名画』. 春燈社. p.72.
引用元:『瀕死の奴隷』 Jörg Bittner Unna CC-BY-SA-3.0
似てる?ような。
オルフェウスと妻エウリュディケ
ギリシア神話に登場する吟遊詩人オルフェウス(またはオルぺウス、オルフェ)。
父親はアポロン神ともいわれます。
そのせいか、オルフェウスの歌声と竪琴の音色は森の動物たちや草花、木々、石までが聞き惚れるほどでした。
『動物たちを魅了するオルフェウス』 1740年 フランソワ・ブーシェ
オルフェウスには愛する妻、木の精のニンフ・エウリュディケがいました。
しかし、エウリュディケは誤って踏みつけてしまった毒蛇に噛まれ、命を落としてしまいます。
妻の死を嘆き悲しんだオルフェウスは、歌も竪琴を奏でることも止めてしまいました。
『オルフェウスとエウリュディケのいる風景』 1650年頃 ニコラ・プッサン
プッサンの絵は蛇に咬まれる直前の場面です。
後ろではローマのカステル・サン・タンジェロが炎上して煙を噴き上げていて、もう不吉な感じですね。
『エウリュディケの墓で嘆くオルフェウス』 1891年頃 ギュスターヴ・モロー
妻に逢いたい。その一心で、冥界へ向かったオルフェウス。
その竪琴でステュクス川の渡し守カロンや番犬ケルベロスを和ませ、冥界の王ハデスと妃のペルセフォネとの面会に成功します。
『ハデスとペルセフォネを前にしたオルフェウス』 1645年頃 フランソワ・ペリエ
『オルフェウスとエウリュディケ』 1709年頃 ジャン・ラウー
引用元:『オルフェウスとエウリュディケ』
ラウーのオルフェウスは竪琴でなく、ヴァイオリンを持っています。
左上には冥界の王夫妻。
その下に”運命の糸”を操って人の寿命を決定するモイライの三姉妹。右下に永遠の渇きに苦しむタンタロス、画面上部に、坂を落ちる岩を永遠に運び上げるシシュポスが描かれ、冥界の群像劇が表されています。
ペン編集部(編). penbooks. 022. 「美の起源、古代ギリシャ・ローマ』. p.209.
オルフェウスの演奏に感動した王夫妻は、エウリュディケを地上に連れ帰ることを許可しました。
ただし、「地上への道すがら決してエウリュディケを振り返らないこと」という条件をつけて。
『オルフェウスとエウリュディケ』 1862年頃 エドワード・ポインター
引用元:『オルフェウスとエウリュディケ』
『冥界からエウリュディケを導くオルフェウス』 1861年頃 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
ヒューストン美術館:Orpheus Leading Eurydice from the Underworld
引用元:『冥界からエウリュディケを導くオルフェウス』(部分)
幻想的な絵ですね。
重たい空気感で、冥界らしく?靄がかかっています。
エウリュディケは感情を表すことなく、先を急ぐ夫の手に引かれて淡々と道を歩いているようです。
しかし、あと少しというところでオルフェウスはエウリュディケを振り向いてしまいます。
エウリュディケは闇の中へ消えて行きました。
独り地上に戻ったオルフェウス。
以降オルフェウスは女性との愛を断ちます。
オルフェウスが酒神ディオニュソスを軽んじたことから、彼の巫女たち(ディオニュソス信者たち)は彼を八つ裂きにします。
オルフェウスの頭部と竪琴は川に流されました。
モロー以降のオルフェウス
デルヴィル、ウォーターハウスの『オルフェウス』
流れてきた詩人の首と竪琴を大事そうに拾い上げる、モローのトラキアの娘。
竪琴の上の首の構図はモロー独自のものでした。
本作は、1903年のモロー美術館公開まで、一般に公開されていた唯一の作品で、デルヴィルやウォーターハウスなどに影響を与え、水面に浮かぶ竪琴と首が描かれます。
平松洋(著). 2015-9-28. 『ビジュアル選書 名画の謎を解き明かすアトリビュート・シンボル図鑑』. KADOKAWA. p.152.
英国の画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは『オルフェウスを見つけたニンフたち』を、ベルギー出身の画家ジャン・デルヴィルは『オルフェウスの死』を描いています。
モローやデルヴィルは象徴主義を代表する画家ですが、「形のない概念を目に見える対象に象徴させて描く象徴主義」は当時のヨーロッパで流行し、後のアール・ヌーヴォーなど世紀末芸術に大きな影響を与えました。
また、19世紀半ばの英国では、ミレー(『オフィーリア』)やロセッティ(『白日夢』『プロセルピナ』)により、ラファエル前派が結成されました。
引用元:『プロセルピナ(ペルセフォネ)』
『オルフェウスを見つけたニンフたち』( Nymphs Finding the Head of Orpheus ) 1900年 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
1849年生まれのウォーターハウスはラファエル前派の正式なメンバーではありませんが、ウォーターハウスの絵画には美しいけれど無表情で人間味を感じさせないニンフたちが多く登場し、ロセッティやバーン=ジョーンズを連想させる「つれなき美女」「運命の女」たちの姿を見ることができます。
デルヴィルの作品は Wikipedia 等の画像からは探せなかったため、こちらのサイトをご紹介します。
また、幻想的な絵画で知られるフランス人画家オディロン・ルドンも、このようなオルフェウスの首と竪琴を他にも描いています。
引用元:『オルフェウス』
八つ裂きにされた筈のオルフェウスですが、どの顔にも苦悶や恐怖は浮かんでおらず、むしろ穏やかです。
きっと冥界でエウリュディケと再会できたのでしょう。
『オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘』とサロメ
引用元:『出現』
20代はアール・ヌーヴォーや世紀末芸術にハマっていましてね。アルノルト・ベックリン、ラファエル前派、大好きでした。
この『オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘』やサロメも本物見たさにオルセー美術館、ギュスターヴ・モロー美術館に何度か出掛けて行きました。
今思うと、女が男を斬首する場面の絵ばかり観ていた気がします。
いや、耽美とかね、退廃的なムードに惹かれていたんですよ。ちょうど20世紀も終わる頃でしたからね。
もしあなたがルーヴル美術館、オルセー美術館に行く計画を立てているなら、ちょっと時間を取って、モロー美術館も訪れてみることをお勧めします。そんなに遠くないですしね。
私が行った時は観光客も少なく、画家のお宅にお邪魔したような気がしました。
当時の「世紀末」の雰囲気、生活感に包まれて、タイムスリップした感じがしますよ。きっと。
- Septembre 2000. 『オルセー美術館 絵画』. EDITIONS SCALA.
- 山田五郎(著). 2018-3-10. 『知識ゼロからの西洋絵画 困った巨匠たち対決』. 幻冬舎.
- 春燈社(編集・執筆). 2020-8-5. 『怖くて美しい名画』. 春燈社.
- 平松洋(著). 2015-9-28. 『ビジュアル選書 名画の謎を解き明かすアトリビュート・シンボル図鑑』. KADOKAWA.
- ペン編集部(編). penbooks. 022. 「美の起源、古代ギリシャ・ローマ』.
コメント
コメント一覧 (2件)
hannnaさん、こんにちは。
オルフェウスのお話は、私も聞いたことがあります。
琴座のいわれは、オルフェウスの琴だとか。
ギリシャ神話は、とても面白いです。
オルフェウスは、八つ裂きにされたのはかわいそうだけど、エウリュディケとずっと一緒にいられるようになって、幸せだったのかもしれませんね。
そして、この話は、日本神話のイザナギ、イザナミノミコトの話とよく似ていますね。
見てはいけないものを見てしまったがために、二人の愛が引き裂かれる…約束を破ったのはいつも男!!(笑)
古代の日本列島は、ヨーロッパからも含めて、東、東へ移動した多くの民族の終着点と思っています。
ギリシャ神話のこの話と日本神話の類似性も、それを裏付けるものと思っています。
ところで、ブックマーク機能は、新しくつけられた?私が今になって気付いた?
さっそく、マークさせていただきますね。
今日も、面白いお話をありがとうございました。
ぴーちゃん様
今回もコメントをいただきまして本当に有難うございました。
もうひとつのサイトは問題なしなのですがこちらは不具合で遅くなってしまい、今見たら先日書いた筈の返信が出来てなかったことに気が付きました。
(@_@)←一瞬こんな感じになりました。
(これは私のミスです。Wordpressの返信機能をうまく使えていませんでした。
いつも以上に遅くなってしまって申し訳ありませんでした。
「東へ移動した多くの民族の終着点」には同意です。
似たような神話があるということは似たようなメンタル、死生観なのかなと思います。ということは、根っこの部分、長い長い歴史の、或る一点で繋がっているとしても不思議ではないと。
「鶴の恩返し」と「メリュジーヌ伝説」(https://hannaandart.com/entry/2019-09-27-121241)の「見るな」のタブーもよく似ていますよね。
フランスの青髭、神話のプシュケとアモールの場合は、覗き見するのは女性側ですが、見るなと言われてもつい見てしまうのは、人間に共通するサガなのでしょうかね(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
また次回もどうぞよろしくお願い致します。有難うございました。