18世紀フランスの雅宴画や、女性服の「ヴァトー・プリーツ」などで知られる画家アントワーヌ・ヴァトー。今回は英国ウォレス・コレクションにあるヌード『朝の化粧』です。

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『朝の化粧』( A Lady at her Toilet ) 1716年-1718年頃 アントワーヌ・ヴァトー ウォレス・コレクション蔵

引用元:『朝の化粧』
突然の来訪に、紅潮した頬で、なんともいえない表情をする女性。
でも怒ったり責めたりしている風でもないんですよね。
胸も隠そうとしてないし。

引用元:『朝の化粧』
神話画の女性でも、後宮の女性とも思えない、生身の女性のヌード。
来訪者として、寝室という極めて私的な空間に足を一歩踏み入れたような気になります。
召使いの女性は動揺を見せることなく貴婦人の着替えを手伝っていますし、ベッドの犬は来訪者ではなく、ご主人様を見ています。
そのベッドにはキューピッドの彫刻が見られます。
とても親しい間柄の男性が訪ねてきたのでしょう。
この絵のサイズは 45.2 cm× 37.8 cm 。それほど大きくありませんね。
そっと細く開けたドアから恋人の着替えを覗いていたら、見つかって目が合った、というような想像も楽しいかもしれません。
ムック本です。ヴァトーの『朝の化粧』、フラゴナールの『ぶらんこ』など、ウォレス・コレクションの収蔵品も掲載。
アントワーヌ・ヴァトー( Antoine Watteau, 1684年10月10日-1721年7月18日)

引用元:アントワーヌ・ヴァトーの肖像
「雅宴画」(「雅な宴」、フェート・ギャラント、fêtes galantes)と呼ばれるジャンルの先駆者、アントワーヌ・ヴァトーはロココ期の画家です。
ヴァトーはワトーともされます。
若くして亡くなりましたが、才能は高く評価され、哀愁漂う美しい絵画を遺しました。

引用元:『ジェルサンの看板』
ヴァトーの絵の中の女性服に見られる襞は、このヴァトーの名をとり、「ヴァトー・プリーツ」と呼ばれます。
フランソワ・ブーシェによるヴァトー

引用元:フランソワ・ブーシェによるヴァトー(エングレービング)
上のヴァトーの姿を描いたのはフランソワ・ブーシェ( François Boucher, 1703年9月29日-1770年5月30日)。

引用元:フランソワ・ブーシェの肖像
ルイ15世の寵姫ポンパドゥール侯爵夫人の庇護を受け、明るく官能的な絵画で有名です。
ブーシェは1725年、ヴァトーの作品をもとに版画を制作しています。
美しい女性の後ろ姿や衣裳が印象に残るヴァトーの絵。
『朝の化粧』が収められている英国のウォレス・コレクションでは、他のヴァトーの絵も観ることができます。
『シャンゼリゼ(エリュシオンの園)』( Les Champs Elysées ) 1717年-1718年頃 アントワーヌ・ヴァトー ウォレス・コレクション蔵

ウォレス・コレクションにあるヴァトーの作品です。
優雅に談笑する男女の衣裳も大変美しいものですが、画面右の彫像をご覧ください。

『ニンフとサテュロス』( Nymph and Satyr ) 1716年 アントワーヌ・ヴァトー

引用元:『ニンフとサテュロス』
眠るニンフの、神話画の中のヌードですね。
この絵はパトリック・ジュースキントのベストセラー小説『香水 - ある人殺しの物語』の表紙になっていますので、「あ、知ってる」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ヌードを描かせても衣裳を描かせても、実に素晴らしいですね。
- 海野弘・平松洋(監). 2014-5-25. 『性愛の西洋美術史 愛欲と官能のエロティック・アートの世界』. 洋泉社.
コメント
コメント一覧 (2件)
ハンナさん、こんにちは。
西洋の絵画は、ヌードの絵が多いですね。
いつも思うのですが、神話は別として、リアルな日常生活として、服を着替える時とか、一糸も身に着けない人って多かったのでかしら。
普通は、お風呂に入る時なら、納得なのですが。
西洋なら、そんな絵画が多いからありうると思ったり…笑
あっ、下ネタ風な疑問になったので、お返事はいりません。
独り言です。
失礼しました。笑
ぴーちゃん様
お便り有難うございます。
素人なのでほんとに勉強しながらなのですが、急ぎ下書きにあった『オダリスク』にちょっと書いてみました。
当時は裸体を描くとき、神話の女神かオダリスク、「化粧中」「着替え中」という言い訳(必然性)が必要でした。
しかし、ブーシェの「金髪のオダリスク」は異例の、ヌードのためのヌードで、大きな話題になったようです。
それで、これもちょっとやってみたくなりましたが、入浴は多くの場合(少なくとも貴婦人は)モスリンとか、何かを着ていたと思います。
寝間着としてはお洒落なやつ。
何故なら、当時の貴婦人はベッドに入ったまま朝食のチョコレートを飲み、恋人や取り巻きを迎えていたからです。(『吸血鬼カーミラ』の記事に少し書きました)
そして、一度結婚してしまえば、恋愛は自由。跡継ぎを産んだら妻としての役目は果たしたことになります。
嫉妬は醜いもので、軽い恋愛遊戯が粋でした。勿論例外もありました(こっちの方が好きです)。
奥様は「私室」を持ち、旦那様でさえ許可なく入ることはできませんでした。
恋人との逢瀬はこの密室で、ロココ期の絵画に小さいサイズが多いのは、「この密室を覗き見」したいという欲望に応えるものだという話を聞いたことがあります。
しかし、着替えで丸裸になるかというのが、あまりよくわかりません。人によるかも。
マリー・アントワネットがフランスに引き渡されたとき、オーストリア製のものはすべて脱ぎ捨てたという話がありますよね。
ほんとか?と思いますが、まあこれは「象徴」的な意味合いもあるのかな。
ですので、着替えの習慣として素っ裸になるというのが無ければ、女性の裸体を描くにあたり、「だって、ほら、密室で着替え中だから!」という言い訳の可能性も無くは無い、かも。
いろいろ追いついて行きませんが、ぴーちゃんさんのお便りを拝読するたび、「あ、これも特集してみたい!」と思ってしまいます(笑)。
何か他にご興味のあるものはございましたでしょうか(さり気にネタ探し)。
いつも有難うございます。