アントワーヌ・ヴァトーの弟子だった画家パテルの作品。師匠と同じように役者たちの姿を描いています。
『イタリア喜劇の役者たちの集い』( Réunion d’acteurs de la Comédie italienne dans un parc ) 18世紀前半 ジャン=バティスト・パテル
引用元:『イタリア喜劇の役者たちの集い』
シュリー翼918展示室 , MI 1095 Réunion d’acteurs de la Comédie italienne dans un parc
ジャン=バティスト・パテル( Jean-Baptiste Pater, 1695年12月29日 – 1736年7月25日)
ジャン=バティスト・パテルは、1695年、現在のフランス、ヴァランシエンヌで生まれました。
父親のアントワーヌ・パテルから彫刻を学んだ後、絵画に転向しました。
引用元:ジャン=バティスト・パテル
パリに出たパテルは、ヴァランシェンヌ出身の画家アントワーヌ・ヴァトーに弟子入りします。
パテルはヴァトーにとって唯一の弟子でしたが、短気で気難しい性格のヴァトーはパテルのヘタさが気に入らず、間もなく不仲となり、パテルはヴァトーの元を離れました。
関連記事 ヴァトー唯一の弟子・パテル『水浴する貴婦人たち』(スコットランド国立美術館)
アントワーヌ・ヴァトー( Antoine Watteau, 1684年10月10日 – 1721年7月18日)
引用元:アントワーヌ・ヴァトー
歴史画でもなく風俗画でもない、優雅な衣装に身を包んだ富裕層の男女たちが、田園風景の中で社交や恋の駆け引きを楽しむという情景を描いた「雅宴画」(フェート・ギャラント)。
ヴァトーはこの雅宴画のジャンルを確立した画家です。
関連記事 ロココ貴婦人が纏うドレスの「ヴァトー・プリーツ(ヴァトーの襞)」
若くして結核にかかり、恋人もなく、わずか37歳で亡くなったヴァトー。
美しい衣装をまとい、楽し気に、または秘めやかに恋を語らう男女たちが描かれた画面には、何とも言えない哀愁が漂います。
現実世界では手にすることができなかったものに対する憧れを、詩的に、情緒たっぷりに描いた作品からはいつまでも目を離すことができません。
引用元:『シテール島への巡礼』
シュリー翼917展示室 , INV 8525 ; MR 2726 Pèlerinage à l’île de Cythère
引用元:『二人の従姉妹』
シュリー翼918展示室 , RF 1990 8 Les deux Cousines
パテルはヴァトーの死の直前にヴァトーの元に戻ります。
ヴァトーの死後、多くの画家が彼の確立した雅宴画のスタイルを模倣しました。
中でも弟子のパテル、二コラ・ランクレ(1690年-1743年)はヴァトーの代表的な後継者として知られています。
ランクレの絵画を掲載 18世紀セーヴル磁器絵の職人シャルル=二コラ・ドダン
『イタリア喜劇の役者たちの集い』とヴァトーの絵画
『イタリア喜劇の役者たちの集い』
美しく雅(みやび)だけれど、どこかもの悲しいヴァトーの絵画に比べ、パテルの作品には明るさというか、陽気さが感じられます。
本作『イタリア喜劇の役者たちの集い』では、あからさまに性的な表現が見て取れますね。
引用元:『イタリア喜劇の役者たちの集い』
中央の男性が、女性にすり寄っています。
女性の肩に手を回し、ウェストにも手を置いていますよね。
女性は身を引きながらもその手を払い除けることはありません。
よく見ると、女性の脚は男性の膝の上に載っていますねぇ。
その後ろの男女も、とても親密そうです。
ヴァトーの絵画
『ピエロ』( Pierrot ) 1718年 – 1719年頃 アントワーヌ・ヴァトー
「喜劇役者」「演劇」といえば、師匠ヴァトーが好んで描いた題材でもあります。
ルーヴル美術館には、あの有名な作品『ピエロ』も収められています。
引用元:『ピエロ』
男性の憂いのある表情は、夢を見ているようでもあるし、どこか諦観しているようにも見えます。
ヴァトーはこの絵の制作後数年して亡くなりますが、ひょっとしたら、自らを投影したものかもしれませんね。
『幸運な事故』( Le Faux-Pas ) 1716年 – 1718年頃 アントワーヌ・ヴァトー
腰に手を回すシーン、というと、ヴァトーのこの絵画を思い出すのですが、
引用元:『幸運な事故』
シュリー翼918展示室 , MI 1127 Le Faux-Pas
※書籍によっては『道ならぬ恋』など、タイトルが異なっているかもしれません。
シチュエーションは違いますが、この場面にとても「物語性」を感じませんか。
表情の見えない女性。その指先。
具体的な愛の交歓場面ではなくとも、ふたりのこの一瞬の所作に、その先にあるエロティックな物語まで想像してしまえます。
ヴァトー作品が持つ、密やかな官能性です。
パテルの『イタリア喜劇の役者たちの集い』について、『 NHK ルーブル美術館Ⅵ フランス芸術の華 ルイ王朝時代』では、
ヴァトーと同じくヴァランシエンヌの生まれであるパテルは、ヴァトーの「雅宴画」の世界を受け継いで、多くの作品をのこした。イタリア喜劇の役者たちの野外での集い、恋の戯れなどという主題はまさしくヴァトーのものであるし、艶麗で軽妙な筆遣いもヴァトーそのままと言ってよい。しかし、この場のいわば主役である中央の二人の男女のあからさまな表現は、ヴァトーにはけっして見られないものである。ヴァトーの抒情的な夢と詩の世界は、パテルではもっと現実的な風俗の世界に変質していると言ってもよいだろう。
高階秀爾(監督・責任編集). S61-3-20. 『 NHK ルーブル美術館Ⅵ フランス芸術の華 ルイ王朝時代』. 日本放送出版協会. p.87.
とあります。
ヴァトーの絵には、抑制から生まれる詩と夢がありましたが、パテルは師が隠していたものをあらわにしてしまいました。
高階秀爾(監督・責任編集). S61-3-20. 『 NHK ルーブル美術館Ⅵ フランス芸術の華 ルイ王朝時代』. 日本放送出版協会. p.86.
明るくわかりやすいエロティシズムを好む顧客もいたでしょうし、時代の流行もあったことでしょう。
しかしパテルよりヴァトーの絵画に惹かれるのは、儚い夢のような世界に、慎み深い上品さや何とも言えない詩情があるせいでしょうか。
ルーヴル美術館所蔵のパテルの絵画
『ぶらんこ』( L’Escarpolette ) 1700年 – 1750年
シュリー翼918展示室 , RF 2606 L’Escarpolette
『気を引く会話』( Conversation galante dans un parc, dit aussi La Pomme d’amour ) 1720年頃
引用元:『気を引く会話』
, MI 1097 Conversation galante dans un parc, dit aussi La Pomme d’amour
『中国の狩り』( Chasse chinoise ) 1736年
引用元:『中国の狩り』
シュリー翼918展示室 , MNR 57 Chasse chinoise
- 高階秀爾(監督・責任編集). S61-3-20. 『 NHK ルーブル美術館Ⅵ フランス芸術の華 ルイ王朝時代』. 日本放送出版協会.
コメント