なぜイングランド王の絵がフランスの美術館にあるのでしょうか?ルーヴル美術館の、アンソニー・ヴァン・ダイクの『狩場のチャールズ1世』を解説します。
『狩場のチャールズ1世』( Le Roi à la chasse ) 1635年頃 アンソニー・ヴァン・ダイク
引用元:『狩場のチャールズ1世』
左の肘を突き出し、こちらを見やる男性。
小粋に傾けて被った帽子に平服姿ではありますが、その気品・威厳は隠せません。
この男性は、専制政治によって清教徒革命で処刑された、17世紀のイングランド王にしてスコットランド王・チャールズ1世です。
くつろいだ雰囲気にも見えますが、こちらに向けて突き出た肘は私たち鑑賞者を拒絶しているように思えます。
気安く近づくんじゃない、と。
引用元:『狩場のチャールズ1世』
平服といっても、輝くような光沢の高級サテンです。
耳に着けているイヤリングはティアドロップ型の大粒真珠。
履いている上等なブーツの拍車から、この男性が狩りや乗馬をする特権階級に属していることがわかります。
腰には剣も帯びていますね。
左手には脱いだ手袋を持っています。
中野京子氏の著書『はじめてのルーヴル』(集英社)では、この左手袋について、「これは、王が与える狩猟権や貨幣鋳造権を象徴する(とりわけ左手袋が高貴を示すとされる)。」と仰っています。
口髭は後に、画家の名前から「ヴァン・ダイク髭」と呼ばれる当時流行のもの。短く尖った髭ですね。
下の絵の中のヴァン・ダイク本人も同じような髭をしています。
エンディミオン・ポーター卿は、チャールズ1世 に仕えた法律家、外交官ですが、ヴァン・ダイクの後援者で友人でもありました。『狩場のチャールズ1世』にも王の背後にポーター卿の姿を見ることができます。
引用元:『狩場のチャールズ1世』
ポーター卿に世話をされているチャールズ1世の馬は、全身を描かれてはいません。
鞍の中央で、画面の縁によって「切断」されています。
美しい馬はこうべを垂れ、主人であるチャールズ1世に平伏しているように見えますね。
これ見よがしの大袈裟な衣裳ではなくても、これらいくつもの小道具で、この男性が国王であるとわかるようになっています。
さらに右下の石の上には「イギリスを統治する王チャールズ1世」との銘が。
引用元:『狩場のチャールズ1世』
『チャールズ1世騎馬像』( Equestrian Portrait of Charles I ) 1638年頃 ヴァン・ダイク ナショナル・ギャラリー蔵
引用元:『チャールズ1世騎馬像』
同じヴァン・ダイクによって描かれた、勇ましい甲冑姿のチャールズ1世です。
正に「王侯貴族の騎馬像」ですね。
馬の体が、堂々としていて立派です。
右上に茂った樹木、左下に開けた土地が見えているこの騎馬像の背景と、『狩場のチャールズ1世』の背景はよく似ています。
ティツイアーノの絵画にも見られるように、馬と王侯貴族という取り合わせでは、馬上の貴人は英雄的で勇壮、勇猛な姿で描かれます。
しかし馬から降りている『狩場のチャールズ1世』では、馬が、優雅に振り返る王の身長を判りづらくする役割りを果たしています。
なぜ傑作と呼ばれるのか
英国の肖像画の様式に大きな影響を与えた
豪華できらびやかな服装ではなくても、優雅で気品のある『狩場のチャールズ1世』の姿。
この肖像画以降、影響を受けた英国の画家たちは、ヴァン・ダイクが確立した様式を継承していきます。
ヴァン・ダイクが得意とし、その後のイギリスの肖像画の様式を決定づけたのが、「チャールズ1世の肖像」のように屋外におけるリラックスしたポーズを取りながらも、同時に高貴でエレガントな雰囲気が漂う肖像画です。それはモデルの容貌を優雅に、そして気品高く美化しながらも、「控えめなエレガンス」を好ましいとするイングランドの王侯貴族の虚栄心を、「いかにも」ではない演出で満たすことのできる様式でした。
木村泰司(著). 2019-12-5. 『時代を語る名画たち』. ぴあ株式会社. p.73.
この、「屋外」でくつろいだポーズを取る肖像画のスタイルは、19世紀のフランスでも「英国風」と見なされ、英国贔屓のフランスの上流階級の人びとに好まれました。
(『時代を語る名画たち』では『狩場のチャールズ1世』は『チャールズ1世の肖像』となっています)
「下馬している人物」の肖像画
ヴァン・ダイクのチャールズ1世のように馬から降りている人物の肖像画は、この絵から着想を得た18世紀の画家たちによって、英国で多く描かれるようになりました。
チャールズ1世の姿を美化
『西洋絵画の歴史2 バロック・ロココの革新』の著者である高橋裕子氏によると、全身像の肖像画というのは、もともと16世紀の宮廷肖像画の形式として登場したそうです。
ほぼ等身大が原則である肖像画では、作品のサイズは2メートル前後の高さにもなりますよね。
髙橋氏が仰るように、飾るとすればスペースがある王侯貴族の大邸宅くらいでしょうか。
絵画『狩場のチャールズ1世』のサイズは、高さ266 ㎝、幅207 ㎝。
滲み出る威厳や貴人オーラのせいか、大きく見えるチャールズ1世。
しかし、チャールズ1世は子どもの頃の病気のせいで身長は低く、言葉も遅かったといいます。
33歳でイングランドの首席宮廷画家になったヴァン・ダイクは、チャールズ1世の等身大の肖像画を数多く制作し、小柄で不均整な顔だちだった国王を高貴で威厳のある理想的な姿で表しました。そういった大きな肖像画は、チャールズ1世が主唱した王権神授説を視覚的に表したもので、国王の権力と栄誉を誇示しています。それらはしばしば、外交上の贈り物や、国内の貴族を懐柔するための賄賂がわりに用いられたそうです。
ライト裕子(著). 2012-7-2. 『英国王7人が名画に秘めた物語 ―ロイヤル・コレクション500年の歴史』.小学館101ビジュアル新書. p.160.
王権神授説とは、「国王の支配権は神から授かったものであるから神聖不可侵であり、臣民は国王の命令には絶対に服従しなければならない、という政治思想。」(コトバンク)です。
王権神授説に基づいて専制政治を行ったチャールズ1世は、台頭してきたクロムウェルに破れ、1649年に処刑されました。
王の存在感を強調
絵にはチャールズ1世以外にふたりの人物が描かれていますが、
右側のふたりは王に仕える存在として、薄暗い木陰に小さめに描かれている。馬も頭を低くしてうやうやしい態度である。王のみが明るい空を背景に浮かび上がり、見晴らしのよい高所にたたずむ。こちらに向けたその視線も上から見下ろすもので、こちらに張り出した肘とともに、観る者の接近をためらわせる効果をもつ。
高階秀爾(監修)・高橋裕子(著). 2016-2-6. 『西洋絵画の歴史2 バロック・ロココの革新』. 小学館101ビジュアル新書. pp.73.-74.
と、実際には貧相だったという王を、下から仰ぎ見る構図で描くことにより、木の枝や葉に届くほどの立派な体躯であるかのように錯覚させています。
実際、額縁のようになった枝葉から上半身に目が行って、王の気品や優雅さが印象に残り、身長がどうかなんてほとんど気になりませんよね。
優美な曲線をなしつつ下げられた馬の首は、王の背丈を高く見せる上でも重要な役割を演じているのだ。そして画面上方の樹葉も、王の上半身をちょうど縁取る位置に広がって、その存在を強調している。数多いヴァン・ダイクのチャールズ1世像の中でも極めつきの名画とされるゆえんである。
『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』 p.45.
国王が構図の中心にいないといっても, 右側に控える2人の家来が, 馬と木立に吸収されて目立たないのに対して, 左手前に立つチャールズ1世の姿は, 空と海辺を背景にくっきりと浮かび上がっています. このようにさりげなく洗練された工夫, 配慮こそが, ヴァン・ダイクの腕の見せどころでした.
三浦篤(著). 2001-4-25. 『まなざしのレッスン ①西洋伝統絵画』. 東京大学出版会. pp.177.-178.
絶妙な工夫や配慮。さすがですね。
バロック・ロココの名品がカラーで掲載されています。解説もわかりやすく、欧州の17・18世紀の絵画を観るならその前に必読です。
絵がフランスにある理由
自分自身が優秀な目利きであり、熱心な美術コレクターだったチャールズ1世ですが、そのコレクションは革命政府によって国外へ売却されてしまいました。
一部の書籍に、『狩場のチャールズ1世』は「清教徒革命時に国外に流出した」という記述がありますが、この絵は革命のずっと前、描かれて間もない時期に、チャールズ1世からフランスに送られたようです。
絵はチャールズ1世自身によって注文されたと思われるものの、その状況や年代ははっきりせず、保管に関する記録には載っていないそうです。
それは、「彼が、彼に近い人物に絵を与えたことを示唆している可能性」(ルーヴル美術館公式サイト『狩場のチャールズ1世』)があり、よく言われているのが、チャールズ1世が、アンリ4世妃マリー・ド・メディシスへの贈り物にしたという説です。
マリー・ド・メディシスは、チャールズ1世の妻であるヘンリエッタ・マリア、フランス国王ルイ13世の生母です。
引用元:マリー・ド・メディシス
「マリー・ド・メディシスへの贈り物にした」とある書籍の例
- 『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』
- 『西洋絵画の歴史2 バロック・ロココの革新』 小学館101ビジュアル新書.
- 『まなざしのレッスン ①西洋伝統絵画』 東京大学出版会
- 『時代を語る名画たち』 ぴあ株式会社
その後『狩場のチャールズ1世』は著名な収集家の手を経てルイ15世によって買い上げられ、ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人に贈られました。
引用元:デュ・バリー夫人
彼女が芸術に造詣深かったという証言はないので、金銀宝飾と同じ財産のひとつ(今も昔も絵画は投機の対象である)として所有したのだろう。
中野京子(著). H20-7-31. 『危険な世界史』. 角川書店. pp.39.-40.
とあります。
ルイ15世がデュ・バリー夫人に贈ったルーヴシエンヌの邸のためのものだったようですが、デュ・バリー夫人は、1775年にこの絵をルイ16世に売却します。
引用元:フランス国王ルイ16世
1774年のルイ16世の即位にあたり、ダンジヴィエ伯爵は、王室の絵画コレクションを充実させようとしていました。
ルーベンスやレンブラントなど巨匠たちの名作を収集した伯爵は、
一七七五年には清教徒革命で処刑されたイギリス王のチャールズ一世の肖像(アントニー・ヴァン・ダイク画)を買い取ったが、王自らが同じ運命に遭うとは予想もしなかっただろう。
小島英煕(著). 平成6年1月20日. 『ルーヴル・美と権力の物語』. 丸善ライブラリー. pp.134.-135.
その前の持ち主であるデュ・バリー夫人も然り。
チャールズ1世の斬首から約150年後にフランス革命が起き、ルイ16世、デュ・バリー夫人は断頭台で斬首されました。
youtube のおススメ解説動画『アンソニー・ヴァン・ダイク、チャールズIアットザハント』
Smarthistory 様の動画では、展示風景や他の絵画も見ることができます。雰囲気を味わうだけでも行った気になれます(^^)。
専門家による英語解説ですが日本語字幕でも見ることができますし、時間も長過ぎず、ちょうど良いと思います。
『チャールズ1世の肖像を描くヴァン・ダイク』( Van Dyck malt das Porträt Karl I. ) 1894年以前 カール・ベナート
ドイツ生まれの画家カール・ベナート( Karl Bennert, 1815年-1894年)による、屋内でポーズを取るチャールズ1世と、画家ヴァン・ダイクです。
アトリエでこんな感じだったのかなと参考までに。
- 中野京子(著). 2013-7-10. 『はじめてのルーヴル』. 集英社.
- 中野京子(著). H20-7-31. 『危険な世界史』. 角川書店.
- 『NHK日曜美術館 名画への旅 13 豊かなるフランドル 17世紀Ⅲ』
- 小島英煕(著). H6-1-20. 『ルーヴル・美と権力の物語』. 丸善ライブラリー.
- 高階秀爾(監修)・高橋裕子(著). 2016-2-6. 『西洋絵画の歴史2 バロック・ロココの革新』. 小学館101ビジュアル新書.
- 木村泰司(著). 2019-12-5. 『時代を語る名画たち』. ぴあ株式会社.
- ライト裕子(著). 2012-7-2. 『英国王7人が名画に秘めた物語 ―ロイヤル・コレクション500年の歴史』.小学館101ビジュアル新書.
- 三浦篤(著). 2001-4-25. 『まなざしのレッスン ①西洋伝統絵画』. 東京大学出版会.
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