国王ルイ15世の愛人としてヴェルサイユに君臨したデュ・バリー夫人。彼女自身の胸像や肖像画、彼女が注文したり購入したりした作品を掲載しました。
国王ルイ15世の愛妾デュ・バリー伯爵夫人の姿
彫刻家オーギュスタン・パジューによるデュ・バリー夫人の胸像
デュ・バリー夫人胸像( Madame Du Barry (née Marie-Jeanne Bécu) (1743-1793) ) 1773年 オーギュスタン・パジュー ルーヴル美術館蔵
引用元:デュ・バリー夫人胸像 https://www.flickr.com/photos/internetarchivebookimages/14741679726/
引用元:デュ・バリー夫人胸像 VladoubidoOo CC-BY-SA-4.0
デュ・バリー夫人胸像( Madame Du Barry (née Marie-Jeanne Bécu) (1743-1793) ), MR 2651
展示場所:リシュリュー翼、220展示室
ルーヴル美術館の解説によると本作品は1773年のサロンに出品され、1774年6月にルーヴシエンヌのシャトーに。その後新しいパヴィリオンに置かれたそうです。
下のリンクは、現在展示されていない胸像。先に掲載した胸像(MR 2651)のコピーだそうです。
コピー(本体番号:CH M 243)は高さ70cm、重量59㎏とのこと。
彫刻家オーギュスタン・パジュー( Augustin Pajou, 1730年9月19日-1809年5月8日)
引用元:オーギュスタン・パジューの肖像
『オーギュスタン・パジューの肖像』( Portrait de Pajou, sculpteur ) , INV 27035
グラフィック・アーツ相談室で予約して閲覧可
オーギュスタン・パジューはフランスの彫刻家です。
国王ルイ15世やデュ・バリー夫人の支援を受け、ヴェルサイユ宮殿王室歌劇場の室内装飾も手掛けました。
引用元:デュ・バリー夫人胸像 CC-Zero
引用元:デュ・バリー夫人胸像 CC-Zero
メトロポリタン美術館の解説:Madame du Barry (1746–1793)
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランによる肖像画
引用元:デュ・バリー夫人
ルイ16世妃マリー・アントワネットお気に入りの画家ヴィジェ=ルブランによる肖像画です。
女性らしい、柔らかな雰囲気を感じます。モデルの魅力を引き出すのが上手いですよね。
この絵と同じ構図の細密肖像画がルーヴル美術館にあります。
アメリカのイザベラ・ステュワート・ガードナー美術館( Isabelle Stewart Gardner Museum )にある嗅ぎ煙草入れも参考までに。
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン( Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun, 1755年4月16日-1842年3月30日)
引用元:娘ジュリーとの自画像
引用元:ヴィジェ=ルブランの胸像 Thomon CC-BY-SA-4.0
モデル以上に画家が美人。
パジューは他にも有名人の像を制作しています。
ジャン=バティスト・アンドレ・ゴーチエ=ダゴティによる肖像画
引用元:デュ・バリー夫人
上の画像はヴェルサイユ宮殿にあるジャン=バティスト・アンドレ・ゴーチエ=ダゴティによる肖像画。
フランス宮廷におけるコーヒー文化のトップに立つ寵姫の姿です。
トレイを持つ黒人の小姓はザモルといい、後に革命裁判所の法廷でデュ・バリー夫人に対し、不利な証言をすることになる人物です。
ルーヴル美術館の収蔵品(1771年)は、元はエドモン・ド・ロートシルト男爵のコレクションとのこと。
ジャン=バティスト・グルーズによる肖像画
引用元:デュ・バリー伯爵夫人の肖像
サザビーズによる解説:Portrait of the Comtesse Du Barry
成熟したお色気たっぷりの肖像画ですね。『壊れた甕』で知られるグルーズによる作品です。
引用元:『壊れた甕』
『壊れた甕』( La Cruche cassée.) , INV 5036
展示場所:シュリー翼、932展示室
『壊れた甕』はデュ・バリー夫人によって注文・購入され、ルイ15世が亡くなるまでヴェルサイユ宮殿に飾られていました。
ルイ15世の崩御にともない、デュ・バリー夫人はヴェルサイユ宮殿を退き、ルイ15世から贈られたルーヴシエンヌのシャトーに移ります。
『壊れた甕』も夫人とともにルーヴシエンヌの城に移りました。
フランソワ=ユベール・ドルーエによる肖像画
ドルーエの乗馬服姿のデュ・バリー夫人にちなむミニアテュアがこちら
。デュ・バリー夫人の肖像( Portrait de Mme Du Barry, en buste, la tête de 3/4 à droite,cheveux poudrés ) , RF 155
グラフィック・アーツ相談室で予約して閲覧可
デュ・バリー夫人マリ=ジャンヌ・ベキュー( 1743年8月19日-1793年12月8日 )
下町の貧しい家庭の私生児として生まれ、お針子、娼婦を経て、国王ルイ15世の公式寵姫となったマリ=ジャンヌ・ベキュー( Marie-Jeanne Bécu )。
情夫デュ・バリーの弟と形ばかりの結婚をして貴族の身分を手に入れ、「デュ・バリー夫人」と呼ばれました。
公式の寵姫となるには既婚女性であることが必須。
前任者のポンパドゥール夫人ことジャンヌ=アントワネット・ポワソンも既婚者でした。
引用元:『ポンパドゥール侯爵夫人』
『ポンパドゥール侯爵夫人』( La Marquise de Pompadour (1721-1764). ) , RF 2142
展示場所:シュリー翼、611展示室
引用元:ルイ15世の肖像
『ルイ15世の肖像』( Portrait de Louis XV (1710-1774); roi de France. ) , INV 27615
グラフィック・アーツ相談室で予約して閲覧可
1764年4月15日、献身的にルイ15世に尽くしたポンパドゥール夫人が亡くなりました。
1768年6月24日にはルイ15世の王妃マリー・レクザンスカも亡くなります。
王妃が亡くなる少し前、ルイ15世はマリ=ジャンヌ・ベキューに引きあわされていました。
ルイ15世は若くて美しいジャンヌを寵愛し、空席となっていた公式寵姫の地位に就けます。
平民出身ではありましたが、情夫デュ・バリーが連れてくる身分ある客たちのおかげで、ジャンヌは上流階級の立ち居振る舞を身につけていきました。
気立ても良いので敵も少なく、困っているひとには率先して手を差し伸べるような優しい女性でもあったそうです。
昔読んだ『ベルサイユのばら』の印象が強く、デュ・バリー夫人は肉体美を持つワガママ高慢ちき美女のイメージだったのですが、意外に評判は悪くない? この機会に『ベルばら』を読み直し、『イノサン』でまた別のジャンヌ・ベキューの顔を見るのも面白いかも。
ルーヴシエンヌの生活
ルイ15世は愛妾であるデュ・バリー夫人にルーヴシエンヌの城や数々の宝石を贈りました。
1774年のルイ15世の崩御後ヴェルサイユ宮殿を追われたデュ・バリー夫人は、ヴェルサイユから遠く離れた場所に留まるように命じられたため、ルーヴシエンヌ城に戻ることができませんでした。
1776年10月、デュ・バリー夫人は許可を得て愛するルーヴシエンヌに戻ります。
引用元:ルーヴシエンヌのパビリオン David Pendery CC-BY-3.0
1786年、画家エリザベート・ヴィジェ=ルブランが、デュ・バリー夫人の肖像画を描くためルーヴシエンヌを訪れます。
ヴィジェ=ルブランは当時のことをこのように回想しています。
「趣味の点でも装飾の豪華さからいっても有名な別館で毎日コーヒーを飲みました。サロンは魅力的で、窓からはすばらしい風光が楽しめました。暖炉もドアも大したもので、錠前は金細工師の傑作です。家具の優雅さは言葉ではつくすことのできないものでした」
飯塚信雄(著).1985.『デュバリー伯爵夫人と王妃マリ・アントワネット―ロココの落日』. 文化出版局 .p.162.
ジャン・ミシェル・モロー(モロー・ル・ジューン)による饗宴の様子
1771 年 9 月 2 日、ル―ヴシエンヌで行われた饗宴( Fête donnée à Louveciennes, le 2 Septembre 1771 ) , INV 31360
グラフィック・アーツ相談室で予約して閲覧可
ルーヴシエンヌの城を飾った作品
ジョゼフ=マリー・ヴィアンの連作絵画
引用元:Greek Maidens Adorning a Sleeping Cupid with Flowers
Jeunes grecques parant de fleurs l’Amour endormi , INV 8431
展示場所:シュリー翼、933展示室
ルーヴシエンヌの城を飾った四枚の連作絵画のうちの一枚。
タイトルは『眠るキューピッドを花で飾るギリシャ人の少女たち』ですかね。邦題が載っている書籍が見つかったら追記、修正します。
初めはフラゴナールに依頼されましたがデュ・バリー夫人には気に入られず、ヴィアンに依頼されました。
クリストフ=ガブリエル・アレグランの彫像
『浴女(水浴から上がるヴィーナス)』( Vénus sortant du bain ) , MR1747
展示場所:リシュリュー翼、105展示室
クリストフ=ガブリエル・アレグラン( Christophe-Gabriel Allegrain, 1710-1795)はフランスの彫刻家。
彫刻家ジャン=バティスト・ピガールの協力者であり、彼の姉妹と結婚したためアレグランはピガールの義理の兄弟でもあります。
ルーヴル美術館の解説によると、『浴女(水浴から上がるヴィーナス)』は1755年、ポンパドゥール夫人の実弟であるマリニー侯爵によりショワジーの城のために依頼されました。
その後の1767年のサロンで発表され、1772年デュ・バリー夫人がルーヴシエンヌ城のために入手しました。
下は、1772年に手に入れたヴィーナス像(MR1747)の対になるものとして、デュ・バリー夫人から注文。
1778年に完成し、ルーヴシエンヌ城の庭園に置かれました。
引用元:『アクタイオンに驚くディアナ』 Jastrow (2006)
引用元:『アクタイオンに驚くディアナ」 Vania Teofilo CC-BY-SA-3.0
『アクタイオンに驚くディアナ』( Diane surprise par Actéon ) , MR1746
展示場所:リシュリュー翼、105展示室
エティエンヌ=モーリス・ファルコネによる彫像
展示場所:リシュリュー翼、222展示室
その他デュ・バリー夫人のコレクション
『狩場のチャールズ1世』 1635年頃 アンソニー・ヴァン・ダイク
引用元:『狩場のチャールズ1世』
『狩場のチャールズ1世』( Portrait de Charles 1er, roi d’Angleterre (1600-1649), à la chasse ) , INV 1236
展示場所:リシュリュー翼、853展示室
『狩場のチャールズ1世』は著名な収集家の手を経てルイ15世によって買い上げられ、愛妾であるデュ・バリー夫人に贈られます。
その後デュ・バリー夫人からフランス国王ルイ16世に売却されました。
ドレッサー(1772年頃)
引用元:デュ・バリー夫人のドレッサー G.Garitan CC-BY-SA-4.0
ロココ趣味たっぷりの曲線の脚が優雅。
はめ込まれた絵のオリジナルはジャン=バティスト・パテル( Jean-Baptiste Pater, 1695年-1736年)、ニコラ・ランクレ( Nicolas Lancret, 1690年-1743年)のものだそうです。
元の所有者はロートシルト家( Rothschild, Edmond Adolphe Maurice Jules Jacques de, )で1990年に寄贈されたのだとか。割りと最近ですね。現在はヴェルサイユ宮殿に展示されているようです。
本作は磁器画家のシャルル=二コラ・ドダン(チャールズ・ニコラス・ドーディンとも表記 Charles-Nicolas Dodin, 1734年-1803年)、家具職人マルティン・カルラン(マルティン・カーラン、マーティン・カーリンとも表記 Martin Carlin, 1730年-1785年)による制作。
ドダンはフランソワ・ブーシェの作品の複製を専門とし、風景やシノワズリの絵を描いていました。
こちらのポプリ・ポットの絵付けも、シャルル=二コラ・ドダンです。
引用元:ポプリ・ポット Faqscl CC-BY-SA-4.0
ポプリ・ポット( Pot-pourri “à vaisseau” ) , OA 10965
展示場所:リシュリュー翼、619展示室
ティー・テーブル
手前の円いテーブルにご注目を。
引用元:デュ・バリー夫人の音楽館のティー・テーブル Tangopaso
「ルーヴシエンヌ城の、デュ・バリー夫人の音楽館のティー・テーブル」だそうです。
解説によれば、中央プレートの絵のオリジナルはカルル・ヴァン・ローの絵画(1737年)。
そのプレートを囲む六枚のプレートですが、花飾りの中に人物が描かれています。
これは雅宴画のジャンルを確立したアントワーヌ・ヴァトーにちなむようです。
これらのプレートの作者はシャルル=ニコラ・ドダン。
「セーヴル工場で最も才能のある人物画家の 1 人であり、1754年から 1803年までそこで雇用されていた」との説明もあります。
テーブルの作者はマルティン・カルラン(カーランとも表記)です。
イニシャル入りの食器
ルイ16世の時代になってからのテーブル。
長方形のテーブル( Table rectangulaire ) , OA 10488
展示場所:リシュリュー翼、623展示室
ルーヴル美術館の解説内にデュ・バリー夫人の名前が無かったので、テーブルは夫人のコレクションではないようですが、下に置かれた容器には夫人のイニシャルがあります。
引用元:デュ・バリー夫人のイニシャル付きのボウル Tangopaso
花で飾られた「DB」はデュ・バリー夫人の頭文字です。
ヴァンセンヌ製造所開設当時は、軟質磁器で各部をムラなく製造するのが難しく、平皿の生産は比較的少なかった。セーブルに移ってからは、生産量も増え、このデュ・バリー夫人の宴席用食器セットは少なくとも145点で構成されていた。
食器全体は、デュ・バリー夫人の頭文字の組み合わせで飾られ、周囲には香炉と花飾りが交互に付けられている。それらのモチーフはあっさりと配置され、女性的な優雅さに満ちている。
『セーブル陶磁名品展 フランス国立セーブル陶磁美術館所蔵 1987年』.p.53.
ここでは掲載しきれない作品の数々
『アムール』( L’Amour ) ルイ=シモン・ボワゾ(デュ・バリー夫人のコレクション)
ヴィアンの連作絵画のひとつ。アート額装
ルーヴル「宮」に住んでいた芸術家たちの中に、ファルコネやジラルドン、コワペル、ブーシェ、ヴァン・ローの名前も見られます
コメント