古代を舞台にした美しい絵を描いた、ジョゼフ=マリー・ヴィアン。活きのいいキューピッドが売り物になっている『キューピッド売り』を、それをもとにした版画と一緒にご紹介します。
『キューピッド売り』 1763年 ジョゼフ=マリー・ヴィアン フォンテーヌブロー城国立美術館蔵
引用元:『キューピッド売り』
La Marchande à la toilette, dite La marchande d’amours ルーヴル美術館
The Sale of Cupids フォンテーヌブロー城国立美術館
「こちらはいかがでしょうか」とキューピッドをつまみ上げて、奥様に見せるキューピッド売り。
傍らのカゴには他にもキューピッドが入っています。
奥様、なにかキューピッドが必要なご事情でも…?と思ってしまいますよね。
いや、そもそもキューピッドって売り物だっけ…。
その前に、キューピッドって実在するのか?
捕獲できるのか?
と若干疑問が飛び交いますが、まぁいいか。 綺麗だから。 興味深そうに覗き込んでいる控えの女性の表情も良いことだし。
本作『キューピッド売り』は、フランスの画家 ジョゼフ・マリー・ヴィアンによって描かれました。
1788年、ルイ15世の愛妾だったデュ・バリー伯爵夫人に贈られ、ルーヴシエンヌの城に掛けられます。
ルーヴシエンヌの城を飾った作品
このロマンティックな絵には、もとになった古代ローマ時代の壁画がありまして、
農家のおかみさんっぽい女性が、鶏でもつかむようにキューピッドの羽根をぐっとつかみ、品定めする女性客に見せています。
檻みたいなカゴには捕まったキューピッド。 ちょっと諦めモード?
女性客の膝近くには彼女を見上げるキューピッドもいます。
これはどう解釈すべきなのでしょうか。
私には「僕を選んで」と言うようにどこか媚びて見えますが、もしかしたら「先住猫」のような「先住キューピッド」だったりして…。
” Seller of Loves ” by Carlo Nolli (1762)
引用元:Seller of Loves
イタリア人の画家で版画家、カルロ・ノッリ( Carlo Nolli, 1752年 – 1770年)の作品です。
1700年代前半に、ヘルクラネウムやポンペイなどの古代ローマ時代の遺跡が発掘されました。
ノッリ の『キューピッド売り』は、出土した品をまとめたカタログ『ヘルクラネウム出土品の古美術品』( The Le Antichità di Ercolano Esposte (Antiquities of Herculaneum Exposed))第3巻に掲載されています。
このカタログからは、
その後の西洋の美術や工芸品、家具やインテリア、ランプや燭台、宝石やカメオなどのデザインの主要モチーフとなるものが数多く生まれていった。
岡田温司(著). 2010-9-17. 『グランド・ツアー 18世紀イタリアへの旅』. 岩波新書. p.119.
とあり、「なかでもとくに評判を呼んだ発掘品の挿絵版画」が、『キューピッド売り』でした。
ヴィアンは 1763年に『キューピッド売り』を、ジャック・フィルマン・ボーヴァルレ( Jacques Firmin Beauvarlet )はヴィアンにちなんだ作品を制作。
引用元:『キューピッド売り』
古代ローマ時代の『キューピッド売り』は、当時の趣味に合わせて「現代風」にアレンジされています。
ゲッティ美術館の記事から一部引用します。
An 18th-Century Re-Creation
One of the earliest and most influential reimaginings of the Roman fresco shown above was Joseph-Marie Vien’s 1763 Cupid Seller, reproduced in this engraving by Jacques Firmin Beauvarlet. It was not a copy but rather a re-creation intended to update the ancient original for the taste of 18th-century Paris. The setting gives an impression of a Neoclassical salon, and the figures adopt contemporary poses and gestures—the Cupid’s is clearly obscene. Engravings of Vien’s work were widely distributed, inspiring a cottage industry of imitations in other media, from luxury items to common household goods.
(Google翻訳:18世紀の再現
上に示したローマのフレスコ画を再現した最も初期かつ最も影響力のあった作品の 1 つが、
ジョゼフ マリー ヴィアンが 1763 年に制作した「キューピッド売り」で、この版画はジャック フィルマン ボーヴァルレによって再現されています。これはコピーではなく、18 世紀パリの趣味に合わせて古代のオリジナルを現代風にアレンジした再創作でした。設定は新古典主義のサロンを思わせ、人物は現代的なポーズや身振りをとっていますが、キューピッドの身振りは明らかにわいせつです。ヴィアンの作品の版画は広く流通し、高級品から一般的な家庭用品まで、他の媒体での模倣品の小規模な製造を促しました。)
引用元:ルイ=イボリット・ルバによるデザイン。ボーヴァルレの作品にちなむ
https://kgv-frankfurt.de/files/Mediathek/KGV-Frankfurt/Hauschild_Faecher.pdf
百科全書で有名な、哲学者ディドロはヴィアンの『キューピッド売り』を賞賛しました。
ディドロの百科全書
ポンパドゥール侯爵夫人の全身肖像画(モーリス=カンタン・ド・ラ・トゥール作)
この絵について、『グランドツアー』では、
この絵の全体が醸しだす雰囲気は、ディドロの賞賛にもかかわらず、どこかちぐはぐで折衷的である。女性表現にいまだロココ風の優雅さと軽妙さを残しながらも、すでに新古典主義的な厳格さと硬さとが画面を支配しているからである。溝彫りのある巨大な付け柱、簡素な台座とその上に載った古壺、女主人の腰掛ける椅子、それらはいずれもこれ以後、家具やインテリアにおいて流行することになる新古典主義的な趣味を早くも漂わせているのだ。
岡田温司(著). 2010-9-17. 『グランド・ツアー 18世紀イタリアへの旅』. 岩波新書. pp.121-122.
とあります。
1760年代のフランスはルイ15世の治世、官能性に満ちたロココ文化のただ中でした。
荘厳なバロックや退廃的で官能的なロココとは異なる、古代ギリシアやローマの美術を模範とする「新古典様式」が登場します。
ロココ絵画に描かれた家具調度品って、貝殻模様だったり猫脚だったり、リズム感のある曲線を多用しているイメージです。
それに対して、新古典主義の絵画に出てくる家具は直線的というかシュッとしている感じ。
引用元:『キューピッド売り』
引用元:『キューピッド売り』
引用元:『キューピッド売り』
キューピッドの仕草
先に引用したゲッティ美術館の解説文に、キューピッドの身振りが「わいせつ」とありました。
中野京子氏の『名画の謎 対決篇』でも、ヴィアンの『キューピッド売り』が紹介されています。
このエロティックな作品は、ヴィアンのオリジナルではない。そっくり同じ構図のフレスコ画が古代ローマ遺跡から発掘され、まもなく銅版画に写され、カタログとなってフランスへ流入したのだ。ヴィアンはそのアイディアを拝借して現代風に書き直した。ただしキューピッドのワイルドな仕草だけは、オリジナル作品には無かったもの。さすがルイ十五世時代の淫靡(いんび)なロココにふさわしいというべきか。
中野京子(著). 2018. 『名画の謎 対決篇』. 文春文庫. 文藝春秋.p.55.
キューピッドの人相もあまりよろしくない…。 かわいくない…。
こぶしを握った左腕を曲げ、そのひじに右手を置くという仕草はとてつもなく下品で卑猥なもの、とも本書にありますが、私も映画で見たことがありますし、海外でも見たことがあります。
その仕草、この絵が描かれた18世紀後半には、もうあったんだーとオドロキです。 てか、いつ頃からあるんだろ。 発祥はどこ?
こうした仕草の歴史も調べてみると楽しそうですね。私も勉強したいと思います。
サブタイトルだけ見て「決闘!?」「戦史?」と思ってしまいましたが、「この絵とあの絵の比較」でした。本当に博識で、解説もわかり易いです
岡田温司氏の『グランドツアー』では、
ヴィアンの作品は、古代ローマのフレスコ画を大筋で踏まえているが、左右反転した版画をもとに戻しているのにくわえて、いくつかの点で興味深い変更が認められる。うっかりすると見過ごしてしまうかもしれないが、とても重要な変更は、女奴隷が客に差し出しているキューピッドの身振りである。右手で左手の肘を握って突きだす仕草は、あからさまにエロティックな含意を持つもので、西洋では今でも敬遠されている。そのサロン評のなかで、この絵の構図や色彩から、三人の女性たちの表情や振る舞いなどにいたるまで、ほとんどすべてにわたって賛辞を贈ったディドロも、この細部に関してだけは、きっぱり「はしたない」と断じている。
岡田温司(著). 2010-9-17. 『グランド・ツアー 18世紀イタリアへの旅』. 岩波新書. pp.120-121.
と書かれています。
18世紀好きの方、ぜひ読んでみてください。当時の富裕層、芸術家たちが彼の地を目指した理由がわかります
女主人のもとから逃げ去るキューピッドの絵 1789年
引用元:Cupid Fleeing from Slavery
L’Amour fuyant l’esclavage – tableau Musée des Augustins
奴隷生活から嫌気がさして(?)、主のもとから飛び立つキューピッド。
ジョゼフ=マリー・ヴィアン( Joseph-Marie Vien, 1716年6月18日 – 1809年3月27日)
引用元:ジョゼフ=マリー・ヴィアン像 Finoskov CC-PD-Mark PD-old-100-expired CC-BY-SA-4.0
フランス、モンペリエに生まれたジョゼフ=マリー・ヴィアンは、ロココというより「新古典主義」の画家として知られています。
1789年に国王ルイ16世の筆頭宮廷画家となりましたが、同年1789年7月にフランス革命が起きます。
その後ナポレオン・ボナパルトに厚遇され、伯爵位を得ました。
ヴィアンの弟子に、『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』を描いたジャック=ルイ・ダヴィッドがいます。
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