18世紀フランスの国王ルイ15世は自分でコーヒーをいれて、臣下にもすすめたそうです。
そのルイ15世の公式寵姫だったポンパドゥール夫人とデュ・バリー夫人はどちらもコーヒーカップを手にした姿で描かれています。
上流社会のコーヒー文化
18世紀、ルイ15世の時代のヴェルサイユ宮殿。
庭園にはコーヒーの木が植えられていました。
高さは4メートルほどにもなり、年に6、7ポンドの実を産出していたそうです。
引用元:ルイ15世の肖像
かつては標本として王立植物園で育てられていたコーヒーの木。
先代のルイ14世はそれほど興味がわかなかったようですが、ルイ15世はコーヒーの愛好者で、自らコーヒーを淹れて客をもてなすこともありました。
茶道具(コーヒー道具?)にもかなり熱心だったようですね。
王とデュ・バリー夫人のコーヒー・マニアは国庫に少なからぬ負担をかけた。一七五四年から五五年にかけて、黄金のコーヒー・ポットや、やはり黄金でできたアルコール・ランプ、銀の鼎、葉飾りのついたコーヒー・カップ、新型のスプーン、はがねを彫った皿温め器、砂金と黄金でできたコーヒー・セット容れ、砂糖を容れる空色をしたウィーン磁器製のポットなどが次々に発注されている。この二年間で記録に残っているものだけでも総額一万三〇〇〇リーブルになる。宮廷でのこの豪華なコーヒー文化の進捗は何を意味しているのか。単にルイ十五世やデュ・バリー夫人の個人的趣味とはいえない。パリの上流社会では「コーヒー」という概念に、何か新たな要素がまとわりつき始めたのである。サロンでは何が生じているのか。デビネ夫人が一七六五年に書いた手紙が上流社会におけるコーヒーの意味概念の拡張を記している。
臼井隆一郎(著).2004-4-25.『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』.中公新書. pp.119-120.
デビネ夫人の手紙には、かた苦しさのない『カフェ』の集いというものが開かれたことが書かれています。
当日、邸には親しい人びとだけが集まります。
広間には小テーブルと椅子が数脚ずつ置かれており、軽食の載った、カウンターに見立てた長いテーブルもありました。
ビールやワインなど数種類の飲み物が並べられ、トランプ、チェス、新聞などの読みものも用意されます。
会を主催する女主人と、白い衣装を着けた給仕たちが行き来する中、客たちは好きな席に座って話に花を咲かせます。
更には歌にダンスに、小喜劇…。
なんだか本物のカフェみたいですね。
これは下々で流行している「カフェ」の真似事なのです。
コーヒーを飲むことが、パリのサロンという社交の場に取り入れられ、貴族的文化を構成していたのである。
臼井隆一郎(著).2004-4-25.『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』.中公新書. p.121.
そうした文化の頂点に立つのが、ルイ15世の公式寵姫、ヴェルサイユのトップ・レディーであるデュ・バリー夫人ことジャンヌ・ベキュでした。
デュ・バリー夫人( Madame du Barry, 1743年8月19日-1793年12月7日)
『コーヒーを飲むデュ・バリー夫人』 1771年-1780年頃 ジャン=バティスト・アンドレ・ゴーチエ=ダゴティ
引用元:デュ・バリー夫人
下町の貧しい生まれで、お針子、娼婦を経て、ポンパドゥール夫人亡き後のルイ15世の公式寵姫となったマリ=ジャンヌ・ベキュー( Marie-Jeanne Bécu )です。
貴族の身分を手に入れるために情夫デュ・バリーの弟と形ばかりの結婚をし、「デュ・バリー夫人」と呼ばれました。
そのデュ・バリー夫人の肖像画なのですが、
黒人の小姓に差し出された盆から銀のコーヒー・ポットを取り、銀のスプーンで掻きまわしている絹をまとった姿はさしずめスルタンの妃である。この肖像画によって、デュ・バリー夫人は自分がパリ社交界のトップレディーであることを宣言しているのである。
臼井隆一郎(著).2004-4-25.『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』.中公新書. p.121.
デュ・バリー夫人は毎朝9時に起き、入浴しながら侍女が読み上げる手紙や嘆願書の内容を聞きます。
そしてドレスに着替えたところへ、
そこへザモルという黒人の小姓が熱いコーヒーの入った銀のカップを運んでくる。それを飲んで、モスリン地のカバー(これも当世の流行だ)のかかった化粧机にすえられた大きな鏡に向かう。
飯塚信雄(著).1985.『デュバリー伯爵夫人と王妃マリ・アントワネット―ロココの落日』.文化出版局.p.64
入室を待っていたご機嫌伺いの業者たちと雑談を交わしながら、朝の化粧が行われました。
実はこのザモル( Zamor )という黒人の小姓が、後に革命裁判所の法廷でデュ・バリー夫人に対して不利な証言をすることになる人物です。
デュ・バリー夫人の頭文字「DB」のある食器
引用元:Punch bowl “with small vases and garlands” of Madame du Barry
デュ・バリー夫人の頭文字「DB」の付いた小ボウルです。
『セーブル陶磁名品展 フランス国立セーブル陶磁美術館所蔵 1987年』に、1771年制作の、同じようなデザインの皿やスプーンが掲載されています。
その平皿の説明文に、
ヴァンセンヌ製造所開設当時は、軟質磁器で各部をムラなく製造するのが難しく、平皿の生産は比較的少なかった。セーブルに移ってからは、生産量も増え、このデュ・バリー夫人の宴席用食器セットは少なくとも145点で構成されていた。
食器全体は、デュ・バリー夫人の頭文字の組み合わせで飾られ、周囲には香炉と花飾りが交互に付けられている。それらのモチーフはあっさりと配置され、女性的な優雅さに満ちている。
『セーブル陶磁名品展 フランス国立セーブル陶磁美術館所蔵 1987年』.p.53.
頭文字については、
当時の習慣では、食器セットの所有者とその妻の頭文字を花で飾った金文字で組み合わせることになっていた。
しかし、デュ・バリー夫人の夫などとは、王に対して不謹慎も甚だしいではないか!
『セーブル陶磁名品展 フランス国立セーブル陶磁美術館所蔵 1987年』.p.53.
引用元:小ボウル DBの頭文字
花飾り(ガーランド)と香炉が可愛らしいですね。
このルーヴル美術館所蔵品の Wikipedia の説明欄に「1771年」との記載がありました。
てことはこのボウル、もしかしてその145点のセットのうちのひとつかな?と思い、掲載しました。
下の画像の Wikipedia の説明欄にはデュ・バリー夫人の名はありませんでしたが、同じ図柄ですね。蓋にDとBの文字が施されています。コニャック=ジェイ美術館の収蔵品だそうです。
引用元:セーヴル磁器 コニャック=ジェイ美術館蔵 Sailko CC-BY-3.0
1771年9月の晩餐会の様子
引用元:1771年9月の晩餐会の様子
モロー・ル・ジューン( Moreau le Jeune ( “the younger” ) が描いた、1771年のパリ郊外にあるルーヴシエンヌでの晩餐会の様子です。
すごく沢山のひとがいますね。上の食器はこのような時に使用されたのでしょうか。
王の死後ヴェルサイユを追放されたデュ・バリー夫人は大好きなルーヴシエンヌに戻りました。
ルーヴシエンヌで画家ヴィジェ=ルブランとコーヒーを飲む
1786年、画家のエリザベート・ヴィジェ=ルブランが、デュ・バリー夫人の肖像画を描くためルーヴシエンヌを訪れます。
引用元:娘を抱いた自画像
ヴィジェ=ルブランは後にこのように描写しています。
「趣味の点でも装飾の豪華さからいっても有名な別館で毎日コーヒーを飲みました。サロンは魅力的で、窓からはすばらしい風光が楽しめました。暖炉もドアも大したもので、錠前は金細工師の傑作です。家具の優雅さは言葉ではつくすことのできないものでした」
と語っている。
飯塚信雄(著).1985.『デュバリー伯爵夫人と王妃マリ・アントワネット―ロココの落日』.文化出版局.p.162.
『マリー・アントワネットの宮廷画家―ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの生涯』(河出書房新社)にもこの時のことが描かれています。
当時デュ・バリー夫人は45歳くらい。
絵の制作は革命で一時中断され、完成したのは、夫人が処刑されたずっと後の1820年頃でした。
引用元:デュ・バリー夫人
ポンパドゥール夫人( Madame de Pompadour, 1721年12月29日-1764年4月15日)
『コーヒーを飲むポンパドゥール夫人』 1747年 シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー
デュ・バリー夫人の前任の公式寵姫、才色兼備で知られたポンパドゥール夫人です。
よく「ポンパドゥール侯爵夫人」といいますが、彼女の夫がポンパドゥール侯爵なのではなく、彼女自身が侯爵です。
正しくはポンパドゥール(女)侯爵( Marquise de Pompadour )と呼ぶべきでしょうね。
政治に関心の薄いルイ15世に代わり、政治に介入したポンパドゥール夫人ことジャンヌ=アントワネット・ポワソン( Jeanne-Antoinette Poisson )はブルジョワの出身で、高い教育を受けた女性でした。
下の絵はフランスの画家フランソワ・ブーシェが描いたポンパドゥール侯爵夫人の肖像です。とても有名な絵ですよね。
本を手にしているのは、貴族女性が本など読まない時代に多くの蔵書を持ち、書物を友としていたことを示しているからです。
後ろの書棚も頻繁に使用しているらしく、若干乱雑になっていますね。さり気ない演出です。
引用元:ポンパドゥール侯爵夫人
ポンパドゥール侯爵夫人はたいてい豪華なドレスをまとった姿で描かれています。
どれも美貌で、実に素敵な肖像画ですが、弟のマリニー侯爵(アベル=フランソワ・ポワソン・ド・ヴァンディエール)が気に入っていたのが、前出のスルタン(サルタン)の妃に扮してコーヒーを受け取る姉の絵でした。
弟のマリニー侯が、夫人のほんとうの姿を表しているといって、気に入っていた肖像画がある。
それはサルタンの妃の装いをして、黒人の女中からコーヒーかチョコレートかのカップを受けとろうとする夫人の横顔を描いたヴァン・ローの作品である。興味深いことに、この絵で夫人は仮装している。まるで、女優としての個性のほうが実際の人物よりも強烈だとでもいいたげだ。といっても、この肖像画は、東洋のイスラム教国の妃として描かれているわけではない。英語で「サルタンの妃」といえば、「サルタンのハーレムの女性、王の愛妾、高等遊女」の意味がある。この絵のポンパドゥール夫人は、ゆったりとしたポーズをとっていても、凛とした表情で、控えめながらもあたりを支配しているといった雰囲気を漂わせている。たとえかたわらに王(サルタン)がいなくとも、いちばん演じたかった役を演じる夫人の姿だ。マリニーがこの絵を好んだのは、おそらくはそういった思いからだったのだろう。
マーガレット・クロスランド(著)・廣田明子(訳).2001.『侯爵夫人ポンパドゥール―ヴェルサイユの無冠の女王』.原書房.p.258.
弟さんが言うのなら、これがポンパドゥール侯爵夫人の本当の顔なのかもしれませんね。
上の絵の銅板エッチング(1762年以降 ジャック・フィルマン・ボーバルレ作 ヨハン・ヤコブス博物館所蔵)が、『コーヒーを飲むポンパドゥール夫人』として書籍『コーヒーという文化』(柴田書店)に掲載されています。
エキゾチックな異国の飲み物が、18世紀の王の寵姫たちを魅了していきます。
盛装して威厳ある姿も良いですが、権力の誇示だとか異国趣味などが垣間見える気がするこれらの肖像画も面白いなあと思います。
- 臼井隆一郎(著). 2004-4-25.『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』.中公新書.
- 飯塚信雄(著).1985.『デュバリー伯爵夫人と王妃マリ・アントワネット―ロココの落日』.文化出版局.
- 石井美樹子(著).2011.『マリー・アントワネットの宮廷画家―ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの生涯』.河出書房新社.
- マーガレット・クロスランド(著)・廣田明子(訳).2001-12-1.『侯爵夫人ポンパドゥール―ヴェルサイユの無冠の女王』.原書房.
- UCCコーヒー博物館(編).1994.『コーヒーという文化―国際コーヒー文化会議からの報告』.柴田書店.
- 『セーブル陶磁名品展 フランス国立セーブル陶磁美術館所蔵』(1987年).
コメント
コメント一覧 (4件)
ハンナさん、こんにちは。
体調が悪かったのですね。
お返事がないのでコメントがうまく届いてないのか…私のアカウントでは見ることができたのですが、他のアカウントで見ることができるか分かりませんでしたので…、お加減が悪いのか、どちらかだな~と思っておりました。
お返事いただいて、とても嬉しいです。
どうぞ無理をなさらないでください。
まだまだ寒いです。
ご自愛下さいませ。
わたしも、ゆっくり更新していますから(笑)
ぴーちゃん様
ご心配おかけして申し訳ありませんでした。
今からぴーちゃんさんのブログにお邪魔します。
ハンナさん、こんにちは。
コーヒー=アメリカという印象だったのですが、フランスの貴族も飲んでいたのですね。
コーヒー=庶民の飲み物と言う印象があったので、驚きです。
コーヒーのおいしさ、いつの時代も一緒ですね。
トルコからの文化も入ってきていたみたいですね。
モーツアルトがトルコ行進曲を作曲した時、ウイーンでトルコブームが巻き起こっていたのだという事を、聞いたことがあります。
興味深い記事をどうもありがとうございました。
ぴーちゃん様
コメントくださったのに、返信遅くなって本当に申し訳ありませんでした。
ちょっと調子が良くなかったのですが、ようやくなんとか復活して参りました。
改めてぴーちゃんさんのブログの方にご連絡しますね。