今回は、あの「髪飾り」と呼んでしまうには存在感が大き過ぎるアレの話です。セットするのも大変ですが、セットした後も大変だったという…。
プフ( Pouf )
1774年のヴェルサイユ。
頭に付けたプフ(クッション)の上に、自分の最愛の人や事物を連想させる物を乗せた「愛着(サンティマン)プフ」(フランス語 Pouf aux sentiments / 英語 Sentimental pouf )が流行し、これを付けたシャルトル公爵夫人が姿を見せます。
引用元:ルイーズ・マリー・アデライード・ド・ブルボン=パンティエーヴル
ヴィジェ=ルブランによる、ルイーズ・マリー・アデライード・ド・ブルボン=パンティエーヴル( Louise Marie Adélaïde de Bourbon-Penthièvre, 1753年3月13日-1821年6月23日)の肖像画です。
1769年のオルレアン公イ・フィリップ2世との結婚により、シャルトル公爵夫人、後にオルレアン公爵夫人などとも呼ばれました。
『ローズ・ベルタン マリー=アントワネットのモード大臣』(白水社)ではシャルトル公爵夫人(当時夫はシャルトル公爵)として登場します。
プフの例
引用元:センチメンタル・プフ(愛着プフ)
引用元:ローズ・ベルタン
後に王妃マリー・アントワネットの「モード大臣」と呼ばれた、ローズ・ベルタン(Marie-Jeanne Rose Bertin、1747年7月2日-1813年9月22日)です。
この肖像画もヴィジェ=ルブランの手によるものです。
ローズ・ベルタンがシャルトル夫人の為にデザインした「伝記風プフ」。
プフの上には、シャルトル公爵夫人の飼っているオウム、息子のルイ・フィリップ、夫シャルトル公爵、実父パンティエーヴル公爵、義父オルレアン公爵の像が乗っていました。
勿論それ自体の画像はありませんが、こんな感じ?
引用元:Claude-Louis Desrais(1746-1816 )のファッションプレート
引用元:その他の例(The heads and shoulders of four women wearing elaborate wigs より)
引用元:風刺画
(1778年から、アメリカでは独立戦争が始まっていました。フランスは独立を支援しており、この飾りは「Coiffure à l’Indépendance ou le Triomphe de la Liberté」(Wikipedia)とありましたので、「自由の勝利」、「独立」を表すものだと思われます)
引用元:ランバル公妃
1776年頃のランバル公妃。
マリー・アントワネットの女官長で、シャルトル夫人の兄嫁です。
不潔
18世紀、フランス宮廷の貴婦人の間で、「そびえ立つ髪型」が流行した時のことです。
髪の毛を不動の構造体のように垂直方向に固定するので、あるアレンジには「ハリネズミ」スタイルと名がついた。建造物のようなその髪の上には「プフ」と呼ばれる大きなクッションが乗せられ、これがさまざまな飾りの土台となった。ベルタンは、「ぴったりしたもの」「シンプルなもの」「互い違いのプリーツの入ったもの」「逆さ蝶」などさまざまなプフを作りだし、その上に流行のものをすべて、安物から贅沢品まで、うまく取り付ける才に長けていた。
『ローズ・ベルタン マリー・アントワネットのモード大臣』 白水社
髪を支えるために、針金や馬の毛などが使われた。また、ボリュームを出すために入れ毛が使われ、仕上げには髪粉やポマードを使用した。
能澤慧子(監修). 2016-3-30. 『世界服飾史のすべてがわかる本』. ナツメ社. p.96.
「90センチメートルを超える高さの巨大な髪」も登場し、更にその後大きな羽根飾りも付くとあっては、やはり馬車に乗るのも一苦労です。 天井につかえてしまうので、馬車の窓から頭だけ出していた、ということもあったようです。
そこで、髪の高さを高くしたり低くしたりする方法が編み出されました。
また、
つけ髪とは別に、馬の毛を入れて膨らませた大きなクッションが使われる。数10センチメートルの長いヘアピンがまるで森のように突き刺さり、その尖った先端は頭皮に固定される。パウダーやポマードが大量に使われるので、その芳香がやがて互いにいがらっぽくなって神経に触る。頭部からの発汗が妨げられるうえ、頭部の健康にも大きな脅威だ。何か重いものがこの美しき頭部の上に落ちると、尖った鉄の針で穴だらけになってしまいかねない。
『ローズ・ベルタン マリー・アントワネットのモード大臣』
危険ですね…。
セットするには当然数時間がかかります。 費用もかかる。 となると、頻繁に洗えないから、不衛生です。
そして、一度セットしたら2週間はベッドでゆっくり眠れなかったという…。
しかし、例外もあって、その代表的人物がデュ・バリー夫人。
デュ・バリー夫人は例外
1769年のデュ・バリー夫人(1745年8月1日-1793年12月7日)の肖像画です。
宮廷貴族も大層不潔なこの時代に、デュ・バリー夫人にはとても「特異」な習慣があり、
女性たちは複雑に結い上げた髪のなかへ櫛を突っ込んで汚れをこそげ落とした。油ぎった頭皮にシラミがわくと、かゆくてたまらないからだ。それに対してデュ・バリー夫人には、汚れも、臭いも、ノミもシラミも無縁だった。夫人は週に何度もバラの香りの風呂を浴びていた。
エレノア・ハーマン(著) 高木玲(訳). 2005-12-30. 『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』 KKベストセラーズ. p.70.
清潔にしていた女性だったのですね。
しかし、「週に何度もバラの香りの風呂」に入るのはすごく贅沢な習慣だったのでは…。
そこはやはり国王の寵姫だからこそできたことではないかと思います。
『青い服を着た婦人の肖像』 1770年後半-1780年初頭 トマス・ゲインズバラ
18世紀英国の画家、トマス・ゲインズバラ (Thomas Gainsborough、1727年5月14日-1788年8月2日) の『青い服を着た婦人の肖像』(『青衣の婦人の肖像』とも表記)です。
引用元:『青い服を着た婦人の肖像』
このモデルは諸説ありますが、盛り上げて飾りをつけた髪形(プフ装着)や濃い頬紅、腕のブレスレットにロココの甘~い香りが漂いますね。
肖像画家ヴィジェ=ルブラン夫人が描いたフランス王ルイ16世妃マリー・アントワネットも、高く結った髪にダチョウの羽根飾りをつけています。
引用元:マリー・アントワネット
- 『ローズ・ベルタン マリー・アントワネットのモード大臣』 白水社
- 能澤慧子(監修). 2016-3-30. 『世界服飾史のすべてがわかる本』. ナツメ社.
- エレノア・ハーマン(著). 高木玲(訳). 2005-12-30. 『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』. KKベストセラーズ.