デヴォンシャー公爵夫人が被るつば広の帽子「ゲインズバラ・ハット」

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18世紀の画家トマス・ゲインズバラの『デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナの肖像』。公爵夫人が被っている大きな帽子の名の由来と、同じ頃流行したモスリン製ドレスを着た貴婦人たちの肖像画です。

ジョージアナ・キャヴェンディッシュ (デヴォンシャー公爵夫人)( Portrait of Georgiana, Duchess of Devonshire ) 1785年 - 1787年 トマス・ゲインズバラ チャッツワース・ハウス蔵
ジョージアナ・キャヴェンディッシュ (デヴォンシャー公爵夫人)( Portrait of Georgiana, Duchess of Devonshire ) 1785年 – 1787年 トマス・ゲインズバラ チャッツワース・ハウス蔵
目次

『デヴォンシャー公爵夫人の肖像』( Portrait of Georgiana, Duchess of Devonshire ) 1785年 – 1787年 トマス・ゲインズバラ チャッツワース・ハウス蔵

『デヴォンシャー公爵夫人』 1785-1787年 トマス・ゲインズバラ チャッツワース・ハウス蔵
『デヴォンシャー公爵夫人』 1785年 – 1787年 トマス・ゲインズバラ チャッツワース・ハウス蔵

引用元:『デヴォンシャー公爵夫人』

1757年6月7日、ジョージアナは初代スペンサー伯爵の長女としてオルソープで生まれました。(現在のスペンサー伯爵は第9代目。故ダイアナ妃の弟に当たる方です。)

1774年6月6日、17歳の誕生日を迎える前日、第5代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュと結婚します。

この『デヴォンシャー公爵夫人の肖像』はジョージアナが30歳頃に描かれたものです。

結婚して13年が経ち、幾度かの流産を経て得た子どもは女児ふたり。未だ跡取りの男児をもうけることはできていませんでした。

絵の中のジョージアナは大きな帽子を被り、手にしているのは薔薇の花。透ける素材のショールを纏っています。

美貌を誇る公爵夫人ですが、この絵が強い印象を残すのは眉。

片方上げてこちらを見るその一瞬、いたずらっぽく?それとも高慢に? いや、茶目っ気たっぷり? まさか、見透かされてる? こちらのメンタル状態によって受け取り方は様々ですが、台詞は無くても、私たち鑑賞者に何か語りかけてくるような。

 端正な美貌に加え、知的で、おくせず自己主張し、政治にも関わり、時代のファッションリーダーとして、また社交界の花として君臨した彼女は、フランス風の(いい換えればマリー・アントワネット風の)ダチョウの羽付き帽をかぶり、これまたアントワネットと同じく薔薇を手に持っている(本作が完成したのはフランス革命の二年前)。

中野京子(著). 2018-7-13. 『美貌のひと』. PHP新書. p.74.

カリスマ性を備え、寛大で親切、ユーモアがあったというジョージアナ。

フランス国王ルイ16世妃マリー・アントワネットとも友人でした。

王妃が亡くなった2週間後、ジョージアナは母親に宛てた手紙の中で、マリー・アントワネットの裁判時のことについて書いています。

多くの男性たちがジョージアナに魅せられたといいますが、ひとりだけ、夫のデヴォンシャー公爵だけは彼女に関心を示そうとしませんでした。

公爵はジョージアナに、妻として男児を産むことのみを要求。

そして召使いに産ませた子供を連れてきて、ジョージアナに育てるよう命じます。

その頃ジョージアナはエリザベス・フォスターという離婚歴のある女性と知り合い、親しくなりました。

ジョージアナは自分の屋敷へエリザベスを招き住まわせますが、エリザベスがデヴォンシャー公爵と愛人関係となってしまいます。

ジョージアナが亡くなるまで、20年以上に渡り親友と夫の仲は続きます。

ジョージアナはチャールズ・グレイという若い貴族男性とも知り合います。

チャールズ・グレイはジョージアナが支持するホイッグ党の一員でした。

1790年、ついに長男ウィリアムを出産し、デヴォンシャー公爵家の跡継ぎを得たジョージアナ。

子作りの義務から解放された2年後、ジョージアナはフランスでチャールズ・グレイの子供を出産。

イライザと名付けられ、グレイ家に引き取られました。

グレイとの恋は諦めなくてはなりませんでしたが、後にイライザを訪ねることを許され、ジョージアナはイライザに愛情とプレゼントを贈ります。

成長し結婚したイライザは自分の娘に母ジョージアナの名を付けました。

1806年3月30日、ジョージアナは病気でこの世を去ります。

デヴォンシャー公爵は1809年にエリザベスと再婚しましたが、1811年に死去。

ふたりにはキャロライン(1785生)、オーガスタス(1788年生)というふたりの子供がいました。

チャールズ・グレイは1794年に結婚。夫人との間に16人の子供をもうけます。

1830年から1834年にかけて英国首相を務めました。

1876年、ゲインズバラの『デヴォンシャー公爵夫人』はオークションにかけられ、当時の史上最高価格で落札されました。

しかしその数日後、ある男によって盗み出されてしまいます。

16年後に容疑者アダム・ワースが別件で逮捕されましたが、ワースは『デヴォンシャー公爵夫人』の行方については口を割ることはありませんでした。

絵の中のデヴォンシャー公爵夫人に恋をしてしまったというワース。

やがて死期を悟ったワースは、25年という長い逃避行に終止符を打ちます。

絵は1901年に元の持ち主である画廊に戻りました。

もう少し詳しく知りたい方はこちらをどうぞ

『デヴォンシャー公爵夫人』 1783年 トマス・ゲインズバラ ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵

ジョージアナ・キャヴェンディッシュ (デヴォンシャー公爵夫人)( Georgiana, Duchess of Devonshire, 1783 ) 1783年 トマス・ゲインズバラ ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵
ジョージアナ・キャヴェンディッシュ (デヴォンシャー公爵夫人)( Georgiana, Duchess of Devonshire, 1783 ) 1783年 トマス・ゲインズバラ ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵

引用元:ジョージアナ・キャヴェンディッシュ (デヴォンシャー公爵夫人)

ナショナル・ギャラリー・オブ・アートGeorgiana, Duchess of Devonshire

美人は何を着ても美人という思いを強くする一枚。

特別大きなつば広の帽子やレース、飾り立てたドレスがなくても彼女は魅力的です。

でもチャッツワース・ハウス所蔵の肖像画に、より惹かれるのは何故?

やっぱり、眉のせい?

この作品でデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナは、古代風の薄ピンク色のドレスを身につけています。

衣装のドレープと透き通るショールがまた優雅ですね。

この時既に自分の内側にどのような感情を抱えていたとしても、この肖像画の微笑みを観る分には、何の不自由もない「社交界の華」のイメージです。

ジョシュア・レノルズによる肖像画

スペンサー伯爵夫人とジョージアナ・スペンサー

スペンサー伯爵夫人とジョージアナ・スペンサー ジョシュア・レノルズ オルソープ
母スペンサー伯爵夫人とジョージアナ・スペンサー ジョシュア・レノルズ オルソープ

引用元:スペンサー伯爵夫人とジョージアナ・スペンサー

デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ

デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ( Georgiana (Spencer) Cavendish, Duchess of Devonshire ) 1775年 - 1776年 ジョシュア・レノルズ ハンティントン・ライブラリー蔵
デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ 1775年 – 1776年 ジョシュア・レノルズ ハンティントン・ライブラリー蔵

引用元:デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ

ハンティントン・ライブラリーGeorgiana (Spencer) Cavendish, Duchess of Devonshire

デヴォンシャー公爵夫人は、非常に威厳がありながらも控えめな印象を与えます。この絵を依頼した母も、きっとその気質を高く評価したことでしょう。実際、ジョージアナは明るい性格と気取らない振る舞いで知られており、その気品あるカジュアルな服装でセンセーションを巻き起こしました。(Google翻訳)

ハンティントン・ライブラリーGeorgiana (Spencer) Cavendish, Duchess of Devonshire

デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ

デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ( Portrait of Georgia Spencer, Duchess of Devonshire ) 1780年 - 1781年 ジョシュア・レノルズ チャッツワース・ハウス蔵
デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ 1780年 – 1781年 ジョシュア・レノルズ チャッツワース・ハウス蔵

引用元:デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ

artnetPortrait of Georgia Spencer, Duchess of Devonshire

デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナと娘

デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナと娘( Portrait of Georgiana Cavendish, Duchess of Devonshire (1757‑1806) with her infant daughter Lady Georgiana Cavendish (1783‑1858), later Countess of Carlisle ) 1785年頃 ジョシュア・レノルズ チャッツワース・ハウス蔵
デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナと娘 1785年頃 ジョシュア・レノルズ チャッツワース・ハウス蔵

引用元:デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナと娘

下の女性はジョージアナの親友で、デヴォンシャー公爵の二番目の妻となったエリザベスです。

エリザベス・フォスター( Lady Elizabeth Foster, 1758年5月13日 - 1824年3月30日) 1787年 ジョシュア・レノルズ チャッツワース・ハウス蔵
エリザベス・フォスター( Lady Elizabeth Foster, 1758年5月13日 – 1824年3月30日) 1787年 ジョシュア・レノルズ チャッツワース・ハウス蔵

引用元:エリザベス・フォスター

エリザベスの、男性の交友関係は広く、マリー・アントワネットの恋人とされるフェルゼン伯爵とも関係があったといわれています。

マリー・アントワネットの処刑後、フェルゼンはエリザベスに、マリー・アントワネットは「王妃として、女性としての模範」だったと語ったとのことです。

チャッツワースのHP。肖像画は探せませんでしたが、参考まで

Kindle版、Audible版、ハードカバーが出ています。18世紀の貴族社会に興味ある方、英語の勉強にいかがでしょうか。私の場合はハードカバーは素敵なインテリアに…。

Georgiana: Duchess of Devonshire

映画版

ヴィジェ=ルブランの絵画の中のファッション

フランス国王ルイ16世妃マリー・アントワネットの画家、エリザベート・ヴィジェ=ルブラン(1755年4月16日 – 1842年3月30日)による、自画像とラ・シャトル伯爵夫人の肖像画です。

『麦わら帽子の自画像』 1782年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

『麦わら帽子の自画像』( Self Portrait in a Straw Hat ) 1782年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
『麦わら帽子の自画像』( Self Portrait in a Straw Hat ) 1782年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:ヴィジェ=ルブラン夫人 『麦わら帽子の自画像』

ナショナル・ギャラリーSelf Portrait in a Straw Hat

『ラ・シャトル伯爵夫人』 1789年 エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン メトロポリタン美術館蔵

ラ・シャトル伯爵夫人(マリー・シャルロット・ルイーズ・ペレット・アグラエ・ポンタン、1762年 - 1848年)( Comtesse de la Châtre (Marie Charlotte Louise Perrette Aglaé Bontemps, 1762–1848)  1789年 エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン メトロポリタン美術館蔵
ラ・シャトル伯爵夫人(マリー・シャルロット・ルイーズ・ペレット・アグラエ・ポンタン、1762年 – 1848年)( Comtesse de la Châtre (Marie Charlotte Louise Perrette Aglaé Bontemps, 1762–1848)  1789年 エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン メトロポリタン美術館蔵

引用元:ラ・シャトル伯爵夫人

メトロポリタン美術館Comtesse de la Châtre (Marie Charlotte Louise Perrette Aglaé Bontemps, 1762–1848)

本作は、ヴィジェ=ルブランがフランス革命により亡命した1789年に描かれました。

モデルのアグラエは、革命後に夫ラ・シャトル伯爵と離婚。

長年恋人関係にあった男性と結婚しますが、この絵は彼のために描かれたものと推測されているそうです。

彼女は当時の流行のドレスを纏っており、その繊細な生地には1783年頃にマリー=アントワネットが世に広めた繊細な小枝模様のモスリンが用いられている。大きく広がったスカートの上に細身の胴衣を着るスタイル(ここでは、同じモスリンで作られたフィシュと呼ばれる三角形のスカーフを胸元でクロスさせながら着用している)、特にリボンで縁取りされた大きなつばのある麦わら帽子と組み合わせた場合は、イギリス流の着こなしであった。このような帽子は当時、ジョシュア・レノルズやジョージ・ロムニーといったイギリスの画家たちの絵画に好んで描かれている。

『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』(2021-22). p.153.

柔らかな白いドレスが印象的ですね。

「イギリス流の着こなし」という箇所に惹かれます。

「このような帽子は当時、ジョシュア・レノルズやジョージ・ロムニーといったイギリスの画家たちの絵画に好んで描かれている。」と。

メトロポリタン美術館の解説によると、ヴィジェ=ルブランは、英国の画家ジョージ・ロムニーによるエマ・ハミルトンの肖像画に見られるような、「カジュアルで計算されたエレガンスに触発された革新的なポーズ」と組み合わせました。

1780年代の流行服

18世紀の英国ではインド綿の輸入が増え、モスリンも改良されます。

英国の画家レノルズやロムニーらのモデルが着ているモスリンのドレスは、英国がフランスにもたらした流行のファッションでした。

18世紀末、英国やフランスで白いモスリン製ドレスの人気が高まります。

 レノルズ、ロムニー、ローレンスらの絵画でおなじみの薄いモスリン製の白いドレスも、イングランドがもたらした八〇年代の流行服の一つだった。この点では、イギリスはフランスよりも早く古代ギリシャの魅力の虜になったというわけだった。イギリスは、マリー・アントワネットの影響が色濃いフランス宮廷からの拘束を受けない分、建築家や製図師たちの創作欲をかき立てたのと同じ創造の源を、服装にも自由に採り入れることができた。

ブランシュ・ペイン(著). 古賀敬子(訳). 2006-10-30. 『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』. 八坂書房. p.360.

モスリンの簡素で軽やかなドレスを見ていると、頭にはダチョウの羽根飾り、大きく横に広がったドレス、といろいろと飾り付けた1770年代の宮廷用ドレスが、非常にゴテゴテと重たそうに見えます。

マリー・アントワネットの肖像 1778年 ヴィジェ=ルブラン 美術史美術館蔵
『ルイ16世妃マリー・アントワネットの肖像』 1778年 エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン 美術史美術館蔵

引用元:マリー・アントワネットの肖像

美術史美術館Erzherzogin Marie Antoinette (1755-1793), Königin von Frankreich

ヴィジェ=ルブランによる1778年のマリー・アントワネットの肖像画

モロー(子)の原画に基づくエッチング 1777年 フランス国立図書館蔵
Les Adieux(モロー(子)の原画に基づくエッチング) 1777年 フランス国立図書館蔵

引用元:モロー(子)の原画に基づくエッチング

モロー・ル・ジューン(モロー(子))が描く貴族社会の恋愛場面。

大きく開いたデコルテ、首周りにはフリルの飾りが付いていますが、17世紀前半のメディチ・カラーと呼ばれる襟に比べると随分小さくなっておとなしめ。

貴婦人の首元に咲く車輪のようなラフの花

先ほど挙げた『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』からの引用文の中に、「古代ギリシャ」との言葉が出てきました。

18世紀前半、イタリアで古代ローマの遺跡が発掘され、古代文明への憧憬から古代調ファッションが見られるようになります。

改良したインディアン・モスリンが大いに尊重され、またその後イギリス、フランス両国において古典様式が復活すると、古典主義的な服装にふさわしい、薄く柔らかく体にまとわりつくような生地が求められたのだった。十八世紀の終りには、古代ギリシャ人が着用したヒマティオンの代わりに、女性たちは無類の高品質であるインド産ショールを嬉々として身に着けた。

ブランシュ・ペイン(著). 古賀敬子(訳). 2006-10-30. 『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』. 八坂書房. p.348.

ヒマティオン( Himation )とは、古代ギリシアにおいて男女ともに用いられた外衣のこと。

古代ローマのトーガの原型。布を巻き付けて魅せるドレープ・ファッションですね。

1885年頃の書籍・マイヤー百科事典からヒマティオン(外衣)着装例
1885年頃の書籍・マイヤー百科事典からヒマティオン(外衣)着装例

引用元:1885年頃の書籍・マイヤー百科事典からヒマティオン(外衣)着装例

18世紀の古代ブーム

18世紀の古代ブーム ジョゼフ=マリー・ヴィアンの『キューピッド売り』

英国の画家、ロムニー、レノルズ、ローレンス

ジョージ・ロムニー( George Romney, 1734年12月26日 – 1802年11月15日)

下の絵はロムニーが描いたエマ・ハミルトンの肖像。ヴィジェ=ルブランもエマの姿を複数枚描いています。

『麦わら帽子のエマ・ハート(後のエマ・ハミルトン)』( Emma Hart, later Lady Hamilton, in a Straw Hat )  1782年 - 1784年頃 ジョージ・ロムニー ハンティントン・ライブラリー美術館蔵
『麦わら帽子のエマ・ハート(後のエマ・ハミルトン)』( Emma Hart, later Lady Hamilton, in a Straw Hat )  1782年 – 1784年頃 ジョージ・ロムニー ハンティントン・ライブラリー美術館蔵

引用元:麦わら帽子のエマ・ハート(後のエマ・ハミルトン)

ハンティントン・ライブラリー美術館Emma Hart, later Lady Hamilton, in a Straw Hat

この肖像画は、彼女の女性らしい美しさだけでなく、まだ10代の少女らしい軽薄さも捉えています。彼女のポーズは、自己防衛と内気さが入り混じっています。腕を体に抱き寄せる動作は慎み深いようにも見えますが、この仕草によって胸元が強調されていることは、彼女の肉体的な魅力をも引き立てています。(Google翻訳)

ハンティントン・ライブラリー美術館Emma Hart, later Lady Hamilton, in a Straw Hat

ジョシュア・レノルズ( Sir Joshua Reynolds, 1723年7月16日 – 1792年2月23日)

こちらは英国の初代アカデミー会長ジョシュア・レノルズによる、スキップウィズ夫人の肖像です。

スキップウィズ夫人の肖像( Selina, Lady Skipwith ) 1787年 ジョシュア・レノルズ フリックコレクション蔵
スキップウィズ夫人の肖像( Selina, Lady Skipwith ) 1787年 ジョシュア・レノルズ フリックコレクション蔵

引用元:スキップウィズ夫人の肖像

フリックコレクションSelina, Lady Skipwith

セリーナ・シャーリー (1752年 – 1832年)は、1785年にトーマス・ジョージ・スキップウィズ卿と結婚しました。

大きな帽子に胸元の造花、白いドレス。自然の中で、上品な印象の夫人はくつろいだ様子で描かれています。

羽飾りやリボンをふんだんに飾った派手な帽子の下のスキップウィス夫人の表情は陰鬱で、誇張された青白さはメイクアップによってさらにファッショナブルな効果として強調されています。紅を塗った頬は若さ、健康、慎ましさ (この文化では、赤ら顔は慎ましい女性の美徳とされていました) を示しています。ネッカチーフに挟まれた花束は、心地よい香りを漂わせる一般的なアクセサリーでした。(Google翻訳)

フリックコレクションSelina, Lady Skipwith

(2022年10月頃のフリックコレクションの解説に、「(モデルの)自然なポーズと設定、新鮮で自由な絵具使いは、(レノルズのライバルだった画家)ゲインズバラの作品に部分的に反応した、画家の後期のスタイルの典型」(Google翻訳使用)とありました。

2026年2月時点ではその記述は見当たらず、消されたのか記述の場所が変わったかはっきりわかりませんでした)

トマス・ローレンス( Sir Thomas Lawrence, 1769年4月13日 – 1830年1月7日)

英国の肖像画家ローレンスの作品です。

ハリエット・マリア・デイ嬢の肖像( Portrait of Miss Harriet Maria Day ) 1789年 トマス・ローレンス モントリオール美術館蔵
『ハリエット・マリア・デイ嬢の肖像』( Portrait of Miss Harriet Maria Day ) 1789年 トマス・ローレンス モントリオール美術館蔵

引用元:ハリエット・マリア・デイ嬢の肖像 CC-BY-SA-4.0

モントリオール美術館Portrait of Miss Harriet Maria Day

独学で絵を学んだというトマス・ローレンス。

本作を制作したのはローレンスが20歳の頃です。

1787年にロンドンに出てきたローレンスはジョシュア・レノルズに迎えられてロイヤル・アカデミーの生徒となり、1820年に会長に就任しました。

モデルとなったハリエット・デイはベンジャミン・デイの娘として生まれ、1794年に結婚。

ダンテを翻訳した翻訳家の母親となり、1843年に死去したそうです。

自然の中の彼女の眼差し、表情が大変魅力的ですね。

『ポリニャック夫人の肖像』 1783年 エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ワデスデン・マナー蔵

『ポリニャック夫人の肖像』( Martine-Gabrielle-Yoland de Polastron, The duchesse de Polignac (1745-1793)) 1783年 エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ワデスデン・マナー蔵
『ポリニャック夫人の肖像』( Martine-Gabrielle-Yoland de Polastron, The duchesse de Polignac (1745-1793)) 1783年 エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ワデスデン・マナー蔵

引用元:『ポリニャック公爵夫人の肖像』

ワデスデン・マナーMartine-Gabrielle-Yoland de Polastron, The duchesse de Polignac (1745-1793)

マリー・アントワネットの側近、ポリニャック公爵夫人。

流行を取り入れた、ローレンスのモデルのような白いモスリンのドレスを着ています。

ピンクの帯を締め、首には真珠のネックレス。

羽根飾りとスカーフが付いた大きな帽子にも目が行きますね。

ヴィジェ=ルブランの肖像画の中のポリニャック夫人は、「流行に沿ったシルエットではあるが宮廷衣裳とは対照的な、好感の持てる白い長袖のドレス」を着ています。(『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』)

ワデスデン・マナーの解説にも衣装に関する記述があります。

ヴィジェ=ルブランは、1770年代後半に流行した写実主義的な衣装をまとった公爵夫人を描いています。この肖像画は、ルーベンスの言葉と現代的な感性を融合させています。(Google翻訳)

ワデスデン・マナーMartine-Gabrielle-Yoland de Polastron, The duchesse de Polignac (1745-1793)

バロックの画家ルーベンスの名が出て来ましたが、ヴィジェ=ルブランは1781年に訪れたフランドル(現在のベルギー)やオランダで、ルーベンスやアンソニー・ヴァン・ダイクの作品を目にしています。

1770年代後半、マリー・アントワネットに率いられた女性たちは、タイトなドレスや大きなかつらといった窮屈なファッションを脱ぎ捨て、自然と純潔を連想させるよりシンプルなスタイルの服を求めるようになりました。公爵夫人の簡素なモスリンのドレスは、装飾的な帽子と対照的です。この帽子は、ヴィジェ=ルブランが1782年にアントワープを訪れた際に感銘を受けたルーベンスの肖像画「白い帽子」(1622-1625年、現ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵)に見られる技巧を彷彿とさせます。(Google翻訳)

ワデスデン・マナーMartine-Gabrielle-Yoland de Polastron, The duchesse de Polignac (1745-1793)

ルーベンスの『シュザンヌ・フールマンの肖像』に惹かれたヴィジェ=ルブランは、巨匠へのオマージュとして『麦わら帽子の自画像』を描き上げました。

シュザンヌ・フールマンはフェルト帽を被っていますが、ヴィジェ=ルブランは季節の花を飾った麦わら帽子を被っています。

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン 1782年の自画像と『ポリニャック公爵夫人の肖像』

マリー・アントワネットのシュミーズ・ドレス姿

画家ヴィジェ=ルブラン自身もシュミーズ・ドレスを纏い、羽根飾りの付いた大きな帽子を被っています。

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン自画像 1781年 - 1782年頃 キンベル美術館蔵
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン自画像 1781年 – 1782年頃 キンベル美術館蔵

引用元:ヴィジェ=ルブラン自画像

キンベル美術館Self-Portrait, c. 1781

前出のヴィジェ=ルブランの絵画『ラ・シャトル伯爵夫人』の解説に、

「1783年頃にマリー=アントワネットが世に広めた繊細な小枝模様のモスリン」

という記述がありましたが、下の肖像画はその1783年のサロンに展示されたもの。

シュミーズ・ドレス姿のマリー・アントワネット 1783年のサロン エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ヴォルフスガルテン城
『シュミーズ・ドレス姿のマリー・アントワネット』 1783年のサロン エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ヴォルフスガルテン城

引用元:シュミーズ・ドレス姿のマリー・アントワネット

フランス宮廷のファッションリーダー、マリー・アントワネットのシュミーズ(下着)・ドレス姿です。

この「王妃らしからぬ姿」の肖像画は、激しい非難、中傷の的となりますが、まもなく「王妃風シュミーズ」の名で流行しました。

 モスリンのドレスは形だけでなく、素材によってもシンプルさが強調されていた。モスリンは西インド諸島生まれのクレオールの貴婦人たちがフランスにもちこんだものだが、そのドレスはマリー・アントワネットが憧れる簡素な生活のロマンチックな情景にぴったりだった。王妃はこれがすっかり気に入って、尊敬する友人たち、たとえばイギリスのデヴォンシャー公爵夫人などにプレゼントしたほどだった。フランスのシルク業界は王妃が国内のシルク産業を振興する義務を怠ったといって非難した。しかし、再度いうが、マリー・アントワネットは流行に乗っていただけで、とくにファッションの刷新をしたわけではなかった。ヨーロッパ全体で衣装(とヘアスタイル)の簡素化が進んでおり、それはいわば一つの時代精神ツアイトガイストとなっていた。

アントニア・フレイザー(著). 野中邦子(訳). 2007-1-20. 『マリー・アントワネット 上』. 早川書房. pp.361-362.

盛りに盛ったファッションから、簡素なファッションへ。

そしてデヴォンシャー公爵夫人との交流が、ここにも出てきます。

ファッション関連の書籍だと、モスリンのドレスは「イングランドからフランスにもたらされ、流行」とあり、その流行の始まりが何となく気になりますね。

デヴォンシャー公爵夫人も当時のファッションリーダーでしたから、彼女がどのようなファッションを流行らせたかなども興味があります。また書籍等見つけましたら追記します。

「クレオール」とは、「西インド諸島、中南米などで生まれ育ったヨーロッパ人。特にスペイン人、フランス人をいう。クリオール。」( Weblio 辞書:クレオール【Creole】

ゲインズバラ・ハットと肖像画の女性たち

18世紀末、羽毛で飾り、縁取りをした広いつばの帽子が流行しました。

この頃流行していた大きく豪華な髪型の上に被ることを念頭にデザインされています。

これは18世紀英国の画家トマス・ゲインズバラが肖像画の中で描いた帽子に触発されたと言われ、「 ゲインズバラ・ハット( Gainsborough hat )」と呼ばれます。

当時は「ゲインズバラ・シャポー( Gainsborough Chapeau )」としてよく知られていたそうです。

「ゲインズバラ・ハット」は他に、「ピクチャー・ハット( Picture hat )」(顔を縁取る広いつばを額、顔を絵に見立てるから?)とも言われます。

画家トマス・ゲインズバラ ( Thomas Gainsborough, 1727年5月14日 – 1788年8月2日)

トマス・ゲインズバラ (1727年5月14日 - 1788年8月2日) 1758年頃 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵
トマス・ゲインズバラ (1727年5月14日 – 1788年8月2日) 1758年頃 ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵

引用元:トマス・ゲインズバラ自画像

ナショナル・ポートレート・ギャラリーThomas Gainsborough

魅力的な肖像画だけでなく風景画にも秀でていたゲインズバラは両方のジャンルで成功を収め、ジョシュア・レノルズと共に18世紀英国の絵画界を牽引しました。

ライバルであったレノルズがイタリアに旅行し、ミケランジェロやラファエロのようなルネサンスの古典を学んだのに対し、ゲインズバラはイタリアには行かず、古典芸術やルネサンス芸術より17世紀のアンソニー・ヴァン・ダイクの肖像画の技法に惹かれていました。

チャールズ1世の娘メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートの肖像(ボストン美術館)

鮮やかな色彩、巧みな筆遣いがゲインズバラの特徴です。

私の中では、重厚でクールな感じがするレノルズに対し、優雅でロココ美術の甘さ漂うゲインズバラ。

画家の名前も知らなかった頃から後者の方により惹かれたのですが、後でナットクしました。

1740年にロンドンに出てきたゲインズバラは、フランス人彫刻家ユベール=フランソワ・グラヴロ( Hubert-François Gravelot )のもとで学びます。

グラヴロは母国で画家ジャン・レストゥー2世、フランソワ・ブーシェの弟子をしていました。

その後渡英したグラヴロは、英国絵画の父、親密な集団肖像画「カンヴァセーション・ピース」で知られるウィリアム・ホガースたちとロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの前身となったとされる美術学校を運営していました。ゲインズバラもこの学校で学んでいます。

ゲインズバラはバロックの画家アンソニー・ヴァン・ダイクを手本とし、ロココの画家ブーシェ様やホガース先生につながっているという、正に私の好きな画家の系譜、というわけでした。

ポンパドゥール夫人のお気に入りの画家フランソワ・ブーシェ(1703年9月29日 - 1770年5月30日) 1741年 グスタフ・ルンドベリ ルーヴル美術館蔵
ポンパドゥール夫人のお気に入りの画家フランソワ・ブーシェ(1703年9月29日 – 1770年5月30日) 1741年 グスタフ・ルンドベリ ルーヴル美術館蔵

引用元:フランソワ・ブーシェの肖像

ルーヴル美術館Portrait de François Boucher (1703-1770). )

フランソワ・ブーシェが描く 1756年の『ポンパドゥール夫人』とその衣装

画家ホガースと愛犬パグ 1745年の自画像 テート・ブリテン蔵
英国人画家ウィリアム・ホガース(1697年11月10日 – 1764年10月26日)と愛犬パグ 1745年の自画像 テート・ブリテン蔵

引用元:ウィリアム・ホガース

テート・ブリテンThe Painter and his Pug

18世紀の名優デイヴィッド・ギャリックを描いた画家たち

アンソニー・ヴァン・ダイク自画像(1599年3月22日 - 1641年12月9日) 1620年頃 - 1627年頃 アルテ・ピナコテーク蔵
アンソニー・ヴァン・ダイク自画像(1599年3月22日 – 1641年12月9日) 1620年頃 – 1627年頃 アルテ・ピナコテーク蔵

引用元:ヴァン・ダイク自画像

アルテ・ピナコテークSelbstbildnis, um 1620/21 und 1627

チャールズ1世のイングランド宮廷で首席宮廷画家を務めた、フランドル出身の画家アンソニー・ヴァン・ダイク卿。

画家ヴァン・ダイクの名が付いたレースとヒゲ

ゲインズバラ・ハットの女性たち

まず、1760年代の作品です。

『ハウ伯爵夫人メアリー』( Mary, Countess of Howe ) 1764年頃

ハウ伯爵夫人メアリー( Mary, Countess of Howe ) 1764年頃 トマス・ゲインズバラ ケンウッド・ハウス蔵
『ハウ伯爵夫人メアリー』 1764年頃 トマス・ゲインズバラ ケンウッド・ハウス蔵

引用元:ハウ伯爵夫人メアリー

ピンクの華やかなドレスですが、被っている麦わら帽子のせいか、どこか可愛らしい印象です。

ハウ伯爵夫人メアリー( Mary, Countess of Howe ) 1764年頃 トマス・ゲインズバラ ケンウッド・ハウス蔵
ハウ伯爵夫人メアリー トマス・ゲインズバラ

引用元:ハウ伯爵夫人メアリー

拡大してみると、非常に手の込んだ衣装だということがわかりますね。

下の引用は『図説 ヨーロッパ服飾史』に掲載された『ハウ伯爵夫人メアリー』の解説から。

戸外を背景に、麦わら帽子を被った姿の肖像画は、イギリスの田園趣味を思わせる。

徳井淑子(著). 2015-10-30. 『図説 ヨーロッパ服飾史』. 河出書房新社. p.22.

さすが、ゲインズバラ。人物がいなくても、「風景画」としてじっくり鑑賞したい。

帽子、割りと普通のサイズですね。

ゲインズバラ・ハットについて、『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』では、ゲインズバラの『ハレット夫妻(朝の散歩)』が掲載されています。

目を見張るようなこの帽子を頭上に安定させるには、髪形を大きく堅固なものにする必要があり、自前の髪がまた見直されるようになった。フランスでは、この時期のこざっぱりとした服装と調和するように、かぶり物もより帽子らしく、実際に用をなすクラウンと広いブリムを持つものになった。

ブランシュ・ペイン(著). 古賀敬子(訳). 2006-10-30. 『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』. 八坂書房. pp.363-364.

調和、大事です。

『ハレット夫妻(朝の散歩)』( Mr and Mrs William Hallett (‘The Morning Walk’) ) 1785年

『ハレット夫妻(朝の散歩)』( Mr and Mrs William Hallett ('The Morning Walk') ) 1785年 トマス・ゲインズバラ ナショナル・ギャラリー蔵
『ハレット夫妻(朝の散歩)』( Mr and Mrs William Hallett (‘The Morning Walk’) ) 1785年 トマス・ゲインズバラ ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:『ハレット夫妻(朝の散歩)』

ナショナル・ギャラリーMr and Mrs William Hallett (‘The Morning Walk’)

ハレット夫妻はポメラニアンシープドッグを伴い、散策しているようです。

英国の王侯貴族によって好まれた、「自然の中でくつろぐ姿、でも格調高く優雅」という肖像画のスタイルですね。

ナショナル・ギャラリーの解説に、ゲインズバラはこの肖像画を、「1785年7月30日の結婚直前に描いた。」とあります。

夫妻は結婚式の服を着ている可能性があるようです。

二人は結婚衣装を着ているのかもしれない。エリザベスのガウンは上質なアイボリー色のシルクで、ウエストのところで黒いシルクの帯で留められている。胸元はフリルのついたモスリンのハンカチで覆われ、その下には淡いブドウグリーンのリボンが結ばれており、帽子の豪華なリボンにもそれが繰り返されている。帽子のてっぺんに飾られた3つの柔らかいダチョウの羽飾りは、粉をふりかけた彼女の髪の色と質感を彷彿とさせる。腕に巻かれた薄いシルクのストールは、彼女の髪型とドレスのわざとらしい無造作さを反映している。ゲインズバラの斜めの筆致で描かれた空と葉は、まるでそよ風が吹いているかのような動きを描き出している。(Google翻訳)

ナショナル・ギャラリーMr and Mrs William Hallett (‘The Morning Walk’)

当時21歳ほどだったエリザベスは、リボンとダチョウの羽根で飾られた大きな帽子を被っています。

『ハレット夫妻(朝の散歩)』 1785年 トマス・ゲインズバラ ナショナル・ギャラリー蔵
『ハレット夫妻(朝の散歩)』 トマス・ゲインズバラ

引用元:『ハレット夫妻(朝の散歩)』

黒いシルクの帯でウエストをマーク。

胸元、袖口にあしらわれた布地の柔らかな質感に惹かれてしまいます。

『キャサリン・タットン嬢』( Miss Catherine Tatton ) 1786年

キャサリン・タットン嬢( Miss Catherine Tatton ) 1786年 トマス・ゲインズバラ ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵
キャサリン・タットン嬢( Miss Catherine Tatton ) 1786年 トマス・ゲインズバラ ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵

引用元:キャサリン・タットン嬢

ナショナル・ギャラリー・オブ・アートMiss Catherine Tatton

ナショナル・ギャラリー・オブ・アートによると、本作はモデルの家族のために、1786年5月に描かれました。

タットン嬢もやはり大きなヘアスタイルをしています。

そこに載せた大きな帽子、胸元に集められた布地の柔らかさ、ウエストの青いリボンが素敵。

何よりも、ちょっと上げた眉が印象的です。

よそ行きのすました顔ではなく、鑑賞者に向けたとても親密な表情が良いですよね。

『ソフィア・ヒバート(トマス・ヒバート夫人)』( Mrs Sophia Hibbert ) 1786年

ソフィア・ヒバート(トマス・ヒバート夫人)( Mrs Sophia Hibbert ) 1786年 トマス・ゲインズバラ ノイエ・ピナコテーク蔵
『ソフィア・ヒバート(トマス・ヒバート夫人)』 1786年 トマス・ゲインズバラ ノイエ・ピナコテーク蔵

引用元:ソフィア・ヒバート(トマス・ヒバート夫人)

ノイエ・ピナコテークSophia Hibbert, 1786

ノイエ・ピナコテークの解説によると、モデルのソフィア・ボルデロ嬢(1760年 – 1827年)は、ロンドンの銀行家ジョン・ボルデロ (1712年 – 1789年) の娘でした。

ソフィアは、商人のトーマス・ヒバート(1744年 – 1819年)と1784年に結婚しました。

ゲインズバラは、結婚後すぐ夫婦の肖像画を描きましたが、夫妻は1796年には離婚。

別居後のふたりはお互いの肖像画を残していたそうです。

『ソフィア・シャーロット・ディグビー、レディ・シェフィールド (1767 – 1835)』( Sophia Charlotte Digby, Lady Sheffield (1767 – 1835) ) 1785年 – 1786年

ソフィア・シャーロット・ディグビー、レディ・シェフィールド (1767 - 1835)( Sophia Charlotte Digby, Lady Sheffield (1767 - 1835) ) 1785年 - 1786年 トマス・ゲインズバラ ウォデスドン・マナー蔵
ソフィア・シャーロット・ディグビー、レディ・シェフィールド (1767 – 1835)( Sophia Charlotte Digby, Lady Sheffield (1767 – 1835) ) 1785年 – 1786年 トマス・ゲインズバラ ワデスデン・マナー蔵

引用元:ソフィア・シャーロット・ディグビー、レディ・シェフィールド (1767 – 1835)

ワデスデン・マナーSophia Charlotte Digby, Lady Sheffield (1767 – 1835)

ワデスデン・マナーの解説でもモデルの服装について言及が。

Full length portrait of Sophia Charlotte, Lady Sheffield standing and turning to her right in an autumnal landscape with evening light. Sophia looks diagonally left. She wears a pale yellow silk dress with a trailing overskirt and a blue underskirt, plus puffy slashed sleeves decorated with pearls ending in frilly lace cuffs. She carries some of her skirt over her left arm and hand, the latter positioned to show off her wedding ring. She wears a blue sash tied in a bow at the back. A blue bows trims her bodice. Under her bodice she wears a chemise with a gauzy Vandyke collar. Her hair is loose and powdered. She wears a wide-brimmed blue hat with a sunburst design beneath the brim trimmed with a large bow. She wears white slippers with large silver buckles. Behind her, to the left is a silver birch tree, with other trees.

ワデスデン・マナーSophia Charlotte Digby, Lady Sheffield (1767 – 1835)

(Google翻訳:淡い黄色のシルクドレスを着ており、裾に長いオーバースカートと青いアンダースカート、ふくらんだスリットの入った袖口には真珠がちりばめられ、袖口はフリルのレースで仕上げられている。スカートの一部を左腕と左手にかけ、左手からは結婚指輪が見えるようになっている。後ろで青いサッシュをリボンで結んでいる。青いリボンがボディスを飾っている。ボディスの下には、薄いヴァンダイクカラーのシュミーズを着ている。髪はゆるく、粉をふりかけている。つばの広い青い帽子をかぶり、その帽子のつばの下にはサンバースト模様があり、大きなリボンで縁取られている。大きな銀のバックルが付いた白いスリッパを履いている。)

「ヴァンダイクカラー」(襟)とありますね。素敵です。

モデルとなったソフィア・シャーロット嬢は、初代ディグビー伯爵(ヘンリー・ディグビー)の姪で、1784年にジョン・シェフィールド卿(1743年 – 1815年)と結婚しました。

ソフィアの結婚指輪が目立つ場所に着けられていることから、この肖像画は結婚祝いのために制作されたのではないかということです。

「夕陽が差す秋の風景の中、彼女の右に顔を向けて」立っているソフィア嬢は「淡い黄色のシルクのドレスを着ている」、とあります。見ている端末によってはわかりづらいかも。

ソフィア・シャーロット・ディグビー、レディ・シェフィールド (1767 - 1835) 1785年-1786年 トマス・ゲインズバラ ウォデスドン・マナー蔵
『ソフィア・シャーロット・ディグビー、レディ・シェフィールド (1767 – 1835)』  トマス・ゲインズバラ

引用元:ソフィア・シャーロット・ディグビー、レディ・シェフィールド (1767 – 1835)

青いアンダー・スカートが美しいですね。

左手の薬指には指輪がはめられているのがわかります。

何といっても目を引くのは、凝ったデザインの大きなつば広の帽子。

ゆるめの髪も大きく、髪粉がかかっているようです。

袖も真珠で飾られていて、実に豪華ですね。

ふっくらした袖をよく見ると、切れ目(スラッシュ)が入っていて、下に着ている青い布地が覗いています。

ボディスの下には、「薄手のヴァンダイクの襟が付いたシュミーズ」( a chemise with a gauzy Vandyke collar )を着ている、と解説にありました。

ヴァンダイク・カラー( Vandyke collar )は、画家アンソニー・ヴァン・ダイクの名に由来する「襟」(カラー、collar )です。

リッチモンド公爵夫人メアリー・ブルース(1740 – 1796)、おそらくエリザベス・ホワイト、ハートリー夫人(1751 – 1824)( Called Lady Mary Bruce, Duchess of Richmond (1740 -1796), possibly Elizabeth White, Mrs Hartley (1751 – 1824) ) 1786年頃 – 1787年頃

リッチモンド公爵夫人メアリー・ブルース(1740 - 1796)、おそらくエリザベス・ホワイト、ハートリー夫人(1751 - 1824)と呼ばれる。Called Lady Mary Bruce, Duchess of Richmond (1740 -1796), possibly Elizabeth White, Mrs Hartley (1751 - 1824) 1786年頃 - 1787年頃 トマス・ゲインズバラ アスコットハウス蔵(ナショナル・トラスト)
リッチモンド公爵夫人メアリー・ブルース(1740 – 1796)、おそらくエリザベス・ホワイト、ハートリー夫人(1751 – 1824)と呼ばれる。( Called Lady Mary Bruce, Duchess of Richmond (1740 -1796), possibly Elizabeth White, Mrs Hartley (1751 – 1824) ) 1786年頃 – 1787年頃 トマス・ゲインズバラ アスコットハウス蔵(ナショナル・トラスト)

引用元:リッチモンド公爵夫人メアリ(といわれる肖像画)

ナショナル・トラストCalled Lady Mary Bruce, Duchess of Richmond (1740 -1796), possibly Elizabeth White, Mrs Hartley (1751 – 1824)

ナショナル・トラストによると、この肖像画は、リッチモンド公爵夫人メアリ(メアリー・ブルース、1740年 – 1796年)の肖像といわれていますが、そうではなくハートレー夫人(エリザベス・ホワイト、Elizabeth White, Mrs Hartley, 1751年 – 1824年)のものであるかもしれません。

本作品は『グレート・アーティスト別冊 ロココの魅力』に掲載されています。

本書ではゲインズバラの傑作のひとつ、『グレアム夫人の肖像』を挙げ、

10年前の「グレアム夫人の肖像」(59ページ)と似た設定だが、「グレアム夫人の肖像」が劇的な印象を与えるのに対し、こちらには静かな雰囲気が漂っている。また、グレアム夫人が若さの気負いを感じさせるとすれば、公爵夫人には中年の落ちつきがある。画風自体も変化し、さらに繊細さと柔らかさを増したタッチが、人物と風景をひとつに溶け合わせている。

中山公男(総監修). 『グレート・アーティスト別冊 ロココの魅力』. 同朋舎出版. p.74.

いわれてみれば、確かに人物の落ち着いた雰囲気が感じられます。

『グレアム夫人の肖像』( The Honourable Mrs Graham (1757 – 1792) ) 1777年

『グレアム夫人の肖像』( The Honourable Mrs Graham (1757 - 1792) ) 1777年 トマス・ゲインズバラ スコットランド国立美術館蔵
『グレアム夫人の肖像』( The Honourable Mrs Graham (1757 – 1792) ) 1777年 トマス・ゲインズバラ スコットランド国立美術館蔵

引用元:『グレアム夫人』

スコットランド国立美術館The Honourable Mrs Graham (1757 – 1792)

ゲインズバラの最高傑作のひとつ、『グレアム夫人の肖像』です。

『グレアム夫人の肖像』( The Honourable Mrs Graham (1757 - 1792) ) 1777年 トマス・ゲインズバラ スコットランド国立美術館蔵
『グレアム夫人の肖像』 トマス・ゲインズバラ

引用元:『グレアム夫人』

高く結い上げた髪はロココ期のものだと想像できますが、傍らの円柱にもたれかかるようなポーズや豪華な衣装、上に立ち上がった襟が、イングランドの首席宮廷画家アンソニー・ヴァン・ダイクの肖像画を思わせます。

貴婦人の首元に咲く車輪のようなラフの花

スコットランド国立美術館の解説に、「円柱にもたれかかり、きらめくヴァン・ダイク・スタイルのドレス( Van Dyck-style dress )と、見事な鳥の羽根が付いた帽子を身にまとったグレアム夫人は、想像上の風景の中で表現されている」とあります。

She is presented in an imagined landscape setting, leaning against a column and wearing a shimmering Van Dyck-style dress and a magnificent feathered hat.

スコットランド国立美術館The Honourable Mrs Graham (1757 – 1792)

チャールズ1世の娘メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートの肖像(ボストン美術館)

『ハミルトン・ニスベット夫人』( Mrs Hamilton Nisbet (1756 – 1834)) 1777年 – 1787年頃

『ハミルトン・ニスベット夫人』( Mrs Hamilton Nisbet (1756 - 1834)) 1777年 - 1787年頃 トマス・ゲインズバラ スコットランド国立美術館蔵
『ハミルトン・ニスベット夫人』( Mrs Hamilton Nisbet (1756 – 1834)) 1777年 – 1787年頃 トマス・ゲインズバラ スコットランド国立美術館蔵

引用元:ハミルトン・ニスベット夫人

スコットランド国立美術館Mrs Hamilton Nisbet (1756 – 1834))

ロバート・マナー卿の娘メアリー(1756年 – 1834年)は、1777年にウィリアム・ハミルトン・ニスベットと結婚しました。本作はモデルのひ孫によって寄贈されたとのこと。

スコットランド国立美術館の解説によると、この作品はゲインズバラのロンドンにおける第2期 (1774年 – 1788年)、画家の成熟したスタイルの典型例ということです。

気品ある表情も良いし、開いたデコルテと薔薇色のドレスがロマンティックな雰囲気です。

『チェスターフィールド伯爵夫人アンの肖像』( Portrait of Anne, Countess of Chesterfield ) 1777年 – 1778年

『チェスターフィールド伯爵夫人アンの肖像』( Portrait of Anne, Countess of Chesterfield ) 1777年 - 1778年 トマス・ゲインズバラ ゲッティ・センター蔵
『チェスターフィールド伯爵夫人アンの肖像』( Portrait of Anne, Countess of Chesterfield ) 1777年 – 1778年 トマス・ゲインズバラ ゲッティ・センター蔵

引用元:『チェスターフィールド伯爵夫人アンの肖像』

ゲッティ・センターPortrait of Anne, Countess of Chesterfield

もの思いに耽るチェスターフィールド伯爵夫人、アン・シスルウェイト( Anne Thistlewaite )の肖像です。

暗く密集した木々を背景に浮かび上がる衣装の青と白。

ゆったりとはおる、黄色がかったショール。

白い肌のうなじや胸元のライン、高くセットしたヘアスタイルが印象に残ります。

絵の右半分に描かれているのは夫の領地で、夫フィリップの肖像画も同時期に完成しています。

ゲッティ・センターの解説によると、この高さ219.7 cm、幅 156.2 cmの大きな肖像画は、ゲインズバラが手掛けた多くの英国貴族の肖像画の中でも際立ってゆるく、自由に描かれたもののひとつ。

ゲインズバラは、大きなブラシ・ストロークで素材や葉、背景の空を描き、臨場感を出しています。

また、木の幹を短くカーブした筆遣いで、衣装の青と白の布の質感を長い筆遣いで表現。

ショールは白と金色の絵の具で塗られ、きらめくような効果を生んでいます。

『チェスターフィールド伯爵夫人アンの肖像』 1777年-1778年 トマス・ゲインズバラ ゲッティ・センター
『チェスターフィールド伯爵夫人アンの肖像』 トマス・ゲインズバラ

引用元:『チェスターフィールド伯爵夫人アンの肖像』

『チェスターフィールド伯爵夫人アンの肖像』 1777年-1778年 トマス・ゲインズバラ ゲッティ・センター
『チェスターフィールド伯爵夫人アンの肖像』 トマス・ゲインズバラ

引用元:『チェスターフィールド伯爵夫人アンの肖像』

1770年代後半の肖像画は「帽子」ナシなんですね。

『グレース・ダルリンプル・エリオット夫人 (1754?–1823年)』( Mrs. Grace Dalrymple Elliott (1754?–1823) ) 1778年

グレース・ダルリンプル・エリオット夫人 (1754?–1823年)( Mrs. Grace Dalrymple Elliott (1754?–1823) ) 1778年 トマス・ゲインズバラ メトロポリタン美術館蔵
グレース・ダルリンプル・エリオット夫人 (1754?–1823年)( Mrs. Grace Dalrymple Elliott (1754?–1823) ) 1778年 トマス・ゲインズバラ メトロポリタン美術館蔵

引用元:グレース・ダルリンプル・エリオット夫人 (1754?–1823年)

メトロポリタン美術館グレース・ダルリンプル・エリオット夫人 (1754?–1823年)

この肖像画を依頼した人物は、チョムリー卿(後の第一代チョムリー侯爵)だった可能性があります。エリオット氏はスコットランド人の医師で彼の親友でしたが、その離婚した妻がこの作品のモデルです。詰め物を入れておしろいをかけ、形よく盛り上げた髪が、夫人の高い背丈を一層大きく見せています。18世紀風の黄色のドレスを着ていますが、黄色は1世紀以上前にアンソニー・ヴァン・ダイクが好んだ色でした。この作品は1778年にロイヤル・アカデミーで展示されました。

メトロポリタン美術館の解説(日本語版)

髪、確かに高く盛り上げていますね。

18世紀のヘアスタイルに欠かせないモノ「プフ」

ヘアスタイル以外に、黄色のオーバードレスと下の白いドレスの光沢に目が行きます。

つややかな黄色はヴァン・ダイクが描いた肖像画でも印象に残るものです。

チャールズ1世と王妃ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス、チャールズ2世(左)、母に抱かれたメアリー・ヘンリエッタ・ステュアート 1632年 アンソニー・ヴァン・ダイク ロイヤル・コレクション蔵
チャールズ1世と王妃ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス、チャールズ2世(左)、母に抱かれたメアリー・ヘンリエッタ・ステュアート 1632年 アンソニー・ヴァン・ダイク ロイヤル・コレクション蔵

引用元:チャールズ1世と王妃ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス、チャールズ2世(左)、母に抱かれたメアリー・ヘンリエッタ・ステュアート

ロイヤル・コレクションCharles I and Henrietta Maria with their two eldest children, Prince Charles and Princess Mary April-August 1632

『ティンベビー卿夫人エリザベスとアンドーヴァー子爵夫人ドロシー』( Lady Elizabeth Thimbelby and her Sister, Viscountess Andover ) 1635年頃 アンソニー・ヴァン・ダイク ナショナル・ギャラリー蔵
『ティンベビー卿夫人エリザベスとアンドーヴァー子爵夫人ドロシー』( Lady Elizabeth Thimbelby and her Sister, Viscountess Andover ) 1635年頃 アンソニー・ヴァン・ダイク ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:『ティンベビー卿夫人エリザベスとアンドーヴァー子爵夫人ドロシー』

ナショナル・ギャラリーLady Elizabeth Thimbelby and her Sister

レノルズやゲインズバラが手本としたアンソニー・ヴァン・ダイク。

ヴァン・ダイクが描く肖像画のモデルはくつろいだ雰囲気でいながらも上品で優雅、格調の高さが感じられます。

 ヴァン・ダイクが得意とし、その後のイギリスの肖像画の様式を決定付けたのが、この「ティンベビー卿夫人エリザベスとアンドーヴァー子爵夫人ドロシー」のように、リラックスしたポーズを取りながらも、同時に高貴で優雅な雰囲気が漂う肖像画です。それは「控えめなエレガンス」を良しとするイギリスの王侯貴族に相応しい様式でした。古代ギリシャでは花嫁の衣服だったとされるサフラン色のドレスを着た新婚のエリザベスは、欲望の神キューピッドから薔薇を受け取っています。

木村泰司(著). 2020-3-18. 『カラー版 教養としてのロンドン・ナショナル・ギャラリー』. 宝島社新書. pp. 152-154.

「控えめなエレガンス」、良いですね。黄色のドレスの輝きが眩しいです。

『詩人メアリー・ロビンソン』( Mary Robinson (née Darby) (1758-1800) c.1781 ) 1781年

メアリー・ロビンソン( Mary Robinson ) 1781年 トマス・ゲインズバラ ロイヤル・コレクション蔵
『メアリー・ロビンソン』 1781年 トマス・ゲインズバラ ロイヤル・コレクション蔵

引用元:メアリー・ロビンソン

ロイヤル・コレクションMary Robinson (née Darby) (1758-1800) c.1781

英国の詩人であり小説家メアリー・ロビンソン(1757年?11月27日 – 1800年12月26日)、旧姓はダービーです。

シェイクスピア劇の登場人物「パーディタ」役の女優、皇太子時代の国王ジョージ4世の元愛妾で知られています。

この油彩スケッチは、1797年、ゲインズバラの甥で助手だったゲインズバラ・デュポン( Gainsborough Dupont )のスタジオ・セールで、ジョージ4世のために購入されました。

メアリーとジョージ4世との愛人関係は長く続かず(1781年終了?)、この絵は1818年に第2代ハートフォード侯爵が入手。一時メアリーが所有していたこともあるようです。

『冬物語』のパーディタはシチリア王の娘ですが、ボヘミアで羊飼いの娘として育ちました。

ボヘミア王子と「身分違いの恋」に落ち、最後はパーディタがシチリア王女であることが明かされ、王子と結ばれます。

ゲインズバラは、忠実な犬に支えられ、彼女の王子のミニチュア肖像画を握りしめている物言いたげな田舎娘(パーディタ)のように彼女を描いています。

『メアリー・ロビンソン』 1781年 トマス・ゲインズバラ ロイヤル・コレクション蔵
『メアリー・ロビンソン』 トマス・ゲインズバラ

引用元:メアリー・ロビンソン

メアリーは母の勧めでトマス・ロビンソンと結婚し、ふたりの間には娘が生まれました。

トマスのつくった借金のためウェールズに逃れますが、彼は債務監獄へ。

その間メアリーはデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナと知り合い、ジョージアナから後援を受けることになりました。

1800年11月、42歳で貧困のうちに死去しました。

「パーディタ」トマス・ロビンソン夫人メアリー・ダービー( Mary Darby, Mrs Thomas Robinson 'Perdita' ) 1782年 ジョシュア・レノルズ ウォデスドン・マナー蔵
「パーディタ」トマス・ロビンソン夫人、メアリー・ダービー( Mary Darby, Mrs Thomas Robinson ‘Perdita’ ) 1782年 ジョシュア・レノルズ ワデスデン・マナー蔵

引用元:「パーディタ」トマス・ロビンソン夫人、メアリー・ダービー

ワデスデン・マナーMary Darby, Mrs Thomas Robinson ‘Perdita’ (1758-1800)

『メアリー・ロビンソン夫人』( Mrs Mary Robinson )  1780年-1781年頃 ジョージ・ロムニー ウォレス・コレクション蔵
『メアリー・ロビンソン夫人』( Mrs Mary Robinson )  1780年-1781年頃 ジョージ・ロムニー ウォレス・コレクション蔵

引用元:『メアリー・ロビンソン夫人』

ウォレス・コレクションMrs Mary Robinson

同じモデルでも画家によって印象が違いますよね。

でもやっぱり美人は美人。

1960年代のつば広の帽子

オードリー・ヘップバーン(映画『ティファニーで朝食を』)
オードリー・ヘップバーン(映画『ティファニーで朝食を』)

引用元:オードリー・ヘップバーン(映画『ティファニーで朝食を』)

つば広の帽子は19世紀末にも流行します。やっぱり流行は繰り返すんですね。

上の画像は1961年の映画の中で被られたもの。髪形は1700年代みたいに大きくないんだな、と。

ポスターや額装アート作品なら盗んだりしなくても堂々と自室で鑑賞できます。

主な参考文献
  • 中野京子(著). 2018-7-13. 『美貌のひと』. PHP新書.
  • 徳井淑子(著). 2015-10-30. 『図説 ヨーロッパ服飾史』. 河出書房新社.
  • NHK『迷宮美術館』制作チーム. 2008-7-30. 『迷宮美術館 アートエンターテインメント』. 河出書房新社.
  • 中山公男(総監修). 『グレート・アーティスト別冊 ロココの魅力』. 同朋舎出版.
  • 木村泰司(著). 2015-3-25. 『名画は嘘をつく』. ビジュアルだいわ文庫. 大和書房.
  • 木村泰司(著). 2020-3-18. 『カラー版 教養としてのロンドン・ナショナル・ギャラリー』. 宝島社新書.
  • アントニア・フレイザー(著). 野中邦子(訳). 2007-1-20. 『マリー・アントワネット 上』. 早川書房.
  • アントニア・フレイザー(著). 野中邦子(訳). 2007-1-20. 『マリー・アントワネット 下』. 早川書房.
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