エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランによる1778年のマリー・アントワネットの肖像画

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なかなか良い肖像画家に巡り合えなかったマリー・アントワネット。1778年、同い年の画家ヴィジェ=ルブランと出会い、あの有名な肖像画が描かれます。

マリー・アントワネットの肖像 1778年 ヴィジェ=ルブラン 美術史美術館蔵
マリー・アントワネットの肖像 1778年 ヴィジェ=ルブラン 美術史美術館蔵

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目次

マリー・アントワネット、1773年の肖像画

マリー・アントワネット 1773年 フランソワ=ユベール・ドルーエ コンデ美術館蔵
マリー・アントワネット 1773年 フランソワ=ユベール・ドルーエ コンデ美術館蔵

引用元:マリー・アントワネット(ドルーエ画)

画家フランソワ=ユベール・ドルーエ ( François-Hubert Drouais, 1727年12月14日-1775年10月21日)

ポンパドゥール夫人やデュ・バリー夫人など、宮廷人の肖像画を手掛けたフランスの画家フランソワ=ユベール・ドルーエによる、王太子妃マリー・アントワネットの肖像画です。

1769年にフランスの宮廷画家ジョゼフ・デュクルーが描いたマリー・アントワネットの肖像画は若く(当時14歳)、瑞々しい印象でした。

ところが、ドルーエによるこの肖像画は何だか少し印象が違いますよね。

『別冊歴史読本 マリー・アントワネットとヴェルサイユ ー華麗なる宮廷に渦巻く愛と革命のドラマー 』(新人物往来社)のなかで、このドルーエのマリー・アントワネットの肖像画について、

王妃の卵型の顔立ちや大きな瞳、愛らしい口もと、明るい豊かな髪などにかわりはないが、細い顔のこめかみにはピリピリと静脈が浮き出し、広すぎる額には骨の形がくっきりと見え、目の下にはくまがあってルイ十五世の愛妾デュ・バリー夫人との間の怖るべき確執をはじめ、ゲルマン風の風俗とフランス風のそれとの矛盾で苦しんでいた。決して楽しいばかりではなかったマリーの状態が推察できるのである。

若桑みどり. p.106. H18-8-1. 『別冊歴史読本 マリー・アントワネットとヴェルサイユ - 華麗なる宮廷に渦巻く愛と革命のドラマ -』. 新人物往来社.

くま、なんですかね(^^;。

王太子妃の愛らしさ、溌剌とした若さはあまり感じられませんね。

ルイ15世の公式寵姫デュ・バリー夫人(1743年8月19日-1793年12月7日)

『フローラに扮したデュ・バリー夫人』( Portrait de la comtesse Du Barry en Flore ) 1769年 フランソワ=ユベール・ドルーエ ヴェルサイユ宮殿
『フローラに扮したデュ・バリー夫人』 1769年 フランソワ=ユベール・ドルーエ ヴェルサイユ宮殿

引用元:デュ・バリー夫人

上のマリー・アントワネットの肖像画と同じドルーエが描いた、女神フローラに扮したデュ・バリー夫人です。

デュクルーがウィーンで、ハプスブルク家の皇女マリー・アントワネットを描いた同じ年、平民出身のジャンヌ・ベキュがルイ15世に引き合わされました。

国王はジャンヌを気に入りますが、公式寵姫とするには彼女の身分が低すぎます。

更に、公式寵姫になれるのは既婚女性に限られていたため、ジャンヌはデュ・バリーの弟と形ばかりの結婚をして貴族の身分を手に入れ、宮廷入りしたのです。

1770年代初め、母マリア・テレジアに宛てた手紙のなかで、マリー・アントワネットはデュ・バリー夫人のことを「考えられるかぎりもっとも愚かで無礼なふしだら女」と書いています。(参考:『マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』 岩波書店 p.12)

確かに、お針子の私生児として生まれたジャンヌ・ベキュは、デュ・バリーという人物に囲われて娼婦まがいのことをしていました。

しかし実際の彼女というのは、

 蓮っ葉なところはみじんもなく、非常に上品な感じの女性だった。「天使のような人」という証言さえある。ほかの女性たちに居丈高に当たることもなく、むしろ困っている人がいれば助けようとする人だった。

『マリー・アントワネット フランス革命と対決した王妃』 安達正勝(著) 中公新書 p.22.

ジャンヌは母親の再婚相手だった男性に可愛がられ、修道院で最初の教育を受けることができました。

また、情夫となったデュ・バリーが連れてきた客は身分のある者が多く、彼女はその中で上流階級の立ち居振る舞いを身につけていきます。

そして、ルイ15世を虜にしたのも彼女の肉体ばかりではなく、 

実際、貧困と猥雑な空気の中で育ったこの女性は、実に平凡な優しい性質をしており、冷酷な権謀術数や策略にはまったく縁のない素直な可愛い女に過ぎませんでした。

池田理代子(文). 1994-5-20. 『フランス革命の女たち』. 新潮社. p.32.

しかし、「女帝」の支配する宮廷で育ったマリー・アントワネットには、フランス宮廷文化の頂点に立つ「公式寵姫」の存在が理解できませんでした。

しかも、本来マリー・アントワネットを教え導く存在である筈のルイ15世の王女たちは、異国から嫁いできたマリー・アントワネットを更にたきつけ、父の愛人であるデュ・バリー夫人と反目し合うように仕向けたのです。

宮廷では、身分が下位の者から上位の者へ話しかけてはならないという決まりがあり、その決まりを利用してマリー・アントワネットはデュ・バリー夫人を徹底的に無視します。

この頑なな態度がルイ15世の不興を買い、両国の外交問題にまで発展。

ついにマリア・テレジアから、デュ・バリー夫人に一言声をかけるように諭され、マリー・アントワネットが夫人に声をかけたのが1772年です。

夫人のメンツは保たれ、国王の機嫌も直りました。

マリー・アントワネットの肖像画が描かれた1773年はまさにこの頃でした。

ウィーンの母からは「懐妊はまだか」と急かす手紙、小言。

肝心の夫との夫婦生活は未だ成就しておらず、夫は狩猟と錠前作りに夢中。

ウィーンの母を喜ばせたくとも子作りに至らないのです。

習慣の違う異国での生活やホームシック。

この頃のマリー・アントワネットはさぞ大きなストレスを抱えていたことだろうと想像します。 

夫の3人の叔母たち

嫁いできた当初、母親マリア・テレジアからの便りには、「夫の叔母たち(ルイ15世の3人の王女たち。未婚)は徳の高い方々だからお友だちに」とありました。

叔母さまたちと親しくなったマリー・アントワネットは、彼女たちの魂胆に気付かず、悩みを打ち明けてしまいます。

夫の3人の叔母たちにすべてを打ち明けると、これがとんでもない結果を招く。醜い老嬢たちは「オーストリア女」を欲求不満のはけ口に利用することしか頭に無かったからで、甥の不能をしゃべりまくる一方、王太子妃と父親の愛人デュ・バリ夫人を反目させる。こうしてアントワネットは日ならずしてフランス宮廷の陰謀と中傷の渦に巻き込まれ、また母親からは厳しい注文が続くが、聞きたくないことは聞かず、するのは楽しいことだけという日々が始まる。

『マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』 パウル・クリストフ(編) 藤川芳朗(訳) 岩波書店 p.2.

「オーストリア女」という、マリー・アントワネットを蔑むような言葉が出て来ましたが、マリー・アントワネットは父フランツ・シュテファンを通してフランス、ルイ14世の血を引いています。

そのため、悪口の言葉としては本当は「ちょっと(かなり)」違います。 

肖像画家ジャン=マルク・ナティエが描く、叔母さまたちの若い頃

マリー・アデライード・ド・フランス 1750年 ナティエ ヴェルサイユ宮殿
マリー・アデライード・ド・フランス 1750年 ナティエ ヴェルサイユ宮殿

引用元:マリー・アデライード・ド・フランス

ヴィクトワール・ド・フランス 1748年 ナティエ ヴェルサイユ宮殿
ヴィクトワール・ド・フランス 1748年 ナティエ ヴェルサイユ宮殿

引用元:ヴィクトワール・ド・フランス

ソフィー・ド・フランス 1748年 ナティエ ヴェルサイユ宮殿
ソフィー・ド・フランス 1748年 ナティエ ヴェルサイユ宮殿

引用元:ソフィー・ド・フランス

ジャン・マルク・ナティエ( Jean-Marc Nattier, 1685年3月17日-1766年11月7日)が描いた「3人の叔母さまたち」の若い頃です。

さすがナティエ、叔母さまたちは皆女神のコスプレをしてもしていなくても、本物の女神様のように美しく、とても徳が高そうに見えますよね。

この時代の女性の化粧法で、頬をピンクに染めるのが流行していました。

肖像画の女性たちはその化粧を施しているせいで、何となく皆同じように見えてしまいます。

あくまでも優雅で甘美な表現は、ロココ時代の肖像画の特徴です。王侯貴族の女性なら、写実性を曲げてでも優雅に美しく描いたのです。

木村泰司(著). 2010-11-20. 『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』. 光文社新書. p.218.

ルイ15世の美貌を受け継いだアデライード王女は、当時の王族の女性としては珍しく読書も好む才媛でした。

ポンパドゥール夫人亡き後、デュ・バリー夫人が登場するまでの間、一時宮廷を仕切っていたこともありました。

『トルコ風の衣装のアデライード王女』 1753年 ジャン=エティエンヌ・リオタール ウフィツィ美術館蔵
『トルコ風の衣装のアデライード王女』 1753年 ジャン=エティエンヌ・リオタール ウフィツィ美術館蔵

引用元:『トルコ風の衣装のアデライード王女』

トルコ風の装いで読書するアデライード王女です。

マリア・テレジア「リオタールが描いた、貴女の肖像画が欲しい」

マリー・アントワネットの皇女時代を描いたジャン=エティエンヌ・リオタール

マリア・テレジアは娘のマリー・アントワネットの肖像画を希望していました。

1770年11月1日の手紙のなかで、マリー・アントワネットの陶製の胸像を送る代わりに、

でも、代わりにあなたの肖像画を送ってくださるものと期待しています。それもリオタールの筆になるものをぜひお願いします。リオタールはわざわざパリに参るのです。どうかあの者に十分な時間をあたえて、立派に仕上げさせてください。

『マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』 p.20.

と書いています。

また、1770年12月2日にもこのように書いています。

私はリオタールの描いたあなたの肖像画を首を長くして待っています。でも、正装でなくてはだめです。部屋着(ネグリジェ)や殿方の服を着た姿ではいけません。あなたにふさわしい装いのあなたを、私は見たいのです。

『マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』 p.24.
マリー・アントワネット、1762年の肖像画(7歳) ジャン=エティエンヌ・リオタール シェーンブルン宮殿
マリー・アントワネット、1762年の肖像画(7歳) ジャン=エティエンヌ・リオタール シェーンブルン宮殿

引用元:マリー・アントワネット

マリー・アントワネット、1762年の肖像画(7歳) ジャン=エティエンヌ・リオタール 美術・歴史博物館蔵
マリー・アントワネット、1762年の肖像画(7歳) ジャン=エティエンヌ・リオタール 美術・歴史博物館蔵

引用元:マリー・アントワネット

どちらも皇女時代のマリー・アントワネットです。

スイス出身のリオタール( Jean-Étienne Liotard, 1702年12月22日-1789年6月12日)は、イングランド、オランダ、ウィーンの各宮廷で活躍しました。

ウィーンではマリア・テレジアとフランツ・シュテファン夫妻、その子供たちの肖像画も描いています。

フランスでは、前掲の、読書するアデライード王女の姿も残しています。

画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランとの出会い

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン( Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun, 1755年4月16日-1842年3月30日)

後に画家「ルブラン夫人」としても知られるエリザベート=ルイーズ・ヴィジェはパリで生まれ、画家だった父から絵の手ほどきを受けました。

有名な画家たちからも多くの助言を得ましたが、そのなかでも当時の人気画家ジャン=バティスト・グルーズの影響は大きいものでした。

人気画家ジャン=バティスト・グルーズ( Jean-Baptiste Greuze, 1725年8月21日-1805年3月4日)

『壊れた甕』 1771年 ジャン=バティスト・グルーズ ルーヴル美術館蔵
『壊れた甕』 1771年 ジャン=バティスト・グルーズ ルーヴル美術館蔵

引用元:『壊れた甕』

特にエリザベートが画法の上で直接の影響を受けたのは、グルーズでした。当時パリを熱狂させていたこの高名な画家の、後進におよぼした影響はいちじるしく、後に断頭台へ向かうマリー・アントワネットのスケッチや『ナポレオンの戴冠』などを描いたあのダヴィッドなどもグルーズから多くを学んだものですが、とりわけエリザベート・ヴィジェは忠実に彼の技法を継承し優美な画風を確立して、その名を次第に高めてゆきました。

 この時代の画家、特に肖像画家は、美しい絹サテンの布の光沢をいかにきめこまかく描写することができるかで評価が定まった、とさえいわれるほどですが、彼女の描く肖像画の人物の衣裳のひだや色あいの素晴らしさは群を抜いており、ブリオンヌ夫人、オルレアン公夫人などのみごとな肖像画によって、上流社会の人々から絶大な称賛を受けるようになりました。初めての作品展をひらいたとき、彼女はまだ十九歳でしたが、すでにフランスのみならずヨーロッパの画壇で有名な存在となっていたのです。

池田理代子(文). 1994-5-20. 『フランス革命の女たち』. 新潮社. pp.37.-38.

輿入れする前の皇女マリー・アントワネットを描いた画家ジョゼフ・デュクルーもこのグルーズから学んでいます。

(関連記事:輿入れ前のマリー・アントワネットを描いた18世紀フランスの画家ジョゼフ・デュクルー

ヴィジェ=ルブランは1776年に画商のルブランと結婚し、娘をもうけますが、この結婚は彼女にとって不幸なものでした。

1776年、彼女は初めて、自分と同い年の王妃マリー・アントワネットの肖像画を描くことになります。

白いドレスに、ピンクの薔薇を持つ初々しいマリー・アントワネット。

右上には夫ルイ16世の胸像が描かれています。

マリア・テレジアに捧げられたこの絵は、現在もウィーンの美術史美術館にあります。

 1776年、ヴィジェ=ルブランは王家の肖像画家として王家建造物局に雇われ、2年後にはその腕を見込まれて王妃マリー・アントワネットの肖像を描く大役を得る。それまで満足のいく肖像画家に巡り会えずにいた王妃は、ようやく適任者を見つけることになった。ヴィジェ=ルブランが描いた肖像画は1779年に引き渡され、これを待ちわびていた母后マリア・テレジアのもとへ送られた。

「ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」(2019-2020) p.234.

肖像画の制作中、マリー・アントワネットとヴィジェ=ルブランはデュエットを楽しんでいました。

マリー・アントワネットはヴィジェ=ルブランに対し、友情を感じていたようです。

マリー・アントワネットの肖像 1778年 ヴィジェ=ルブラン 美術史美術館蔵
マリー・アントワネットの肖像 1778年 ヴィジェ=ルブラン 美術史美術館蔵

引用元:マリー・アントワネットの肖像

「立ち居振る舞いがとても優雅で、笑顔がとても素晴らしい」

マリー・アントワネットは同時代の人々からこのように賞賛されましたが、ハプスブルク家の特徴である「重く、ときには垂れ下がる下唇」は度々指摘されるところでもありました。

しかし肌は大変美しく、所作が全体的にとても優雅で、

画家のヴィジェー・ルブラン夫人は率直にこう語っている。王妃の肌は「とても透明感があるので、影をつけられず」、絵の具ではその美しさを表現しきれない、と。

(『マリー・アントワネット 上』 アントニア・フレイザー(著) 野中邦子(訳) 早川書房 p.268.)

ブザンヴァール男爵の言葉によると、「頭のもたげ方にとても感じのよいところがあり、すべてがとてもエレガントだった。だからこそ、生まれつき容姿に恵まれた美女たちと肩を並べてもひけをとらず、ときには優位に立つことさえあった」。

(『マリー・アントワネット 上』 p.268.)
マリー・アントワネット 1783年 ヴィジェ=ルブラン ヴェルサイユ宮殿
マリー・アントワネット 1783年 ヴィジェ=ルブラン ヴェルサイユ宮殿

引用元:マリー・アントワネット

『美術品でたどるマリー・アントワネットの生涯』では、1783年のこの絵の解説があります。

ここでは一部をご紹介します。

若々しい王妃の顔は、7年前の肖像をもとにしているため。王妃も若いが、画家の絵筆も初々しい。いくらか美化された容貌表現。

『美術品でたどるマリー・アントワネットの生涯』 中野京子(著) NHK出版新書 p.90.

胸像に見られるマリー・アントワネットの顔かたち

絵画ならば、控えめに、目立たないように描かれる「身体上の欠点」ですが、彫刻の場合はかなり実物に近く写し取られることが多いものです。

王太子妃マリー・アントワネット ジャン=バティスト・ルモワーヌ作 1771年頃 ウィーン、美術史美術館蔵
王太子妃マリー・アントワネット ジャン=バティスト・ルモワーヌ作 1771年頃 ウィーン、美術史美術館蔵

引用元:王太子妃マリー・アントワネット胸像 Louvois33 CC-BY-SA-4.0

…ウィーンに送られたジャン=バティスト・レモワンによる大理石の胸像は、素材の扱いにくさもあって、より本物に近い出来になっている。

『マリー・アントワネット 上』 アントニア・フレイザー(著) 野中邦子(訳) 早川書房 p.226.

ジャン=バティスト・ルモワーヌ( Jean-Baptiste Lemoyne, 1704年-1778年)は、胸像やヴェルサイユの庭園の彫像などを手掛けた、18世紀フランスの彫刻家です。

彼の父ジャン=ルイ・ルモワーヌ( Jean-Louis Lemoyne, 1665年-1755年)もルイ14世、ルイ15世の時代に活躍した彫刻家でした。

(関連記事:ナイショのしぐさのキューピッド(ファルコネ作)

ヴィジェ=ルブランによる、少し「美化された」1783年のマリー・アントワネット像より、1778年の肖像画に近い印象です。

瑞々しい、若さ溢れる王太子妃像ですよね。

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランによる自画像

革命後も肖像画家として人気を保った画家自身も、大変な美人でした。

それでは、美しさと才能と自信に満ちた自画像をどうぞ。

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン自画像 1781年-1782年頃 キンベル美術館蔵
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン自画像 1781年-1782年頃 キンベル美術館蔵

引用元:ヴィジェ=ルブラン自画像

『麦わら帽子の自画像』 1782年以降 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
『麦わら帽子の自画像』 1782年以降 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:ヴィジェ=ルブラン自画像

娘を抱いた自画像 1786年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ルーヴル美術館蔵
娘を抱いた自画像 1786年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ルーヴル美術館蔵

引用元:ヴィジェ=ルブラン自画像

娘との自画像 1789年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ルーヴル美術館蔵
娘との自画像 1789年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ルーヴル美術館蔵

引用元:=ルブラン自画像

1790年の自画像 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ウフィツィ美術館蔵
1790年の自画像 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ウフィツィ美術館蔵

引用元:ヴィジェ=ルブラン自画像

1800年の自画像 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン エルミタージュ美術館蔵
1800年の自画像 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン エルミタージュ美術館蔵

引用元:ヴィジェ=ルブラン自画像

ヴィジェ=ルブラン胸像 1785年 オーガスティン・パジュー

最後に、同時代に活躍したフランスの彫刻家オーガスティン(オーギュスタンとも表記)・パジュー( Augustin Pajou, 1730年-1809年)による、ヴィジェ=ルブランの胸像です。

ヴィジェ=ルブラン胸像 1785年 パジュー作 ルーヴル美術館蔵
ヴィジェ=ルブラン胸像 1785年 パジュー作 ルーヴル美術館蔵

引用元:ヴィジェ=ルブランの胸像 Thomon CC-BY-SA-4.0

やはり美人でしたね。

主な参考文献
  • 『別冊歴史読本 マリー・アントワネットとヴェルサイユ ー華麗なる宮廷に渦巻く愛と革命のドラマー 』.H18-8-1. 新人物往来社.
  • 『マリー・アントワネット フランス革命と対決した王妃』 安達正勝(著) 中公新書
  • 池田理代子(文). 1994-5-20. 『フランス革命の女たち』. 新潮社.
  • 『マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』 パウル・クリストフ(編) 藤川芳朗(訳) 岩波書店
  • 木村泰司(著). 2010-11-20. 『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』. 光文社新書.
  • 『マリー・アントワネット』 アントニア・フレイザー(著) 野中邦子(訳) 早川書房
  • 『美術品でたどるマリー・アントワネットの生涯』(中野京子(著) NHK出版新書
  • 「ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」(2019-2020)
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コメント

コメント一覧 (12件)

  • こんばんはー。
    あ、言っちゃいましたね(笑)。
    やっぱりルブラン夫人本人が一番美人さんかも。
    同時代のひとの証言もあるし、彫刻もキレイですもんね。天は二物を与えましたね(笑)。
    しゅん様、今回も見てくださって有難うございました。

  • こんばんはー。今回はきれいなお姉さん(笑)たちが、
    たくさん登場しますね。やっぱり画家さんが
    一番美人ですかね。
    歴史とは無関係に、当時も女性たちは火花を
    散らしていたんですね。
    マリーアントワネットも苦労していたんですね。

  • めあり様
    初めまして。見ていただいて有難うございます。
    ひとによっては、まんま描かれたくない、女神様のように描いて!ということもあったかと思います。私も多分そうです(笑)。
    リアル過ぎる肖像画より、ルブラン夫人のようにふんわり優しく描いてくれる画家のほうが人気だったのはそのせいではないかと思います。
    どうぞまたお付き合いくださいませ。
    よろしくお願い致します。

  • はじめまして、めありと申します。
    肖像画の描き方(くまとか血管とか表情とか)で当時の状況を表現していたんですね。
    文章でなく絵で残すって、すごいことだなと思います。

  • Miyukey様
    嬉しいお言葉を有難うございます。
    私も現地でこの絵を観、今回のハプスブルク展でまた再開することができました。よく雑誌やwebで見てはいても、やはり本物は迫力があり、歴史を感じますよね。
    私自身大いに勉強不足を痛感しているところですが、こういった有名な絵の裏側、そこに至るまでの話を知ると、もっともっとその先を知ってみたくなります。
    Miyukey様のご覧になった絵や美術品のお話も機会がありましたらぜひお聞かせください。
    今回も読んでくださって有難うございました。

  • ハンナ様☆
    こんばんは!^^
    この度も、とても興味深く読ませていただきました!
    面白い!一枚の肖像画の裏側に、
    こんなにたくさんの歴史や人間ドラマがあるのですね☆
    私はウィーンの美術史美術館でヴィジェ=ルブラン画のマリーアントワネットの肖像画を観ました。
    時間があまりなかったのに、
    美しくて、すごいオーラに、思わず見入ってしまいました。
    ハンナさんのブログを読ませて頂いて、その時のことを思い出しました☆
    次にこの絵に出会えるときは、ハンナさんのブログを思い出しながら、画家やマリーアントワネット、マリア・テレジアに想いを馳せて、じっくり味わいたいと思います!
    ありがとうございました☆

  • schun様
    本当にどの絵も素敵ですよね。
    衣裳の絹の質感などもリアルで、触ってみたい程です。
    どうしてこんな風に描けるのか不思議です。
    今回も読んでくださって有難うございました。
    次回もお付き合いいただけると嬉しいです。
    よろしくお願い致します。

  • 蝶々様
    なんと勿体無いと言いますか、恐れ多いと言いますか…、とにかく、今回も読んでくださって有難うございます。
    現代の日本の私たちでは驚くようなことも、ある時代のある国ではそんなに大したことではない、ということもよくあります。でもそれを知るのも面白いですよね。
    私も蝶々様と同じ素人です。でも素人なりに、このひとは本当はどんなひとだったんだろう、案外~なひとなのかも、と秘かに想像してみたりします。
    また、骨董品を買う時など、「これはどんな家庭にあったんだろう」「なぜ手放してしまったんだろう」と思うことが多いです。
    中学・高校では詳しくやらない「髪型やドレスの流行」の歴史、絵の描かれた背景など、内容は大人の方向け、でも中学生の方にもわかり易く面白さをお伝えできればと思っています。
    是非また次回もお付き合いいただけると嬉しいです。有難うございました。

  • まーたる様
    そうそう、デュ・バリー夫人て、すごい肉体美の、キツイ目の美人ですよね(笑)。ずっと強欲な悪役のように思っていましたが、肖像画を見て「あれ?」な感じでした。本当に『ベルばら』の影響って大きいですね。
    世界史として年号と事件名で覚えるより、「ルイ14世のときは荘厳なバロック。でも亡くなったら王様の肖像画は木箱にしまわれて、軽やかなロココの時代になり、ヴァトーの雅宴画が出てくる。ポンパドゥール夫人、マリー・アントワネットがロココの華となって…」という「文化史」で理解すると楽しいと思います。
    更に有名人のエピソードなどがあると、どんなひとだったかがわかって、それも面白いですよね。
    まーたる様のコメント、恐縮しながら拝読致しました。
    今回も読んでくださって本当に有難うございました。

  • こんばんは。
    洋服の折り目がめちゃくちゃ綺麗で立体的。
    まるで本物みたいですね。
    おまけに筆使いも柔らかい筆使いで、優しげな方がなのかなって想像しちゃいました。絵の対比も面白いですね。o(^o^)o

  • ハンナさんは、いつも素人の私でも解りやすい説明でめちゃめちゃ尊敬しちゃいます!!
    確かに今の時代、悪人とされていてもその当時は、真実ってわからないのも…楽しいですよね🤭💕
    いつも、もしかしたら?とか勝手に推測したりして歴史を楽しんだりしています😁✨

  • こんばんは❗️
    『ベルサイユのバラ』とかでデュ・バリー夫人はめちゃくちゃ悪人に描かれていたんですが、肖像画を見ると全く悪人に感じられないくらい優しい雰囲気ですね❗️
    日本史でもそうですが、一般に悪人だと言われている人が実はすごくいい人だったり、困ってる人々に手を貸す優しい人だったりと、なんだか歴史って奥深いな〜と思います。
    激動のフランス史をここまで丁寧に書かれているハンナさん、すごいです(*☻-☻*)
    めちゃくちゃ勉強になりましたヽ(*^ω^*)ノ
    画家の自画像がすごく綺麗で見入ってしまいました。
    ほんと、すごい技術❗️

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