ジャン=バティスト・グルーズの有名な作品、『壊れた甕』。愛くるしい少女の身に起きたことを、描かれたモチーフから読み解きます。
『壊れた甕』( La Cruche cassée ) 1771年 ジャン=バティスト・グルーズ
引用元:『壊れた甕』
展示場所:シュリー翼、932展示室
古代風の噴水の側で、可愛らしい少女が「壊れた甕」を提げています。
どこかにぶつけてしまって壊れたのかな、と思いながら、少女を見てみると、悲し気というより、放心している?
左側の髪も若干ほつれている、ような。
そして胸元に目をやると、
引用元:『壊れた甕』
引用元:『壊れた甕』
乱れた衣服から覗く白い乳房。
胸元のピンクの薔薇の花は上半分がむしり取られているようですね。
ドレスには散ってしまった花を集めて抱えています。
少女の表情は、甕を壊してしまった過失や軽率さを悔いているようにも思えます。
しかし、ただ甕を壊しただけの絵なのでしょうか。
ぱっくり割れた甕、乱れた髪やドレス、はだけた胸元、散らされた薔薇の花は、少女の純潔の喪失、つまり処女喪失を暗示しています。
絵のモデルは画家の妻と言われ、注文主はフランス国王ルイ15世の寵姫だったデュ・バリー夫人でした。
絵を深読みするためのモチーフ
壊れた甕・ピッチャー
引用元:『壊れた甕』
この作品の着想源として、『ルーヴル美術館の見かた』(誠文堂新光社)では、「「たびたび水を汲みに行けば、甕も最後には壊れる」というフランスのことわざ」を挙げ、
「頻繁に危険に身をさらしていると(または何度も同じまちがいを犯していると)、ついには身を滅ぼすことになる」という意味です。17世紀のオランダの詩人ヤコブ・カッツの寓意詩集『古今の鑑』でも、「壺が割れる」=「処女を奪われる」比喩として登場します。
有地京子(著). 2019-12-13. 『マンガでわかる ルーヴル美術館の見かた』. 誠文堂新光社, p,197.
壺や甕が壊れる・割れるということは、「破瓜」、処女の喪失をイメージしているのですね。
水
噴水に水を汲みに来たと思われる少女。
甕は穴が開いてしまって、これでは水が汲めません。
水が無ければ手や身体を清潔に保つこともできないのです。
『人騒がせな名画たち』(マガジンハウス)では、
日本人のように湯船につかる風習があまりないヨーロッパでは、瓶に入った湯をたらいに注ぎ、布で身体をぬぐうことが一般的でした。もちろん、水道が無い時代には手を清めるためにも使いました。
つまり少女の右腕の瓶は身体の清潔さ、すなわち生母マリアの純潔の象徴だったのです。したがって、ここでは壊れた瓶はこの少女の貞節の喪失を表しているのです。
木村泰司(著). 2018-10-5. 『人騒がせな名画たち』. マガジンハウス. p.54.
ここでも「純潔」のイメージが見えてきます。
ピンクの薔薇
恋を表すピンクの薔薇がむしり取られるように散らされていることも、見逃せません。
『はじめてのルーヴル』(集英社)で中野京子氏は、
少女は白サテンのドレスをずいぶんだらしなく着ている。いや、着ているというより、むしろ乱暴にはがされた態だ。左胸は露わになっているし、胴着の紐はきちんと結ばれていない。フィシュという三角ヴェールは、右へよじれており、胸に飾った薔薇も花びらを欠いている。本来は、もっとたくさん胸飾りにしていたのだろうか。散った薔薇をドレスの裾で抱えている。両手は意味ありげに腹部のあたりにある。
中野京子(著). 2013-7-10. 『はじめてのルーヴル』. 集英社. p.109.
少女の両手の位置にも言及されておられます。
ますます意味あり気ですね。
ひとつひとつの小道具を、どこまでも深読みして行けそうです。
引用元:『壊れた甕』
グルーズは本作の主題を思わせぶりに、故意に曖昧にしたようです。
壊れた甕や散らされた薔薇、乱れた衣服と、どれを取っても少女の「純潔の喪失」を強く意識させますが、実際に何が起こったかは想像するしかありませんね。
私としてはイラストがちょっとうるさいかな…と。しかしそれ以上に解説がわかりやすいのです。読むと物知りになれます。
注文者はルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人( Madame du Barry )
引用元:デュ・バリー夫人
デュ・バリー夫人は平民出身の元娼婦でしたが、デュ・バリーという貴族と形ばかりの結婚をして身分を手に入れ、宮廷入りします。
夫人によって注文・購入された『壊れた甕』は、ルイ15世が亡くなるまでヴェルサイユ宮殿に飾られていました。
ルイ15世の崩御にともない、夫人はヴェルサイユ宮殿を退きます。
『壊れた甕』は夫人とともに、ルイ15世から贈られたルーヴシエンヌの城に移りました。
デュ・バリー夫人の肖像画を描いたのは、人気のあった女性画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランです。
引用元:ヴィジェ=ルブランの胸像 Thomon CC-BY-SA-4.0
引用元:娘ジュリーとの自画像
画家ジャン=バティスト・グルーズ( Jean-Baptiste Greuze, 1725年-1805年)
ルイ16世妃マリー・アントワネットの肖像画家を務めたヴィジェ=ルブランは、グルーズから、画法の上で大きな影響を受けています。
『ジャン=バティスト・グルーズ自画像』( Portrait de l’artiste. )
展示場所:シュリー翼、932展示室
歴史画家としての名声を望んでいたグルーズでしたが、アカデミーの会員としての登録は下方に位置する「風俗画家」。
本人にはショックでも、風俗画家として大成功を収めます。
グルーズの絵画は複製や版画によって市民階級の間に広まり、グルーズはサロン(展覧会)に出品するより彼を支持する市民に向けて、彼らが好むような作品を産み出していきます。
教訓的、道徳的な内容を扱いながらロココ文化の官能性もあわせ持ち、甘く優美な彼の画風は人びとから大いに好かれました。
引用元:『鳩と少女』
押しも押されぬ人気画家となったグルーズの弟子にはヴィジェ=ルブランの他、ジャック=ルイ・ダヴィッドがいました。
しかしその後、社会が激変。
フランスでは革命が起き、国王ルイ16世夫妻、デュ・バリー夫人は断頭台で処刑されます。
美術界も華やかで軽やかなロココ美術から新古典主義に移り、グルーズの存在は次第に忘れられていきました。
こちらも観よう!ルーヴル美術館にあるグルーズの絵
『村の花嫁』( L’accordée de village ) 1761年 ジャン=バティスト・グルーズ ルーヴル美術館蔵
引用元:『村の花嫁』
『村の花嫁』( L’Accordée de village. )
展示場所:シュリー翼、928展示室
『セプティミウス・セウェルス帝とカラカラ』( L’Empereur Sévère reproche à Caracalla, son fils, d’avoir voulu l’assassiner, dit aussi : Septime Sévère et Caracalla ) 1769年 ジャン=バティスト・グルーズ ルーヴル美術館蔵
『愛に導かれる無垢』( L’Innocence entraînée par l’Amour ou Le Triomphe de l’Hymen ) 1786年 ジャン=バティスト・グルーズ ルーヴル美術館蔵
イノセンス(無垢)が「愛」を表すキューピッドたちに手を引かれ、楽園に導かれて行くという、グルーズの寓意画。
制作年が「1777年」となっている書籍もありますが、サイトによると「1786年頃」とあります。
もう一枚の『壊れた甕』
引用元:『壊れた甕』 G.Garitan CC-BY-SA-4.0
ルーヴル美術館にある、『壊れた甕』、のスケッチ。
ルーヴル美術館の説明文によると、元はサロモン・ド・ロートシルト男爵( baronne Salomon de Rothschild )のコレクションで、「(1771年に描かれたものの)複製か、または、先に描いたスケッチ」だそうです。
スケッチも味わい深くて良いですね。
- 池田理代子(文). 1994-5-20. 『フランス革命の女たち』. 新潮社.
- 有地京子(著). 2019-12-13. 『マンガでわかる ルーヴル美術館の見かた』. 誠文堂新光社,
- 中野京子(著). 2013-7-10. 『はじめてのルーヴル』. 集英社.
- 木村泰司(著). 2018-10-5. 『人騒がせな名画たち』. マガジンハウス.
- 海野弘・平松洋(監修). 2014-5-23. 『性愛の西洋美術史 愛欲と官能のエロティック・アートの世界』. 洋泉社.
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