エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン 1782年の自画像と『ポリニャック公爵夫人の肖像』

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画家ヴィジェ=ルブランが、ルーベンスの絵画へのオマージュとして描いた自画像と肖像画。

『麦わら帽子の自画像』 1782年以降 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
『麦わら帽子の自画像』 1782年以降 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
目次

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン 1782年の自画像

『麦わら帽子の自画像』( Self Portrait in a Straw Hat ) 1782年以降 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

『麦わら帽子の自画像』 1782年以降 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
『麦わら帽子の自画像』 1782年以降 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:『麦わら帽子の自画像』

ナショナル・ギャラリー:Self Portrait in a Straw Hat

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン( Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun, 1755年4月16日-1842年3月30日)

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン はパリで生まれました。

1776年、既に貴族の間で人気画家となっていたヴィジェ・ルブランは、フランス王妃マリー・アントワネットと出会い、それ以降王妃の肖像画を20点以上手掛けることになります。

自分自身も美しかったエリザベトは、女性の気持ちを理解し、肖像を描く際にはその人物の容姿で最も優れた点を強調しました。王妃の場合は肌の輝きを強調し、気品あふれる表現で描いたのです。

木村泰司(監修). 『名画の美女』. 洋泉社MOOK. p.92.

マリー・アントワネットは同い年のヴィジェ=ルブランに友情を感じていました。

肖像画を制作する間、ふたりはデュエットをしていたそうです。

 1783年から87年にかけて、ルイーズは王妃をモデルにさらに4枚の肖像画を制作した。王妃は、ルイーズが美しい声の持ち主であることを知ると、制作中に一緒に歌って欲しいと言った。二重唱をした曲は、グレトリの作品だった。王妃の声はいつも同じ高さになるわけではなかったが、とても澄んでいた。静かに歌うときの優雅さは言葉に尽くし難かった。

石井美樹子(著). 『マリー・アントワネットの宮廷画家 ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの生涯』. 河出書房新社. p.39.

フランス革命でヴィジェ・ルブランは外国に亡命します。

亡命先でもヴィジェ・ルブランの画家としての人気は非常に高く、貴族たちの肖像画を描き続けました。

ヴィジェ=ルブランによる1778年のマリー・アントワネットの肖像画

ルーベンスの『シュザンヌ・フールマンの肖像』

アントワープでルーベンスの「麦わら帽子」を観る

1781年、ヴィジェ・ルブランは夫ともにフランドル(現在のベルギー)やオランダを訪れました。

現地でロシア大使シャルル・ジョゼフ・ド・リーニュ公と会い、ベル・オイル邸に招かれたルブラン夫妻はヴァン・ダイクやルーベンスらの絵画を鑑賞。

その後アントワープに戻ったヴィジェ・ルブランは、ルーベンスの「麦わら帽子」の愛称で知られる「黒い帽子をかぶる女性」の肖像を目にします。

イギリス人に法外な価格で売却されたばかりのルーベンス作「黒い帽子をかぶる女性」(ロンドン / ナショナル・ギャラリー)を観た。義妹シュザンヌをモデルにした作品だった。モデルは羽根で飾られた黒い帽子をかぶっている。ルイーズはこの作品に深く心を打たれ、ルーベンスの画法を詳細に研究した。

『マリー・アントワネットの宮廷画家 ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの生涯』 p.34.

(「義妹シュザンヌ」となっていますが「義姉」です)

『シュザンヌ・フールマンの肖像』 1622年から1625年の間 ルーベンス画  ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
『シュザンヌ・フールマンの肖像』( Portrait of Susanna Lunden(?) (‘Le Chapeau de Paille’) ) 1622年から1625年の間 ピーテル・パウル・ルーベンス ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:『シュザンヌ・フールマンの肖像』

ナショナル・ギャラリー:Portrait of Susanna Lunden(?) (‘Le Chapeau de Paille’)

ヴィジェ・ルブランはブリュッセル滞在中に、ルーベンス風の自画像を制作しました。

『麦わら帽子の自画像』 1782年以降 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
『麦わら帽子の自画像』 1782年以降 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:『麦わら帽子の自画像』

素朴で暑い夏に涼しげな麦わら帽子は、18世紀のロココ期の貴婦人たちにとってお洒落の必須アイテム。大ぶりの羽飾りが一番人気だったようだが、エリザベトは季節の花をあしらっている。

木村泰司(監修). 『名画の美女』. 洋泉社MOOK. p.94.

1782年のサロンに出品されたこの自画像は高い評価を得ました。

この高評価と王室の後押しで、1783年5月31日、エリザベートは女性画家ギアールとともに王立アカデミー会員に推挙されました。

『二人の弟子のいる自画像』 1785年 アデライド・ラビーユ=ギアール メトロポリタン美術館蔵
『二人の弟子のいる自画像』 1785年 アデライド・ラビーユ=ギアール メトロポリタン美術館蔵

引用元:『二人弟子のいる自画像』

メトロポリタン美術館:Self-Portrait with Two Pupils, Marie Gabrielle Capet (1761–1818) and Marie Marguerite Carreaux de Rosemond (died 1788)

弟子に囲まれたギアールも、大きな羽根飾りのついた帽子を被っていますね。

『麦わら帽子の自画像』最初のヴァージョン

『麦わら帽子の自画像』 1782年以降 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
『麦わら帽子の自画像』 1782年以降 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:『麦わら帽子の自画像』

ナショナル・ギャラリーの解説によると、ナショナル・ギャラリーに収蔵されている方が現在スイスに在る作品のコピーとのことです。

ナショナル・ギャラリーのものの方が最初のものに比べて、「眉毛が太くなり、まぶたの形がより強調され、下唇がよりふっくら」しており、口元にたたえた微笑みから自信が滲み出ています。

また、コピーでは、衣装が「ライラック色からローズピンク」に変更され、背景の空には「うっすらと白い雲」が追加。

どちらも美人には違いないですが、高評価を受けたというナショナル・ギャラリーの作品の方が晴れやかな印象です。

ナショナル・ギャラリー(ロンドン)の解説

『シュザンヌ・フールマンの肖像』( Portrait of Susanna Lunden(?) (‘Le Chapeau de Paille’) ) 1622年から1625年の間 ピーテル・パウル・ルーベンス ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

『シュザンヌ・フールマンの肖像』 1622年から1625年の間 ルーベンス画  ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
『シュザンヌ・フールマンの肖像』 1622年から1625年の間 ピーテル・パウル・ルーベンス ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:『シュザンヌ・フールマンの肖像』

現在ヴィジェ・ルブランの『麦わら帽子の自画像』と同じ英国ナショナル・ギャラリーに収められている『シュザンヌ・フールマンの肖像』。

外交官としても活躍したバロックの巨匠ルーベンスの作品で、『麦わら帽子』という通称でも知られています。

 この作品のモデルとされるシュザンヌ・ルンデンの旧姓はフールマンといいます。最初の妻を亡くしていたルーベンスが、1630年に53歳で再婚した16歳の娘エレーヌの一番上の姉がシュザンヌです。

木村泰司(著). 2015-7-15. 『名画は嘘をつく 2』. ビジュアルだいわ文庫. p.21.

絵の中のシュザンヌが被っているのは、「麦わら帽子」ではなく、1620年代に流行した黒い帽子、「フェルト帽」です。

これの何処が「麦わら帽子」?? なぜ「麦わら帽子」と呼ばれているのか??

この愛称が定着した理由ですが、フランス語の「paille」(わら)と「poil」(フェルト)が似ているため、誤って定着した、と言われています。

下の女性はシュザンヌの妹、ルーベンスの二度目の妻となったエレーヌです。

『毛皮をまとったエレーヌ・フールマン』 1638年頃 ルーベンス画 美術史美術館蔵
『毛皮をまとったエレーヌ・フールマン』 1638年頃 ルーベンス画 美術史美術館蔵

引用元:『毛皮をまとったエレーヌ・フールマン』

美術史美術館: Helena Fourment (“Das Pelzchen”)

『ポリニャック公爵夫人の肖像』( Yolande-Martine-Gabrielle de Polastron, duchesse de Polignac ) 1782年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ヴェルサイユ宮殿

ルーベンスの『シュザンヌ・フールマンの肖像』に霊感を得たヴィジェ・ルブランは、ルーベンスへのオマージュとして二点の絵を描き上げました。

それが『麦わら帽子の自画像』と、『ポリニャック公爵夫人の肖像』です。

『ポリニャック公爵夫人の肖像』 ヴィジェ=ルブラン 1782年 ヴェルサイユ宮殿
『ポリニャック公爵夫人の肖像』 1782年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ヴェルサイユ宮殿

引用元:『ポリニャック公爵夫人の肖像』

ヴィジェ・ルブランの自画像とよく似ていますね。

公爵夫人はマリー・アントワネットの友人。ショールや髪型はヴィジェ=ルブランの自画像とおそろいだ。

 木村泰司(著). 2015-7-10. 『知識ゼロからの肖像画入門』. 幻冬舎. p.96.

18世紀のフランス宮廷では、大きく盛り上げ、ダチョウの羽根などで飾り付けた髪形が流行しました。

しかし、1782年の『自画像』と『ポリニャック公爵夫人の肖像』で描かれているのはそれぞれの地毛。

麦わら帽子に飾った季節の花、柔らかそうなドレスの質感と相まって、とても自然な印象です。

ポリニャック公爵夫人ヨランド・ド・ポラストロン( Yolande Martine Gabrielle de Polastron, comtesse puis duchesse de Polignac, marquise de Mancini, 1749年9月8日-1793年12月9日)

ポリニャック公爵夫人ヨランド・ド・ポラストロンはマリー・アントワネットの寵臣です。

アントワネットに取り入ったポリニャック公爵夫人には(知り合った頃は伯爵夫人)莫大な年金や下賜金が与えられていました。伯爵だった夫は公爵になり、一族は要職に就くなど大出世したのです。

しかし、1789年にフランス革命が起きると、真っ先に亡命。

夫人本人は健康を害し、亡命先のウィーンで亡くなりました。

以下はエリザベートによるポリニャック公爵夫人の肖像画です。

『ポリニャック夫人の肖像』 1783年 ヴィジェ=ルブラン ウォデスドン・マナー
『ポリニャック夫人の肖像』 1783年 ヴィジェ=ルブラン ワデスデン・マナー

引用元:『ポリニャック公爵夫人の肖像』

『ポリニャック夫人の肖像』 1787年 Collection Gramont
『ポリニャック夫人の肖像』 1787年 Collection Gramont

引用元:『ポリニャック公爵夫人の肖像』

『ポリニャック夫人の肖像』 1787年 ヴィジェ=ルブラン
『ポリニャック夫人の肖像』 1787年 ヴィジェ=ルブラン

引用元:『ポリニャック公爵夫人の肖像』

ポリニャック夫人、美しい容姿ですね。

しかし、マリー・アントワネットに取り入り莫大な下賜金を受けておきながら、真っ先に亡命した(勧めたのはアントワネット自身だったそうですが)と聞くと、見方も少しナナメになってしまいます。

ポリニャック夫人と同じ年に生まれ、ポリニャック夫人にアントワネットの寵愛を奪われたランバル公妃は、革命で一時外国に逃れていましたが、友アントワネットの為に戻って来ました。

その結果、1792年の9月虐殺で殺害されます。

どちらが良い悪いではなく、優美なロココ期、フランス革命時に生きた大勢の中のひとりの人生を、肖像画を通して知りたいなと思います。

主な参考文献
  • 『名画の美女』 木村泰司(監修) 洋泉社MOOK
  • 『マリー・アントワネットの宮廷画家 ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの生涯』 石井美樹子(著) 河出書房新社
  • 木村泰司(著). 2015-7-15. 『名画は嘘をつく 2』. ビジュアルだいわ文庫.
  • 木村泰司(著). 2015-7-10. 『知識ゼロからの肖像画入門』. 幻冬舎.

ルーヴル美術館で観られるヴィジェ=ルブランの作品一覧

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