英国ナショナル・ギャラリーで観られる、ルーベンスの「麦わら帽子」とエリザベート・ヴィジェ=ルブランによるオマージュ「麦わら帽子の自画像」。
『シュザンヌ・フールマンの肖像』( Portrait of Susanna Lunden(?) (‘Le Chapeau de Paille’) ) 1622年から1625年の間 ピーテル・パウル・ルーベンス ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
引用元:『シュザンヌ・フールマンの肖像』
ナショナル・ギャラリー:Portrait of Susanna Lunden(?) (‘Le Chapeau de Paille’)
シュザンヌ・フールマンは、ルーベンスの二人目の妻エレーヌの姉です。
最初の妻イザベラを通して、ルーベンスはフールマン一家とは親戚でした。
魅力溢れる表情の後ろ側、背景の黒い雲と青い空が印象的ですが、『ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド』によれば、シュザンヌは最初の結婚後、程なく夫と死別。1622年に23歳でアルノルト・ルンデンと結婚しました。
若くして夫と亡くし、別の男性と再婚。
「こうした事情は、灰色の雲が四散して青空が覗いているところに暗示されているのかもしれない。」と解説欄にありました。
シュザンヌの右手の人差し指にはルーベンスとイザベラの結婚記念肖像画でも見られる指輪があり、本作は婚約または結婚を記念した肖像画であろう、とのこと。
黒雲が晴れて顔を出した空の青さが黒い帽子を、帽子の黒や衣装の黒と赤が、モデルの肌の輝きを引き立たせているようです。
17世紀に生きた人ですが、これから幸せになって欲しいと思わずにいられません。
アルテ・ピナコテーク:Rubens und Isabella Brant in der Geißblattlaube, um 1609/10
ルーベンスの二番目の妻エレーヌ・フールマン(1614年-1674年)。
イザベラと死別したルーベンスとは1630年に結婚しました。
美術史美術館: Helena Fourment (“Das Pelzchen”)
裸を腕で隠す仕草は、古代彫刻の「恥じらいのヴィーナス」のポーズを連想させます。
美術史美術館には「毛皮と裸体の美女」の組み合わせ、ティツィアーノの作品が収められています。
シュザンヌ・フールマン(1599年-1628年)の肖像
引用元:『おそらくシュザンヌ・フールマン(シュザンヌ・ルンデン)
メトロポリタン美術館:Portrait of a Woman, Probably Susanna Lunden (Susanna Fourment, 1599–1628)
『シュザンヌ・フールマンの肖像』の制作風景(19世紀の絵画)
引用元:Rubens peignant “le Chapeau de paille” dans un pavillon de son jardin
ルーヴル美術館:Rubens peignant “le Chapeau de paille” dans un pavillon de son jardin
19世紀に描かれた作品。
ルーヴル美術館のサイトによると、「特に人気のあったジャンルの、偉大な画家の生涯を逸話形式で再現した典型的な作品」とのことです。
実際にはどんな風に制作されたのでしょうね。ちょっと気になります。
ルーベンスの『麦わら帽子』へのオマージュ
ルーベンスは『シュザンヌ・フールマンの肖像』をアトリエで制作しましたが、モデルのシュザンヌは自然の光の中にいます。
『ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド』では、
肖像画はアトリエの中で制作されたが、戸外の設定になっているので、ルーベンスは自然光の照明を描くことができた。そのため、シュザンヌの羽根のついたフェルト帽の影でさえ、彼女の肌や瞳の輝きを曇らせることはない。この効果は非常に賞賛され、1782年にはフランスの画家マダム・ヴィジェ・ル・ブランが自画像でこれを真似ている。
エリカ・ラングミュア(著). 高橋裕子(訳). 2004-11-1. 『ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド』. ミュージアム図書. p.245.
とあり、同じナショナル・ギャラリーにあるエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの作品が挙げられています。
『麦わら帽子の自画像』 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
1781年、フランスの画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランは、夫ともにフランドル(現在のベルギー)やオランダを訪れ、ヴァン・ダイクやルーベンスの絵画を鑑賞します。
その後アントワープで、『麦わら帽子』と呼ばれた『シュザンヌ・フールマンの肖像』を目にしたエリザベート・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン。
強く心を惹かれた彼女は、ルーベンスの画法を熱心に研究します。
そして1782年、麦わら帽子を被った自画像を描き上げました。
引用元:『麦わら帽子の自画像』
ナショナル・ギャラリーの解説によると、ナショナル・ギャラリーにある『麦わら帽子の自画像』が、現在スイスにある絵のコピーとのことです。
引用元:『麦わら帽子の自画像』
ナショナル・ギャラリー:Self Portrait in a Straw Hat
ナショナル・ギャラリーの公式サイトから一部引用させていただきます。
Although the National Gallery’s version of the self portrait is a copy that Vigée Le Brun herself made of her original portrait (the copy was probably also painted in 1782), there are some minor, but significant, differences between the two paintings. In light perhaps of her comment that the original portrait had ‘greatly enhanced my reputation’, the National Gallery’s version presents a more assertive and self-assured image. This self-assurance is in part achieved by slight changes to the face – in the copy, for example, the eyebrows are heavier, the shape of the eyelids is given more emphasis, the lower lip is fuller, and the mouth more smiling. Vigée Le Brun has also changed the colour of her satin dress from a shade of lilac to a rose pink. Perhaps in response to comments by Salon critics that the unbroken blue sky of the original painting was too basic or just too blue, she has broken up the sky in the copy by adding wispy white clouds.
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/elisabeth-louise-vigee-le-brun-self-portrait-in-a-straw-hat
(Google翻訳:ナショナル ギャラリーのバージョンの自画像は、ヴィジェ ル ブラン自身がオリジナルの肖像画を複製したものですが (この複製もおそらく 1782 年に描かれたものと思われます)、2 つの絵画の間には小さいながらも重大な違いがいくつかあります。オリジナルの肖像画が「私の評判を大いに高めた」という彼女のコメントを考慮して、ナショナル ギャラリーのバージョンでは、より積極的で自信に満ちたイメージが表現されています。この自信は、顔のわずかな変化によって部分的に達成されます。コピーでは、たとえば、眉毛が太くなり、まぶたの形がより強調され、下唇がよりふっくらし、口がより微笑んでいます。ヴィジェ・ルブランも、サテンのドレスの色をライラック色からローズピンクに変更しました。おそらく、オリジナルの絵の途切れることのない青い空があまりにも単純すぎる、または単に青すぎるというサロン批評家のコメントに応えて、彼女はコピーではうっすらと白い雲を追加することで空を分割しました。)
陰影、ドレスの色、自信に満ちた表情など、印象が随分違いますよね。
画家本人に目を奪われて、背景の「青」をただ「キレイー」とスルーしてしまいそうですが、サイトの解説には、ナショナル・ギャラリーの作品は「うっすらと白い雲を追加することで空を分割した」とあります。
そのためスイスのヴァージョンより絵に変化がついて、ヴィジェ・ルブランの表情がより晴れやかに見えます。
なぜ「麦わら帽子」( Le Chapeau de Paille )?
ルーベンスの『シュザンヌ・フールマンの肖像』の愛称は「麦わら帽子」といいます。
20歳の頃この絵を見て、「え、麦わらじゃないじゃん」と思い、次に、「…こーいう「麦わら」帽子がかつて存在したのかもしれない…」「これがホンモノの麦わらなのかも」とムリヤリ自分を納得させたことがあります。
引用元:『シュザンヌ・フールマンの肖像』
いやいや。
シュザンヌ・フールマンが被っているのはフェルト帽でした。麦わらではありません。
ではなぜ「麦わら帽子」などという愛称が付いていたのか?
これは、フランス語の「paille」(わら)と「poil」(フェルト)が似ているため、誤って定着したためだと言われています。
『ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド』では、シュザンヌ・フールマンの帽子は「ビーヴァ―の毛皮風のフェルト製」とあります。
ルーベンスの作品に表されているような直射日光の明るい輝きと戸外の反射光の全体的な明るさとは、たしかに入念に描き分けられているが、ヴィジェ・ルブラン夫人は自然から彼女が受けた恩恵を表すことにも気を配っている。彼女は雲が浮かぶ空を背景として、屋外に自分を描いた。そして-モデルと画家を兼ねているのだから驚くことはないのだが-自分自身をほとんど絵画芸術の擬人像として表している。絵の中での野原への遠出にふさわしく、また、自身の観察力を示すために、彼女はルーベンスのモデルとは異なって、本物の「麦わら帽子」を被っている(ルーベンスの絵の帽子は、実際にはビーヴァ―の毛皮風のフェルト製だった)。
エリカ・ラングミュア(著). 高橋裕子(訳). 2004-11-1. 『ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド』. ミュージアム図書. p.343.
ヴィジェ・ルブランは、ダチョウの羽根飾りを付けた本物の麦わら帽子を被りました。
帽子には可憐な季節の花をあしらっています。
青空をバックに、「戸外」感倍増ですね。
引用元:『麦わら帽子の自画像』
ヴィジェ・ルブランの髪も自然。
この時代「プフ」を使って盛り上げた大きな髪形が流行していましたが、ヴィジェ・ルブランはかつらや髪粉を使っていません。
シュザンヌのように思い切りコルセットでバストを盛り上げることもせず、「自然な感じ」の印象になっています。
フランスの画家ヴィジェ=ルブランは『麦わら帽子の自画像』を描き、イギリスの画家トマス・ローレンスは麗しい『ピール夫人ジュリアの肖像』を描きました。
『ピール夫人ジュリアの肖像』( Julia, Lady Peel ) 1827年 トーマス・ローレンス フリック・コレクション蔵
引用元:『ピール夫人ジュリアの肖像』
モデルの夫ロバート・ピール( Sir Robert Peel, 2nd Baronet, PC, FRS、1788年-1850年)は首相を二度務めた人物で、画家ローレンスのパトロンでした。
ピールは1823年にルーベンスの『シュザンヌ・フールマンの肖像』を入手。
『シュザンヌ・フールマンの肖像』にインスピレーションを得たローレンスは、『ピール夫人ジュリアの肖像』を制作しました。
シュザンヌ・フールマンのようなポーズに、ダチョウの羽根飾りです。
ちなみに、『シュザンヌ・フールマンの肖像』はロバート・ピールの死後は息子が他のコレクションと共に相続し、後にナショナル・ギャラリーに売却されます。
ジュリア様、優雅でお美しい。私の目はジュリア様の美貌と、腕輪に釘付けです。
薄いけど、情報量はそれなりにあります。
バロック美術の書籍はたくさん出ていますが、これらもオススメ。
肖像画について知りたい時は
ルーベンスによるティツィアーノの作品の模写
北欧やフランドルの芸術家たちにとって、ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、マンテーニャ、ミケランジェロ、ラファエロなど、イタリアの高名な画家たちの作品を模倣し、研究することは一般的な習慣でした。
若い頃のルーベンスも巨匠たちの作品から絵画の技術を学ぶため、イタリアを訪れています。
ヴィジェ・ルブランやローレンスのようなオマージュ作品とはちょっと違いますが、ルーベンスによるティツィアーノの作品の模写を挙げてみました。
『毛皮を着た若い女性』( Young woman in a fur wrap (after Titian)) 1629年-1630年頃 ピーテル・パウル・ルーベンス クイーンズランド州立美術館蔵
引用元:『毛皮を着た若い女性』
クイーンズランド州立美術館:Young woman in a fur wrap (after Titian)
クイーンズランド州立美術館蔵の解説によると、本作はティツィアーノの作品「毛皮を着た若い女性」の複製で、1629年から1630 年にかけて、ルーベンスがイギリスを訪問した後に制作された可能性があるということです。
『毛皮を着た若い女性』( Mädchen im Pelz ) 1535年-1537年頃 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 美術史美術館蔵
女性のヌード、素肌と毛皮の官能的な組み合わせ。
ルーベンスも妻となったエレーヌをモデルとして「毛皮と裸の若い女性」を描いています。
『ウェヌスと鏡を持つクピド』( Venus and Cupid Holding a Mirror (after Titian)) ピーテル・パウル・ルーベンス ティッセン・ボルネミッサ美術館蔵
引用元:『ウェヌスと鏡を持つクピド』
ティッセン・ボルネミッサ美術館:Venus and Cupid Holding a Mirror (after Titian)
『鏡を見るヴィーナス』( Venus with a Mirror ) 1555年頃 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ ナショナル・ギャラリー・オブ・アート蔵
引用元:『鏡を見るヴィーナス』
ナショナル・ギャラリー・オブ・アート:Venus with a Mirror, c. 1555
皮膚の質感、布、宝石類、どれも美しいです。
『エウロペの略奪』( Elrapto de Europa ) 1628年-1629年頃 ピーテル・パウル・ルーベンス プラド美術館蔵
引用元:『エウロペの略奪』
スペイン王室はティツィアーノの作品を多く所有しており、二度目のスペイン訪問でルーベンスはティツイアーノを模写しています。
『エウロペの略奪』( The Rape of Europa ) 1560年-1562年 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館蔵
引用元:『エウロペの略奪』
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館:THE RAPE OF EUROPA, 1559-1562
『ディアナとカリスト』( Diana y Calisto ) 1635年頃 ピーテル・パウル・ルーベンス プラド美術館蔵
引用元:『ディアナとカリスト』
ティツィアーノの作品を模写しながらも、別の解釈で描いた『ディアナとカリスト』。
『ディアナとカリスト』( Diana and Callisto ) 1556年-1559年頃 ティツィアーノ・ヴェッチェリオ ナショナル・ギャラリー(スコットランド)蔵
引用元:『ディアナとカリスト』
ナショナル・ギャラリー(ロンドン):Diana and Callisto
ナショナル・ギャラリー(スコットランド):Diana and Callisto
『アダムとイヴ』( Adán y Eva ) 1628年-1629年 ピーテル・パウル・ルーベンス プラド美術館蔵
引用元:『アダムとイヴ』
『アダムとイヴ』は、『エウロペの略奪』『ディアナとカリスト』と共にプラド美術館にあります。
『アダムとイヴ』( Adán y Eva ) 1550年頃 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ プラド美術館蔵
引用元:『アダムとイヴ』
ルーヴル美術館で観られるヴィジェ=ルブランの作品一覧
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