ジョドレル夫妻は、18世紀英国の画壇でライバル同士だったレノルズとゲインズバラに、自分たちの結婚肖像画を依頼しました。夫の肖像画をゲインズバラが、妻の肖像画をレノルズが描いています。

『リチャード・ポール・ジョドレル夫人』 1774年 – 1776年 ジョシュア・レノルズ デトロイト美術館蔵

Mrs. Richard Paul Jodrell デトロイト美術館
この絵のタイトルは『リチャード・ポール・ジョドレル夫人』。
モデルとなった女性はヴァ―チュー・ジョドレル( Vertue Jodrell, 1755年5月15日 – 1806年3月23日)といい、1772年にまたいとこのリチャード・ポール・ジョドレルと結婚しました。
『リチャード・ポール・ジョドレル』 1774年頃 トマス・ゲインズバラ フリック・コレクション蔵

Richard Paul Jodrell フリック・コレクション
英国の古典学者で劇作家、リチャード・ポール・ジョドレル( Richard Paul Jodrell, 1745年11月13日 – 1831年1月26日)。
ジョドレル夫妻は慣例と異なり、自分たちの結婚肖像画をライバル同士の画家たちに依頼しました。
夫の肖像画はトマス・ゲインズバラに、妻の肖像画はジョシュア・レノルズに依頼したのです。
『リチャード・ポール・ジョドレル夫人』の衣装について
ジョドレル夫人が東洋風に装っているのは, 当時のファッションとレノルズが一般に肖像画を描いた態度と一致している。イギリスのファッションに近東, とくにペルシアの影響が現れるようになったのは1760年頃からであり, 舞台用衣装としてとり入れられた。レノルズは衣服を図象学的な細部とみなしていたのかもしれない。それはモデルが上流階級の劇作家の妻であることを明らかにする助けとして使われている。もしくは, レノルズはこの絵を「ファンシー・ピクチュア」に近づけようとしたのかもしれない。この時期にレノルズによってターバンを巻いた聖チェチリア(ロスアンジェルス・カウンティ美術館)が描かれたが, これはジョドレル夫人のドレスの選択に刺激を受けたのかも知れない。
Lisikewycz, Iva. p.165.『デトロイト美術館展 1990』.
1700年代後半
ジョドレル夫妻の絵が描かれた1774年は、フランス国王ルイ15世が崩御した年(5月に崩御)。
次の国王としてルイ16世が即位し、妃のマリー・アントワネットが宮廷のトップに立ちました。
ルイ15世やポンパドゥール夫人、マリー・アントワネットが牽引したロココ美術は、やがて新古典主義芸術に移ります。
英国では17世紀初頭から19世紀初頭にかけて、裕福な貴族の子弟が、その学業の終了時に大規模な国外旅行「グランド・ツアー」に出掛けて行きました。
行き先はイタリアやフランスが多く、フランスでは最新のモードやマナーを学んで帰国します。
また、イタリアでルネサンスの芸術に触れた芸術家たちによって、英国にも新古典主義の建物が多く造られるようになりました。
1760年代の古代ブーム
18世紀の古代ブーム ジョゼフ=マリー・ヴィアンの『キューピッド売り』
レノルズとゲインズバラと英国絵画の父 ホガース
ジョシュア・レノルズ(レイノルズとも表記、Sir Joshua Reynolds, 1723年7月16日 – 1792年2月23日)

引用元:ジョシュア・レノルズ自画像
ジョシュア・レノルズはイングランド出身の画家です。
若い頃イタリアに渡って修業し、古典芸術とルネサンス芸術を学びました。
1768年にロイヤル・アカデミーを創設し、初代会長に就任します。
「グランド・マナー(荘厳様式)」を重んじ、多くの名士たちの肖像画を描きました。


引用元:『マスター・ヘア』


お気に入り『ジョージ・K・H・クースメイカー大尉』
オルレアン公の肖像画も描いています
「一杯のチョコレート」を楽しむパンティエーヴル公の家族と「9月虐殺」
トマス・ゲインズバラ( Thomas Gainsborough, 1727年5月14日 – 1788年8月2日)

引用元:トマス・ゲインズバラ自画像
18世紀英国の画家、トマス・ゲインズバラ。
ロンドンでフランス出身の版画家 ユベール=フランソワ・グラヴロに師事。
フランシス・ヘイマン、ウィリアム・ホガースら画家たちの中で修業しました。
肖像画家として有名ですが、本人は風景画を好み、「肖像画は生計の為に描いていた」のだそうです。
それでも傑作が多いですよね。

引用元:『青衣の少年』

引用元:『グレアム夫人』

引用元:『デヴォンシャー公爵夫人』
映画『ある公爵夫人の生涯』(2008年)のヒロイン、デヴォンシャー公爵夫人 (ジョージアナ・キャヴェンディッシュ)です。
18世紀の貴婦人がかぶる大きな帽子
デヴォンシャー公爵夫人が被るつば広の帽子「ゲインズバラ・ハット」

引用元:『青い服を着た婦人の肖像』
『青い服を着た婦人の肖像』も掲載しました
ゲインズバラの作品の中から有名なものを挙げてみましたが、「これ見たことがある」と思われた方、多いのではないでしょうか。
ゲインズバラの画風はフランス・ロココ風。
その評価は、
同時代から今日に至るその評価は, 繊細で洗練された絵筆で顔料によって, また著しく微妙な色彩の選択により, 彼独自の大変個性定期なフランス・ロココ様式を展開させたという点, のみならず, おそらく更に重要な点は, そのモデルに対する彼の一途な個人的な感情に支えられている。
千足伸行(監修・翻訳).『英国国立ヴィクトリア&アルバート美術館展 1990-91 』.p.96.
ゲインズバラの描く愛娘たちの表情はとても繊細です。
デヴォンシャー公爵夫人のこちらに向ける眼差しも非常に魅力的ですよね。
絵画に対する態度の違いから、ゲインズバラとレノルズは対立しました。
最終的には解消しましたがずっとライバル状態にあり、ゲインズバラはレノルズを評して、「いまいましいが、非常に多才な男だ」と言ったそうです。
ウィリアム・ホガース( William Hogarth, 1697年11月10日 – 1764年10月26日)
レノルズより年上ですが、同時代18世紀の画家に ウィリアム・ホガースがいます。
英国における著作権法「ホガース法」を成立させた人物です。
他国の巨匠を招いてばかりで「美術不毛の地」と呼ばれてきたイギリスにも、集団肖像画と風刺画で一時代を築いた「初の英国人画家」ホガースや、風景画と肖像画を融合したゲインズバラが登場。王立芸術院も創設され、画家レノルズが初代会長に選ばれました。
山田五郎(著). 2011-7-15. 『知識ゼロからの 西洋絵画史入門』. 幻冬舎. p.61.

引用元:画家ホガースと愛犬パグ
英国ロココ期の『当世風の結婚』より
ウィリアム・ホガース 18世紀の『当世風の結婚』(ファッションで見る『第一場』、室内装飾で見る『第二場』)
ホガースの『その前』と『その後』
ウィリアム・ホガースとカンヴァセーション・ピース『貞操の危機』『その前』『その後』
- デニス・サットン(監修).千足伸行(編集).『デトロイト美術館展 1990』
- 千足伸行(監修・翻訳).『英国国立ヴィクトリア&アルバート美術館展 1990-91 』
- 山田五郎(著). 2011-7-15. 『知識ゼロからの 西洋絵画史入門』. 幻冬舎.
ホガース、レノルズ、ゲインズバラも出てくる書籍を紹介