シェイクスピア劇関連の絵画にしばしば登場する名優デイヴィッド・ギャリック(1717年2月19日 – 1779年1月20日)の肖像画を掲載しました。
ギャリック夫妻( David Garrick with his wife Eva-Maria Veigel, “La Violette” or “Violetti” ) 1757年 – 1764年 ウィリアム・ホガース
引用元:ギャリック夫妻
肖像画のモデルといえば、かしこまって澄ましている…という印象ですが、この絵の中のふたりはとても自然な感じ。
観ているこちら側までほっこりするような。
こんな仲睦まじいギャリック夫妻の姿を描いたのは、18世紀英国の画家ウィリアム・ホガースです。
ホガースはデイヴィッド・ギャリックの友人でした。(下の引用では「ホーガース」となっています)
デイヴィッド・ギャリックは俳優で劇作家。シェイクスピアの悲劇、喜劇をどちらも得意とした18世紀随一の名優で、ホーガースの友人でもあった。夫人はバレリーナである。机に向かってものを書きあぐねている夫の背後から、妻が優雅な身振りでペンを取り上げようとする - 喜劇の一場面を思わせる趣向で2人の生き生きとした姿を自然に結びつけた肖像。夫妻のポーズには、詩人と彼に霊感を授けるミューズのイメージも重ねられている。
中山公男(総監修). 『グレート・アーティスト別冊 ロココの魅力』. 同朋舎出版. p.55.
モデルは18世紀英国の俳優であり劇作家、劇場支配人、デイヴィッド・ギャリック( David Garrick, 1717年2月19日 – 1779年1月20日)。
祖父はフランスのユグノー(プロテスタント)。1685年に「ナントの勅令」が廃止され、ユグノーの権利が取り消された後、フランスからロンドンに渡って来ました。
営んでいたワイン事業の失敗後、ギャリックは1740年にドルリー・レーン王立劇場の舞台に立ち、1746年には劇場支配人に就任します。
1749年6月22日、ウィーン生まれのバレリーナ、エヴァ・マリア・ヴェイゲル( Eva Marie Veigel, 1724年2月29日 – 1822年10月16日)と結婚し、その後30年に及ぶ結婚生活を送ります。
ギャリックには女優との間に1747年生まれの非嫡出子(息子)がいますが、妻エヴァとの間に子どもはいませんでした。
1856年、劇作家ロバートソンによって、ギャリックを題材にした戯曲『 David Garrick 』が作られています。(参考:Wikipedia “David Garric” )
ウィリアム・ホガース( William Hogarth, 1697年11月10日 – 1764年10月26日)
引用元: ウィリアム・ホガース
ホガースの登場まで、外国出身の画家が活躍していた英国の美術界。
ロンドン生まれのホガースは最初は銅版画家としてキャリアをスタート、社会を風刺した版画や風俗画などで国民的な人気画家になりました。
ホガースの連作版画は大衆の間で人気を博しましたが、同時に大量のコピーも出回ります。
銅版画家の権利を守るためホガースは裁判所に訴え、今日の著作権法にあたる法律を議会で成立させることに尽力しました。
この法律はホガースの名にちなみ、ホガース法( Hogarth’s Act, 1735年施行)と呼ばれています。
関連記事 ウィリアム・ホガースとカンヴァセーション・ピース『貞操の危機』『その前』『その後』
関連記事 ウィリアム・ホガース 18世紀の『当世風の結婚』(ファッションで見る『第一場』、室内装飾で見る『第二場』)
関連記事 コレッジョの神話画とウィリアム・ホガースの『当世風の結婚』(第四場)
『リチャードⅢ世を演ずるデイヴィッド・ギャリック』( David Garrick as Richard III ) 1745年 ウィリアム・ホガース
David Garrick as Richard III ウォーカー・アート・ギャラリー
シェイクスピア劇に登場するリチャードⅢ世はギャリックの当たり役でした。
本作は戯曲『リチャードⅢ世』第五幕の一場面です。
英国史における1485年の「ボズワースの戦い」で討たれる直前、戦場のリチャードは、今まで殺してきた人々の亡霊を夢で見ます。
ホガースはシェイクスピアの劇を描いた最初の画家といわれています。
シェイクスピアを主題とした絵画の中で、特に俳優たちを描いたものがある。日本でいうなら浮世絵の大首絵に当たるもので、今でいえばアイドルのブロマイドといったところだろうか。俳優を描いた絵画の先鞭をつけたのは、18世紀のイギリス画壇を代表するホガースであり、最初に描かれたのが名優ギャリック(1717年-79年)だった。
平松洋(著). 2014-5-29. 『ビジュアル選書 名画で見るシェイクスピアの世界』. 中経出版. p.136.
絵の中のギャリックは体を捻った状態で描かれていますね。
ウォーカー・アート・ギャラリーによると、「ギャリックの体は、ホガースが、際立って美しいと考えていた、引き伸ばされた「S」字形の「蛇行」したラインに歪んでいる。彼は後にこの形を、1753 年に出版された理論論文「美の分析」の基礎とした」( Garrick’s body is contorted into a ‘serpentine’ line – a stretched ‘S’ shape that Hogarth considered distinctly beautiful. He later made this shape the basis of his theoretical treatise ‘The Analysis of Beauty’ published in 1753. )とあります。
また、最初に描かれたシェイクスピア作品の絵画という本作は「単なる肖像画」ではなく、イングランドの重要性を強調する「歴史画」でもある、とのこと。
愛国心に満ちていたというホガース。
望んでいた歴史画家としての地位は得られませんでしたが、風刺画、道徳を説く絵画で大人気を獲得したホガースは、道徳的教育を教えるのには古代史よりも英国の事件を使用できると信じていたようです。
各戯曲のあらすじは簡単なのでもう少し詳しく、絵ももっと載っているといいなあと思いますが、「ああ、この絵って○○(戯曲)の第△幕なんだー」と判ったものもあり、私には役に立った書籍です。シェイクスピアの戯曲にちなむ絵画集という感じですかね?
デイヴィッド・ギャリックの肖像
ギャリック夫妻( David Garrick; Eva Maria Garrick (née Veigel) ) 18世紀 ジョシュア・レノルズ
引用元:ギャリック夫妻
David Garrick; Eva Maria Garrick (née Veigel) ナショナル・ポートレート・ギャラリー
自宅の庭でくつろぐギャリック夫妻。
ナショナル・ポートレート・ギャラリーの解説によると、デイヴィッド・ギャリックの手にある書物は「おそらく彼の戯曲のひとつ」で、彼が劇作家であることを示しているようです。
『悲劇と喜劇の間のギャリック』( David Garrick between Tragedy and Comedy ) 1760年頃 ジョシュア・レノルズ
引用元:『悲劇と喜劇の間のギャリック』
David Garrick (1716 – 1779) between Tragedy and Comedy ワデスデン・マナー
昔風衣装を着けた登場人物たち。青い衣装の「悲劇」とピンクの衣装の「喜劇」の間で微苦笑を浮かべるギャリック。
悲劇も喜劇もいけるというギャリックから「いや。こっちの女性(ジャンル)からも呼ばれてるからね」との声が聞こえてきそうではございませんか。
『十人十色』のカイトリ―に扮するデイヴィッド・ギャリック( David Garrick as Kitely in ‘Every Man in his Humour’ ) 1768年 ジョシュア・レノルズ
引用元:『十人十色』のカイトリ―に扮するデイヴィッド・ギャリック
David Garrick as Kitely in ‘Every Man in his Humour’ ナショナル・ポートレート・ギャラリー
『Every Man in His Humor』は、英国の劇作家ベン・ジョンソンによる 1598 年の戯曲です。
ロイヤル・アカデミーの初代会長に就任した画家ジョシュア・レノルズは、ギャリックの親しい友人でした。
引用元:ジョシュア・レノルズ自画像
『デイヴィッド・ギャリック』( David Garrick ) 1770年 トマス・ゲインズバラ
引用元:『デイヴィッド・ギャリック』
David Garrick ナショナル・ポートレート・ギャラリー
レノルズのライヴァルだった画家ゲインズバラによる肖像画。
『デイヴィッド・ギャリック』( David Garrick ) 18世紀 トマス・ゲインズバラ
引用元:『デイヴィッド・ギャリック』
引用元:トマス・ゲインズバラ自画像
Thomas Gainsborough ナショナル・ポートレート・ギャラリー
イギリスの肖像画家、風景画家。
ロンドンで、ユベール=フランソワ・グラヴロやフランシス・ヘイマン、ウィリアム・ホガースら画家たちの中で修業しました。
関連記事 デヴォンシャー公爵夫人が被るつば広の帽子「ゲインズバラ・ハット」
『リチャードⅢ世を演ずるデイヴィッド・ギャリック』( David Garrick as Gloucester in ‘Richard III’ ) 1760年 フランシス・ヘイマン
有名な古代彫像からインスピレーションを得たと思われるポーズ。
これも『リチャードⅢ世』の最後の場面を描いたものです。
『西洋絵画のなかのシェイクスピア展』(1992 – 1993)の解説によると、この絵は、ヘイマンの友人でもあり、リチャードⅢ世役に定評のあったギャリックとの合意のもとで制作されたそうです。
『リチャード三世を演じるデイヴィッド・ギャリック』( David Garrick (1717–1779), as Richard III (from Shakespeare’s ‘Richard III’)) ナサニエル・ダンス=ホランド
『マクベスを演ずるデイヴィッド・ギャリックとプリチャード夫人』( David Garrick and Mrs. Pritchard in Macbeth ) 1768年 ヨハン・ゾファニー
引用元:『マクベスを演ずるデイヴィッド・ギャリックとプリチャード夫人』
参考:http://www.english.emory.edu/classes/Shakespeare_Illustrated/Zoffany.Macbeth.html
『デイヴィッド・ギャリック』( David Garrick ) 1763年 ヨハン・ゾファニー
引用元:『デイヴィッド・ギャリック』
David Garrick ナショナル・ポートレート・ギャラリー
ヨハン・ジョセフ・ゾファニー(1733年 – 1810年)はドイツ出身の肖像画家、風俗画家。
『リア王に扮するデイヴィッド・ギャリック』( David Garrick as King Lear ) 1815年頃 リチャード・ウェスタール
David Garrick as King Lear シカゴ美術館
シカゴ美術館の解説に、このシェイクスピアの「リア王」に扮するギャリックの肖像画は、「ギャリックの死後、彼のデスマスクから作成された版画に基づいて制作されたもので、俳優は麦と野花の冠をかぶっている。これは劇中の有名な場面、嵐に王が激怒し、自分を傷つけようと挑発する場面にちなんでいる。」(Google翻訳)とあります。
『デイヴィッド・ギャリック』( David Garrick ) 1764年頃 アンゲリカ・カウフマン
引用元:アンゲリカ・カウフマン
スイス生まれの女流画家アンゲリカ・カウフマン。
カウフマンはジョシュア・レノルズの親しい友人でした。
- 中山公男(総監修). 『グレート・アーティスト別冊 ロココの魅力』. 同朋舎出版.
- 平松洋(著). 2014-5-29. 『ビジュアル選書 名画で見るシェイクスピアの世界』. 中経出版.
- 『西洋絵画のなかのシェイクスピア展』(1992 – 1993)
1992年のチラシ
コメント