ウィリアム・ホガース 18世紀の『当世風の結婚』(ファッションで見る『第一場』、室内装飾で見る『第二場』)

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ウィリアム・ホガースの代表作のひとつ、『当世風の結婚』の第一場と第二場を、ファッションと室内の様子から見ていきます。

第一場『結婚の財産契約』The Marriage Settlement 1743-1745年頃
第一場『結婚の財産契約』The Marriage Settlement 1743-1745年頃

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目次

ウィリアム・ホガース( William Hogarth, 1697年11月10日-1764年10月26日)

画家ホガースと愛犬パグ 1745年の自画像 テート・ブリテン蔵
画家ホガースと愛犬パグ 1745年の自画像 テート・ブリテン蔵

引用元:ウィリアム・ホガース

18世紀イングランドの画家であり版画家、ウィリアム・ホガースです。

それでは、6枚の油彩の連作『当世風の結婚( Marriage à-la-mode マリアージュ・ア・ラ・モード)』(1743-1745年頃)と、エッチング(1745年頃)です。

『当世風の結婚』 第一場 The Marriage Contract(結婚の財産契約) ナショナル・ギャラリー蔵(ロンドン)

第一場『結婚の財産契約』The Marriage Settlement 1743-1745年頃
第一場『結婚の財産契約』The Marriage Settlement 1743-1745年頃

引用元:第一場『結婚の財産契約』

第一場 エッチングとエングレーヴィング 1745年 SCAD Museum of Art、アメリカ
第一場 エッチングとエングレーヴィング 1745年 SCAD Museum of Art、アメリカ

引用元:エッチングとエングレーヴィング

時は18世紀ロココ時代。所はイングランド。

愛の無い政略結婚をする若い男女の物語です。 

家柄は良いけれど金の無い伯爵と、金はあるが身分の低い成金。

そんな父親同士が、それぞれの息子と娘の結婚の契約を交わしています。 

伯爵は尊大な態度で、由緒正しい家柄を表すように家系図を指しています。(ご先祖様はノルマン朝の初代イングランド王ウィリアム1世(征服王)(1027年-1087年)?)

歩行が困難そうなのは、多量のアルコール摂取や美食の結果、痛風を病んでいるためかもしれません。

成金商人の方は契約書に目を通している最中です。

間に立つ男性が「 mortgage(抵当) 」と書かれた書類を伯爵に渡しています。

商人は娘の持参金を払い、そのお金で伯爵は抵当に入れた不動産?を取り戻したのでしょうか。

窓の外には建築を中断している建物がありますが、近々再開するのかも。

伯爵の息子、若様は隣の花嫁になる女性より鏡に映る自分の姿にうっとりです。

娘も若様になど興味は無く、ハンカチに指輪を通して遊んでいる始末。

それを横から口説いている弁護士…という絵です。 

 ある伯爵の家に、商人の家から花嫁がやってきます。伯爵家はその立派な家系だけが自慢の、内実は貧困にあえぐ落ちぶれた家として描かれています。急速な近代化をとげたイギリスには、実際にこうした没落貴族が大量に発生していました。一方、巷(ちまた)には急に経済力をつけた商人たちが幅をきかすようになっていました。彼らは成り金でお金だけはあり、由緒ある家柄と姻戚関係を結びたいと思っていました。こうした両者のニーズが一致して、《当世風の結婚》のようなカップルが増えていったのです。

このような状況を説明するために、第一場面では、花嫁についてくる高額な持参金の額まで書きこまれています。

(『英語でめぐる世界の美術館 大英博物館&ナショナル・ギャラリー』(田中久美子&池上英洋(著) The Japan Times) 

連作のあちこちに書類や新聞記事としてさりげなく挿入された文字情報から、貴族の名前はスクワンダーフィールド(浪費ヶ原)伯爵、弁護士はシルヴァータング(雄弁)氏とわかる。

(『イギリス美術』 高橋裕子(著) 岩波新書 P93)

第一場を「ファッション」で見る

それでは、『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』(八坂書房)で、この第一場を見てみます。

フル・ボトムド・ウィッグ( full-bottomed wig )

父親二人は長くて豊かな髪をしていますが、これはフル・ボトムド・ウィッグと呼ばれる「総かつら」です。

年配の紳士たちは、フル・ボトムド・ウィッグを小型にしたかつらに髪粉をかけている。花嫁の父親は、いまだにスティンカークに執着しているらしく、服装もそれとわかるほど流行遅れで地味だ。かつらの毛先は、後ろでこん棒のようにまとめられている。

ブランシュ・ペイン(著). 古賀敬子(訳). 2006-10-30. 『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』. 八坂書房. p.306.

職業や着ける場所により実にヴァリエーションに富んでいたかつらは、十八世紀に大きく変化した男性ファッションの一つだった。フル・ボトムド・ウィッグは一七三〇年頃にはすでに時代遅れになっていたが、宮廷人や知的職業に携わる者、保守的な年配の紳士のあいだではまだかぶられていた。

ブランシュ・ペイン(著). 古賀敬子(訳). 2006-10-30. 『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』. 八坂書房. p.305.

下はホガースによる別の絵ですが、居眠りしている人たちが立派なかつらを着けています。

The Court 1725年頃 ウィリアム・ホガース  フィッツウィリアム美術館蔵
The Court 1725年頃 ウィリアム・ホガース  フィッツウィリアム美術館蔵

引用元:The Court

「court」は「法廷」、「判事」。

この絵の邦題は「判事たち」となっているかもしれません。

『読書するユベール』 1742年 モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール アントワーヌ・レキュイエ美術館蔵 
『読書するユベール』 1742年 モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール アントワーヌ・レキュイエ美術館蔵 

引用元:『読書するユベール』

ポンパドゥール夫人の肖像画で知られるパステル画の名手・モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールの絵です。

読書する司祭の肩が白くなっています。

これは髪に振った「髪粉」が落ちているのです。

スティンカーク( steinkirk )

「スティンカーク」は元は「地名」です。

17世紀末、ベルギーのステーンケルケ(Steenkerque, スティンカークとも表記)に駐屯していたフランス軍が奇襲をかけられました(ステーンケルケの戦い Battle of Steenkerque)。

その際、きちんと身支度をする時間がなかったフランス軍将校たちは、クラバット(ネクタイ)を無造作に首に巻きつけるとそれを軽く結び、端を上着のボタンホールに通して出陣した…と言われていますが、実際にはもっと以前からその巻き方は行われていたという話もあります。

この巻き方を、「スティンカーク」と呼びます。

『アクセサリーの歴史事典』(八坂書房)によると、クラバットの人気はその後も続きますが、スティンカークの流行は1725年くらいまでだったということです。

成金商人の方のネクタイは、その先を胸の金鎖に通しているようです。

第一場『結婚の財産契約』The Marriage Settlement 1743-1745年頃
第一場『結婚の財産契約』

引用元:父親たち Sailko CC-BY-3.0

次は伯爵の息子を見てみます。

嗅ぎ煙草入れを手に、若様は鏡の中の自分に見惚れています。

つけぼくろ

伯爵のお洒落な若様は口元に「つけぼくろ」もしています。

顔に張り付けて白い肌を際立たせるため、恋人に送る秘密のメッセージ、支持政党を表すなど、色々な用途に使われたつけぼくろですが、害のある化粧品の使用で出来たシミ、天然痘や梅毒の痕を隠すという目的もありました。

この若様の首のあたりにも大きな黒い出来物、つまり梅毒の痕があり、彼が放蕩者でもあることがわかります。

第一場『結婚の財産契約』The Marriage Settlement 1743-1745年頃
第一場『結婚の財産契約』

引用元:鏡に見入る若様 Sailko CC-BY-3.0

バッグウィッグ( bagwig )

退屈しきった様子の花婿は、後ろに特大の蝶結びがついたバッグウィッグを着け、ソリテールと呼ばれる黒いリボンを首の前で小さな蝶結びにしている。同連作の朝食の場面では、男性客が髪にカーラーをくっつけている。室内でくつろいでいるときの男性は、かつらを外して、代わりにキャップをかぶった。キャップは美しく刺繍されたものが多く、冬用には毛皮を飾ったものまであった。

ブランシュ・ペイン(著). 古賀敬子(訳). 2006-10-30. 『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』. 八坂書房. p.306.

バッグウィッグは18世紀に用いられた「袋かつら」です。

かつらの先をまとめて絹製の袋に入れます。

フランス製男性用かつら 1780年-1800年 メトロポリタン美術館蔵
フランス製男性用かつら 1780年-1800年 メトロポリタン美術館蔵

引用元:バッグウィッグ

パステルによる自画像 モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール 1751年 ピカルディー美術館蔵
パステルによる自画像 1751年 モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール ピカルディー美術館蔵

引用元:パステルによる自画像

ソリテール( solitaire )

バッグウィッグのヴァリエーションの一つ、ソリテールです。

『フィリップ・コワペルの肖像』 1732年 シャルル=アントワーヌ・コワペル ルーヴル美術館蔵
『フィリップ・コワペルの肖像』 1732年 シャルル=アントワーヌ・コワペル ルーヴル美術館蔵

引用元:『フィリップ・コワペルの肖像』

ホガースの若様は特大のリボンをしていますが、上の男性はシックです。

『アクセサリーの歴史事典』で「フランス紳士の典型的な服装」として挙げられていますが、若様は次ページで、「流行の服装をまとったイギリスの紳士」として掲載されています。

髪束を包み込むバッグ・ウィッグの袋の下面の上方に、ソリテールと呼ばれる幅の広い黒いリボンをつけて、これをストックのまわりにぴったりとまわして、正面でピンで留めるか結ぶかした。黒いソリテールと白いストック、そして美しいレースのフリルとカフスという取り合わせが、18世紀の紳士の典型的な服装である。

(『アクセサリーの歴史事典 上 頭部・首・肩・ウエスト』 K.M.レスター&B.V.オーク(著) 古賀敬子(訳) P137)

ここで出て来るストックは、男性の首周りの白い「飾り」です。

男性靴のかかとの色「赤」

若様の靴、赤い「かかと」にもご注目ください。

 一七三〇年までに、靴の舌革が小さくなり、ヒールも低くなったが、宮廷では一七五〇年までヒールを赤く塗る習慣が続いていた。十八世紀中頃には、舌革はパックルの上ほんの二・五センチ足らず出ているだけになり、バックルが目だって大型になった。ヒールの高さは、だいたい現在の紳士靴と同じくらいになった。《結婚の契約》で男性たちが履いている靴がそうだ。

 嗅ぎ煙草入れは、紳士の重要な装飾品になった。社交の場での話題づくりには欠かせなかったし、宝石細工師にとっては、優れた腕前を披露できる取っておきの一品だった。

ブランシュ・ペイン(著). 古賀敬子(訳). 2006-10-30. 『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』. 八坂書房. p.307.
ルイ14世の肖像 1700年頃 イアサント・リゴー ルーヴル美術館蔵
ルイ14世の肖像 1700年頃 イアサント・リゴー ルーヴル美術館蔵

引用元:ルイ14世の肖像

フランス王ルイ14世の靴のかかとが赤いですね。

次に挙げるのは、ルイ15世の時代に活躍したジャン=フランソワ・ド・トロワの絵画です。

男性の「バッグウィッグ」「ソリテール」「赤いかかと」の様子がわかり易いかと思います。

ロココ時代の男性服は、大きなカフスや、美しい刺繍が施されたヴェストが見ていて楽しいですね。

『愛の告白』( Die Liebeserklärung ) 1731年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ シャルロッテンブルク宮殿、ベルリン
『愛の告白』( Die Liebeserklärung ) 1731年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ シャルロッテンブルク宮殿、ベルリン

引用元:『愛の告白』

『警告(忠実な家政婦)』( The alarm ) 1723年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ ヴィクトリア&アルバート美術館蔵
『警告(忠実な家政婦)』( The alarm ) 1723年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ ヴィクトリア&アルバート美術館蔵

引用元:『警告(忠実な家政婦)』

『ガーター』 1724年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ メトロポリタン美術館蔵
『ガーター』( The garter ) 1724年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ メトロポリタン美術館蔵

引用元:『ガーター』

『牡蠣の昼食』( Le Déjeuner d’huîtres ) 1735年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ コンデ美術館蔵
『牡蠣の昼食』( Le Déjeuner d’huîtres ) 1735年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ コンデ美術館蔵

引用元:『牡蠣の昼食』

室内の様子(花嫁・犬・壁の絵)

夫婦の近くに描かれる犬は通常は「忠実」を表し、結婚の象徴とされますが、若様の足元にいる二匹の犬は鎖に繋がれています。

若様は自分に見惚れていますし、娘の方も若様に関心無しです。

指輪をハンカチに通して遊んでいる娘を、弁護士は口説きにかかっています。

第一場『結婚の財産契約』The Marriage Settlement 1743-1745年頃
第一場『結婚の財産契約』

引用元:弁護士と花嫁 Sailko CC-BY-3.0

娘と若様の間、上の方に円形の額が掛かっています。

その額で飾られている絵は、髪は蛇であるメデューサ

メデューサ 1597年頃 カラヴァッジオ ウフィツィ美術館蔵
メデューサ 1597年頃 カラヴァッジオ ウフィツィ美術館蔵

引用元:カラヴァッジオによるメデューサ

こちらはカラバッジオの絵ですが、伯爵邸にはこれと似たような絵が架かっているのです。

伯爵の屋敷の壁に掛かる絵は、殉教や斬首など死や処刑に関するもので、幸せな結婚に相応しい明るい画題ではありません。

商人の頭上には「ユディット」、ホロフェルネスの頸に手を置く女性の絵があり、弁護士の肩の上には、矢で射られた聖人「聖セバスティアヌス」の絵が掛かっています。

『ユディットとホロフェルネス』

『ユディットとホロフェルネス』 1625年-1630年頃 グイド・レーニ スパーダ・ギャラリー
『ユディットとホロフェルネス』 1625年-1630年頃 グイド・レーニ スパーダ・ギャラリー

引用元:『ユディットとホロフェルネス』

『ユディットとホロフェルネス』 ニコラス・ガブリエル・デュピュイのエングレービング・エッチング 1718年頃-1761年 メトロポリタン美術館蔵
『ユディットとホロフェルネス』 ニコラス・ガブリエル・デュピュイのエングレービング・エッチング 1718年頃-1761年 メトロポリタン美術館蔵

引用元:『ユディットとホロフェルネス』

メトロポリタン美術館の解説はこちらです。

上は、バロック期の人気画家グイド・レーニ(1575年-1642年)による絵画『ユディットとホロフェルネス』。

下はレーニの絵画にちなむ『ユディットとホロフェルネス』(ニコラス・ガブリエル・デュピュイのエングレービング・エッチング)です。

商人の頭上に掛かっている『ユディットとホロフェルネス』はこのポーズを取っているように見えます。

『ユディットとホロフェルネス』の左に掛かるのは『聖セバスティアヌス』のようです。

『聖セバスティアヌス』 1615年 グイド・レーニ ストラーダ・ヌオーヴァ美術館
『聖セバスティアヌス』 1615年 グイド・レーニ ストラーダ・ヌオーヴァ美術館

引用元:『聖セバスティアヌス』

レーニの代表作のひとつ、両手を縛られ、矢で射られた聖人セバスティアヌスです。

伯爵本人の肖像画

壁に特大の絵が掛かっていますが、描かれているは伯爵本人。

胸元をよく見ると(拡大をおススメします。上の画像左下のリンクをクリックしていただくとWikipediaに飛びます)、なにか金色のモノがぶら下がっています。

金羊毛勲章(頸飾)
金羊毛勲章(頸飾)

引用元:金羊毛勲章  Heralder CC-BY-SA-3.0

1430年に、ブルゴーニュのフィリップ善良公(ル・ボン)は自身の結婚に際し、イングランドのガーター騎士団に倣って金羊毛騎士団を作りました。

その頸飾(けいしょく)が描かれているようですが、これが授与されたのはイングランド王ヘンリー7世や、フランス王ルイ15世、ヴィクトリア女王の夫アルバート公など、高位の人物です。

由緒正しい家系とは言え、その当時、王家の人間ではない伯爵に、これが??(んなワケない)

『当世風の結婚』 第二場 The Tête à Tête(結婚後間もなく)

第二場『結婚後間もなく』The Tête à Tête 1743年頃 ナショナル・ギャラリー蔵
第二場『結婚後間もなく』The Tête à Tête 1743年頃 ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:第二場『結婚後間もなく』

エッチングとエングレーヴィング 1745年 SCAD Museum of Art、アメリカ
第二場 エッチングとエングレーヴィング 1745年 SCAD Museum of Art、アメリカ

引用元:エッチングとエングレーヴィング

若夫婦の新婚生活が始まりました。

第二図は、新婚夫婦がそれぞれ勝手に遊び呆けていることを暗示する。欲得ずくの親たちの犠牲になったとしても、当人たちもまた欲望と愚かしさのとりこなのである。

(『イギリス美術』 高橋裕子(著) 岩波新書 P92)

新婚の二人はそれぞれ徹夜の遊びで疲れ果てて朝を迎えた。請求書の束を抱えてやってきた執事も呆れて、回れ右をする。

エリカ・ラングミュア(著).高橋裕子(訳).2005.『物語画』.八坂書房.p.116
第二場『結婚後間もなく』The Tête à Tête 1743年頃 ナショナル・ギャラリー蔵
第二場『結婚後間もなく』

引用元:足を投げ出して座る夫 Sailko CC-BY-3.0

第二場『結婚後間もなく』The Tête à Tête 1743年頃 ナショナル・ギャラリー蔵
第二場『結婚後間もなく』

引用元:クンクンする犬 Sailko CC-BY-3.0

放心状態で椅子に座る夫。剣も床に放り出されています。

だらしなく投げ出した夫の足元の犬が、ポケットの辺りをくんくんしています。

匂いの元は、どうやら女物の帽子か何かのよう。

恐らく、昨夜、彼は愛人宅か娼家で過ごしていたのでしょう。

第二場『結婚後間もなく』The Tête à Tête 1743年頃 ナショナル・ギャラリー蔵
第二場『結婚後間もなく』

引用元:眠そうな妻、床に散乱する本、カード Sailko CC-BY-3.0

椅子は倒れ、本や楽譜も落ちたまま。無秩序が見て取れます。

床に散らばったトランプから、妻は賭け事をしていたのだと思われます。

また、テーブルの上にはティーカップが一人分だけ。

彼女は独りで食事をとっていたのですね。

妻の服装は、背中に襞が付いた、ローブ・ア・ラ・フランセーズ(フランス風ドレス Robe à la française )。

英語では「サック・バック・ガウン( Sack-back gown )といいます。

実物だとこんな感じでしょうか。

1740年代のローブ・ア・ラ・フランセーズ

背中に襞付き
背中に襞付き

引用元:背中に襞付き

斜めから
斜めから

引用元:斜めから

『当世風の結婚』と同じ1740年代、英国のシルク・ドレス。

このドレスはメトロポリタン美術館の収蔵品です。メトロポリタン美術館のサイトではこのドレスをいろいろな角度から撮った画像が掲載されていますので、ぜひご覧になってください。

「女性は結婚して初めて、一人前」

18世紀の上流階級では、絶対的な権力を持つ父親が相手の家柄や財産を考慮して結婚を決めました。

女性は結婚して初めて、一人前と見なされました。社会的地位が認められ、自由が手に入ります。

自由に恋愛することも出来るようになるのです。

 結婚後、夫妻は各々自分の好き勝手な生活を楽しむようになる。姦通はごく当たり前となり、人に目撃されなければ何をしてもいいというのが当時の貞操観念であった。ホガースの『当世風結婚』第2図では、新婚間もない夫婦が、もはやお互いに干渉していない様子が描かれている。

(『世界服飾史』 深井晃子(監修) 美術出版社 P98)

第二場を「室内装飾」で見る 

それでは、第二場は『額縁と名画 額縁ファンのための額縁鑑賞入門』(八坂書房)で見て行きます。

壁の絵

こちらの室内にも多くの絵画が掛かっていますが、

 ウィリアム・ホガースのシリーズ作品《当世風の結婚》からは、十八世紀にイギリスに導入された、ぜいたくな絵の掛け方がうかがえる。当時の流行に従って、伯爵が雑多に集めた異教の神々やカトリックの聖人像が、揃いの金色の額縁に入れられて、高価な絹張りの壁に建築的な秩序をもって二層に並べられている(マントルピース上のキューピッドの絵は例外的に大理石の額縁に入っている)。

ニコラス・ペニー(著). 古賀敬子(訳). 2014-4-25.『額縁と名画 額縁ファンのための額縁鑑賞入門』. 八坂書房. p.81.

異教の神々はわかりにくいです。すみません。

聖人たちの絵は、版画版の方が見易いと思います。

ここで、下の絵の中の、右に掛かっている絵をご覧ください。

緑のカーテンに半分覆われていて、裸の足が横たわっています。

第二場『結婚後間もなく』The Tête à Tête 1743年頃 ナショナル・ギャラリー蔵
第二場『結婚後間もなく』

引用元:壁の絵 Sailko CC-BY-3.0

こうした覆いは、ハエやほこりや日光から絵を守るためもあって、ナショナル・ギャラリーの開館当初にはルーベンスの風景画にも掛かっていた。しかしホガースの絵にあるカーテンの目的は明らかにそれとは違い、大勢の人が集まったり少年少女の出入りする場所で、絵画のエロティックな主題が人々の目に触れないようにするためだった。

ニコラス・ペニー(著). 古賀敬子(訳). 2014-4-25.『額縁と名画 額縁ファンのための額縁鑑賞入門』. 八坂書房. p.84.

意味シンですね。全体像が気になります。 

また、「マントルピース上のキューピッドの絵」について、

 インテリアにも、ストーリーを暗示する小道具が配されている。マントルピース上の大きな絵は、廃墟にいるキューピッド。その手前に置いてある胸像は、鼻が欠けている。

★ニコラス・ペニー(著). 古賀敬子(訳). 2014-4-25.『額縁と名画 額縁ファンのための額縁鑑賞入門』. 八坂書房. p.126.

(★誤ってペーストしてしまったようです。確認でき次第訂正します。2022/4/3)

第二場『結婚後間もなく』The Tête à Tête 1743年頃 ナショナル・ギャラリー蔵
第二場『結婚後間もなく』

引用元:マントルピース上の絵画、置物 Sailko CC-BY-3.0

キューピッドも異教のものですね。キリスト教の天使とは違います。

このキューピッドは廃墟でバグパイプを吹いています。

弓の弦は切れてしまっているようで、これでは愛の矢は放てません。

従って、二人の愛が燃えることはないということですね。

時計

装飾品は鳴いている猫、魚、仏陀、と、当時の流行である、古代遺物愛好と中国趣味とロココ趣味の奇妙なコラボレーションです。

ここで見ていただきたいのが、時計の針です。

時刻は12時20分。

室内は明るく見えます。ロウソクの火も消えかけていて、「朝」の場面のようです。

服飾関係の本では、前出の『物語画』のように、この第二場のふたりを「愛人宅か娼家から朝帰りした夫」と「夜通しトランプ遊びに興じていた妻」としていることが多いです。

しかし、この時刻は「午前」「午後」どちらなのでしょうか。

本当に「朝帰り」なのかな、と。

もし夜中の12時20分なら夫は「深夜のご帰還」ですし、昼の12時20分なら朝帰りどころか「昼帰り」ですよね。

昼も「朝帰り」に入るとは思いますが(・∀・)。

欠伸をしている従僕はこれから寝るところなのでしょうか。

それとも、今起きて来て、まず散らかった室内の片付けからするところなのでしょうか。

「午前か午後か」というのは専門家の間でも意見が分かれると聞いたことがありますが、私の「時計が止まっていた」説はダメでしょうか…。

床の上のカーペット

次は、回れ右をする執事と思われる男性の足元をご覧ください。

余ったカーペットが巻かれていて、床のサイズに合っていないことがわかります。

ということは、この屋敷は急いで建てられたものなのかも知れません。

第一場で、窓から建築中の建物が見えていましたから、もしかしてそれ…?

イングランドのパッラーディオ主義建築。この画像はコーレン・キャンベルの『ウィトルウィウス・ブリタニクス』より
イングランドのパッラーディオ主義建築。この画像はコーレン・キャンベルの『ウィトルウィウス・ブリタニクス』より

引用元:イングランドのパッラーディオ主義建築

全ヨーロッパの建築に影響を与えたとされる16世紀の建築家、アンドレーア・パッラーディオ。

18世紀初頭のイングランドでは、17世紀に人気があったパッラーディオ建築(Palladian architecture パラディオとも表記)が再び注目されてまた人気となります。

イングランドのパッラーディオ様式建築ウォバーン・アビー、バーリントンの弟子であるヘンリ・フリッツクロフトが1746年に設計
イングランドのパッラーディオ様式建築ウォバーン・アビー、バーリントンの弟子であるヘンリ・フリッツクロフトが1746年に設計

引用元:ウォバーン・アビー Chris Nyborg CC-BY-SA-3.0-migrated CC-BY-SA-2.5

上の画像ウォバーン・アビーは、ホガースの『当世風の結婚』と同時代に流行していた建築様式の建物です。参考までに。

「英国パラディオ様式」について、『図説 英国貴族の城館 カントリー・ハウスのすべて』 田中亮三(文) 増田彰久(写真) 河出書房新社 P86)に説明が掲載されています。

建築、特に英国のカントリー・ハウスに興味が有る方は本書をご一読されることをお勧めします。

内装などの写真がたくさんあり、部屋の名称や用途がわかり易いですよ。

『第三場』

『第三場』
『第三場』

引用元:第三場

父が亡くなり、爵位を継いだ若様。

怪しげなインチキ医者の所へ梅毒の治療にやってきます。

隣にいる娘が愛人のようです。

『第四場』

『当世風の結婚』 第四場(The Toilette) 1743-1745年頃 ウィリアム・ホガース ナショナル・ギャラリー蔵
第四場

引用元:第四場

取り巻きに囲まれた妻の、朝の化粧風景。

子どもも出来たようですが(妊娠中?生まれた?)、すっかり寛いだ弁護士の様子と、足元の子供が持つ人形(寝取られ男を意味する)、壁の名画(不倫の絵)で、妻と弁護士が既にデキていることを示唆しています。

『第五場』

『第五場』
『第五場』

引用元:第五場

喜劇ムードが一変します。

仮装舞踏会後の妻と弁護士の密会場所へ、伯爵が乗り込んだ様子。しかし、逆に弁護士に刺されてしまったようです。

死にゆく夫に許しを乞う妻、逃げる弁護士。

『第六場』

『第六場』
『第六場』

引用元:第六場

娘と共に実家に帰っていた妻は弁護士の処刑を知り、毒を飲んで自殺。

かつて裕福だった実家はこの有り様です。

悲しみながらも、父は娘の指から指輪を抜き取っています。

ママに最後のお別れをする娘の足は義足。気の毒なことに、先天性梅毒の兆候が見られます。

ホガースの功績

若い頃彫刻銅版画を学んだホガースは、1720年代後半頃から油彩画も手掛けるようになりました。

最初はカンヴァセーション・ピースと呼ばれる群衆肖像画を描いていましたが、『娼婦一代』、『放蕩息子一代』『残酷の4段階』など、社会の悪弊などを風刺した物語絵の連作を描き、一連の版画は大衆の間で高い人気を得ます。

画中の人物に舞台の役所のようにポーズをとらせ、上流階級の人々を鋭く批判するというホガースの作風は、芸術に対する大衆の興味を増大させる結果になった。

ニコラス・ペニー(著). 古賀敬子(訳). 2014-4-25.『額縁と名画 額縁ファンのための額縁鑑賞入門』. 八坂書房. p.84.

 ホガースは、喜劇や詩を通じて当時の人々にはすでにおなじみだったテーマに手を加え、見る者が自力で解読できるような新しい話をこしらえたのだった。彼は銘文を書き込まず、ブロードシートに付きものだった「吹き出し」や注釈も退けた。登場人物の名前すらも、画中に示された文書類(招待状とか、処刑を報じる新聞とか)の文字として示される。ホガースは、油彩バージョンの売立ての広告では、各画面にタイトルを付けているが、銅版画バージョンにはシリーズ名と図版番号のみを記載した。これだけで「舞台を設定する」には十分であって、見る者はそこからホガースが考え出した物語の筋道をたどれるはずだった。それ以外はすべて、絵画的手段のみによって達成されている。

ホガースの功績は、物語の創作や、「現代の道徳的主題」、「喜劇的歴史画」といったジャンルの発明に留まるものではない。彼は物語画をテクストから解放したのである。

(『物語画』 P116) 

『英語でめぐる世界の美術館 大英博物館&ナショナル・ギャラリー』(The Japan Times)によると、ホガースはこのシリーズを元にした版画を大量に制作、今日の価格で1枚1万円ほどで販売したそうです。

『娼婦一代』など、ホガースの版画は大衆の間で大人気になりますが、同時に大量のコピー(海賊版)も出回りました。

彼は銅版画家の権利を守るため、裁判所へ訴え出ます。

著者の権利を守る、今日の著作権法にあたる法律を議会で成立させることに尽力しました。

そのためこの法律は、ホガースの名にちなみ、ホガース法( Hogarth’s Act 1735年施行)と呼ばれています。

主な参考文献
  • 『イギリス美術』 高橋裕子(著) 岩波新書 
  • ブランシュ・ペイン(著). 古賀敬子(訳). 2006-10-30. 『ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで』. 八坂書房.
  • 『英語でめぐる世界の美術館 大英博物館&ナショナル・ギャラリー』(田中久美子&池上英洋(著) The Japan Times
  • ニコラス・ペニー(著). 古賀敬子(訳). 2014-4-25.『額縁と名画 額縁ファンのための額縁鑑賞入門』. 八坂書房.
  • 『図説 英国貴族の城館 カントリー・ハウスのすべて』 田中亮三(文) 増田彰久(写真) 河出書房新社
  • エリカ・ラングミュア(著).高橋裕子(訳).2005.『物語画』.八坂書房.
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コメント

コメント一覧 (8件)

  • しゅん様、こんばんは。
    コメント有難うございます。
    仰るように、100年200年くらいじゃ人間ってそんなに変わらないのではと思います。
    文化風習の違いで考え方が異なっていても、本質は。いつの時代にもいろんなひとがいるもんだと感じます(笑)。
    また次回もお付き合いくださますようお願い致します。
    有難うございました。

  • こんばんはー。
    今回は堕落した貴族の特集ですね(笑)。
    どの時代も、素晴らしい人たちを描いたものと
    今回の様な人たちを描いたものがあるんですね。
    それにしても、人間ってあんまり進歩してないですね。今の政治家を見る思いです。

  • まーたる様、なんて光栄なお言葉、有難うございます。
    日本史専攻!素晴らしい!!道理でお詳しいわけだ!ぜひいろいろ教えていただきたいです!
    (高校での教育実習は日本史をやりましたが、私の教員免許は倫理学なんです。)
    かつて、骨董品を買うために(悪徳業者に騙されないように(笑))勉強した英語、文化史(陶芸史、宝飾史など)ですが、誰かの何かのお役に立てれば大変光栄ですし、嬉しいです。
    広い意味では全てが「勉強」ではありますが、人間の生活に密着した文化史です、ゆる~くお気軽に見ていただければと思います。私もとても励みになります。
    有難うございました。

  • こんばんは(о´∀`о)
    今回の絵画もその物語も、すごく興味深く拝見させていただきました。
    人物の服装や表情は元より、丸まったカーペット、壁に飾られた絵画や時計のデザイン、本当に細かくて美しいですね❗️
    私は学生時代、日本史専攻で世界史をとっていませんでしたが、こうしてハンナさんのブログで勉強させていただけて本当に楽しいです(*´∀`*)
    娘が今年から世界史が必須になるので、ハンナさんの記事を読むとすごく勉強になりますヽ(*^ω^*)ノ
    きっと楽しんで勉強できると思います(*´∀`*)
    次回も楽しみにしています❗️

  • いつも読んでくださって有難うございます。
    ホガースの『当世風の結婚』ですが、それ自体がもう盛り沢山ですね。
    当時は普通のことであっても、その習慣や事情などを知らないと「?」となることが多くて大変です。何が面白いのか全然わかりませんから(笑)。
    うまくお伝えできたか自信がありませんが、今回はこの絵のファッションと室内装飾に限定してご紹介しました。
    機会がありましたら、第三場以降も記事にしてみたいと思います。
    またお付き合いいただけると嬉しいです。
    有難うございました。

  • 今日も、とても興味深い解説で
    何度も読み返しました。
    毎回、自分では読み取れない
    隠された事実が次々と出て来て
    毎回勉強させていただいています。
    ありがとうございますm(_ _)m
    また、お願いします🙇‍♀️⤵️

  • ナンシー様
    有難うございます。
    残念ながら、私はただの骨董屋になりたい文化史ファンです。高校時代「世界史」の授業がなかったので、ひと様より世界史は受けていませんし、歴史専攻でもありません。
    骨董の磁器やアクセサリーなどを集め始めて、勉強しました。ただ、文化史系が好きというだけなので、そんな風に仰っていただくのは大変恥ずかしいです。
    基本的に私しか楽しくない、備忘録で始めたブログですが、誰かが知りたいことがここにあったなら、誰かのお役に立てたなら、とても嬉しいと思っています。
    またどうかお付き合いくださいませ。
    よろしくお願い致します。
    有難うございました。

  • こんにちは、初めまして!初めて読ませていただきました。文化史、服飾史の専門家でいらっしゃるのですか?豊富な情報にびっくりです。これから、楽しく読ませていただきます!!

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