18世紀マイセンのホットチョコレート・ポットを集めてみました。
『チョコレートを飲むカップル』( Couple Drinking Chocolate ) 1744年頃 ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(マイセン) メトロポリタン美術館蔵
18世紀、マイセンの彫塑家として活躍したヨハン・ヨアヒム・ケンドラーの作品です。恋人たちが楽しむチョコレート、のポットにご注目ください。
引用元:『チョコレートを飲むカップル』
メトロポリタン美術館:Couple Drinking Chocolate
飲みものの容器は縦長の、取っ手の無いもののようです。ソーサーは深め。
引用元:『チョコレートを飲むカップル』
小さい頃、こういったマイセンの小彫刻が欲しくてですねぇ。
買ってはもらえませんでしたが、非常に憧れました。
一個の彫刻に、男女の服装やペット、喫茶の様子、小テーブル等、当時の文化習慣の情報が凝縮されているように思います。
この彫刻のメトロポリタン美術館の解説に、使われているチョコレート・ポットが、同じ美術館にある「マイセンのチョコレートポット(42.205.136a、b)に似ている」とあります。
18世紀のマイセン製チョコレート用ポット
マイセン製のチョコレート用ポット(1735年-1740年頃)
同じマイセン窯の、「似ている」と言われた「 Accession Number: 42.205.136a, b 」のポットがこちらです。
引用元:チョコレート用ポット
引用元:チョコレート用ポット(正面)
木製のハンドルがカワイイです。
マイセン製のチョコレート用ポット(1740年-1745年頃)
引用元:チョコレート用ポット
マイセン製のチョコレート用ポット(1740年-1745年頃)
引用元:チョコレート用ポット
メトロポリタン美術館:Chocolate pot (part of a set)
引用元:チョコレートポット
引用元:チョコレートポット
形状も丸っこくて可愛い容器ですが、陶磁器の前は銀器でつくられ、ココアの粉末をかき回すための攪拌棒が付いていました。
しかし18世紀に使われた攪拌棒は木製で消耗品のため、残っていないことがほとんどだそうです。
チョコレートを入れるためのポットは、本体を円筒形につくり、その器面に垂直に把手をつけ、蓋の中央に空けた穴に攪拌棒を挿して用いる、複雑な構造の器形である。ほとんどの場合、把手の部分には木がとりつけられる。チョコレートは、カカオ豆を炒り、砕いた粉末を湯に溶いてつくるのであるが、粉末が現在のココアよりもはるかに粒子の粗いものであったため、攪拌棒で入念にかき混ぜて溶解し、泡を立てて飲むのが慣わしとなった。
チョコレートポットの複雑なフォルムは、この用途に根ざしている。それは陶磁器でデザインされるよりも前に金属器でつくられ、この器形が陶磁器に踏襲されたようである。ヨーロッパ磁器としてはマイセンがもっとも早く、一七三〇年代からこのための形のポットを制作しており、その後ほかの製作所へ広まった。磁器製チョコレートポットの一八世紀の伝世品には、ほとんどの場合攪拌棒が残っていない。それは攪拌棒が木製の消耗品であったためだということである。
前田正明・櫻庭美咲(著). 2006-1-31. 『ヨーロッパ宮廷陶磁の世界』. 角川選書. pp.245.-246.
ホットチョコレート好きな王妃たち
スペインのエルナン・コルテスが中央アメリカからカカオやバニラを持ち帰って以来、ホットチョコレートは長らくスペイン宮廷だけの秘密の贅沢品でした。
それが、1615年にスペイン王女アナ(フランス名アンヌ・ドートリッシュ)がルイ13世と結婚したことにより、ホットチョコレートがフランスに流出します。
さらに1660年、アンヌの息子であるルイ14世に、アンヌの姪で、大のホットチョコレート好きの王女マリア・テレサ(フランス名マリー・テレーズ・ドートリッシュ)がスペインから嫁いできます。
マリー・テレーズの嫁入り一行には、ホットチョコレート作りに秀でた侍女も随行していたそうです。
ルイ14世はホットチョコレートが好きではなかったため、王妃となったマリー・テレーズは王に隠れて飲んでいました。
やがて、ホットチョコレートは初めは「薬」としてフランス宮廷の女性の間に浸透していきます。
彼女たちはポットやカップにこだわり、次第に専用のチョコレートポットと取っ手のついたチョコレートカップでホットチョコレートをたのしむようになります。
蕪木祐介(著). 『チョコレートの手引』. 雷鳥社. p.98.
最初は銀で作られたポットでしたが、フランスでは陶器や磁器の花柄模様が好まれ、人気となりました。
引用元:チョコレート用銀器 Wolfgang Sauber CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0
『マイセンへの道』によると、嗜好品として好まれるようになったチョコレートは、温められ、ミルクを入れて飲まれることが流行。
そのポットは日本に発注されました。
そのポットを日本の伊万里に注文し、染付磁器で作らせている。
三杉隆敏(著). 1994-7-26 第二刷発行. 『マイセンへの道』. 東京書籍. p.256.
その後マイセンでは円筒形のチョコレート・ポットの制作を開始。
同じ頃、ザクセン選帝侯国の宮廷彫刻家だったヨハン・ヨアヒム・ケンドラーは、アウグスト強王により、マイセンの磁器製作所の彫刻作品の原型師(造形師、モデラー)に指名されます。
ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー( Johann Joachim Kändler, 1706年6月15日-1775年5月18日)
ケンドラーはドレスデン近郊のフィッシュバッハで生まれました。
1730年、ザクセン選帝侯国の宮廷彫刻家となります。
アウグスト強王の指名により、1731年、マイセンの磁器製作所の彫刻作品の原型師(造形師、モデラー)に就任しました。
ケンドラーは、ロココ趣味に彩られた、優雅で軽妙な磁器彫刻を多数制作しました。
ケンドラーの作品には、最初にご紹介した『チョコレートを飲むカップル』(メトロポリタン美術館蔵)以外にもチョコレートポットが登場しています。
ケンドラーの小型立像(フィギュリン)
引用元:ムーア人の従者と小テーブルがある貴婦人像 User:FA2010
小テーブル上の飲みものセット。カップのソーサーが深いですね。カップに取っ手は無いようです。
引用元:ムーア人の従者と小テーブルがある貴婦人像 User:FA2010
引用元:従者と貴婦人像
メトロポリタン美術館:Lady with attendant
引用元:従者と貴婦人像
18世紀、19世紀のチョコレート・ポット
引用元:チョコレート・ポット Originally uploaded at http://www.britainloveswikipedia.org/ Valerie McGlinchey CC-BY-SA-2.0-UK
引用元:チョコレート・ポット
18世紀半ばの朝食風景(ウィーン、デュ・パキエ窯)
引用元:朝食の席の婦人と従者
メトロポリタン美術館:Lady at her Breakfast
こちらは朝食時の婦人像です。
従者に給仕されている女性が着ているものはくつろぎ着、室内着ですかね。チョコレートはよく朝食時に飲まれました。
女性の傍らの小テーブルの上にはチョコレート・ポットがあり、その近くには甘い Savoy biscuits(サヴォイ・ビスケット)とクロワッサン。
引用元:朝食の席の婦人と従者
引用元:朝食の席の婦人と従者
ポットだけでなく、つい、食べ物に目が行ってしまいます。
- 玉川大学出版部. 2009.『マイセン』.
- 前田正明・櫻庭美咲(著). 2006-1-31. 『ヨーロッパ宮廷陶磁の世界』. 角川選書.
- 蕪木祐介(著). 2016. 『チョコレートの手引』. 雷鳥社.
- 武田尚子(著). 2014. 『チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』. 中公新書.
- 三杉隆敏(著). 1994-7-26 第二刷発行. 『マイセンへの道』. 東京書籍.
コメント
コメント一覧 (2件)
ぴーちゃん様
コメント有難うございました。
遅くなってすみません。
ぴーちゃんさんのコメントを拝読して、まだ移動させていない記事を急いで書き直して投稿したくなりました(笑)。
はい、お砂糖を入れて飲んでいました。当時は薬ですが、飲みやすくしていました。
仰るように砂糖も超高価で、高価なものに高価なものを重ねたスーパーリッチな飲みものでした。
ホットチョコレートはスペインからイタリア、フランスに広まって行き、器も華やかになって行きます。
書きたくてウズウズしていますが(笑)、一気にひとつの記事にすると長くて重ーいものになってしまいますので、少しずつです。
また読んでくださると嬉しいです。
有難うございました。
ハンナさん、こんにちは。
ホットチョコレートと言えば、ポワロを思い出します。
チョコレートが流行っていたスペイン宮廷。
さすが、異国に文化を早速取り入れているのですね。
お砂糖は、入れていたのでしょうか。
当時は、お砂糖も高価そうだけど。
板チョコは、最近はカカオのパーセンテージが高いものが売られていますね。
あまりおいしくないけど。(笑)
美しい、食器に囲まれると、見るだけで幸せな気持ちになります。
それをリアルに使うなんて、さすがお姫様ですね。