1645年以降行方知れずになっている、肖像画のなかのエリザベス1世が着けていたジュエリー「スリー・ブラザーズ」の話。

エリザベス1世が着けている「スリー・ブラザーズ」
『アーミン・ポートレート』 1585年頃

引用元:『アーミン・ポートレート』
16世紀イングランド女王エリザベス1世を描いた肖像画、通称『アーミン・ポートレート』です。
この肖像画では、女王の左腕に、お洒落な首飾りをした動物がいます。
ネズミに見えますが(私だけ?(;・∀・))、よく見ると身体には模様があります。
この動物はアーミン。白テン、オコジョです。

引用元:『アーミン・ポートレート』
エリザベスが女王として即位した時の肖像画でも、エリザベスは白テンのガウンを纏っていました。
女王の首が豪華な車輪型ラフの中に埋まっているのが印象的ですが、今回ご注目いただきたいのは、胸にさげた宝飾品「スリー・ブラザーズ」( Three Brothers )です。

引用元:『アーミン・ポートレート』
オリーヴの枝を持つエリザベス1世の肖像 1585年頃 – 1590年頃


同じ宝石を、目立つ所に着けていることがおわかりいただけるかと思います。

引用元:バーゼル歴史博物館蔵のミニチュアの絵 CC-BY-SA-4.0
この「スリー・ブラザーズ」は16世紀を代表する宝飾品のひとつといわれますが、1380年代にブルゴーニュ公フィリップ(善良公)の名前と共に歴史に登場しているようです。
歴代の所有者にはドイツの豪商、銀行家ヤーコプ・フッガーの名前も挙げられています。
その後イングランドのエドワード6世に売却され、1551年から1643年にかけて、イングランドの戴冠宝石の一部となりました。(参考:Three Brothers (jewel)(Wikipedia))

引用元:フィリップ3世

引用元:ヤーコプ・フッガー

引用元:エドワード6世
Edward VI (1537–1553), When Duke of Cornwall メトロポリタン美術館
「スリー・ブラザーズ」はエドワード6世から異母姉メアリー1世へ、メアリーの死後はエリザベス1世に渡りました。

引用元:メアリー1世
María Tudor, reina de Inglaterra プラド美術館
「スリー・ブラザーズ」に使われている宝石は「ルビー」となっている書籍もありますが、Wikipedia 記事では「スピネル」となっています。 中央はブルー・ダイヤモンド、四つの真珠で飾られています。
下は「大英帝国王冠」の画像です。

引用元:大英帝国王冠
正面中央部に「黒太子のルビー」がはめ込まれていますが、これはルビーではありません。
後世の調査でスピネルと判明しました。
昔、宝石学校に通っていた時、長いこと赤いスピネルがルビーと混同されていたことを聞きました。
その例としてこの宝冠の話が挙がりました。
キレイならルビーでもスピネルでもOK!なのですが、これがルビーだったら、一体おいくらなんでしょうね (^^;
アンティーク・ジュエリーなども扱うにあたり、ニセモノをつかまされないように勉強しようと思い、通った宝石学校でした。 スピネルを見るたびに思い出します( ̄▽ ̄)。
エリザベス女王の肖像画に描かれた宝飾品の話
エリザベス1世の肖像画に描かれた「ペリカン」「フェニックス」「蛇」
こちらはフランシス・ドレークにちなむ宝石の話
イングランド王ジェームズ1世( James I, 1566年6月19日 – 1625年3月27日)

引用元:イングランド王ジェームズ1世
König Jakob I. (1566-1625) von England und Schottland, Brustbild 美術史美術館
こちらも目立つ場所に宝飾品を付けていますね。
エリザベス1世の次のイングランド王です。スコットランド王としてはジェームズ6世。
生母はエリザベスのライバルである、スコットランド女王メアリー1世です。

引用元:メアリー・スチュアート
メアリー・スチュアートも出てきます
フランソワ・クルーエの肖像画で見る1500年代後半のフランス宮廷
1645年以降、「スリー・ブラザーズ」行方不明になる
「スリー・ブラザーズ」はある時期から行方不明になります。
1623年 チャールズ1世、スペインへ渡航

引用元:『狩場のチャールズ1世』
Portrait de Charles 1er, roi d’Angleterre (1600-1649), à la chasse ルーヴル美術館
ヴァン・ダイクの傑作
風景の中に佇む王『狩場のチャールズ1世』(ヴァン・ダイク作)
ジェームズ1世の息子、チャールズ1世( Charles I, 1600年11月19日 – 1649年1月30日)がまだ皇太子だった頃。
チャールズ1世は父王の許可を得ずに、寵臣バッキンガム公と共にスペインを訪れます。
この時チャールズは「スリー・ブラザーズ」を持参していましたが、それはスペイン王女マリア・アナ・デ・エスパーニャに求婚するためでした。
15世紀の作品として名高い「スリー・ブラザーズ」は、チャールズ一世が皇太子時代にスペインの王女マリア・アナへの求婚(不成立に終わった)に際してスペインに持参した宝飾品の一部として、1623年に作り直された。チャールズは国王になると、相続した旧式の宝飾品と引き換えに新しい宝飾品を入手している。しかし内戦の勃発がこうした愉しみに終止符を打たせ、宝飾品は武器購入のために売却された。1642年に戴冠用の宝飾品を保護するための法を議会が制定するが、1647年にパリで質に入れられたサンシー・ダイヤモンドをはじめ、王室が個人的に所有していた宝飾品の大部分が失われるのを食い止めることはできなかった。
クレア・フィリップス(著). 山口遼(監修). 旦亜祐子(訳). 2016-11-15. 『V&Aの名品でみるヨーロッパの宝飾芸術』. 東京美術. pp.48-49.

La reina María de Austria プラド美術館
マリア・アナの姉はフランス王妃アンヌ・ドートリッシュ、兄はスペイン国王フェリペ4世です。


引用元:『フラガのフェリペ4世』
King Philip IV of Spain フリック・コレクション
16世紀、17世紀の「襟」の形いろいろ
ホットチョコレートがフランスに入ってきた話
フェリペ4世は、カトリックではない国へ妹が輿入れすることに乗り気ではありませんでした。
マリア・アナへの求婚は不首尾に終わります。
スペイン側の思惑に振り回され、ただ時間を費やしただけのチャールズ1世。
しかしフェリペ4世の宮廷で素晴らしい美術コレクションを目にしたチャールズは、そこで芸術に開眼したといいます。
ルーベンス、ジェンティレスキ、そしてイングランドの宮廷画家となるアンソニー・ヴァン・ダイクを招き、ルーベンスの助言も得て、高水準のコレクションを創り上げました。
ヴァン・ダイクの名にちなむレース、髭
チャールズ1世はゴンザーガ家所有のヴィーナス像を購入
1625年 フランス国王アンリ4世の王女と結婚

Queen Henrietta Maria of England サンディエゴ美術館
チャールズ1世との出逢いは、1623年、チャールズの求婚のためのスペイン旅行の途中で寄ったパリだったそうです。
スペインに振り回されてスペイン嫌いになったチャールズは、アンリ4世の娘でルイ13世の妹であるヘンリエッタ・マリアと結婚します。
政略結婚ではありましたが、チャールズとヘンリエッタ・マリアとの夫婦仲は良く、後継の男子(チャールズ2世)にも恵まれました。
チャールズ1世夫妻の長女メアリー・ヘンリエッタ
チャールズ1世の娘メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートの肖像(ボストン美術館)
1642年 第一次イングランド内線勃発
王権神授説に基づいて専制政治を行うチャールズ1世は、議会との対立を深めていきます。
熱心なカトリック信者だったヘンリエッタ・マリアは、その信仰のせいもあり、イングランド国民からは不人気でした。
自身の安全面からもチャールズとは距離を置くことになり、1642年2月、ヘンリエッタ・マリアはオランダのハーグへ移ります。
半年後、ついに内戦が始まります。
ヘンリエッタ・マリアはイングランド王室を支援するため、持っていた宝石を売って資金を得ようとします。
しかしこの売却は簡単には行きませんでした。
1643年、ヘンリエッタ・マリアはイングランドへ帰国しますが、状況の悪化で再びイングランドを離れることになりました。
滞在先でも宝石を売って資金調達をしようとします。
「スリー・ブラザーズ」は売れたのか?
この時、ヘンリエッタ・マリアは「スリー・ブラザーズ」を持っていたのでしょうか。
王家の宝石、または自身が所有する宝石など、ヘンリエッタ・マリアが売ろうとした宝石の価格は莫大なものだったに違いありません。
おいそれと購入できる金額ではなかったから、価値あるものほどそんなに簡単に売れなかったのでは、と勝手に想像します。
さらに、自分自身の宝石を処分するのならともかく、王家の財産の場合、「王妃が独断で処分した」として後で返却を求められでもしたら?
その時は結構面倒なことになると、買い手も二の足を踏むのじゃないかな、と思うのです。
1643年にイングランドを離れた時、ヘンリエッタ・マリアは「スリー・ブラザーズ」を所持していたかもしれません。
しかし売却したという明確な記録は無いようです。
これ以降も「スリー・ブラザーズ」に関する公式の記録は無く、この由緒ある宝飾品の行方は判らなくなってしまいました。
もしかしたら既にバラされて別の形になり、誰かの宝石箱に在るのかもしれませんね。
所有者はそれと知らずに。
いやぁ、浪漫です。
- クレア・フィリップス(著). 山口遼(監修). 旦亜祐子(訳). 2016-11-15. 『V&Aの名品でみるヨーロッパの宝飾芸術』. 東京美術.
コメント
コメント一覧 (2件)
ハンナさん、こんにちは。
スリー・ブラザーズは、今もまだ見つかっていないのですね。
もし、ばらされずに見つかったら世紀の大発見ですね。
こんなにすごい…庶民が手に出せそうにない宝石でも、チャールズ1世のスペイン王女への求婚の時に作り直された…国をまたいでも流行があったのですね。
面白いですね。
スピネルは、初めて聞きました。
ルビーより、手に入りやすいのですね。
見間違えないようにしなければならないほど、よく似ているのなら、身に着けるものとしては、わたしはどちらでも構わないなぁ。(笑)
毎日が、とても暑くなっています。
体力も落ちます。
どうぞどうぞ、無理をせず、ご自愛なさってくださいませ。
ぴーちゃん様
コメント有難うございました
もしスリー・ブラザーズが見つかったら大ニュースですね。
スリー・シスターズなる名前が歴史上に出てきたことがあるようなのですが、それがスリー・ブラザーズなのかは不明だそうです。
私は何処かの時点でばらされて、別の宝飾品になっているのでは…と思っているのですが。
どうですかね?
スピネルでもルビーでも美しい石ならなんでも、デザインさえ優れていれば立派な宝飾品、芸術品なので、ぜひ発見されて欲しいです。
ぴーちゃん様も暑さにお気をつけて。
どうかご無理なさらないように。