古代エジプト美術に関する展覧会を訪れる前に読んでおきたい一冊です。
『古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで』
古代エジプトについて勉強する、というと、まず思い浮かぶのが、王朝とかファラオの名前を覚えなきゃいけないのかなーということですが、まぁ、学校のテストを受けるワケじゃありませんしね。
巻末の区分表を大いに活用しましょう。 この「古代エジプト時代区分・王朝区分・王名表」は見易くて良いなと思います。
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古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで- 山花京子(著)
- 出版社 : 慶応義塾大学出版会
- 発売日 : 2010/9/1
- 単行本 : 247ページ
- ISBN-10 : 4766417658
- ISBN-13 : 978-4766417654
著者の山花氏はエジプト学がご専攻です。
この書籍が出版された時は慶応義塾大学文学部史学系民俗学考古学専攻講師、東海大学文学部歴史学科考古学専攻講師、東海大学文学部アジア文明学科講師をされておられました。
裏表紙には、「本書は、豊富な文献資料や歴史資料を駆使し、文明が最も繫栄した紀元前 1550 年以降のその壮大な全体像を描く。」とあります。
3000 年を超える古代エジプト文明のなか、この書籍で学ぶのは古代エジプト文明後半の「新王国時代トレマイオス朝時代まで」。
テーマをがっつり絞っているためその時代にどっぷりハマり、他に目移りしないで済みます。
新王国時代の女性の社会的地位、美術様式など、調べたい時代・事柄がはっきりしている場合は探し易いです。
私がこの本を好きで、推す理由は、まず資料写真が豊富なところ。
素晴らしい美術工芸品を産んだ社会背景について、とてもわかり易く書いてくださっているところです。
この本の目次
- はじめに
- 第Ⅰ部 新王国時代
- 第1章 第18王朝時代
- 第2章 第19王朝時代
- 第3章 第20王朝時代
- 第4章 新王国時代の社会の様相
- 第Ⅱ部 第3中間期~末期王朝時代
- 第1章 第3中間期
- 第2章 末期王朝時代
- 第Ⅲ部 プトレマイオス朝時代
- 第1章 プトレマイオス王朝の成立
- 第2章 プトレマイオス朝 王と王妃列伝 – プトレマイオス1世~クレオパトラ7世まで –
- 第3章 プトレマイオス朝の社会と文化
- おわりに
それではこの後、皆大好き(?)第18王朝について、私が気になったことをお伝えしましょう。
新王国時代 第18王朝
第5代ファラオ ハトシェプスト(在位:紀元前1479 – 紀元前1458年頃)
Seated Statue of Hatshepsut メトロポリタン美術館
第18王朝時代には何人もの有名なファラオがいます。
そのひとりであるハトシェプストは、第3代のファラオ トトメス1世の娘として生まれました。
ハトシェプストは異母兄弟で前王であるトトメス2世王妃であり、彼女自身がファラオでもありました。
丸顔の、優し気な面立ちですね。
異国への遠征より内政に力を入れたハトシェプストは、ディル・エル=バハリのハトシェプスト女王葬祭殿など建築事業でも名を残しています。
ハトシェプストは、しばらく途絶えていたプントとの交易も再開しました。
プントなどのエジプトより南に位置する国はエジプトにはない南国の金、象牙、ヒョウ皮、キリンの尾、珍しい動物、没薬、香油、紅玉髄、黒檀などの供給源でした。プントとの交易の記録は古王国時代(第5王朝時代)から始まり、中王国時代の王たちも折に触れ交易を行っていたことがわかっています。ハトシェプスト女王は約 500 年の空白期間ののち、治世 9 年目に交易を再開しました。ただ、交易の場面が描かれているディル・エル=バハリの壁面浮彫りにはプントの国の王と王妃がエジプトに黄金や没薬などの奢侈品を差し出しているのに対し、エジプトの使者は背後に屈強な軍隊を引き連れたうえでプントが差し出す品々の見返りとしてビーズ玉に紐を通したネックレスを渡しており、現代の価値基準で見ると明らかな不平等交易であったことがわかります。
山花京子(著). 2019-7-30. 『古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで』. 慶応義塾大学出版会. p.27.
黄金など豪華な品々に対し、エジプトからはビーズのネックレスですかぁ。
でもデザインがちょっと気になりますね。実物を見てみたい。
古王国時代のネックレスを掲載 古代エジプト旅行に必携『古代エジプト王国 トラベルガイド』
引用元:プント国の王族 CC-BY-SA-2.5
引用元:ハトシェプストのプント遠征で入手した乳香と没薬の木を描いたレリーフ Hans Bernhard (Schnobby) CC-BY-SA-3.0
第6代ファラオ トトメス3世(在位:紀元前1479 – 紀元前1425年頃)
引用元:トトメス3世
トトメス3世は、第4代ファラオ トトメス2世と側室イシスの息子です。
父トトメス2世が亡くなった時はまだ幼かったため、トトメス2世妃であるハトシェプストが共同統治者となりました。
ハトシェプストの死後は独りで統治。トトメス3世の後継者はアメンヘテプ2世です。
トトメス3世は幾度も遠征を行い、エジプトに莫大な戦利品をもたらしました。
トトメス3世には複数の妻がおり、属国化した小国から側室を娶っています。
三人の外国人の側室の墓からは、素晴らしい宝飾品が出土しています。
引用元:トトメス3世妃の頭飾り CC-Zero
Rosettes — see 26.8.117a メトロポリタン美術館
金、透明ガラス、カーネリアン、ジャスパー、トルコ石などで作られている髪飾り。
本書の解説には、
シリアあるいはレヴァントの属国からトトメス3世の後宮に迎えられた側室メンウィ、メルティト、メンヘトの墓から発見された黄金の頭飾り(メトロポリタン美術館)
山花京子(著). 2019-7-30. 『古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで』. 慶応義塾大学出版会. p.34.
とあります。
引用元:トトメス3世妃の頭飾り Mary Harrsch CC-BY-2.0
英語表記では Menhet、Menwi、Merti という側室たちの名前の日本語表記ですが、『古代エジプト女王・王妃歴代誌』(創元社)では「マンハタ、マヌワイ、マルタ」とされています。
この髪飾りとよく似た文様の細工物が、東京国立博物館にも収蔵されています。
同じ形の部品多数を綴って細長い帯とし、それを何本も髪の上から垂らして身を飾ったものの一部です。高貴な婦人によって使用されました。金の薄板を加工して作り、ラピスラズリ、カーネリアン、トルコ石などの宝石・貴石を象嵌しています。
婦人頭飾断片(ふじんあたまかざりだんぺん)東京国立博物館
2024年9月10日(火)から2024年12月1日(日)まで東洋館 3室で展示
Wide-necked jar and lid naming Thutmose III メトロポリタン美術館
第9代ファラオ アメンヘテプ3世(在位:紀元前1386 – 紀元前1349年頃 または紀元前1388 – 紀元前1351年頃)
引用元:アメンヘテプ3世 Photograph by A. Parrot; sculptor unknown
アメンヘテプ3世の正妻はティイ。
後継者は息子のアメンヘテプ4世です。
アメンヘテプ3世は王宮や神殿の建設だけでなく、芸術の振興にも力を入れました。
比較的平和だったといわれるアメンヘテプ3世の時代に、エジプトの芸術は大いに発展、頂点に達します。
また、アメンヘテプ 3 世の時代にはエジプト史の中でも特に芸術や手工業が発達しました。木彫りやガラス、ファイアンス細工などは精緻を極め、盛んな贈物外交によってもたらされた珍しい原材料を惜しげもなく使った工芸品が多く見られます。当時は貴重品だったガラスの大きな塊を使った顔部分(MIHO MUSEUM 蔵)(109頁、図 54 参照)、色鮮やかなファイアンス(やきものの一種)で象嵌されたコホル壺(アイシャドー容器)、エジプトにはない黒檀や象牙を使った彫像や容器など、ほかの時代には見られない調度品の存在は、この王の時代が物質的に豊かだったかを物語っています。
山花京子(著). 2019-7-30. 『古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで』. 慶応義塾大学出版会. p.32.
下の、マスカラみたいな容器はメトロポリタン美術館の収蔵品、コホル(コール)入れです。
これは「アメンヘテプ3世とシトアメン王女の名が刻まれた筒状コホル入れ」。
目の化粧に使うコホルを入れる容器にはいろいろな形、材質のものがありますが、このお洒落な容器はファイアンス製。 青い色が美しいですね。
引用元:コホル用容器
Kohl Tube Inscribed for Amenhotep III and Princess Sitamun メトロポリタン美術館
シトアメン王女は、アメンヘテプ3世とティイの長女として生まれ、父アメンヘテプ3世の妃となりました。
引用元:アメンヘテプ3世妃ティイ captmondo CC-BY-SA-3.0
引用元:シトアメン王女の椅子 Alensha CC-BY-SA-3.0
アメンヘテプ3世の時代の王墓の監督官・カー。 彼の奥様で、メリトという女性の化粧箱です。
化粧用容器、どれも素敵ですねー。
引用元:メリトの化粧箱 CC-BY-2.0-IT
引用元:コホル容器 Walters Art Museum CC-PD-Mark CC-BY-SA-3.0
「結婚外交と贈物外交」から
例えば、東京国立博物館の婦人頭飾断片や、ツタンカーメンの黄金のマスクに使われているラピスラズリは、エジプトでは産出されません。
貴重な輸入品である筈なのに惜しげもなく、贅沢に、アクセサリーなどに使われています。
それを知ったとき「さっすが王侯貴族ぅ! お金持ち~!」と思ったものですが、同時に「それらはどのくらい遠方の国から運ばれてきたのだろう」とも思いました。
「お金持ち」どころではない。 一体、どれほどの権力や資産を、ファラオは持っていたのでしょう。
どのような理由で、どんな品々がエジプトにもたらされたか、興味は有りませんか?
第Ⅰ部 第 1 章で、「結婚外交と贈物外交」について書かれています。
王家同士の婚姻が政略結婚であることは想像がつきますが、その際どんな物品が、エジプトに贈られたのでしょうか。
結婚外交に伴って国王間で文物の交換が行われます。交換される品々は主に奢侈品で、王家あるいは国庫に入れることを目的とした文物の交換です。アメンヘテプ 3 世の治世後半から残されている外交文書『アマルナ文書』(53頁参照)によると、ミタンニやバビロニアの王たちからは宮殿を建てるための黄金や家具などの調度品、黒檀、象牙、医師などが所望され、エジプト側からは細工した金銀製品や家具、そしてガラスなどの珍しいものがリクエストされました。エジプト王からバビロニアの王に宛てた書簡(書簡番号 E14)には、エジプトからバビロンへの贈物が 300 行にわたって記されていました。
一方、「世界帝国」を維持していたエジプトは、属国であるレヴァント地方の小国から貢物を受け取っていました。エジプトの墓壁画には、金や銀製品(細工物)、壺に入った香油やワイン、馬、戦車などが貢物として描かれています。エジプトは朝貢など、エジプトが要求する事柄を素直に行う国に対しては庇護を約束していました。貨幣のない時代ですから、物納という形でその地の特産物などを「みかじめ料」としてエジプトに捧げていたわけです。
山花京子(著). 2019-7-30. 『古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで』. 慶応義塾大学出版会. pp.33-34.
ミタンニ王がアメンヘテプ3世に宛て、大量の金を贈ってくれるよう求めた書簡からも判るように、金は「新王国時代のエジプトにおいて最も利益を生む交易品」。
金といえば、やっぱりツタンカーメンのマスクが浮かびますねえ。
金の話は先の引用の後に続く、「エジプトの金と経済」に詳しく書かれています。
また、ガラスは新王国時代の初期にミタンニからもたらされた技術により、エジプトでも作られるようになったそうです。
こちらは、第 4 章の「新王国時代の手工芸」にありますので、ぜひご参照ください。
トゥトアンクアメン(在位:紀元前1333 – 紀元前1323年頃)
引用元:ツタンカーメン王のマスク Pavel Špindler CC-BY-3.0
古代エジプト第18王朝のファラオには、黄金のマスクで知られる少年王・ツタンカーメンもいます。
本書では、より厳密な表記である「トゥトアンクアメン」となっています。
また、先にアメンヘテプ3世妃として登場したティイとは、血縁関係にあることが近年の研究で判っています。
本書によると、この豪華なマスクは 10.23 krg の純金!で作られてるとのことです。
貴石や当時貴重品だったガラスで装飾されていますが、青い部分に使われているのは、こちらも輸入品のラピスラズリです。
トゥトアンクアメンの黄金の人形棺は 110.4 kg の黄金で作られているとのこと。
他の時代の装飾品も好きなのですが、古代エジプトといえば黄金のマスクやトトメス3世妃の所有していた数々の豪華グッズ(副葬品)の印象が強く、私にとっては第18王朝の頃が面白い。
古代エジプトの装飾美術の展覧会前にこの書籍を読んでおくと、より理解が深まるのではないかと思います。