ラ・トゥールの『いかさま師』『聖ヨセフ』他(シュリー翼)

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    シュリー翼では、『ダイヤのエースを持ったいかさま師』の他に『大工の聖ヨセフ』『聖イレネに介抱される聖セバスティアヌス』も鑑賞することができます。

    『いかさま師』( Le Tricheur ) 1635年頃 ジョルジュ・ド・ラトゥール ルーヴル美術館蔵
    『いかさま師』 1635年頃 ジョルジュ・ド・ラトゥール

    展示室変更、貸し出し・修復中などで展示されていない場合もあります。美術館のサイトをご確認ください。

    目次

    ジョルジュ・ド・ラトゥールの作品(シュリー翼912展示室)

    『ダイヤのエースを持ったいかさま師』 1635年頃

    Le Tricheur à l’as de carreau , RF 1972 8

    『いかさま師』( Le Tricheur ) 1635年頃 ジョルジュ・ド・ラトゥール ルーヴル美術館蔵
    『ダイヤのエースを持ったいかさま師』 1635年頃 ジョルジュ・ド・ラトゥール

    引用元:『ダイヤのエースを持ったいかさま師』

    中野京子氏の『怖い絵』で超有名。

    いかさま師が今まさにイカサマを仕掛けようとしているところです。

    画面右側に座る、良い服を着た若い男性が、彼らのカモ。

    中央の女の目配せでドラマが始まります。

    この頃の「袖」は、ボディスにリボンやピンで留められていました。こちらもぜひご注目ください。

    『いかさま師』(Le Tricheur) 1635年頃 ジョルジュ・ド・ラトゥール ルーヴル美術館蔵
    『いかさま師』 ジョルジュ・ド・ラトゥール

    引用元:『いかさま師』

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    ジョルジュ・ド・ラトゥールの絵画『いかさま師』の中の「袖」

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    ダイヤのエースを持つ『いかさま師』(ラ・トゥール作)

    『聖トマス』 1634年 – 1638年頃

    Saint Thomas , RF 1988 15

    『聖トマス』 1634年-1638年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
    『聖トマス』 1634年-1638年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

    引用元:『聖トマス』

    イエスの使徒のひとり、トマスを描いた絵。

    額のしわ、手指の感じがリアルですね。

    この作品の右上に Georgius De La Tour fecit の署名があり、これは「ジョルジュ・ド・ラ・トゥールがやった」という意味だそうです。

    『大工の聖ヨセフ』 1642年頃

    Saint Joseph charpentier , RF 1948 27

    『聖ヨセフ』( Saint Joseph charpentier ) 1642年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール ルーヴル美術館蔵
    『大工の聖ヨセフ』 1642年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

    引用元:『大工の聖ヨセフ』

    大工たちの守護聖人ヨセフ。梁を仕上げる父の手元をろうそくで照らすのは、幼いイエスです。

    ろうそくの光が、ヨセフとキリストを浮かびあがらせ、光はキリストの中に宿っているかのよう。この幼いキリストこそが、真実の光です。一方で、養父が作るはりは、やがてキリストが掛かる十字架を暗示しています。

    有地京子(監修). 青い小鳥アート研究室(編). 『マンガでわかる ルーヴル美術館の見かた』.誠文堂新光社. p.168.

    『聖イレネに介抱される聖セバスティアヌス』 1649年頃

    Saint Sébastien soigné par sainte Irène , RF 1979 53

    『イレネに介抱される聖セバスティアヌス』( Saint Sébastien soigné par sainte Irène ) 1649年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール ルーヴル美術館蔵
    『聖イレネに介抱される聖セバスティアヌス』 1649年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

    引用元:『聖イレネに介抱される聖セバスティアヌス』

    1945年にノルマンディーの教会で発見されました。

    ベルリン絵画館にも同じ主題の絵があり、そちらがオリジナルだと考えられていましたが、現在ではルーヴル美術館収蔵の本作がオリジナルであると判断されています。

    横たわる聖セバスティアヌスの隣に跪く聖イレネ(イレ-ネ)。

    右手で松明を持ち、左手で聖セバスティアヌスの手を取っています。

    その頬には涙が流れ、隣や背後にいる女性たちも、それぞれ悲しみの表情を浮かべています。

    『灯火の前のマグダラのマリア』 1640年 – 1645年頃

    La Madeleine à la veilleuse dite La Madeleine Terff , RF 1949 11

    『悔い改めるマグダラのマリア』( La Madeleine à la veilleuse ) 1640年-1645年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール ルーヴル美術館蔵
    『灯火の前のマグダラのマリア』 1642年 – 1644年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

    引用元:『灯火の前のマグダラのマリア』

    メトロポリタン美術館、ロサンゼルス・カウンティ美術館、ワシントンのナショナル・ギャラリー、個人蔵と、世界には本作と同じ主題の絵画が五枚あります。

    昔々、初めてルーヴル美術館を訪れた際、この絵と『聖ヨセフ』がとても印象に残りました。

    なに、この深部を見つめるような感じ。ろうそくを通して自分と対話しているような。

    結構長い時間観ていた記憶がありますが、ほぼ予習ナシで行っちゃったからね…画家の名前まで知らなかったしね…主題も後になって調べたんだよね…。今思うと、もったいないことしましたね。

    それでも名作と呼ばれる作品には、訴えかけてくる何か強い力があるんだよなあ、と思います。

    『羊飼いたちの礼拝』 1644年頃

    L’Adoration des bergers , RF 2555

    『羊飼いたちの礼拝』( L'adoration des bergers ) 1645年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール ルーヴル美術館蔵
    『羊飼いたちの礼拝』 1644年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

    引用元:『悔羊飼いたちの礼拝』

    最初にルーヴル美術館入りしたラ・トゥール作品。

    本作は、1644年にリュネヴィルの町( Lunéville )が総督ラ・フェルテに贈ったものだそうです。

    リュネヴィルは、1652年1月にラ・トゥールが亡くなった土地。

    長らくオランダ人画家ヘラルト・ファン・ホントホルストの作品とされていましたが、1926年に、ヘルマン・フォスによってジョルジュ・ド・ラ・トゥールのものであると認定されました。

    『クラブのエースを持ったいかさま師』 1630年 – 1640年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール キンベル美術館蔵

    『クラブのエースを持ったいかさま師』 1630年-1640年頃 キンベル美術館蔵
    『クラブのエースを持ったいかさま師』 1630年 – 1640年頃 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール キンベル美術館蔵

    引用元:『クラブのエースを持ったいかさま師』

    キンベル美術館The Cheat with the Ace of Clubs, c. 1630-34

    こちらは「クラブのエース」を持った『いかさま師』。

    悪事を働く黒幕の女が手にしている札は、『ダイヤのエースを持ったいかさま師』と違って伏せられています。

    若者の衣装、給仕女の頭飾りなど、ルーヴル美術館の『ダイヤのエースを持ったいかさま師』と比べてみるのもまた楽しい。

    若者が持つ札についてですが、こちらはまだ大逆転のチャンスがあるのだそうです。

    そう思って観ると、またちょっと見方が違いますねえ。

    ジョルジュ・ド・ラ・トゥール( Georges de La Tour, 1593年3月19日 – 1652年1月30日)

    ジョルジュ・ラ・トゥールは1593年、ロレーヌ公国のヴィック=シュル=セーユ( Vic-sur-Seille )でパン屋の息子として生まれました。(当時、ロレーヌはまだフランスの一部ではありませんでした)

    1617年にロレーヌ公国リュネヴィル出身の貴族女性と結婚し、リュネヴィルに移住。

    ロレーヌ公アンリ2世の庇護を受け、当地で活動します。

    『ダイヤのエースを持ったいかさま師』が制作されたのが1635年頃。

    ラ・トゥールが生活していたリュネヴィルは1633年以降「三十年戦争」(1618年 – 1648年)の舞台となり、ラ・トゥールは家族を連れ、1638年9月頃ナンシーに避難しています。

    ロレーヌ公国はフランスの支配下に入り、1639年以降パリに出たラ・トゥールは、フランス国王ルイ13世から「国王付画家」の称号を得ました。

    内省的で深い精神性を感じさせるラ・トゥールの作品ですが、実際のラ・トゥールはかなりイヤな人間だったとか。

     成金、傲慢、乱暴、世渡り上手…、この巨匠について知れば知るほど作品のイメージとは真逆の人物像が浮かびあがります。恨み疎まれ、裁判まで起こされ……、生きざまもカラヴァッジオのようですが、ラ・トゥールの活躍した時代は戦乱の世。生き抜いて自分の道を貫くには仕方がなかったのかもしれません。

    有地京子(監修). 青い小鳥アート研究室(編). 『マンガでわかる ルーヴル美術館の見かた』.誠文堂新光社. p.171.

    『マンガでわかる ルーヴル美術館の見かた』にもあるように、強くしたたかでなければ生き残れなかったのかもしれませんね。

    しばらくパリで活動したラ・トゥールは、1641年にリュネヴィルに戻りました。

    フランスのラ・フェルテ公爵が、1643年にロレーヌ公国の総督に就任。

    (ラ・フェルテ総督は、リュネヴィルから『羊飼いたちの礼拝』(1644年頃)を贈られています)

    1652年1月、伝染病(ペスト?)のために妻子を失ったラ・トゥールは、同じ月の30日に亡くなりました。

    ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ( Michelangelo Merisi da Caravaggio, 1571年9月29日 – 1610年7月18日)

    ラ・トゥールが強く影響を受けたカラヴァッジョも喧嘩に殺人と、破天荒な人間だったそうです。

    『トランプ詐欺師』(いかさま師) 1595年頃 カラヴァッジョ キンベル美術館蔵

    『トランプ詐欺師』( いかさま師、The Cardsharps ) 1594年頃 カラヴァッジォ キンベル美術館蔵
    『トランプ詐欺師』 1595年頃 カラヴァッジョ キンベル美術館蔵

    引用元:『トランプ詐欺師』

    キンベル美術館The Cardsharps, c. 1595

    『女占い師』 1596年頃 カラヴァッジョ ルーヴル美術館蔵

    『女占い師』(La diseuse de bonne aventure ) 1596年頃 カラヴァッジォ ルーヴル美術館蔵
    『女占い師』 1596年頃 カラヴァッジョ ルーヴル美術館蔵

    引用元:『女占い師』

    ドゥノン翼712展示室La diseuse de bonne aventure , INV 55 ; MR 105

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