美しい挿絵とわかりやすい文章と構成で、ボッティチェリの入門書として最適な一冊『ボッティチェリとリッピ』。芸術家たち以外にもメディチ家やサヴォナローラといったルネサンスの有名人たちも登場します。歴史好きな方にもおススメします。
『イラストで読む「芸術家列伝」 ボッティチェリとリッピ』
むかしむかーし、私がまだ幼稚園児とか小学生だった頃。
美術好きの親に画集を見せられたり美術展に連れて行かれたりして、「これいいよね、綺麗だね。この絵好きだなあ」と刷り込まれ…言われ続けたのは印象派、特にルノワールやモネでした。
中学生になって楽しみにしていたのは歴史の授業で、教科書や資料集に載っている挿絵を見るのが好きでした。
でもね、ルネサンス芸術の例として紹介されていたボッティチェリの絵は、なんかね、ルノワールの裸婦画や光の柔らかさに比べ、絵の暗さや顔の写実的な感じが「怖かった」んですよね。
その後印象派好きからラファエル前派、アール・ヌーヴォー、アール・デコ、象徴主義絵画、ロココ芸術、眺めるだけの絵より入手可能なジュエリーや陶磁器に興味が移って行きました。
「大袈裟」に思えてなんとなく避けていたバロック芸術ですが、そのうち「やっぱり良いな」と感じるようになり、新古典主義、古代彫刻ファンを経て、今度はルネサンスにやってきました。
その頃には「なんとなく怖い」という気持ちはなくなり、ボッティチェリやミケランジェロ、ラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、引いてはメディチ家など、その時代に生きた人々や、絵や彫刻が描かれた背景に興味が出てきたからだと思います。
今回ご紹介するのは『春』『ヴィーナスの誕生』の画家ボッティチェリと、フィリッポ・リッピに関する書籍です。
ヴァザーリの著作を今読むにはちょっと時間と勇気がいるかなーという場合は、こちらをどうぞ。
ヴァザーリの思い違いなどに対する訂正も入っていますし、わかりやすくまとめられています。
絵が好きな方なら、例えルネサンス芸術にそんなに興味がなくても、こういう本は手に取り易いのではないかなと思われます。面白いですよ。何より、ボッティチェリやリッピなどの偉大な画家たちがとても身近な存在に思えてきます。
世界で活躍することを志す若きビジネスマンには「知っておいた方がいい教養として目を通しておけ」とおススメしたい。
他の書籍にも言えることですが、歴史を教える先生には芸術系の本もぜひ読んでいただきたいです。
教科書に添える一言が、生徒の興味を惹くことがあります。
「ボッティチェリという画家がルネサンスの時代に活躍して~」と読み上げるだけではなく、例えば、
神話画は、単にギリシャ・ローマ神話の物語を示すのみならず、神話に出てくる神々を用いて、哲学的な議論を暗示したり、あるいは結婚を祝ったりと、実に様々な目的で描かれました。キリスト教徒の信仰生活のために用いられた宗教画とはずいぶん性質が異なるものなのです。
古山浩一(イラスト).古玉かりほ(編).柾谷美奈(訳). 『イラストで読む「芸術家列伝」 ボッティチェリとリッピ』. 芸術新聞社. p.55.
と言うだけで、ボッティチェリの絵画への見方と、「こわ」との気持ちが変わるのではないでしょうか。
引用元:『春(プリマヴェーラ)』
引用元:『ヴィーナスの誕生』
この本の目次
- 《はじめに》『芸術家列伝』の原作者 ジョルジョ・ヴァザーリ
- 《ボッティチェリの師匠》破天荒な修道士画家 フィリッポ・リッピ
- Story 1 革なめし職人の家に生まれ、リッピの工房へ
- 師匠フィリッポ・リッピそっくりの駆けだし時代
- Story 2 ヴェロッキオ工房へ ー レオナルドと会う
- Story 3 ヴァザーリのギャラリートーク
- 〈MAP〉ボッティチェリのいたフィレンツェ
- Story 4 共和制のもとで絶大な権力者であり続けたメディチ家
- もうひとつのメディチ家、又従兄弟ピエルフランチェスコ
- Story 5 ヴィーナスのモデルとプリマヴェーラのインスパイア
- ヴィーナスをめぐるジュリアーノ馬上槍試合
- 「プリマヴェーラ」の描かれ方
- Story 6 システィーナ礼拝堂の壁画のため、ローマへ
- Story 7 ボッティチェリの素顔 ー いたずら好きで愛嬌者!?
- 隣家は大航海者アメリゴ・ヴェスプッチ
- フィレンツェ男色事情、ボッティチェリも訴えられていた!?
- Story 8 修道士サヴォナローラとボッティチェリ
- 絵を燃やせ! サヴォナローラが行った「虚飾の焼却」
- 贅沢は禁止! 監視隊にさせられた子供たち
- 逮捕の理由、そして火刑にされたサヴォナローラ
- 晩年の質は落ちたか? その理由
- Story 9 ボッティチェリ晩年の真実
- ヒトラーに略奪されてなお、現代に残ったボッティチェリ作品
- ヴァザーリの課外授業
- 原書にはない、わかりやすい『列伝』×西洋美術史
- 〈画家の素顔編〉 ボッティチェリの家族
- 〈インタビュー編〉 神話画と宗教画
- 〈社会情勢編〉 パッツィ家陰謀事件
- 〈インタビュー編〉 ダンテ『神曲』とボッティチェリ
- 〈画家の素顔編〉 ミケランジェロとの関係
本書にはボッティチェッリの家族の他、師匠リッピに師匠ヴェロッキオ、後輩レオナルド・ダ・ヴィンチなどが登場します。
この頃のヴェロッキオの工房、タイムスリップしてみたいですねえ。
あ、もちろんメディチ家の屋敷にも。
Story 4 から、ヴィーナスのモデル? シモネッタ・ヴェスプッチ
シモネッタの肖像
「死ぬ前に一度は見ておくべき名作」リストに必ず上がる、『ヴィーナスの誕生』。
モデルはいるのか。いるとしたらそのモデルは誰か。気になりますよね。
よく目にするのはフィレンツェ一の美女と謳われた、「シモネッタ・ヴェスプッチ」( Simonetta Cattaneo Vespucci, 1453年‐1476年4月26日)という名前です。
メディチ家の貴公子ジュリアーノの愛人としても知られたシモネッタは、マルコ・ヴェスプッチという男性の妻でした。
ボッティチェリやピエロ・ディ・コジモがその美しさを肖像画に描き残し、彼女に触発された詩が現代にまで残っています。
引用元:シモネッタ・ヴェスプッチ
シュテーデル美術館:Idealised Portrait of a Lady (Portrait of Simonetta Vespucci as Nymph), ca. 1480 – 1485
絵画館:Profile of a young woman, c. 1475-1480
引用元:シモネッタ・ヴェスプッチの肖像
コンデ美術館:Portrait de femme dit de Simonetta Vespucci
1480年頃描かれたこの肖像画は、シモネッタが亡くなった後に描かれました。
コンデ美術館によると、「絵の下部に彼女の名前を記した碑文がおそらく後世に刻まれたものであるため、私たちがシモネッタの肖像画の前にいるかどうかは定かではありません。(Google翻訳)」とのことです。
下は東京・丸紅ギャラリーの、シモネッタ・ヴェスプッチの肖像画です。
引用元:シモネッタ・ヴェスプッチの肖像
2022年末から2023年初めにかけて丸紅ギャラリーで公開された時観に行きましたが、本当に美しい女性でした。
ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ( Lorenzo di Pierfrancesco de’ Medici, 1463年8月4日‐1503年5月20日)
ボッティチェリの『春』はロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコの婚礼を記念して描かれました。
It is painted on a poplar wood backing and towards the end of the 15th century, it was to be found in the house in Via Larga (modern-day Via Cavour) that belonged to the heirs of Lorenzo di Pierfrancesco de’ Medici, cousin of Lorenzo the Magnificent. It was hung above a lettuccio, a kind of chest with back that was often among the furniture items in noble renaissance homes. It was later moved to the Villa di Castello, where Giorgio Vasari (1550) describes it together with the Birth of Venus .
https://www.uffizi.it/en/artworks/botticelli-spring
(Google翻訳:この作品はポプラ材の台紙に描かれており、15 世紀の終わり頃に、ロレンツォ ディ ピエルフランチェスコ デ メディチのいとこであるロレンツォ ディ ピエルフランチェスコ デ メディチの相続人が所有していたラルガ通り(現在のカヴール通り)の家で発見されました。ロレンツォ大帝。それは、ルネッサンス時代の貴族の家庭でよく見られた、背もたれ付きチェストの一種であるレトゥッチョの上に吊るされていました。その後、ヴィッラ ディ カステッロに移され、ジョルジョ ヴァザーリ (1550 年) がヴィーナスの誕生と併せて記述しています 。)
ロレンツォ・イル・マニーフィコ(引用した英語版では Lorenzo the Magnificent )と呼ばれたロレンツォ・ディ・メディチ。
引用元:ロレンツォ・ディ・メディチ
ウフィツィ美術館:ritratto di Lorenzo il Magnifico de’ Medici
ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコと、ロレンツォ・ディ・メディチは「またいとこ」です。
メディチ家の財産の半分はロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコとその兄弟に権利がありましたが、彼らが幼かったことから、ロレンツォ・ディ・メディチ(イル・マニーフィコ)が管理していました。
しかし、ロレンツォ・ディ・メディチ(イル・マニーフィコ)は自身の財政難時、その金を無断で借用。
さらに巨額の資金をピエルフランチェスコが使えないようにしていたそうです。
そのせいでピエルフランチェスコも経済的に不安定な状況に陥り、税金も払えないほどだったとか。
1484年、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコはロレンツォ・ディ・メディチに対し、相続財産の返還を求めて訴訟を起こしています。
後にピエルフランチェスコはその賠償を求めついにメディチ家は本家と分家に分離する。その巨額の資金を持ったピエルフランチェスコがボッティチェリに描かせたのが、「プリマヴェーラ」である。そのモデルは以前はシモネッタ(ジュリアーノの恋人)であるとされてきたが、ピエルフランチェスコの婚礼を記念して注文されたことがわかり今では彼の妻、シモネッタの血を引いた絶世の美女セミラミデではないかとも言われている。したがって「ヴィーナスの誕生」のモデルもセミラミデとする見方もある。 (古山)
古山浩一(イラスト).古玉かりほ(編).柾谷美奈(訳). 『イラストで読む「芸術家列伝」 ボッティチェリとリッピ』. 芸術新聞社. p.45.
ロレンツォ・ディ・メディチの取り持ちで、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコはセミラミデ・アッピアーノと1481年4月に結婚契約を結び、1482年7月19日に結婚します。
セミラミデはシモネッタの血縁に当たります。
引用元:Semiramide Appiano Sailko CC-BY-SA-4.0
ボッティチェッリの絵が結婚を祝う目的のものであれば、やっぱり花嫁さんが主役な気がしますね。
『春(プリマヴェーラ)』も『ヴィーナスの誕生』もシモネッタではなく、セミラミデの可能性もありますね。
シモネッタが着けているアクセサリー
肖像画のシモネッタは素敵なネックレスを着けています。
『春(プリマヴェーラ)』に登場する美女のひとりも、とても素敵なネックレスを着けています。
引用元:『春(プリマヴェーラ)』三美神
なんだかテイストが似ていません?
シモネッタについていろいろ知りたくなった方、この丸紅ギャラリーの企画展の図録をお読みになるのをお勧めしますよー。
Story 5 から、馬上槍試合の話
この章では、ボッティチェリが『春(プリマヴェーラ)』を描くにあたり、インスピレーションを得たというアンジェロ・ポリツィアーノの詩(日本語訳)も掲載されています。
引用元:ジュリアーノ・デ・メディチ
museum-digital deutschland:Giuliano de’Medici (1453-1478)
Staatlichen Museen zu Berlin:Giuliano de’Medici (1453-1478)
ロレンツォ・ディ・メディチ(イル・マニーフィコ)の弟で、シモネッタの恋人ジュリアーノ。
1475年のこと、ジュリアーノは恋人シモネッタのために、サンタ・クローチェ広場で馬上槍試合を開きました。
おや? シモネッタって人妻ではありませんでしたかね?
シモネッタには、かの有名なアメリゴ・ヴェスプッチ(「アメリカ」の名の由来となった)の縁者であるマルコ・ヴェスプッチという夫がいました。
人妻への恋であるから実現不可能の恋に命を賭けるというのが騎士道精神でいいらしい。もちろん優勝者はジュリアーノである。もっともこれは為政者が市民に娯楽を提供して日頃のメディチへの怒りを忘れてね、というサービスでもある。この試合のためのジュリアーノの旗はボッティチェリに注文されヴァザーリもそれを書いている。ボッティチェリのヴィーナスのモチーフはこのシモネッタであるというのが大方の意見で、実際にボッティチェリは本人の肖像画も描いている。 (古山)
古山浩一(イラスト).古玉かりほ(編).柾谷美奈(訳). 『イラストで読む「芸術家列伝」 ボッティチェリとリッピ』. 芸術新聞社. p.49.
貞淑な人妻への秘めたる恋心…は皆が知ってる、というわけですね。
ジュリアーノはこの三年後、パッツィ家によって暗殺されてしまいます。
この48‐49頁の見開きのイラスト、結構好きです。絵葉書があったら即買いですね。
次の頁では、「プリマヴェーラ」の描かれ方について説明されています。
これも非常に興味深いです。何が描かれているかは気にしても、使われている下地の木材のことって気にします?
2ミリぐらいの厚さの石膏下地で簡単に亀裂が入るというのに、「プリマヴェーラ」の下地は12ミリと厚く、それは完成までにどのくらいの時間、どのような技術を必要としたのでしょうか。
その下地、どんな職人さんたちが作っていたのかな。ちょっと興味がわきました。
画家 古山浩一氏の麗しい挿絵と、ボッティチェリの有名絵画が一緒に楽しめる書籍『ボッティチェリとリッピ』。
サヴォナローラなどの有名人も登場し、メディチ家、フィレンツェの歴史も学べます。
ボッティチェリの作品を観に行くのなら、その前に読んでおきましょう!(^o^)/オススメ