ヤン・ステーンの風俗画(『ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀』から)

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17世紀オランダの黄金世紀に活躍した画家ヤン・ステーン。本書に掲載されているステーン作品をカラーでご紹介します。

『トゥルプ博士の解剖学講義』 1632年 レンブラント・ファン・レイン マウリッツハイス美術館蔵
『トゥルプ博士の解剖学講義』 1632年 レンブラント・ファン・レイン マウリッツハイス美術館蔵

引用元:『トゥルプ博士の解剖学講義』

目次

『ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀』

タイトルに『~美術史』とか『~絵画』といった言葉がないので一瞬スルーしてしまいそうですが、オランダ黄金世紀における重要絵画満載の書籍です。

「オランダ黄金世紀」で検索したらヒットしますが、「ちょこっとレンブラントの絵画について知りたい」くらいのざっくり感の検索だと出て来ないかも。

私の勝手な印象だと、17世紀・オランダ黄金世紀などの歴史についてレポートや論文を書くひとだけが辿り着いて手に取りそう。

しかし、この書籍の存在を知らないままなのはもったいないです。

というわけでご紹介します。

ヨーロッパ近代文明を概観し、その誕生の様相を全体として跡づけることは、通例の歴史記述では至難であるが、それを可能にした文化資料がある。巨大な覇権国家スペインから独立を勝ち取ったオランダの「黄金世紀=17世紀」がもたらした、ユニークで豊かな絵画作品群である。市民絵画ともいうべき特異な流派が描く風景画・静物画・肖像画・生活風俗画から、来たるべきヨーロッパ近代文明の解放的な諸相が垣間見られる。

樺山紘一(著). 2015-6-10. 『ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀』. 京都大学学術出版会.

私はオランダ黄金世紀やオランダ黄金世紀の絵画について詳しいわけではありませんが、その頃日本がオランダと貿易をしていたのは知っています。

レーウェンフックや、フェルメールの『地理学者』『天文学者』は日本風上着「ヤポンス・ロック」を着ていました。

当時の絵画に描かれた生活空間を見る時、壁に掛かった絵画や食卓の食器類、果物、敷かれたタペストリーなどから、スペインから独立を果たし海外にも進出していく、「上り調子のオランダ」を感じます。

本書では絵画を通して文化背景を丁寧に説明してくださっています。

チューリップ、スケート、農村生活の絵など、オランダ黄金世紀の美術展ではこれからも目にすることがあるでしょう。

興味ある個所をざっと一読しただけでも、見方は劇的に変わると思います。

ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀

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ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀

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ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀
  • 樺山 紘一(著)
  • 出版社 ‏ :‎‎ 京都大学学術出版会
  • 発売日 ‏ : ‎2015/6/10
  • 単行本 ‏ : ‎341ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4876988706
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4876988709

この本の目次

  • はじめに ヨーロッパ近代文明の曙
  • 序章 歴史のなかの一七世紀オランダ
    • 1 はじめに
    • 2 ヨーロッパ国際政治のなかで
    • 3 政治・経済・社会の枠組み
    • 4 思想と芸術のステージで
    • 5 描かれた黄金世紀
  • 第1章 自然の景観 ー 人間が創った国土
    • 1 オランダの土地と風土
    • 2 気象と時間
    • 3 動物の家畜
    • 4 恵みと災いのあいだ
    • 5 動物たちの驚異
  • 第2章 社会の景観 ー フランス・ハルスの目に映った
    • 1 団体と集会のイメージ
    • 2 社会景観というもの
    • 3 治安と救護
    • 4 都市と建築 ー広場と水路
    • 5 領土と地図
  • 第3章 日常の景観 ー 暮らしの豊かさはどこから
    • 1 祝祭と社交の季節
    • 2 「ステーン風放縦」をめぐって
    • 3 生活と風俗のかぎりない愉楽
    • 4 学校、遊び、家庭、祈り
  • 第4章 人間の探求 ー レンブラントの世紀の写像
    • 1 はじめに ー 四つの視覚から
    • 2 〈解剖学講義〉と医学・科学
    • 3 人倫としての「ダナエ」のかなた
    • 4 「モーゼと十戒の石版」と歴史
    • 5 光のなかの肖像
  • 第5章 異境の目撃 ー 南アメリカからの贈物
    • 1 「東インド」と「西インド」
    • 2 ナッサウ伯のブラジル遠征
    • 3 エクハウトの民族図誌
    • 4 ポストのブラジル風景画
    • 5 メーリアンの卓抜な好奇心
  • 第6章 戦争と平和 ー ネーデルラントからウェストファリアへ
    • 1 ブレダの戦い ー ベラスケスとカロ
    • 2 絵画のモデルとしての戦争
    • 3 戦略と武器の革新
    • 4 戦争の世紀の見取図
    • 5 寛容の倫理、和解の理性
    • 6 ウェストファリアの模索

私は最初、レンブラントの時代について知りたくてこの書籍を買ったのですが、ヤン・ステーンについても多く書かれていて嬉しかったです。

「オランダ絵画」というと、私の中で浮かんでくるのは静物画とか風俗画でして、レンブラントやフェルメールの名も浮かびますが、「ヤン・ステーンの風俗画」の印象がかなり強い。

陽気な酔っ払い、楽しそうに騒ぐ家族、どういう関係なの?と想像してしまう男女の構図。

画家の名前はわからなくても、「あ、この絵見たことある」という方、多いと思います。

ヤン・ステーンについて書かれているのは第3章。

この記事では、本書に掲載されているステーンの作品をご紹介します。

ヤン・ステーン( Jan Steen, 1626年 – 1679年1月1日)

ヤン・ステーン自画像 1666年頃

ヤン・ステーン自画像 1666年頃 アムステルダム国立美術館蔵
ヤン・ステーン自画像 1666年頃 アムステルダム国立美術館蔵

引用元:ヤン・ステーン自画像

アムステルダム国立美術館Jan Steen

バロック期に活躍した画家ヤン・ステーンは、オランダのライデンで生まれました。

歴史画や宗教画、肖像画、風俗画など多くの作品を手掛けています。

画業のほか居酒屋を経営し、そこに集う人びとを観察していたといわれています。

『聖ニコラウス祭』 1663年 – 1665年

『聖ニコラウス祭』( The Feast of St Nicholas, 1663-1665 ) 1663年 - 1665年 ヤン・ステーン アムステルダム国立美術館蔵
『聖ニコラウス祭』( The Feast of St Nicholas, 1663-1665 ) 1663年 – 1665年 ヤン・ステーン アムステルダム国立美術館蔵

引用元:『聖ニコラウス祭』

アムステルダム国立美術館The Feast of St Nicholas, 1663-1665

12月26日の朝、それまで良い子にしていた女の子は、お人形など素敵な贈物を貰いました。 大事そうに抱える仕草が愛らしいですよね。

後ろにいる少年はべそをかいていることから、プレゼントは貰えなかったようですねえ。

家族団欒の光景です。

『豆祭り』 1668年

『豆祭り』( Das Bohnenfest ) 1668年 ヤン・ステーン カッセル市立美術館蔵
『豆祭り』( Das Bohnenfest ) 1668年 ヤン・ステーン カッセル市立美術館蔵

引用元:『豆祭り』

カッセル市立美術館蔵Das Bohnenfest

振る舞われたケーキの中に豆が入っていたら「当たり」。 その人はその日の主役、「王様」です。

今日は紙の王冠を被った男の子が王様役。

大きなグラスを手渡す老婆に、息子を見やる、既にほろ酔いの母親と、家庭内でのお祭り騒ぎ。

『宿屋の前で踊る農民たち』 1650年代

『宿屋の前で踊る農民たち』( Peasants Before an Inn ) 1650年代 ヤン・ステーン トレド美術館蔵
『宿屋の前で踊る農民たち』( Peasants Before an Inn ) 1650年代 ヤン・ステーン トレド美術館蔵

引用元:『宿屋の前で踊る農民たち』

トレド美術館蔵Peasants Before an Inn

口絵に掲載されている作品。

ステーンの絵といえば、踊り、飲み、騒ぐ人びとの姿が浮かびます。

この絵の人びとも楽しそうですね。 夕暮れ時、老若男女が戸外に出て平和な時を過ごしています。

あんまりにも楽しそうな光景なので、つい、これが当時の農村の姿だと、まるっと信じてしまいそうです。

 いうまでもなくこれはステーンによる、ひとつのフィクションである。村人たちの日常にしては、着衣はいささか整いすぎており、あまりに安穏・平和な風景が展開しているとでも評することができよう。しかしながら、これらすべての寸景は見者が自然のままに受容することが可能なものであり、極端に理想化されているわけではないにしても、好ましいささやかなオランダ物語として完結している。それは、従来では制作されなかったような人間模様の表現であり、見者たちに安堵と幸福とを提供するものであった。特定の団体や職分を表示するわけではなく、たんに社交を個々の目的として、たまたま結集した人びとが構図に参加している。それを日常的風景としてとらえることこそ、ステーンが獲得したあたらしい作品戦略であった。

樺山紘一(著). 2015-6-10. 『ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀』. 京都大学学術出版会. p.116.

この絵を収蔵しているトレド美術館の解説も見てみましょう。

A bustling village tavern and inn draws not only peasants—some who boldly flirt or merrily dance—but also the prosperous middle class in their starched ruffed collars. The wreath hanging above the entrance announces the arrival of the new wine vintage, which may account for the crowd.

Jan Steen was a master of boisterous scenes full of humorous anecdotes that often carried messages warning against foolish behavior. Did Steen intend such a meaning here? Some possible clues: the serving woman on the balcony tallies up the bar bill on a slate, perhaps symbolizing a “reckoning” for overindulgent behavior. The peasant prominently placed at the center of the composition seems slumped in a stupor from too much wine and tobacco. He is contrasted with the sunflower above him, emblem of those who devote themselves to God just as a sunflower always faces the sun. Though in 17th-century Dutch dominant culture images of peasants often signified boorish and sinful behavior, the middle class also were characterized as regarding peasants as enviably carefree (note the seated townsman watching the villagers with gentle amusement).

http://emuseum.toledomuseum.org/objects/55353/peasants-before-an-inn

「賑やかな村の居酒屋と宿屋には、大胆に戯れたり、陽気に踊ったりする農民だけでなく、糊の利いたひだ襟をつけた裕福な中流階級の人々も集まってくる。入り口の上に吊るされた花輪は、新しいヴィンテージのワインの到来を告げており、それが群衆の理由かもしれない。

ヤン・ステーンは、愚かな行動に対する警告のメッセージを含むことが多いユーモラスな逸話に満ちた賑やかなシーンの名手だった。ステーンはここでそのような意味を意図していたのだろうか?考えられる手がかりとしては、バルコニーにいる給仕の女性が石板の上でバーの勘定を計算しているが、これはおそらく、過度の行動に対する「清算」を象徴しているのだろう。構図の中央に目立つように配置されている農民は、ワインやタバコの飲み過ぎで昏倒しているように見える。農民は、彼の上にあるひまわりと対照的である。ひまわりが常に太陽を向くように、神に身を捧げる人々の象徴である。 17 世紀のオランダの支配的な文化では、農民のイメージは粗野で罪深い行為を意味することが多かったが、中流階級は農民をうらやましいほど気楽な人々と見なしていたことも特徴づけられた (村人たちを穏やかに面白がって眺めている座っている町民に注目)。」(Google翻訳)

さら~っと見ただけだと、あっさり見逃してしまう所作の数々ですね。

美術館に行っても混雑の中では、いろいろと考えを巡らせながら絵の隅々までじっくり鑑賞するのは難しいもの。

ヤン・ステーンの絵画が来日する噂を聞きつけたら、この書籍に目を通してから行くと良いと思われます。

次の作品『親に倣って子も歌う』(本書では『老人は歌い、少年はパイプを吹く』)と、次の『ぜいたくの方へ』(『贅沢には気をつけよ』)は、第3章-2 「「ステーン風放縦」をめぐって」で取り上げられています。

『親に倣って子も歌う』 1668年 – 1670年

『親に倣って子も歌う』( Soo voer gesongen, soo na gepepen ) 1668年 - 1670年 ヤン・ステーン マウリッツハイス美術館蔵
『親に倣って子も歌う』( Soo voer gesongen, soo na gepepen ) 1668年 – 1670年 ヤン・ステーン マウリッツハイス美術館蔵

引用元:『親に倣って子も歌う』

マウリッツハイス美術館Soo voer gesongen, soo na gepepen

美術館の解説欄にあった英語のタイトルは、’The way you hear it, is the way you sing it’ 。

日本語は《この親にしてこの子あり》。

マウリッツハイス美術館の解説に、悪い見本が悪い行動を生むという意味のことわざ「この親にしてこの子あり」を絵にしたとあります。

笑いながら子供にパイプの吸い方を教えている父親は、ステーンの自画像だそうです。

『贅沢に気をつけよ』 1663年頃

『贅沢に気をつけよ』( Die verkehrte Welt ) 1663年頃 ヤン・ステーン 美術史美術館蔵
『贅沢に気をつけよ』( Die verkehrte Welt ) 1663年頃 ヤン・ステーン 美術史美術館蔵

引用元:『贅沢に気をつけよ』

美術史美術館蔵Die verkehrte Welt

“Die verkehrte Welt” は「逆さまの世界」の意味。 どゆこと?という感じですが、

In dem traditionell als “Verkehrte Welt” bezeichneten Gemälde verbindet Steen humorvolle Erzählung mit moralisierenden Aussagen: In diesem Haushalt herrscht Zügellosigkeit – die Inschrift auf der Schiefertafel rechts unten klagt dies mit dem ersten Teil des holländischen Sprichworts “in weelde sie toe” (“im Wohlleben seht euch vor”, zu ergänzen: “und fürchtet die Rute”) an. In einem Korb hängen Degen und Krückstock drohend von der Decke.

「伝統的に「逆転した世界」と呼ばれるこの絵の中で、スティーンはユーモラスな物語と教訓的な発言を組み合わせています。この家庭には放縦があります。石板の右下にある碑文は、オランダのことわざ「ヴェールデの」の最初の部分でこれについて訴えています。 sie toe」(「幸福には気をつけなさい」、さらに「そして杖を恐れなさい」)。籠の中に剣と杖が天井から威嚇的にぶら下がっています。」(Google翻訳)

Wikipedia の『贅沢に気をつけよ』の解説に頼ると、「「In weelde siet toe…」というその諺はだいたい、「楽しい時は注意せよ」と訳せる。この諺は、「そして鞭を恐れよ」と続く。」とのこと。

酔っ払い、バカ騒ぎ、猥雑、無秩序。 私が抱いていたステーンの絵の印象ってこれなんです。

床に散らばったものや残飯を食べる豚に、女の膝に足を載せる男…とカオス状態の室内というね。

当時の人びとはこんな風に飲んで騒いでいたのかな、と。

 いまここで例にあげた逸脱や無秩序は、一七世紀以降のヨーロッパにあっては、きわめてしばしば引例され、通常は「ステーン風」とよばれる放縦として知られる。ごくふつうの日常空間にありながら、あるべき秩序は崩壊し、あらゆる混乱に身をゆだねている。ステーンはその混乱を創出し、推賞したものとも評判された。そればかりか、画家みずからも酒乱にして、家計の崩壊におちいる性格破綻者として、葬りさられたとも伝える。一七世紀オランダ社会の高尚な画風を裏切り、あるべき限度をこえて絵画術の破局にまで至ったと。

 「ステーン風放縦」をめぐる論説は、こうして多面にわたることが予想される。そこであらためて、ステーンの日常的主題による風俗画の基本性格について、主要な論点を整理しておこう。知られるとおり、画家ステーンは日常生活における放縦や秩序攪乱をこのんで主題としてきた。そのことについて、批評家や歴史家たちは作者の意図をはかりかね、苦しまぎれの解説をしいられることになった。作者は、そうした放縦や攪乱を興味ぶかげに再現し、見者とともに、「悪の快楽」を楽しんだとみることもできる。いわば、アナーキーの宣揚者として、のちのロマン派画家たちをはるかに先駆する芸術家とみなしたのである。たしかに、ステーンの作品のうちには、悪や不道徳の提示、もしくは秩序攪乱そのものを愉楽を掲げたものも少なくない。そうした「不道徳」のゆえに、ステーンの近代性を評価しようとする議論にも、一定の共感をおくることもできる。こうした路線の創始者として、一七世紀の土壌を解明するのも、ひとつの方法であろう。

 しかしながら、残存する数百点のうち、放縦や無秩序をもって「ステーン風」情景をかもしだしているのは、じつはごく少数にすぎない。残余の作品の大半は、のちにもみるとおり、一七世紀オランダの市民・農民を主題として、穏やかで平和な日常生活における衣食住をあつかい、とりわけて攪乱や放縦を基調とすることなく、日常的平穏のなかの人間生活を再現している。画家ステーンは、ことさらに「ステーン風放縦」をその画業の中心主題として、制作にむかったとは断言しにくい。あるいは、そうした「無秩序」画ばかりをジャンル化して、これを特別視したようにもみえない。つまり、ステーンを「悪の無秩序」を宣揚する画家として、ロマン派芸術への帰属を求めるのは、見当はずれといわざるをえない。

樺山紘一(著). 2015-6-10. 『ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀』. 京都大学学術出版会. pp.120-121.

この後も興味深く勉強になるお話は続きます。 全部ご紹介したいくらいですができないので、ご興味のある方はぜひ読んでいただきたい。

私がこの章を読んで「へぇー」と思ったのは、「残存する数百点のうち、放縦や無秩序をもって「ステーン風」情景をかもしだしているのは、じつはごく少数にすぎない」ということでした。

酔っぱらう人の印象が強くて他の作品が霞んでいましたが、『聖ニコラウス際』やこの後登場する作品には家族の仲の良さを感じるものが多いです。 『豆祭り』の母親は酔っ払っていますが泥酔というほどではなく、何よりも息子に向ける慈愛の眼差しに目が行きますよね。

「作品には教訓や戒めが含まれている」という情報を事前に得ていなければ、絵にはありのままの乱痴気騒ぎが描かれていて、しかもそれを画家が面白おかしく助長しているかのように受け取ってしまいそうです。

よく知らないまま、現代の感覚で、単純に表面だけ見てまる飲みしちゃいかんなあと思いました。

ことわざや教訓的な意味を含んだ絵画って難しいな、という感想を持つとともに、当時のモラルとか、考え方を知らないと、絵のほんとの面白さってわからないなと改めて感じました。

『牡蛎を食べる娘』 1658年 – 1660年

『牡蛎を食べる娘』( Het oestereetstertje ) 1658年 - 1660年 ヤン・ステーン マウリッツハイス美術館蔵
『牡蛎を食べる娘』( Het oestereetstertje ) 1658年 – 1660年 ヤン・ステーン マウリッツハイス美術館蔵

引用元:『牡蛎を食べる娘』

マウリッツハイス美術館Het oestereetstertje

古い食器好きの私としては卓上のグラスや陶磁器に興味がありますが、もちろん描かれた食べ物にも超興味があります。

女性が手にしているのは牡蠣。(美味しいですよね)

ただ、この若い女性の流し目、意味あり気ですよねえ。

牡蠣には媚薬効果があるとされており、そのことからこの誘惑するような眼差しに、性的な意味を想像することができます。

着ている上着は手触りが良さそう。

奥の部屋のふたりが何者か気になりますが、売春宿の主人夫婦と考えると、女性の高級服や彼女の眼差しに説明がつきますね。

『寝室のカップル』 1665年 – 1675年

『寝室のふたり』( Paar in slaapvertrek ) 1665年 - 1675年 ヤン・ステーン ブレディウス美術館蔵
『寝室のカップル』( Paar in slaapvertrek ) 1665年 – 1675年 ヤン・ステーン ブレディウス美術館蔵

引用元:『寝室のカップル』

ブレディウス美術館Paar in slaapvertrek

書籍『ベッドの文化史』の表紙だったので印象に残っています。

老人が若い女の服の裾をめくっていて、ベッドイン直前の光景だろうけど、夫婦、じゃない、よね?

暗さを感じない、むしろあっけらかんとした様子に、ふたりの会話が聞こえてくるよう。

美術館の解説によると、女の赤い服などから、この絵の舞台は売春宿かもしれないとのことです。

ポットの中のパイプもこれを示しており、「「パイプをノックする」は、村を訪れることを表す婉曲表現です。」(Google翻訳)とあります。

『村の学校』 1670年頃

『村の学校』( A School for Boys and Girls ) 1670年頃 ヤン・ステーン スコットランド国立美術館蔵
『村の学校』( A School for Boys and Girls ) 1670年頃 ヤン・ステーン スコットランド国立美術館蔵

引用元:『村の学校』

スコットランド国立美術館A School for Boys and Girls

ふーん、なるほど、これが17世紀オランダの学校(寺子屋?)なのね、と思っていました。 当時の識字率って? どんな人が教師を務めたんだろう?とも。

うーん。なんか、ここの子どもたち、まとめきれていないですねー。 混沌とした様相を呈しています。

しかし、この光景は真実なのか?

こんなにたくさんの子どもたちが学んでいたの? 親たちは教育熱心だったのか? これはまた別の書籍を探さなくてはなりませんねえ。

This is the largest of several schoolroom scenes by Steen. The composition is loosely based on Raphael’s fresco of The School of Athens in the Vatican, depicting the greatest scholars of antiquity. Basing this unruly scene on the famous gathering of greats, Steen made a visual joke, which is also echoed in the incidental detail. The adults seem oblivious to the unruly behaviour of their pupils. At the right is an owl, traditional symbol of wisdom and attribute of the goddess Athena. Here a boy offers it a pair of spectacles alluding to the Dutch proverb ‘What use are glasses or light if the owl does not want to see?’ This could apply to both pupils and teachers.

A School for Boys and Girls

「これはスティーンが描いたいくつかの学校の場面のうち最大のものである。構成は、古代の偉大な学者を描いた、バチカンのラファエロのフレスコ画「アテネの学堂」に大まかに基づいている。この無秩序な場面を有名な偉人たちの集まりに基づいて描いたことで、スティーンは視覚的なジョークを作ったが、それは付随的な細部にも反映されている。大人たちは生徒たちの無秩序な行動に気づいていないようだ。右側には、知恵の伝統的なシンボルであり、女神アテナの属性であるフクロウがいる。ここで少年がフクロウに眼鏡を差し出しているが、これは「フクロウが見ようとしないなら、眼鏡や光は何の役に立つだろうか」というオランダのことわざをほのめかしている。これは生徒と教師の両方に当てはまるかもしれない。」(Google翻訳)

…構成に元ネタ(?)があったとは…。

知恵のシンボルであるフクロウが描かれているのは見つけましたが、眼鏡を差し出す男の子、「フクロウが見ようとしないなら、眼鏡や光は何の役に立つだろうか」というオランダのことわざをほのめかしている、ですって?

ここにもことわざが描かれていましたね。

ヤン・ステーンの絵画を通して、オランダのことわざを学ぶことができそうです。お得。

『カード遊び』 1660年頃

『カード遊び』( A Card Game in a Tavern ) 1660年頃 ヤン・ステーン ボストン美術館蔵
『カード遊び』( A Card Game in a Tavern ) 1660年頃 ヤン・ステーン ボストン美術館蔵

引用元:『カード遊び』

ボストン美術館A Card Game in a Tavern

「ヤン・ステーンは演劇の巨匠で、彼の絵画にはしばしば第二の物語が隠されています。」(ボストン美術館)

うん。知ってる。

女性の表情に、隠すように持つカード。 もうね、すべてが「何かあるに違いない」としか思えない。

Here, a fancily dressed woman and a soldier play cards. She’s got a great hand, which she shares with us: aces of clubs and hearts. But it’s not a fair game. Two men are giving her an assist: one plies the soldier with (yet another) drink, while the other, near the fireplace, keeps an eye on the soldier’s cards. The couple in the back room is a hint that this all takes place in a brothel.

「ここでは、派手な服を着た女性と兵士がトランプをしています。彼女は素晴らしい手札を持っており、それを私たちと共有しています。クラブとハートのエースです。しかし、それは公平なゲームではありません。2 人の男性が彼女を助けています。1 人は兵士に (さらにもう 1 杯) 酒を勧め、もう 1 人は暖炉の近くで兵士のカードを監視しています。奥の部屋にいるカップルは、これがすべて売春宿で起こっていることを示唆しています。」(Google翻訳)

この作品について本書では、

しかし、この作品の趣旨は、この二人の遊びではなく、手前の女性がこの遊戯亭の実質的なオーナーであって、カード遊びによって客をたのしませていることにある。しかも、その女性の左手には、ハートのエースが握られており、このカードを道具として、テーブルの男性から賭金をせしめようとする目付きを、こちらに向けていること。つまり、ゲームの進行自体に、いまひとりの男性とつるんだ女性の策略がかくれており、いわばインチキゲームを構成しているらしいこと。ステーンの画面の物語構成からみて、そのような筋立てが読みとられる。店のメンバーがグルになって、客から金品をまきあげるという他愛もない光景が、遊びのなかから浮かびあがる。

樺山紘一(著). 2015-6-10. 『ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀』. 京都大学学術出版会. pp.137-138.

グルになって客から金を巻き上げるというのは、ラ・トゥールの『いかさま師』を思い出しますね。

しかし、こちらの絵は私たち鑑賞者に手札を披露。

企みを共有しようとしているようです。

私は卓上のタペストリーに興味があります。 輸入品だよな。

『食前の祈り』 1660年

『食事前の祈り』( Prayer Before the Meal ) 1660年 ヤン・ステーン The Leiden Collection 蔵
『食前の祈り』( Prayer Before the Meal ) 1660年 ヤン・ステーン The Leiden Collection 蔵

引用元:『食前の祈り』

The Leiden CollectionPrayer Before the Meal

質素な身なりの夫婦、シンプルな室内。 喧騒とは無縁の静かな祈りの時間です。

本作を収蔵している美術館の解説には、背景の、壁に掛かる言葉についても書かれています。

以下、「」内は美術館の解説を Google翻訳したものです。

「私が望むことは 3 つだけ。何よりも父なる神を愛すること。富の豊かさをむさぼることではなく、最も賢い人々が祈ったことを望むこと。この谷で正直に生きること。これら 3 つにすべては基づいている。」

その文末には「JAN STEEN 1660」と署名が。

よく見ると、天井から下がる変わった形のシャンデリアにも文字が書かれています。「汝の御心が行われますように」。

棚の上の本や骸骨、ろうそく、垂れ下がった紙には「死について考えよ」。

壁の鍵は「父親への信頼性」だそうです。

食卓のパン、チーズ、ハム…。 配された小道具にどんな意味があるのだろう、と、ひとつひとつ考えてしまいますね。

チーズとパン、デカいな。

『パン屋の夫婦 アレント・オストヴェルトとその妻カタリナ・ガイゼルスフェルト』 1658年

『パン屋の夫婦 アレント・オストヴェルトとその妻カタリナ・ガイゼルスフェルト』( Bakkersechtpaar Arent Oostwaard en Catharina Keizerswaard ) 1658年 ヤン・ステーン アムステルダム国立美術館蔵
『パン屋の夫婦 アレント・オストヴェルトとその妻カタリナ・ガイゼルスフェルト』( Bakkersechtpaar Arent Oostwaard en Catharina Keizerswaard ) 1658年 ヤン・ステーン アムステルダム国立美術館蔵

引用元:『パン屋の夫婦 アレント・オストヴェルトとその妻カタリナ・ガイゼルスフェルト』 CC-Zero

アムステルダム国立美術館Bakkersechtpaar Arent Oostwaard en Catharina Keizerswaard

朝、焼き上がったパンを店頭に並べる、ライデンのパン屋さんご夫婦。

絵の裏にある碑文で彼らの名前が判っています。

ふたりは 1657年に結婚。 「婚約あるいは結婚の際に肖像画を贈られた可能性が高いと考えられる」そうです。

開店を知らせるラッパを吹いているのは、画家の息子サデウス(当時7歳)とのこと。 ステーンは自分の妻や息子をモデルに起用していました。

興味深いなと思ったのは、美術館による解説「ヤン・ステーンは、複数のジャンルを 1 つの絵画に組み合わせました。それは家族の肖像画、静物画、そして会社の描写をひとつにまとめたものです。」(Google翻訳)です。

Jan Steen combineerde meerdere genres in één schilderij. Het is een familieportret, stilleven en de uitbeelding van een bedrijf ineen.

パンの種類、多いですね。 プレッツェルがありますが、こんなふうにして売るのかな?

人物を除き、パンが静物画として描かれたとしても、やはり傑作にはなったでしょうが、自信を持って焼きたてパンを並べるご主人の笑顔と、「ほら見て、美味しそうでしょ」と商品をつまんで見せる奥様の表情。

素敵な肖像画ですよね。 この絵大好きです。

『小さな集金者』 1663年 – 1665年

『小さな集金者』( Le petit quêteur ) 1663年 - 1665年 ヤン・ステーン プティ・パレ蔵
『小さな集金者』( Le petit quêteur ) 1663年 – 1665年 ヤン・ステーン プティ・パレ蔵

引用元:『小さな集金者』

プティ・パレLe petit quêteur

美術館の解説を見ると、中央で募金を集めているのは「小さな男の子」。

Le “Petit quêteur” est un tableau centré sur la figure d’un petit garçon portant un déguisement de fortune. Il est promené dans un village par une jeune femme et fait la quête, les yeux baissés sur la coupe qu’il tient. Un homme se penche pour lui donner une pièce, tandis que les villageois regardent la scène d’un air amusé.Plusieurs interprétations ont été proposées pour tenter de définir le sujet représenté. On a voulu y voir successivement une procession de la fête de la Pentecôte, une petite fille punie portant un bonnet d’âne et un petit idiot faisant la quête.

Le petit quêteur

「「リトル・クエスター」は、その場しのぎの変装をした小さな男の子の姿を中心とした絵画です。彼は若い女性に村に連れて行かれ、自分が持っている杯を見下ろしながら収集します。男がかがんでコインを渡す一方、村人たちはその光景を面白がった様子で見ている。表現された主題を定義するために、いくつかの解釈が提案されている。私たちは、ペンテコステの祝日の行列、劣等生の帽子をかぶった罰せられた少女、そして物を集める小さな愚か者を続けて見たかったのです。」(Google翻訳)

画面中央に赤ちゃんがいます。

赤ちゃんの手には花が握られていますが、これは「ペンテコステの花」ピンクスターブルーム( pinksterbloem )と説明あり。

La fleur (pinksterbloem, « fleur de mai » que tenait une fillette à la tête des processions chrétiennes) que tend le bébé assis sur la balustrade, et la proximité avec la composition de “La Reine de Mai” (Philadelphie, Museum of Art) rapprochent ce tableau de la thématique de la fête de la Pentecôte.Steen emploie ici un ton satirique : les expressions des villageois sont rieuses, voire moqueuses, le cerceau et le moulin tenus par les deux enfants sur la gauche du tableau sont des symboles d’une vie menée sans jugement, et la couronne du quêteur ressemble étrangement à un bonnet d’âne. Ce tableau peut se lire comme une critique sociale de la mendicité des petits orphelins promenés dans les rues lors de processions religieuses.Ce tableau trahit l’influence d’Adriaen van Ostade, et notamment de son « réalisme rustique ». L’insertion de couleurs vives et le regain d’intérêt pour son maître permettent de dater le tableau des années 1663-1665, lorsque Jan Steen se trouvait à Haarlem.

Le petit quêteur

「欄干に座る赤ん坊が手に持つ花(ピンクスターブルーム、キリスト教の行列の先頭にいる少女が持つ「五月の花」)と、「五月の女王」(フィラデルフィア美術館)の構図との近さは、この絵はペンテコステ祭のテーマに近いもので、スティーンはここで風刺的なトーンを使用しています。村人たちの表情は笑ったり、嘲笑したりさえしています。絵の左側にある二人の子供が持っている輪と風車は人生の象徴です。判断することなく導かれ、探索者の王冠は不思議なことに劣等生の帽子に似ています。この絵は、宗教行列の際に街路を行進する小さな孤児たちの物乞いに対する社会的批判として読むことができ、この絵はアドリアン・ファン・オスターデの影響、特に彼の「素朴な写実主義」を表しています。明るい色彩の挿入と主人への新たな関心により、ヤン・ステーンがハーレムにいた1663年から1665年にこの絵を描いたものであることがわかります。」(Google翻訳)

ここまで本書を読み進めると、「この絵に込められていることわざは」「ステーンは何を書きたかったのか」など、裏?を探ろうとするようになってきますねー。

第3章の最後では、この『小さな集金者』が挙げられています。

ステーンの作品は、つねにこうした善意と共感にあふれている。もしかりに、スキャンダラスなふしだらがあったにしても、それは日常のなかに不断に生起する、ささやかな逸脱にすぎない。その場面で、いつも語られているはずの人びとの言葉こそ、ステーンの画面の鍵であろう。かりにそのままの姿で再現されることはないにせよ、この会話や独白による物語が、一七世紀オランダの日常生活に確実に華やぎを与えただろう。一七世紀オランダの日常風俗は、こうしたさわやかな営みと一体となって作りあげられていった。ヤン・ステーン作品は、まさしくそれの正真正銘の証言図である。

樺山紘一(著). 2015-6-10. 『ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀』. 京都大学学術出版会. pp.145-146.

ことわざや風俗習慣を知らないと読み解くのは難しいですが、この時代の食器や服装に興味がある私としては観るだけでもじゅうぶん面白いです。

これらヤン・ステーンの絵が気になった方のなかには、「他の作品も見たい」とか、ことわざや教訓に惹かれ、調べてみようと思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そうだとしたらとても嬉しく、この本をご紹介した甲斐があるというものです。

フィラデルフィア美術館の「5月の女王」( The May Queen )

第5章から、メーリアンの植物画

マリア・ジビーラ・メーリアンの肖像 1679年 ヤコブ・マレル バーゼル美術館蔵
マリア・ジビーラ・メーリアンの肖像 1679年 ヤコブ・マレル バーゼル美術館蔵

引用元:マリア・ジビーラ・メーリアンの肖像

バーゼル美術館Bildnis der Maria Sibylla Merian, 1679

マリア・ジビーラ・メーリアンは1647年にフランクフルトで生まれ、1717年にアムステルダムで亡くなりました。

「自然科学的関心をいだいて新大陸に向かった最初の女性科学者」と本書に書かれているメーリアン。

1699年、52歳の時、娘のひとりを伴い、スリナムに渡ります。

 この現地体験はめざましいものであったろう。帰国にあたって、メーリアンは、剝製化した熱帯系の動物、つまりワニやヘビ、トカゲ類、さらに標本として処理された昆虫類、そして採取された植物、写生と観察知見を記したノートなど、厖大な成果をオランダにもちかえかえった。大柄の木箱二〇におよんだという。

樺山紘一(著). 2015-6-10. 『ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀』. 京都大学学術出版会. p.272.

(「もちかえかえった」となっていますが、…誤植?)

剥製や標本、ノートが詰まった大柄の木箱20個。これ、すっごい価値あるものですよね。 目にしたひと、学者さんなんかは大感激だったのでは?

また、17世紀の西洋人女性がスリナムに行くって、どんな感じだったんでしょうね。

ネットも写真も無い時代。どんなふうに情報を集め、渡航の準備を進めたんだろう。

きっと超絶わくわくしながら、新大陸に持って行く荷物をパッキングしたんだろうなと想像。

『イチジクと昆虫』(『スリナム産昆虫変態図譜』) マリア・ジビーラ・メーリアン
『イチジクと昆虫』(『スリナム産昆虫変態図譜』) マリア・ジビーラ・メーリアン

引用元:『イチジクと昆虫』

『ブドウと昆虫』(『スリナム産昆虫変態図譜』) マリア・ジビーラ・メーリアン
『ブドウと昆虫』(『スリナム産昆虫変態図譜』) マリア・ジビーラ・メーリアン

引用元:『ブドウと昆虫』

第6章から、ベラスケス『ブレダの開城』(1635年頃)

世に数多くあるであろう「ヨーロッパ17世紀を証言する絵画」。

そのひとつとして、著者の樺山氏はベラスケスの『ブレダの開城』を挙げておられます。

『ブレダの開城』は、1625年6月5日の出来事を描いた歴史画です。

『ブレダの開城』( Las lanzas o La rendición de Breda ) 1635年頃 ディエゴ・ベラスケス プラド美術館蔵
『ブレダの開城』( Las lanzas o La rendición de Breda ) 1635年頃 ディエゴ・ベラスケス プラド美術館蔵

引用元:『ブレダの開城』

プラド美術館Las lanzas o La rendición de Breda

画面中央、ブレダを防衛していたナッサウ伯が、包囲軍の司令官である将軍スピノラに、ブレダ城門の鍵を差し出そうとします。

その肩に手を置き、慈愛に満ちた笑みをたたえるスピノラ。

勝利者は馬から降りて敗軍の将に敬意を表しています。

本作品は、マドリッドのブエン・レティーロ離宮の「王国の間」を飾るために描かれました。

この絵にはベラスケスの自画像が描き込まれていると言われていますが、ベラスケス本人がこの場面に立ち会っていたわけではなかった?

誇らしげに天を衝くようなスペイン側の長槍、17世紀のこの時代にはどのように使われたのか。

その辺、ちょっと興味ありません?

いや、そもそもブレダ包囲戦て何? と思ったあなた。この章だけでも読んでみてくださいませ。 この戦いの背景についても理解しやすいと思います。

読むとこの絵が何故傑作、名画と呼ばれ、著者によって「ヨーロッパ17世紀を証言する絵」として挙げられたかわかります。

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