1700年代後半の傑作『かんぬき』と、対となる『羊飼いたちの礼拝』も掲載しました。展示風景が楽しめる動画もご紹介しています。
『かんぬき』( Le Verrou ) 1776年-1779年頃 ジャン・オノレ・フラゴナール
引用元:『かんぬき』
展示場所:マルモッタン・モネ美術館
闇の中に浮かび上がるふたりの男女。
つま先立ちをした男性の手がかんぬきにかかり、抱き寄せられた女性は腕のなかで激しく身をよじっています。
彼女の手はかんぬきには届きません。
女性の表情は心からの拒絶を表しているのでしょうか。
それとも、これは抗うフリ?
背徳感に酔っている恍惚の表情なのでしょうか。
引用元:『かんぬき』
机の上の林檎はアダムとイヴ、禁断の果実、原罪を連想させます。
椅子はひっくり返ったまま。足元の薔薇も花瓶から放り出されていますね。
非常に荒々しく暴力的、衝動的な状況に見えます。
そして男性性を象徴するとされるかんぬき。
机に転がる林檎は禁断の果実か。ひっくり返った椅子は投げ出された脚を、花瓶と薔薇は女性器、閂は男性器をさすともされ、激しい性的衝動を暗示している。この暴力的で背徳的な場面を光の明暗が劇的に浮かび上がらせている。
海野弘・平松洋(監修). 2014-5-23. 『性愛の西洋美術史 愛欲と官能のエロティック・アートの世界』. 洋泉社. p.68.
引用元:『かんぬき』
引用元:『かんぬき』
主人公の男女は画面の中央ではなく、右側に配置されています。
中央の闇のなかには赤いカーテンとベッドがあり、流線を描く女性の黄色いサテンのドレスの端は、そのベッドに載っていますね。
ここでも私たち鑑賞者は、女性とその奥のベッドに、導かれるように様々なストーリーを想像することができます。
主人公たちをあえて画面の中心から外し、差し込んだスポットライトによって強く照らされる箇所も、同様に画面の端へと置く。画面左側には、薄暗い中にただ赤いカーテンだけが大きめに配されている。構図や明暗の画面内でのバランスが大きく狂いかねないこのような処置をすることには勇気がいるが、「よく見るとセオリーから外れている」点こそ、フラゴナールの特質である。
池上英洋(著). 2014-11-10. 『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』. 筑摩書房. p.216.
さらに。
『マンガでわかるルーヴル美術館の見かた』(誠文堂新光社)では、「尖った枕の両端を乳房に、ベッドの角を膝に」見立てた場合の記述があり、そこでいわれているように、ベッドがまるで、なまめかしい “赤い布をまとった女性の裸体” にも見えてきます。
引用元:『かんぬき』
たっぷりとした布でできた天蓋付きのベッドのある部屋に、女中部屋にあるような安っぽいかんぬき。
『モナリザの秘密 絵画をめぐる25章』の中でダニエル・アラス氏は、ベッドの赤い布地のなかの黒い襞はこれから起こることを意味していると仰っています。
まるで膝のように見えるシーツと、それに触れあっている女性のドレスが同じ布地でできていることにも改めて注目です。
アラス氏が仰るところの、画家が「何でもないもの」のように描いたもの。
ぱっと観たとき、この絵の左半分には、小さい机、乱れたベッドなどの家具が描かれているだけです。
何でもないようなベッドの端が「女性の足の膝」、上方に向けて端が尖った枕は「乳房」、赤い布地の中の暗い部分が「陰部」であるとしたら、
そして左方に吊されている赤いビロードの大きな布地は、まったくシュールレアリズム絵画のようですが、ごく軽い二つの玉の上に乗っていて、赤いビロードの太い茎が上に向かっています。これが男根のメタファーであることは疑いようがありません。
ダニエル・アラス(著). 吉田典子(訳). 2007-3-15. 『モナリザの秘密 絵画をめぐる25章』. 白水社. pp.259-260.
画家がこれら「何でもない」ものに持たせた意味。
言葉にすると野暮になってしまいますが、フラゴナールが男女を中央に配せず、不思議なほど印象に残る寝所を画面の半分に描いた理由が浮かび上がってきます。
『かんぬき』に関する考察が大変興味深いです。ドラマティックな恋愛の場面がさらにエロティックなものに見えて来ます。
マンガと侮るなかれ。主要作品に関するいろんな知識が手に入ります。私にはちょっとイラストが多過ぎると感じるのですが、全体に解りやすいのでOK。
1770年代後半
1773年から1774年まで、フラゴナールは二度目のイタリア旅行をしています。
『かんぬき』はイタリアから帰国した後の作品です。
フラゴナールはロココ芸術を代表する画家のひとりですが、『かんぬき』を制作した1770年代後半は、新古典主義の波が大きくなってきた時代でした。
「ロココ最後の画家」フラゴナールも、新古典主義に適合した表現技法を用いています。
『かんぬき』の後の2作品 『箪笥(たんす)』と『契約』
『かんぬき』( Le Verrou ) 制作年不明
引用元:”Le Verrou”
『かんぬき』の後フラゴナールは続編ともいえるふたつの作品、『箪笥』(または『キャビネット』)、『契約』を弟子のジェラールと共同で発表しています。
『箪笥(たんす)』( The Armoire ) 1778年
引用元:”L’Armoire”
グラフィック・アーツ相談室で予約して閲覧可
若い娘の部屋の箪笥に隠れていた男を娘の両親が発見するという場面。
ルーヴル美術館にも収められています。元はエドモン・ド・ロートシルト男爵のコレクションとのこと。
『契約』( Le Contrat ) 制作年不明
引用元:”Le Contrat”
『かんぬき』『箪笥』に続く、男女が婚姻関係を結ぶ『契約』ですが、
スキャンダラスな関係を結婚で正そうという流れは、フラゴナールの本作への自己批判でもあります。18世紀末、革命期のフランス社会では、急激な保守化が起こりました。
有地京子(監修). 青い小鳥アート研究室(編). 2019-12-13. 『マンガでわかるルーヴル美術館の見かた』.誠文堂新光社. p.195.
美術界もロココの享楽的で奔放な気風から、新古典主義へと移っていきます。
その後フランス革命が勃発。社会における価値観が大きく変化します。
官能的なフラゴナールの絵画は「不謹慎」「淫ら」とされるようになり、長い間不当に低く評価されてきましたが、近年になり評価が高まってきています。
おススメの動画『 Au Louvre ! Le verrou de Fragonard 』
Musée du Louvre 様による動画です。間近で鑑賞している錯覚に陥るほどです( ̄▽ ̄)。
『かんぬき』と対となる『羊飼いたちの礼拝』
『羊飼いたちの礼拝』( L’Adoration des bergers ) 1775年頃 ジャン・オノレ・フラゴナール ルーヴル美術館蔵
引用元:『羊飼いたちの礼拝』
『かんぬき』には対となる絵があります。
それは、同じルーヴル美術館にある『羊飼いたちの礼拝』。
この二作品は「聖」と「俗」の対比であるといわれています。
「罪」と「贖罪」を表しているとすれば、『かんぬき』の自由恋愛、肉欲は、まさに「罪」なのでしょうか。
『かんぬき』と『羊飼いたちの礼拝』は、1773年に収集家のヴェリ侯爵( Louis-Gabriel Véri-Raionard, marquis de Véri, 1722年-1785年)によって注文されました。
ヴェリ侯爵の死後、両作品は売りに出されます。
ルーヴル美術館は1974年に『かんぬき』を購入。
『羊飼いたちの礼拝』は、1988年、所有者だったニューヨークのロベルト・ポロ( Roberto Polo ) 氏によってルーヴル美術館に寄贈されました。
引用元:『かんぬき』(額装) sailko CC-BY-3.0
引用元:『羊飼いたちの礼拝』(額装) Sailko CC-BY-3.0
こちらも必見!ルーヴル美術館にあるフラゴナールの作品
『奪われた肌着』( La Chemise enlevée ) 1770年頃 ジャン・オノレ・フラゴナール ルーヴル美術館蔵
引用元:『奪われた肌着』
『奪われた肌着』( La Chemise enlevée )
展示場所:シュリー翼、930展示室
『火の粉』( Le feu aux poudres ) 1778年以前 ジャン・オノレ・フラゴナール ルーヴル美術館蔵
引用元:『火の粉』
展示場所:ドゥノン翼、714展示室
まるで小窓から女性の肢体を覗き見しているような。
『好奇心』( Les Curieuses ) 1770年代 ジャン・オノレ・フラゴナール ルーヴル美術館蔵
引用元:『好奇心』
展示場所:シュリー翼、930展示室
覗き見してます?
『カリロエを救うためみずからを犠牲にする大司祭コレシュス』( Le grand prêtre Corésus se sacrifie pour sauver Callirhoé (Pausanias, VII, 21) ) 1765年 ジャン・オノレ・フラゴナール ルーヴル美術館蔵
引用元:『カリロエを救うためみずからを犠牲にする大司祭コレシュス』
イタリアから帰国後の1756年、この歴史画でフラゴナールはアカデミーの会員資格を得ました。
『霊感』( Portrait présumé de Louis-François Prault, dit autrefois : L’Inspiration ) 1769年 ジャン・オノレ・フラゴナール ルーヴル美術館蔵
引用元:『霊感』
若い詩人に降りてきたインスピレーション。
魅力的な作品です。
- 池上英洋(著). 2014-11-10. 『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』. 筑摩書房.
- ペン編集部(編). 2009-9-17. 『 pen BOOKS ルーヴル美術館へ。』. 阪急コミュニケーションズ.
- 有地京子(監修). 青い小鳥アート研究室(編). 2019-12-13. 『マンガでわかるルーヴル美術館の見かた』.誠文堂新光社.
- 大友義博(監修). 2014-10-12. TJMOOK 『一生に一度は見たい ルーヴル美術館BEST100』. 宝島社.
- ダニエル・アラス(著). 吉田典子(訳). 2007-3-15. 『モナリザの秘密 絵画をめぐる25章』. 白水社.
- 海野弘・平松洋(監修). 2014-5-23. 『性愛の西洋美術史 愛欲と官能のエロティック・アートの世界』. 洋泉社.
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