トルクァート・タッソの叙事詩『エルサレムの解放』の物語のひとつ、「リナルドとアルミーダ」。ドメニキーノのアルミーダはとても魅力的です。
『リナルドとアルミーダ』( Renaud présentant un miroir à Armide ) 1617年-1621年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
引用元:『リナルドとアルミーダ』
果実が実る豊かな庭園でくつろぐふたりの男女。
引用元:『リナルドとアルミーダ』
やや女性的な印象を受ける若者が差し出す鏡に自分を映し、身繕いをする女性。
若者に向けて愛の矢を射かけるキューピッド(アモル)に、
引用元:『リナルドとアルミーダ』
睦み合うキューピッドに鳩。ひとりのキューピッドは眠っているようです。
鳩は愛と美を司る女神のアトリビュート(持ち物)ですね。
引用元:『リナルドとアルミーダ』
ふたりを紐で結びつけているキューピッド。
引用元:『リナルドとアルミーダ』
画面左上には、ふたりの様子を覗き見るような兵士姿の男性がいます。
引用元:『リナルドとアルミーダ』
この「リナルドとアルミーダ」の着想は、16世紀に生きた詩人トルクァート・タッソの叙事詩『エルサレムの解放』(『解放されしエルサレム』)から取られています。
ドメニキーノによる本作品は1966年、1993年にも来日しており、その時の図録から一部引用します。
勇士ルノー(リナルド)は, アルミ―ド(アルミーダ)の恋の虜となり, 香わしく美しい庭の奥に身をひそめ, キリスト教徒が, ソリマン(ソリマーノ)に打ち破られているというときに彼女の腕の中にあって栄誉も何も忘れてしまう。しかしやがて気をとりもどしてエルサレムの城壁に戻り, この神の都を十字軍の手に奪還する働きをする。
ウインザーに残されている6点の準備のための素描から, ポープ・ヘネシーはこの作品を1610-1612年ごろ, つまり作者がまだカルラッチの影響下にあった時期のものとしている。
『フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展』(1966年). 東京国立博物館. p.98.
「カルラッチ」はドメニキーノの師匠であるアンニーバレ・カラッチ( Annibale Carracci, 1560年11月3日-1609年7月15日)です。
『リナルドとアルミーダ』( Renaud et Armide ) 1734年 フランソワ・ブーシェ ルーヴル美術館蔵
引用元:『リナルドとアルミーダ』
『リナルドとアルミーダ』( Renaud et Armide ) , INV 2720
展示場所:シュリー翼、919展示室
18世紀の画家フランソワ・ブーシェによる『リナルドとアルミーダ』です。
妖艶なアルミーダに鏡を向けるキューピッド。
愛を乞うようにアルミーダを見るリナルドは武具を身に着けており、彼が騎士であることがわかります。
至近距離でふたりの様子を覗く男たちもいますね。
ドメニキーノの「リナルド」
薔薇色の衣装を身に着けたリナルドは、一見勇壮な騎士っぽく見えません。
魔女アルミーダは、十字軍に参加した騎士リナルドを殺す筈でした。
しかし逆に恋に落ちてしまい、リナルドを自分の魔法の島に連れ帰ります。
リナルドはアルミーダの腕の中で、十字軍の騎士としての栄誉を忘れてしまいます。
そのリナルドのもとへ届けられた鏡。
愛が陥れた堕落を鏡に映しだすことは、リナルドを引き止めている魔力への対抗策であり、自尊心が沸き起こり、アルミーダが閉じ込めている快楽の世界から自らを引き離す力を与える。フランス語でル・ドミニカンと呼ばれるドメニコ・ザンビエーリ〔ドメニキーノ〕は、この〔リナルドが〕自分を取り戻す直前の瞬間を描いた。
『ルーヴル美術館展 愛を描く』(2023年). 国立新美術館./ルーヴル美術館/日本テレビ放送網. p.13.
愛の光景が繰り広げられている庭園の陰では、リナルドの仲間たちが、リナルドが自分の姿を鏡に映すのを待っています。
ここにいるリナルドは勇猛な十字軍の戦士ではありません。アルミーダの虜です。
ドメニキーノが描いたのは、本来の自分や自分の使命を思い出す直前の瞬間のリナルドです。
バラ色のチュニックを着たリナルドの肉体は恋人と同様に白く、顔立ちも優美で男性的な属性は全て失われ、いわんや十字軍の兵士としての属性である「男根を暗示する武具〔兜や剣〕は、布から突き出た剣の柄というあからさまなもの以外の全てをなくしている。
『ルーヴル美術館展 愛を描く』(2023年). 国立新美術館./ルーヴル美術館/日本テレビ放送網. p.14.
引用元:『リナルドとアルミーダ』
強い男でも無力化してしまう、女の愛の魔力か。
男性から見れば、女性とは男性を誘惑し、堕落へと落とす危険な存在なのか。
『アルミーダの庭のカルロとウバルド』( Charles et Ubalde dans le jardin d’Armide ) 1685年-1690年頃 ジュゼッペ・パッセリ ルーヴル美術館蔵
『アルミーダの庭のカルロとウバルド』( Charles et Ubalde dans le jardin d’Armide ) , RF 1997 23
展示場所:ドゥノン翼、721展示室
2023年の『ルーヴル美術館展 愛を描く』でドメニキーノの絵画とともに来日しています。
仲間の騎士リナルドをアルミーダの魔力から救うためにやってきたカルロとウバルド。
ふたりの女から食事に招かれ、誘惑されます。
髪をほどき、魅惑的な微笑みを浮かべる女。
カルロとウバルドは女たちのもとを立ち去るという場面です。
『カルロとウバルドの誘惑』( La tentation de Charles et Ubalde ) 1629年-1630年頃 ジョヴァンニ・ビリヴェルト ルーヴル美術館蔵
引用元:『カルロとウバルドの誘惑』
『カルロとウバルドの誘惑』( La tentation de Charles et Ubalde ) , RF 1986 65
展示場所:ドゥノン翼、729展示室
こちらもドメニキーノの作品と一緒に2023年に来日。
アルミーダからリナルドを救おうとするふたりを、女たちが誘惑します。
ドメニキーノ( Domenichino, 1581年10月21日―1641年4月6日)
ドメニキーノの肖像
引用元:ドメニキーノの肖像
ドメニコ・ザンピエーリ( Domenico Zampieri )は、イタリアのボローニャに生まれました。
小柄だったことから「小さいドメニコ」(ドメニキーノ)と呼ばれます。
ローマに出てきたドメニキーノは、アンニ―バレ・カラッチに師事。
ライバルにグイド・レーニがいます。
ドメニキーノ胸像( Le Dominiquin ) 大理石 1818年 ジュリー・シャルパンティエ ルーヴル美術館蔵
引用元:ドメニキーノ胸像 Jospe CC-BY-SA-3.0
ドメニキーノ胸像( Le Dominiquin ) , LL 227
展示場所:ドゥノン翼、715展示室
『狩りをする女神ディアナ』( La caccia di Diana ) 1617年 ドメニキーノ ボルケーゼ美術館(ローマ)
引用元:『狩りをする女神ディアナ』
私の好きな絵画のひとつ、ドメニキーノの傑作『狩りをするディアナ』です。
アルドブランディーニ枢機卿の依頼で制作されましたが、これに目をつけたシピオーネ・ボルケーゼ枢機卿に譲るよう迫られ、ドメニキーノは断ります。
すると、欲しいものを入手するのに手段を問わないシピオーネ・ボルケーゼ枢機卿は、ドメニキーノに「教皇の甥を侮辱した罪」を着せ、牢に放り込んでしまいました。
ドメニキーノは三日間閉じ込められたといわれています。
フェルディナンド1世・ゴンザーガ( Ferdinando Gonzaga, Duke of Mantua, 1587年-1626年)
引用元:フェルディナンド1世・ゴンザーガ
ルーベンスが描いた若き日のマントヴァ公フェルディナンド・ゴンザーガ。
『リナルドとアルミーダ』は1620年から1621年頃、マントヴァ公フェルディナンド・ゴンザーガのために描かれたようです。
ルネサンス期の美術コレクター、イザベラ・デステやその息子フェデリーコ2世・ゴンザーガの流れを汲むフェルディナンドもやはり美術収集には熱心でした。
なかなか複雑なヨーロッパの名家をまるっと解説
フェルディナンドの父ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ(1562年-1612年)も芸術や科学の庇護者でした。
父ヴィンチェンツォは、作曲家クラウディオ・モンテヴェルディ、画家ピーテル・パウル・ルーベンスを雇い入れ、詩人トルクァート・タッソ(『エルサレム解放』)とも友人でした。
ちなみに、ヴィンチェンツォの妻でフェルディナンドの母親であるエレオノーラ・デ・メディチはルーベンスの大作『マリー・ド・メディシスの生涯』で見ることができます。
エレオノーラは、実妹でフランス王アンリ4世妃となったマリー・ド・メディシス(マリア・デ・メディチ)の隣に立つ黒衣の女性です。
引用元:『マリー・ド・メディシスの生涯』
フェルディナンドが亡くなった時、マントヴァの経済状態はどん底でした。
ゴンザーガ・コレクションは売りに出されます。
1628年にはルーベンスの仲介で、英国王チャールズ1世が絵画や彫刻のコレクションをまとめ買いしています。
ドメニキーノの『リナルドとアルミーダ』は収集家の手を経て、1685年にルイ14世に売却されました。
引用元:『狩場のチャールズ1世』
『狩場のチャールズ1世』( Portrait de Charles 1er, roi d’Angleterre (1600-1649), à la chasse ) , INV 1236
展示場所:リシュリュー翼、853展示室
ルーヴル美術館にあるコレッジョの作品も元はゴンザーガ家のもので、持ち主はチャールズ1世、マザラン枢機卿、ルイ14世と変わりました。
『眠れるヴィーナスとキューピッド、サテュロス』( Vénus, Satyre et l’Amour endormi ) , INV 42
展示場所:ドゥノン翼、712展示室
ドメニキーノによる絵画
『羊飼いたちとエルミ二―』( Herminie chez les bergers ) 1622年-1625年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
引用元:『羊飼いたちとエルミ二―』
『リナルドとアルミーダ』と同じく、タッソの叙事詩『エルサレムの解放』から。
この作品は, タッソーの『解放されしエルサレム』の女主人公エルミ二―(エルミニア)が羊飼いたちの前に現れたところを主題としているが, 実際には作者の名声のもとになっていた山岳的風景画を描くための口実にすぎない。水も空も山も木も, すべては自然の永遠な構成元素という趣きを示し, 自然の偉大さや美しさに比していかに人間が小さいものであるかという当時のヨーロッパ絵画には目新しい感情がここに表されている。
『フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展』(1966年). 東京国立博物館. p.98.
収集家エバーハルト・ヤバッハ( Everhard Jabach, 1618年-1695年)を経て、1662年にルイ14世によって取得されました。
この作品も1966年に来日し、『フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展』図録に書かれた来歴によると、
本展に出品したドメニキーノの《ルノーとアルミード》の対幅としてトリアノンを飾るため1695年に大きく描き直された。
『フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展』(1966年). 東京国立博物館. p.98.
とあります。
『エジプトへの逃避』( Paysage avec la fuite en Égypte ) 1620年-1623年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
引用元:『エジプトへの逃避』
『エジプトへの逃避』( Paysage avec la fuite en Égypte ), INV 800
展示場所:ドゥノン翼、716展示室
1620年から1623年頃に描かれた、ルドヴィコ・ルドヴィシ枢機卿(1595年-1632年)のコレクションだったもの。
1688年にルイ14世が入手。
『ヘラクレスとカクスのいる風景』( Paysage avec Hercule tirant Cacus de sa caverne ) 1600年-1625年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
引用元:『ヘラクレスとカクスのいる風景』 Sailko CC-BY-SA-3.0
1621年から1622年頃に、ローマのルドヴィコ・ルドヴィシ枢機卿の別荘のために描かれたとのことです。
1669年-1672年頃ルイ14世のコレクションに加わりました。
タイトルは「洞窟からカクスを引っ張り出すヘラクレスのいる風景」で、ヘラクレスが悪漢カクスを捕まえている図です。
“ Paysage avec laveuses de linge ” 1600年-1625年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
引用元:Landscape with a Child Overturning Wine
“ Paysage avec laveuses de linge ” , INV 318
展示場所:ドゥノン翼、727展示室
ルーブル美術館のサイトにある作品名は “ Paysage avec laveuses de linge ”、「洗濯風景」ですかね。
Wikipedia では「 Landscape with a Child Overturning Wine 」(ワインをひっくり返す子供のいる風景)となっています。
美術館のタイトルの方が正しいよな、と思いつつ、また資料等見つけたら追記します。
この絵画も収集家ヤバッハから1671年にルイ14世に売却されたとのことです。
『聖母子と聖ヨハネ(「沈黙」または「カラッチの沈黙」)』( La Vierge et l’Enfant Jésus avec saint Jean, dit aussi Le Silence, ou encore Le Silence du Carrache ) 1605年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
引用元:『聖母子と聖ヨハネ(「沈黙」または「カラッチの沈黙」)』 Sailko CC-BY-SA-3.0
解説欄に、「英国ロイヤルコレクションのハンプトンコート宮殿に収蔵されているアンニーバレ・カラッチの絵画に若干の変更を加えて、1605年頃に描かれた複製」とあります。
この作品もルイ14世に購入され、1797年までルーヴルに移されるまでヴェルサイユ宮殿に在りました。
参考として、ドメニキーノの師カラッチの絵も掲載しました。
『聖母子と聖フランチェスコ』( La Vierge à l’Enfant avec saint François (ou saint Antoine de Padoue ) 1621年-1625年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
引用元:『聖母子と聖フランチェスコ』
1625年、アンリ4世妃マリー・ド・メディシスに献上された作品。
ルイ14世のコレクション。
『聖セシリアと楽譜を持った天使』( Sainte Cécile avec un ange tenant une partition musicale ) 1600年-1625年頃 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
引用元:『聖セシリアと楽譜を持った天使』
元ルドヴィシ枢機卿のコレクション。
1662年にルイ14世のコレクションに加わったようです。
『アレクサンダー大王を前にしたティモクレア』( Timoclée captive amenée devant Alexandre ) 1610年代 ドメニキーノ ルーヴル美術館蔵
『アレクサンダー大王を前にしたティモクレア』( Timoclée captive amenée devant Alexandre ); INV 796
展示場所:ドゥノン翼、716展示室
1685年にルイ14世が取得しています。
『隠者のいる風景』( Paysage avec un ermite ), INV 211
ヤバッハから1671年にルイ14世に売却。
展示場所:ドゥノン翼、716展示室
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