ロココの画家ブーシェとシャルダンの絵画を堪能

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    シュリー翼921展示室ではブーシェ、シャルダンなど、ロココ絵画の傑作が展示されています。

    『褐色のオダリスク』( L’Odalisque Brune ) 1745年 フランソワ・ブーシェ ルーヴル美術館蔵
    『褐色のオダリスク』 1745年 フランソワ・ブーシェ

    展示室変更、貸し出し・修復中などで展示されていない場合もあります。美術館のサイトをご確認ください。

    目次

    フランソワ・ブーシェ( François Boucher, 1703年9月29日 – 1770年5月30日)

    『褐色のオダリスク』 1745年

    L’Odalisque , RF 2140

    『褐色のオダリスク』( L’Odalisque Brune ) 1745年 フランソワ・ブーシェ ルーヴル美術館蔵
    『褐色のオダリスク』 1745年 フランソワ・ブーシェ

    引用元:『褐色のオダリスク』

    「褐色」はモデルの髪色から。「金髪の」オダリスクの絵もあります。

    オダリスクとは後宮に住む女性のことで、香炉などの小物で東洋っぽさを演出。

    モデルについては諸説あり、画家の妻説もよく言われます。

    可愛らしい顔立ちと、豊かなお尻がとっても魅力的ですね。

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    フランソワ・ブーシェの『オダリスク』のモデル

    『昼食(朝食)』 1739年

    Le déjeuner , RF 926

    『昼食(朝食)』( Le Dejeuner ) 高さ 0.815 m 幅 0.655 m 1739年 フランソワ・ブーシェ ルーヴル美術館蔵
    『昼食(朝食)』 1739年 フランソワ・ブーシェ

    引用元:『昼食(朝食)』

    この絵はブーシェの家族を描いたものではないかと言われています。

    母親が子供に与えようとしているのはホットチョコレートと思われます。

    後ろの棚にはやはり東洋風の小物が置かれています。曲線が特徴的なロココ様式の家具にも目が行きますね。

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    家族の食事風景・フランソワ・ブーシェの『昼食(朝食)』( Le Dejeuner )

    『三美神』 1765年

    Les trois Grâces supportant l’ Amour., MI 1023

    『三美神』( Les trois Grâces supportant l’ Amour ) 1765年 フランソワ・ブーシェ ルーヴル美術館蔵
    『三美神』 1765年

    引用元:『三美神』

    アムールを抱える三美神。

    「ルーブル美術館展 愛を描く」(2023年)で来日。

    シュリー翼921展示室

    Les Forges de Vulcain , MI 1025

    『ウルカヌスの鍛冶場』を主題としたスケッチ。

    シュリー翼921展示室

    Le Déjeuner de chasse, esquisse. , RF 2013 5

    『狩りの食事』のスケッチ(1733)。

    フランソワ・ブーシェ(1703年9月29日-1770年5月30日)の肖像 1741年 グスタフ・ルンドベリ ルーヴル美術館蔵
    フランソワ・ブーシェの肖像 1741年 グスタフ・ルンドベリ

    引用元:フランソワ・ブーシェの肖像

    グラフィックアーツ部門( Département des Arts graphiques )

    ロココ絵画を代表する画家のひとり、フランソワ・ブーシェ。

    ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人に庇護され、大変多くの作品を制作しました。

    タペストリーやセーヴル磁器のための下絵も描いています。

    フランソワ・ブーシェによるタペストリーの下絵『ウェルトゥムヌスとポモナ』

    『ポンパドゥール夫人の肖像』はシュリー翼614展示室

    ルーヴル美術館にある『ポンパドゥール侯爵夫人』の肖像(ブーシェ作)

    『ディアナの水浴』『リナルドとアルミーダ』はシュリー翼919展示室

    森の中で休憩中『ディアナの水浴』(ブーシェ作)

    ドメニキーノの『リナルドとアルミーダ』

    『ウェルトゥムヌスとポモナ』『アイネイアスのために造った武器をウェヌスへ贈るウルカヌス』はシュリー翼927展示室

    フランソワ・ブーシェによるタペストリーの下絵『ウェルトゥムヌスとポモナ』

    『ポンパドゥール夫人』『ディアナの水浴』『エウロペの誘拐』など、ルーヴル美術館内のブーシェ作品をリストにしてみました。

    ジャン・シメオン・シャルダン( Jean-Baptiste Siméon Chardin, 1699年11月2日 – 1779年12月6日)

    ※展示室変更、貸し出し・修復中などで展示されていない場合もあります。美術館のサイトをご確認ください。

    『買い物帰りの女中』 1739年

    La Pourvoyeuse , MI 720

    『買い物帰りの女中』 1739年 ジャン・シメオン・シャルダン
    『買い物帰りの女中』 1739年 ジャン・シメオン・シャルダン

    引用元:『買い物帰りの女中』

    日常のひとコマを描いたフランスの画家、シャルダンの作品です。

    買い物から帰ってきて、重い荷物を下ろす女性。抱えている大きな物体はパン。

    奥では別の女中が居り、何やら誰かの話を聞いているふう?

    文化史ファンの私としては、女性の靴とか皿とか、パンなどに目が行っちゃいますねー。

    この絵は掲載していませんが、hanna and books ではこのような記事も投稿しています

    『パンの文化史』で学ぶパン食の歴史

    カナダ国立美術館には、同じ構図の1738年ヴァージョンがあります。

    『食前の祈り』 1740年

    Le Bénédicité , INV 3202 ; MR 1325

    『食前の祈り』 1740年 ジャン・シメオン・シャルダン
    『食前の祈り』 1740年 ジャン・シメオン・シャルダン

    引用元:『食前の祈り』

    お姉ちゃんの表情が好きです。

    食卓の様子、家具…市民の日常がとても気になります。

    手を合わせる子どもは女の子に見えますが、太鼓などの小道具から男の子だと判ります。

    この頃は男の子も女の子と同じ服装をしていました。

    下の絵は現在ランス別館に展示中。 展示会の履歴を見ると、過去に数回来日しています。

    『食前の祈り』 1740年 ジャン・シメオン・シャルダン
    『食前の祈り』 1740年頃 ジャン・シメオン・シャルダン

    引用元:『食前の祈り』

    2025年4月現在ランス別館に展示Le Bénédicité , MI 1031

    『働き者の母』 1740年

    La Mère laborieuse., INV 3201 ; MR 1324

    『働き者の母』 1740年 ジャン・シメオン・シャルダン
    『働き者の母』 1740年 ジャン・シメオン・シャルダン

    引用元:『働き者の母』

    家事や手仕事に勤しむお母さんを見て育つ娘は、きっとお母さんみたいに堅実な母親になるんだろうなあ、と想像。

    『ラ・セリネット(鳥風琴)』 1751年

    La Serinette, dit aussi Dame variant ses amusements., RF 1985 10

    『『ラ・セリネット(鳥風琴)』 1751年 ジャン・シメオン・シャルダン
    『ラ・セリネット(鳥風琴)』 1751年 ジャン・シメオン・シャルダン

    引用元:『ラ・セリネット(鳥風琴)』

    籠の中のカナリアに曲を覚えさせるため、手風琴を回す女性。

    美術館のサイトによると、この作品は、ポンパドゥール夫人の実弟アベル=フランソワ・ポワソン・ド・ヴァンディエール(マリニー侯爵)が所有。

    1781年に侯爵が亡くなったあと売却されています。

    1751年、ポンパドゥール夫人の後見人(実父の可能性も有るといわれる)ノルマン・ド・トゥルネーム( Charles François Paul Le Normant de Tournehem )が、国王ルイ15世の筆頭画家 シャルル=アントワーヌ・コワペル( Charles-Antoine Coypel )を通じてシャルダンに依頼したようです。

    ジャン・シメオン・シャルダン自画像 1771年 ルーヴル美術館蔵
    ジャン・シメオン・シャルダン自画像 1771年

    引用元:ジャン・シメオン・シャルダン

    グラフィックアーツ部門( Département des Arts graphiques )

    lAutoportrait aux besicles., INV 25206, Recto

    シャルダンは1699年にパリで生まれました。

    1718年から歴史画家カーズ( Pierre-Jacques Cazes )の工房に入り、画家としてのキャリアをスタートさせます。

    後にノエル=二コラ・コワペル( Noël-Nicolas Coypel )に師事。 ノエル=二コラ・コワペルは、前述のシャルル=アントワーヌ・コワペルの叔父にあたる画家です。

    このノエル=二コラ・コワペルによる助言がシャルダンに影響を与え、静物画へ向かうきっかけとなった、と聞いたことがありますが、出典が思い出せません。書籍等見つかりましたらまた追記します。

    市民の日常生活の一瞬を切り取った風俗画、静物画で傑作を残したシャルダン。

    晩年は不幸な出来事が続きましたが、ポンパドゥール夫人の弟であるヴァンディエール侯爵はシャルダンを高く評価していました。

    ロココ絵画の最後を飾る画家フラゴナールはブーシェに師事する前、一時期シャルダンに師事しています

    フラゴナール 『ベッドで犬と遊ぶ少女(ラ・ジャンブレット)』『かんぬき』

    シャルダンの『赤エイ』、『ブリオッシュ』は同じシュリー翼で観ることができます。

    『ブリオッシュ』は hanna_and_art’s blog で掲載しています。

    名画と歴史の中のブリオッシュ

    その他

    ジャン=バティスト・ウードリー( Jean-Baptiste Oudry, 1686年3月17日 – 1755年4月30日)

    『静物画(ウサギ、アヒル、瓶、パン、チーズ)』 1742年

    Nature morte (lièvre, canard, bouteilles, pain et fromage), RF 1989 26

    『静物画(ウサギ、アヒル、瓶、パン、チーズ) 1742年 ジャン=バティスト・ウードリー
    『静物画(ウサギ、アヒル、瓶、パン、チーズ)』 1742年 ジャン=バティスト・ウードリー

    引用元:『静物画(ウサギ、アヒル、瓶、パン、チーズ)』

    画家・画商ジャック・ウードリーの息子で、1724年にルイ15世の宮廷画家になりました。

    ボーヴェのタピスリー製造の美術監督に就任後、1733年からパリのタピスリー製造を監督しています。

    ジャン=エティエンヌ・リオタール( Jean-Étienne Liotard, 1702年12月22日 – 1789年6月12日)

    『トルコの衣装を着たレヴェット氏とエレーヌ・グラヴァーニ嬢』 1740年頃

    Monsieur Levett et Mademoiselle Hélène Glavani en costume turc, RF 1995 14

    『トルコの衣装を着たレヴェット氏とエレーヌ・グラヴァーニ嬢』 1740年頃 ジャン=エティエンヌ・リオタール
    『トルコの衣装を着たレヴェット氏とエレーヌ・グラヴァーニ嬢』 1740年頃 ジャン=エティエンヌ・リオタール

    引用元:『トルコの衣装を着たレヴェット氏とエレーヌ・グラヴァーニ嬢』

    スイス出身の画家。エキゾチックな衣装、冷たくリアルな感じが魅力的。

    晩年は、シャルダンの影響を受け、静物画も手掛けました。

    リオタールはマリア・テレジア、マリー・アントワネットの肖像画も描いています

    ヴィジェ=ルブランによる1778年のマリー・アントワネットの肖像画

    『静物・お茶のセルヴィス』、有名な『チョコレートを運ぶ娘』を掲載

    『一杯のチョコレート』を楽しむパンティエーヴル公の家族と「9月虐殺」

    ジャン・バルボー( Jean Barbault, 1718年8月1日 – 1762年5月28日)

    『ギリシャのスルタン』 1748年

    Sultane grecque., RF 1971 17

    『ギリシャのスルタン』 1648年 ジャン・バルボー
    『ギリシャのスルタン』 1748年 ジャン・バルボー

    引用元:『ギリシャのスルタン』

    フランスの画家・版画家であるジャン・バルボーは1747年頃からローマに渡り、彫刻の仕事をしています。

    ローマのフランス・アカデミーには1750年頃に入学(Wikipedia)。

    1762年にローマで亡くなっています。

    1748年、ローマで行われたカーニバルに、フランス・アカデミーの芸術家たちも参加していました。

    アカデミーの会長だったド・トロワに依頼され、「「スルタンの王」をテーマに開催した仮面舞踏会の記憶を保存するために」(ルーヴル美術館: Sultane grecque20点の作品が制作されています。

    本作と『神殿の司祭』は、その20点のうちのふたつ。

    バルボー自身もスルタンの将校の扮装をしたそうです。

    『神殿の司祭』 1748年

    Prêtre de la Loi., RF 1971 16

    『神殿の司祭』 1748年 ジャン・バルボー
    『神殿の司祭』 1748年 ジャン・バルボー

    引用元:『神殿の司祭』

    ピエール・シュブレイラス( Pierre Subleyras, 1699年11月25日 – 1749年5月28日)

    『恋するクルティザンヌ』 1735年

    La Courtisane amoureuse , RF 1985 80

    『恋するクルティザンヌ』 1735年 ピエール・シュブレイラス
    『恋するクルティザンヌ』 1735年 ピエール・シュブレイラス

    引用元:『恋するクルティザンヌ』

    クルティザンヌは高級娼婦のこと。

    ピエール・シュブレイラスはフランスの画家ですが、ローマで活動しました。教皇ベネディクト14世の肖像画がよく知られています。

    ここに掲載しているシュプレイラスの三作品は、フランスの詩人フォンテーヌの寓話から取られたもの。

    邦題はGoogle翻訳を参考に私が付けています。もし既出のものがありましたら修正しますのでお教え知らせくださると有り難いです。よろしくお願いします。

    『隠者、あるいはルース兄弟 (ラ・フォンテーヌの寓話)』 1732年

    L’Ermite, ou Frère Luce (La Fontaine, Contes) , INV 8011 ; MR 2491

    『隠者、あるいはルース兄弟 (ラ・フォンテーヌ、『物語』)』 1732年 ピエール・シュブレイラス
    『隠者、あるいはルース兄弟 (ラ・フォンテーヌの寓話』 1732年 ピエール・シュブレイラス

    引用元:『隠者、あるいはルース兄弟』 CC-BY-SA-4.0 

    『ファルコン (ラ・フォンテーヌの寓話)』 1725年から1750年の間 ピエール・シュブレイラス

    Le Faucon (La Fontaine, Contes) , INV 8010 ; B 982

    『ファルコン (ラ・フォンテーヌ、テイルズ)』 1725年から1750年の間 ピエール・シュブレイラス
    『ファルコン (ラ・フォンテーヌの寓話)』 1725年から1750年の間 ピエール・シュブレイラス

    引用元:『ファルコン』 CC-BY-SA-4.0

    ジャン=フランソワ・ド・トロワ( Jean François de Troy, 1679年1月27日 – 1752年1月26日)

    『牡蠣の昼食(スケッチ)』 1735年

    Le Déjeuner d’huîtres. Esquisse. , RF 2011 55

    下はコンデ美術館の『牡蠣の昼食』。

    『牡蠣の昼食』( Le Déjeuner d’huîtres ) 1735年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ コンデ美術館蔵
    『牡蠣の昼食』( Le Déjeuner d’huîtres ) 1735年 ジャン=フランソワ・ド・トロワ コンデ美術館蔵

    引用元:『牡蠣の昼食』

    『牡蠣の昼食』はフランス王ルイ15世の注文で描かれ、かつてはヴェルサイユ宮殿内の食堂に飾られていました

    ルイ15世の食堂を飾った、ジャン=フランソワ・ド・トロワの『牡蠣の昼食』

    ド・トロワの『狩りの昼食』はシュリー翼にあります

    優雅な屋外の食事風景『狩の食事』(ド・トロワ作)

    ジャン=フランソワ・ド・トロワはフランスの画家で、ローマのフランス・アカデミーの会長を務めました。

    シュリー翼921展示室

    Dames de Malte se faisant visite. , INV 4376 ; MR 1679

    アントワーヌ・ド・ファヴレイ『互いに訪問するマルタの女性たち』。ファヴレイはド・トロワについてローマに移って来た弟子のひとり。

    シュリー翼921展示室

    L’Olympe. Esquisse de plafond , INV 6718 ; MR 1980

    「王の筆頭画家」フランソワ・ルモワーヌの『オリンポス(天井スケッチ)』。ルモワーヌはブーシェやナトワールの師。

    シュリー翼921展示室

    Fête orientale. , RF 2339

    ジャン=バティスト・イレール( Jean-Baptiste Hilaire )『東洋の祭り』

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