フォンテーヌブロー派による、ヴィーナスの優雅な化粧風景です。
『化粧するヴィーナス』( Vénus à sa toilette ) 1525年から1550年の間 フォンテーヌブロー派の画家
引用元:『化粧するヴィーナス』 pixelsniper CC-BY-2.0 Flickr images reviewed by FlickreviewR 2
リシュリュー翼823展示室 , RF 658 Vénus à sa toilette
湯浴みの場面。鏡を見ているのは、美の女神ヴィーナスです。
息子クピドが壺を捧げ持ち、身繕いを手伝っているのか、女性がひとり足元にいます。
ヴィーナスの体付きについて、『禁断の西洋官能美術史』(宝島社)では、
胸は丸く引き締まり、ウエストが細いヴィーナスの体型は、北方ルネサンスで描かれた爬虫類のような体形とも、イタリアルネサンスの豊満な体型とも異なっている。
池上英洋(監修). 池上英洋、川口清香、荒井咲紀(著). 2013-2-12. 『禁断の西洋官能美術史』. 宝島社. p70.
と形容。
不思議なお色気ですよね。グラマラス!なダイナマイトボディではないのに、なんか印象に残るというか。
当時の理想体型は、バストは小ぶりで丸く、引き締まって硬い。ウエストは締まっていて細い。
このヴィーナスの体型は条件にしっかり合致しているようです。(参考:『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』 筑摩書房)
『ルーヴル美術館200年展』(1993年)の図録によると、この作品はピカルディ地方の名家マイイ伯爵家のコレクションでした。
1891年、絵を所有していたコレクターで、ルーヴル友の会創設者のひとりジュール・マシエ( Jules Maciet )の篤志によってルーヴル入りしています。
鏡はヴィーナスの持ち物(アトリビュート)のひとつですが、『名画を読み解くアトリビュート』(淡交社)には、「ヴィーナスは、ニンフたちの贈り物である銀の鏡を持っていたという。」とあります。
これが銀製かは判りませんが、女神の所持品にふさわしい装飾が施されています。
引用元:『化粧するヴィーナス』 pixelsniper CC-BY-2.0 Flickr images reviewed by FlickreviewR 2
引用元:『化粧するヴィーナス』 pixelsniper CC-BY-2.0 Flickr images reviewed by FlickreviewR 2
引用元:『化粧するヴィーナス』 pixelsniper CC-BY-2.0 Flickr images reviewed by FlickreviewR 2
この絵を見たとき単純に、ヴィーナスの足元にいるのは「身繕いを手伝う侍女」と思いました。
1993年に来日した時の図録に、このような記述があります。
この作品の主題は正確には明らかにされていない。しかしながら、単に小間使いと息子を伴っただけであるにせよ、跪いたプシュケの前でキューピッドの手からプロセルピーナの美の入った壺を受け取るところであるにせよ、ヴィーナス(ウェヌス)の化粧の場面であることは確かである。
横浜美術館、日本経済新聞社(編).『ルーヴル美術館200年展』(1993年). p.158.
突然、神話のヒロイン「プシュケ」の名が出て来たように見えますが、この引用の前に、作品に使われているモチーフの由来のひとつに、「ラファエロの作品に基づいて版画にされた《プシュケの物語》」が挙げられています。
壺、プシュケ、ラファエロといえばこれかな、と思うのがこちら。
引用元:Psyche Offering Venus the Water of Styx
, INV 3875, Recto(※グラフィック・アーツ相談室で予約して閲覧可) Psyché présentant à Vénus l’eau du Styx ou Psyché présentant à Vénus le cadeau de Proserpine
差し出された壺に、驚きのあまり両手を挙げるヴィーナス。
ラファエロの素描は、ローマのヴィラ・ファルネジーナの、プシュケの間のためのもので、18世紀の収集家ピエール・クロザのコレクションでした。
「プシュケの物語」では、姿を消した最愛の夫クピドを探すプシュケに、夫の母であるヴィーナスが試練を与えます。
ヴィーナスによる「黄泉(よみ)の川ステュクスの水を汲んで来るように」「冥界の王妃ペルセフォネの美の秘密を分けて貰うように」との課題が、ルーヴル美術館が収蔵している素描のタイトルになっています。
Psyché présentant à Vénus l’eau du Styx ou Psyché présentant à Vénus le cadeau de Proserpine
「プシュケがヴィーナスにステュクスの水を贈る、またはプシュケがヴィーナスにプロセルピナの贈り物を贈る」(Google翻訳)
はっきり言って、どの試練も命がけ。
プシュケが失敗することを予想していたヴィーナスは、差し出された「黄泉の川ステュクスの水」または「冥界のプロセルピナの美容の素」にものすごーく驚いてしまったのです。
主題だけでなく、『化粧するヴィーナス』が、いつ、誰によって描かれたのかははっきりしません。
しかし、同時代の画家たちが用いた構図から、制作年代を1527年、ローマ略奪事件以前の「この都市で入念に形成されたマニエリスムの文化から生まれた作品」と考えられるそうです。
フォンテーヌブロー派( École de Fontainebleau )
遠征したイタリアで、すっかりルネサンス文化に魅せられてしまったフランソワ1世。
フランソワ1世はフォンテーヌブローに城を建設し、イタリアの芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチを招聘します。
引用元:フランソワ1世
リシュリュー翼822展示室 , INV 3256 ; B 1964 François 1er (1494-1547), roi de France.
ロッソ・フィオレンティーノ、プリマティッチョ、ニッコロ・デッラバーテらイタリア人芸術家をフォンテーヌブローに招き、絵画や彫刻の制作に当たらせました。
引用元:ピエタ
ドゥノン翼712展示室 , INV 594 ; MR 463 Pietà
引用元:『ナイル川から救われるモーセ』
ドゥノン翼712展示室 , RF 3937 Moïse sauvé des eaux
フォンテーヌブロー宮を舞台に活躍した画家たちを総称して「フォンテーヌブロー派」と呼びますが、個人名が伝わっていない画家も多くいます。
引用元:『狩りの女神ディアナ』
父ジャン・クルーエと共にフランス宮廷で活躍したフランソワ・クルーエ。
フランソワ1世の次の王アンリ2世の寵姫、ディアーヌ・ド・ポワチエの姿も描いています。
引用元:『湯浴みする女性』
この頃ヴィーナスよりも狩猟の女神ディアナの主題が好まれたのは、愛妾ディアーヌの存在が大きかったようです。
こちらは歴史上の人物、ポッパエアを描いた作品。
引用元:ポッパエア・サビナ
16世紀終わり、アンリ4世の時代には、「第二次」フォンテーヌブロー派が生まれます。
入浴するアンリ4世の寵姫ガブリエル・デストレを描いた作品も登場します。
リシュリュー翼824展示室 , RF 1937 1 Gabrielle d’Estrées et une de ses soeurs
ディアーヌ・ド・ポワチエは美しいバストの持ち主で、胸を強調し見せびらかすようなドレスを着ていたと言われます。
そうした流行?のせいか、フォンテーヌブロー派の絵画では、胸をはだけた姿の女性が多く見られます。
また、高貴な身分の女性が入浴する場面は非常に好まれた主題でした。
緞帳に囲まれた秘密の場所、貴婦人の私的空間を覗き見ている気になりますよね。
フォンテーヌブロー派の絵画には、裸体の女性がしばしば登場しているが、そこには当時の名高い貴婦人の面影が刻まれていたといわれる。
横浜美術館、日本経済新聞社(編).『ルーヴル美術館200年展』(1993年). p.158.
美貌で名高い国王たちの愛人。画家たちの理想の美を体現する存在だったのでしょう。
その衣装の下も見てみたかったのかも、と過ってしまいましたが、いや、決してそんな考えではない、筈。たぶん。
ちなみに、アンリ4世の治世の頃の入浴事情について、『ペストの文化誌』に書かれています。
ご興味ありましたらどうぞ。
『ペストの文化誌』はこちらの記事で掲載しています。
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