画家ヴァン・ダイクの名が付いたレースとヒゲ(ヴァンダイク・ブラウンの項に追記しました)

女王クレオパトラが蛇に噛ませたのは胸?腕?

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クレオパトラは自らの胸を毒ヘビに噛ませて自殺したと言われますが、彼女の腕には小さな刺し傷が二か所残っていたそうです。

『クレオパトラと農夫』 1838年  ウジェーヌ・ドラクロワ ノースカロライナ大学オークランド・アート・ミュージアム
『クレオパトラと農夫』 1838年  ウジェーヌ・ドラクロワ ノースカロライナ大学オークランド・アート・ミュージアム

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目次

19世紀フランス・ロマン派の画家ドラクロワの「シェイクスピア愛」

『クレオパトラと農夫』( Cleopatra and the Peasant ) 1838年  ウジェーヌ・ドラクロワ

『クレオパトラと農夫』 1838年  ウジェーヌ・ドラクロワ ノースカロライナ大学オークランド・アート・ミュージアム
『クレオパトラと農夫』 1838年  ウジェーヌ・ドラクロワ ノースカロライナ大学オークランド・アート・ミュージアム

引用元:『クレオパトラと農夫

興味深そうに、農夫の持つカゴの中を凝視するクレオパトラ。

中に入っているのは…もう想像がつきますよね。

フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ ( Ferdinand Victor Eugène Delacroix, 1798年4月26日-1863年8月13日)

ロマン派を代表する画家ウジェーヌ・ドラクロワは、シェイクスピアの作品である『オセロ』『マクベス』を絶賛し、特に『ハムレット』を好みました。

1821年にフランスでシェイクスピアの優良な翻訳が出版され、イギリスの名優たちが戯曲の登場人物を演じて大いに人気となったことも、フランスにおけるシェイクスピアへの関心を高めた原因のひとつです。

 ロマン派の切なる想い, その熱情, 恐怖, 激しい情念, 自然を鑑る深い眼差しの全てに応えうる対象として, シェイクスピアは崇拝された。それは, キーツ, バイロン, シェリー, そしてワーズワースがこぞって賞賛し, ラム姉弟の『シェイクスピア物語(1807)が人気を博し, コールリッジとハズリットによるシェイクスピアの作品研究が大きな影響力をもった時代であった。

ジョン・クリスチャン. 4.ロマン主義運動.p.79. 『西洋絵画のなかのシェイクスピア展』(1992-93). 主催:東京新聞.

『ハムレット、ホレイショーと墓掘り人』( Hamlet and Horatio in the Graveyard ) 1839年 ウジェーヌ・ドラクロワ

『ハムレット、ホレイショーと墓掘り人』 1839年 ドラクロワ ルーヴル美術館蔵
『ハムレット、ホレイショーと墓掘り人』 1839年 ドラクロワ ルーヴル美術館蔵

引用元:『ハムレット、ホレイショーと墓掘り人』

『オフィーリアの死』( The death of Ophelia ) 1853年 ウジェーヌ・ドラクロワ

『オフィーリアの死』 1853年 ウジェーヌ・ドラクロワ ルーヴル美術館蔵
『オフィーリアの死』 1853年 ウジェーヌ・ドラクロワ ルーヴル美術館蔵

引用元:『オフィーリアの死』

画家テオドール・ジェリコー( Théodore Géricault, 1791年9月26日-1824年1月26日)

ドラクロワは、同時代のフランスの画家であり友人のテオドール・ジェリコーから少なくない影響を受けています。

『メデューズ号の筏』などで知られるジェリコーは、 1820年から1822年にかけてイギリスに滞在しました。

その際、ジェイムズ・ノースコットの絵画『ロンドン塔の王子殺害』を模写しています。(参考:「西洋絵画のなかのシェイクスピア展」(1992-93))

『リチャードⅢ世』の一場面を描いたノースコットの作品は他にも1805年版があり、1805年版(リチャード・ハーナー氏蔵)は1992年に来日しています。

ここには1786年のロイヤル・アカデミーに出展されたものを載せました。

『ロンドン塔の王子殺害』 ジェイムズ・ノースコット 1786年
『ロンドン塔の王子殺害』 ジェイムズ・ノースコット 1786年

引用元:『ロンドン塔の王子殺害』( Murder of the Princes in the Tower ) 1786年

さて、当時のイギリスに、 「炎のごとき激情的な演技」の、エドマンド・キーン(1787年-1833年)という俳優がいました。

友人のジェリコーを追って渡英したドラクロワですが、

彼を追ってロンドンに着いたドラクロワは1825年, キーンの舞台の虜となった。ドラクロワのシェイクスピア熱は絵画にとどまらず, 様々な言及をちりばめた日記にも窺うことができる。彼はこの劇作家を無批判に受け入れたわけではない。ときに退屈で粗暴であると批評したこともある。だがやはり, その犯しがたい天才を認めてホメロス, ミケランジェロ, ベートーヴェンと同列に並べたのである。

ジョン・クリスチャン. 4.ロマン主義運動.p.80. 『西洋絵画のなかのシェイクスピア展』(1992-93). 主催:東京新聞.

19世紀の絵画に描かれたクレオパトラ

紀元前の古代エジプトに実在した女王クレオパトラは、男を破滅に導く「宿命の女」(ファム・ファタル)のひとりとして19世紀の絵画に頻繁に登場します。

シェイクスピアの戯曲からヒントを得たり、自分自身の想像であったり、画家たちは自分のクレオパトラ像を描き出しました。

『クレオパトラとカエサル』( Cleopatra and Caesar ) 1886年 ジャン=レオン・ジェローム

ジャン=レオン・ジェローム( Jean-Léon Gérôme, 1824年5月11日-1904年1月10日)

『クレオパトラとカエサル』 1886年 ジャン=レオン・ジェローム 個人蔵
『クレオパトラとカエサル』 1886年 ジャン=レオン・ジェローム 個人蔵

引用元:『クレオパトラとカエサル』

紀元前48年、政敵ポンペイウス追討のため、カエサル(シーザー)はエジプトのアレクサンドリアにやってきました。

彼を自らの後ろ盾にして政治の実権を握りたいと考えたクレオパトラは、厳重な警備をくぐり、カエサルに会おうとします。

フランスの画家ジャン=レオン・ジェロームは、カエサルへの貢ぎ物として運び込まれた絨毯(または寝具袋、寝袋)から姿を現したクレオパトラを描いています。

『アントニーとクレオパトラの出会い』  1883年 ローレンス・アルマ=タデマ

ローレンス・アルマ=タデマ( Lawrence Alma-Tadema, 1836年1月8日-1912年6月25日)

『アントニーとクレオパトラの出会い』  1883年 ローレンス・アルマ=タデマ 個人蔵
『アントニーとクレオパトラの出会い』  1883年 ローレンス・アルマ=タデマ 個人蔵

引用元:『アントニーとクレオパトラの出会い』

イギリスの画家ローレンス・アルマ=タデマは、カエサル暗殺後、カエサル派のリーダーとなったアントニウス(アントニー)を魅了するクレオパトラを描きました。

 彼女はこのとき28歳の女盛り。エジプトの未来を決するこの機に女としての魅力の一切を賭けようと決意しました。紀元前41年夏のある日、キュドノス河下流の町に愛の女神ヴィナスが黄金の舟で河を逆上ってくるという噂が流れ、人々が川辺に集まってきました。

やがて人々の視界にあらわれたのは、華麗この上ない船団でした。女王を乗せた船は豪華な装飾をほどこし、男たちが楽隊の音にあわせ銀色のオールをこぎ、女王自身は金刺繍のある天蓋の下に横たわり、薄布を着た美女の一団が優雅な仕種で女王に風を送っています。

(『世界悪女大全』 桐生操(著) 文春文庫 P119)

 黄金の船の中から笛の音とともに妙なる香りに包まれて、神秘のベールに包まれた女神アフロディテのような姿で現れ、アントニウスを最上の豪華さと優雅な宴でもてなした。彼はすっかりエジプト王になったような気分に酔わされてしまう。

(『世界の歴史ミステリー27の真実』 森実与子(著) 新人物文庫 P180)

クレオパトラは通訳無しで数か国語を話し、機知に富んだ頭のいい女性だったと言われています。

相手の意表をつき、自分の魅力を最大限に活かすこの出逢いの演出の上手さには感心するばかりです。

『死刑囚に毒を試すクレオパトラ』 1887年 アレクサンドル・カバネル

『死刑囚に毒を試すクレオパトラ』 1887年 アレクサンドル・カバネル アントワープ王立美術館蔵
『死刑囚に毒を試すクレオパトラ』 1887年 アレクサンドル・カバネル アントワープ王立美術館蔵

引用元:『死刑囚に毒を試すクレオパトラ』

クレオパトラは死を覚悟してかさまざまな毒薬を集めたという。カバネルの作品は、そんなクレパトラをイメージして描かれたとされる。集めた毒薬を死刑囚に試飲させ、苦しみが最も少ないものを選んだと伝わっている。

(『怖くて美しい世界の名画』 綜合図書 P59)

囚人の死に様を冷静な目で眺める、または観察するクレオパトラ。

特に記述されていなくても、「こんな場面ありそう」と思ってしまいますね。

『クレオパトラ』 1888年 J.W.ウォーターハウス

『クレオパトラ』 1888年 J.W.ウォーターハウス 個人蔵 
『クレオパトラ』 1888年 J.W.ウォーターハウス 個人蔵

引用元:『クレオパトラ』

この絵は挿絵入りの週刊誌『グラフィック』の特集「シェイクスピアのヒロインたちのギャラリー」のために描かれたものです。

本作品には、戯曲『アントニーとクレオパトラ』からの引用文が添えられていました。(参考:『ウォーターハウス 夢幻絵画館』 東京美術)

『クレオパトラの死』 1874年 ジャン=アンドレ・リクセン

『クレオパトラの死』 1874年 ジャン=アンドレ・リクセン
『クレオパトラの死』 1874年 ジャン=アンドレ・リクセン オーギュスタン美術館蔵

引用元:『クレオパトラの死』

19世紀の東洋趣味が色濃く反映されたクレオパトラ像。

ふたりの侍女、イスラスとカルミオンとともに自害した光景は、古代ローマの著述家プルタルコスの「イスラスは足許で死に、……カルミオンは女王の冠を整えていた」〔『英雄伝』より〕という描写を再現している。

(『怖くて美しい世界の名画』 綜合図書 P59)

シェイクスピアの戯曲『アントニーとクレオパトラ』から

クレオパトラと共に遊興に耽るアントニウス(アントニー)。

義弟でもあるオクタウィアヌス(オクテヴィアス)との仲は険悪となります。

オクタウィアヌス軍との戦いで、形勢不利とみたクレオパトラはアントニウスを置いて、ひとり戦線離脱してしまいます。
クレオパトラが死んだという情報を信じたアントニウスは絶望し、自らの腹に剣を突き立てました。

しかし、次に彼の元に届いたのは、訃報は誤りであり、「クレオパトラは生きている」というものでした。
瀕死の状態でクレオパトラが立てこもる霊廟に辿り着いたアントニウスは、彼女の腕の中で息絶えます。

捕虜としてオクタウィアヌスの手に落ちたクレオパトラ。

彼を篭絡することに失敗した彼女は、自らの運命を悟り、死を決意しました。

アントニウスの供養と言う口実で宮殿に戻ったクレオパトラは、人生最後の豪華な食事を取ると、オクタウィアヌスに宛てて手紙を書きました。
「自分をアントニウスと一緒に葬って欲しい」

手紙を読んだオクタウィアヌスが駆け付けますが、既に彼女は毒蛇に自らの胸を咬ませ、自害していたのです。

胸ではなく腕

オクタウィアヌスが彼女の自室に入った時、美しく着飾った彼女は黄金の寝台に横たわっていたと言います。

彼女の忠実な召使いであるイラスはその足元に倒れており、髪結いのカルミオンが最後の力を振り絞り、女主人の冠を整えていました。

最後の仕事を終えた彼女もその場に倒れ、動かなくなります。

室内には争った跡も無く、血も流れていませんでした。

エジプトコブラの噛み跡、もしくは毒針を刺した跡を思わせる二つの浅い刺し傷が片方の腕にあった、との話が伝わっている。しかし、体には服毒の症状である斑点は一つもなく、部屋のなかで蛇は一匹も見つからなかった。

(『王妃たちの最後の日々 上』  原書房 P33)

オクタウィアヌスは解毒剤を与えるなどしましたが既に遅く、クレオパトラは絶命しました。

享年39歳でした。

紀元前1552年頃に書かれた『エーベルス・パピルス』には阿片、ヒヨスなどの記載がありました。

生前のクレオパトラも毒には強い関心を持っていたそうです。

当時のエジプトでは毒薬の取引がさかんだった。鳥兜(とりかぶと)、菲沃斯(ひよす)、毒人参(どくにんじん)といった毒草は簡単に手に入る。クレオパトラの腕には、小さな刺し傷が二か所残っていた。蛇に咬まれたのではない。毒薬をつけたヘアピンで刺したのである。

(『偉人は死ぬのも楽じゃない』 河出書房新社  P29 )

『毒と薬の世界史』(中公新書)では、「熟睡した人間のように早く安らかな死を与える」例としてコブラを挙げておられます。

 たとえば、その自害について現在知られている最も古い記録であるギリシャの思想家・伝記作家プルタルコス(四六頃-一二〇頃)によれば、クレオパトラはコブラ科のアスプ(エジプトコブラ)に腕を咬ませたということになっている。しかし、自害に使ったのはクサリヘビ科の毒ヘビであるという説や、咬ませた部位についての記述は、腕ではなく、乳房を咬ませたとなっているものもある。さらに、クレオパトラは、かんざしに仕込んでいたヘビの毒で自害したという説もある(松井壽一 『薬の文化誌』)。

船山信次(著). 2008-11-25. 『毒と薬の世界史 ソクラテス、錬金術、ドーピング』. 中公新書房新社. pp.12.-13.

クレオパトラは種々の毒を調べ、熟睡した人間のように早く安らかな死を与える(今でいう神経毒作用を示す毒を持つ)エジプトコブラを見いだしたという。一方のクサリヘビ科の毒ヘビの毒は咬まれた部位に強い出血作用を持ち、ひどい出血のみならず、皮膚のただれや壊死えしも惹き起こす。現在知られているヘビの毒には、大まかに、これらの神経毒作用と出血毒作用の二種類がある。

船山信次(著). 2008-11-25. 『毒と薬の世界史 ソクラテス、錬金術、ドーピング』. 中公新書房新社. pp.13.-14.

『クレオパトラの死』 1658年 グイド・カニャッチ

『クレオパトラの死』 1658年 グイド・カニャッチ 美術史美術館蔵
『クレオパトラの死』 1658年 グイド・カニャッチ 美術史美術館蔵

引用元:『クレオパトラの死』

17世紀の画家カニャッチの絵では蛇は胸ではなく、「伝承」通りに腕に絡みついています。

胸(乳房)を蛇に噛ませて死ぬほうが腕より劇的と言えますが、わざわざ生きているコブラをイチジクの籠に入れて調達する手間を思うと、予め簪などに仕込んでおいた毒を使用したという説のほうが納得できる気がします。

主な参考文献
  • 『西洋絵画のなかのシェイクスピア展』(1992-93). 主催:東京新聞.
  • 『世界悪女大全』 桐生操(著) 文春文庫
  • 『世界の歴史ミステリー27の真実』 森実与子(著) 新人物文庫
  • 『怖くて美しい世界の名画』 綜合図書
  • 川端康雄(監修・著). 加藤明子(著). 2015-3-31. 『ウォーターハウス 夢幻絵画館』. 東京美術.
  • 『王妃たちの最後の日々 上』 原書房
  • 『偉人は死ぬのも楽じゃない』 河出書房新社
  • 船山信次(著). 2008-11-25. 『毒と薬の世界史 ソクラテス、錬金術、ドーピング』. 中公新書房新社.
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コメント

コメント一覧 (6件)

  • しゅん様
    いつもコメントを寄せてくださって有難うございます。遅くなって申し訳ありません。
    ずっと「自分しか面白くないブログ」でしたので、勉強になると仰っていただくと本当に恐縮ですが光栄です。
    毒にも薬にもならないけれど、知らないでいるより楽しいと思っていただけたら大変嬉しいです。
    またよろしくお願い致します。

  • こんばんはー。
    恥ずかしながら、クレオパトラの最期がこんな
    だったとは知りませんでした。
    今回も勉強になりました。
    有難うございます。(^-^)/

  • 今では「クレオパトラってそんなに美人じゃなかった」と言われますが、絵の中のクレオパトラは皆美人ですよね(笑)。
    話に描かれていない場面を絵にした画家たちの想像力もスゴイなと改めて思います。それぞれ自分なりのクレオパトラ像があったんですね。
    今回もコメント下さり、有難うございました。

  • 人によって、こんなに表情といい、構図といい変わるものなんですね。
    結構一般的なイメージに近いクレオパトラもいれば、そうでない感じの作品もある。
    人間の捉え方って千差万別なんだなって感じました。ある意味面白いですね。

  • パンダさん
    コメント、本当に有難うございました。
    あれもこれも盛り込みたい誘惑を抑え、更に量を省き、読んでくださる方に伝わるようにしているつもりですが、省き過ぎてわかりにくくなっていないかなと思います。(不足しているところなどはいずれ別の記事で補うつもりですが、いつになるか…)
    パンダさんにそう仰っていただけて、とても嬉しいです。ブログを始めて良かったと思いました。
    パンダさんも今年一年お疲れ様でした。
    来年もどうぞよろしくお願い致します。

  • ハンナさん、私は本当に知らないことが多いです。クレオパトラってこういう人生だったんですねΣ(‘◉⌓◉’)それにしても、お噂通り美しい方ですね。
    絵画と歴史のお話の2つで、歴史音痴の私も学べます。ハンナさん、知らないことを学ばせていただき、ありがとうございます。
    あっという間に新年を迎えそうですが、風邪などひかれませんように。良いお年をお迎えください。

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