クレオパトラは自らの胸を毒ヘビに噛ませて自殺したと言われますが、彼女の腕には小さな刺し傷が二か所残っていたそうです。

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クレオパトラ

引用元:クレオパトラ7世頭部像 Louis le Grand
女王クレオパトラ7世は、様々な毒の種類を調べ、その効果を試していたと言われています。
クレオパトラは種々の毒を調べ、熟睡した人間のように早く安らかな死を与える(今でいう神経毒作用を示す毒を持つ)エジプトコブラを見いだしたという。一方のクサリヘビ科の毒ヘビの毒は咬まれた部位に強い出血作用を持ち、ひどい出血のみならず、皮膚の爛れや壊死も惹き起こす。現在知られているヘビの毒には、大まかに、これらの神経毒作用と出血毒作用の二種類がある。
船山信次(著). 2008-11-25. 『毒と薬の世界史 ソクラテス、錬金術、ドーピング』. 中公新書房新社. pp.13.-14.
熟睡した人間のように早く安らかな死を与える(今でいう神経毒作用を示す毒を持つ)エジプトコブラを見いだしたという。一方のクサリヘビ科の毒ヘビの毒は咬まれた部位に強い出血作用を持ち、ひどい出血のみならず、皮膚の爛ただれや壊死えしも惹き起こす。現在知られているヘビの毒には、大まかに、これらの神経毒作用と出血毒作用の二種類がある。
描かれた女王クレオパトラ
19世紀のファム・ファタル
紀元前の古代エジプトに実在した女王クレオパトラは、男を破滅に導く「宿命の女」(ファム・ファタル)のひとりとして19世紀の絵画に頻繁に登場します。
シェイクスピアの戯曲からヒントを得たり、自分自身の想像・理想であったり、画家たちは自分のクレオパトラ像を描き出しました。
『クレオパトラと農夫』( Cleopatra and the Peasant ) 1838年 ウジェーヌ・ドラクロワ ノースカロライナ大学オークランド・アート・ミュージアム

引用元:『クレオパトラと農夫
興味深そうに、農夫の持つカゴの中を凝視するクレオパトラ。
中に入っているのは…もう想像がつきますよね。
ロマン派を代表する画家ウジェーヌ・ドラクロワ(フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ ( Ferdinand Victor Eugène Delacroix, 1798年4月26日-1863年8月13日))。
ドラクロワはシェイクスピアの作品の虜となり、特に『ハムレット』を好みました。
『死刑囚に毒を試すクレオパトラ』( Cléopatre essayant des poisons sur des condamnés à mort ) 1887年 アレクサンドル・カバネル アントワープ王立美術館蔵

引用元:『死刑囚に毒を試すクレオパトラ』
フランスの画家、アレクサンドル・カバネル( Alexandre Cabanel, 1823年9月28日-1889年1月23日)によるクレオパトラ。
色味は鮮やかなのに、お題がコワい。
クレオパトラは死を覚悟してかさまざまな毒薬を集めたという。カバネルの作品は、そんなクレパトラをイメージして描かれたとされる。集めた毒薬を死刑囚に試飲させ、苦しみが最も少ないものを選んだと伝わっている。
『怖くて美しい世界の名画』 綜合図書 p.59.
囚人の死に様を冷静な目で観察するクレオパトラ。
「ほんとにこんな場面あったんじゃないかな」と思ってしまいます。
『クレオパトラとカエサル』( Cleopatra and Caesar ) 1886年 ジャン=レオン・ジェローム

引用元:『クレオパトラとカエサル』
紀元前48年、政敵ポンペイウス追討のため、カエサル(シーザー)はエジプトのアレクサンドリアにやってきました。
彼を自らの後ろ盾にして政治の実権を握りたいと考えたクレオパトラは、厳重な警備をくぐり、カエサルに会おうとします。
フランスの画家ジャン=レオン・ジェロームは、カエサルへの貢ぎ物として運び込まれた絨毯(または寝具袋、寝袋)から姿を現したクレオパトラを描いています。
「東洋」を描いたフランスの画家、ジャン=レオン・ジェローム( Jean-Léon Gérôme, 1824年5月11日-1904年1月10日)の作品です。
『アントニーとクレオパトラの出会い』( The Meeting of Antony and Cleopatra: 41 BC ) 1883年 ローレンス・アルマ=タデマ

サザビーズの解説はこちらです。
イギリス、ヴィクトリア朝時代に活躍した画家ローレンス・アルマ=タデマ( Lawrence Alma-Tadema, 1836年1月8日-1912年6月25日)。
アルマ=タデマは、カエサル暗殺後カエサル派のリーダーとなったアントニウス(アントニー)を魅了するクレオパトラを描きました。
女王を表わすヒエログラフも正確に書かれているそうです。
桐生操氏の『世界悪女大全』から飲用させていただきます。
彼女はこのとき28歳の女盛り。エジプトの未来を決するこの機に女としての魅力の一切を賭けようと決意しました。紀元前41年夏のある日、キュドノス河下流の町に愛の女神ヴィナスが黄金の舟で河を逆上ってくるという噂が流れ、人々が川辺に集まってきました。
やがて人々の視界にあらわれたのは、華麗この上ない船団でした。女王を乗せた船は豪華な装飾をほどこし、男たちが楽隊の音にあわせ銀色のオールをこぎ、女王自身は金刺繍のある天蓋の下に横たわり、薄布を着た美女の一団が優雅な仕種で女王に風を送っています。
『世界悪女大全』 桐生操(著) 文春文庫 p.119.
視覚、聴覚、嗅覚などを効果的に使って意中の男性を篭絡。
クレオパトラは通訳無しで数か国語を話し、機知に富んだ頭のいい女性だったと言われています。
カエサルの元を訪れた時のことと言い、相手の意表をつき、自分の魅力を最大限に活かす演出の上手さには感心するばかりです。(いつか真似してみよう)
『世界の歴史ミステリー27の真実』にもこのように描写されています。
黄金の船の中から笛の音とともに妙なる香りに包まれて、神秘のベールに包まれた女神アフロディテのような姿で現れ、アントニウスを最上の豪華さと優雅な宴でもてなした。彼はすっかりエジプト王になったような気分に酔わされてしまう。
『世界の歴史ミステリー27の真実』 森実与子(著) 新人物文庫 p.180.
黄金の船に豪華で優雅な宴会。素晴らし過ぎます。
『クレオパトラの死』( La Mort de Cléopâtre ) 1874年 ジャン=アンドレ・リクセン オーギュスタン美術館蔵

引用元:『クレオパトラの死』
女王の足もとで息絶えている女性。
もうひとりは先に逝った女主人の冠を整えている…という場面。
19世紀の東洋趣味が色濃く反映されたクレオパトラ像。
ふたりの侍女、イスラスとカルミオンとともに自害した光景は、古代ローマの著述家プルタルコスの「イスラスは足許で死に、……カルミオンは女王の冠を整えていた」〔『英雄伝』より〕という描写を再現している。
『怖くて美しい世界の名画』 綜合図書 p.59.
ジャン=アンドレ・リクセン( Jean-André Rixens, 1846年11月30日-1925年2月21日)はフランスの画家。パリの国立高等美術学校で学んだ後、ジャン=レオン・ジェロームのもとでも学びました
『クレオパトラ』( Cleopatra ) 1888年 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス

引用元:『クレオパトラ』
英国で活躍した画家、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス( John William Waterhouse, 1849年4月6日 – 1917年2月10日)。
この絵は挿絵入りの週刊誌『グラフィック』の特集「シェイクスピアのヒロインたちのギャラリー」のために描かれたものです。
本作品には、戯曲『アントニーとクレオパトラ』からの引用文が添えられていました。(参考:『ウォーターハウス 夢幻絵画館』 東京美術)
クレオパトラ( Cleopatra ) 1887年 ギュスターヴ・モロー

引用元:クレオパトラ
幻想的な雰囲気の絵画。衣裳が大変個性的です。
フランスの画家ギュスターヴ・モロー( Gustave Moreau, 1826年4月6日 – 1898年4月18日)は象徴主義の画家のひとりです。
シェイクスピアの戯曲『アントニーとクレオパトラ』から
クレオパトラと共に遊興に耽るアントニウス(アントニー)。
義弟でもあるオクタウィアヌス(オクテヴィアス)との仲は険悪となります。
オクタウィアヌス軍との戦いで、形勢不利とみたクレオパトラはアントニウスを置いて、ひとり戦線離脱してしまいます。
クレオパトラが死んだという情報を信じたアントニウスは絶望し、自らの腹に剣を突き立てました。
しかし、次に彼の元に届いたのは、訃報は誤りであり、「クレオパトラは生きている」というものでした。
瀕死の状態でクレオパトラが立てこもる霊廟に辿り着いたアントニウスは、彼女の腕の中で息絶えます。
捕虜としてオクタウィアヌスの手に落ちたクレオパトラ。
彼を篭絡することに失敗した彼女は、自らの運命を悟り、死を決意しました。
アントニウスの供養と言う口実で宮殿に戻ったクレオパトラは、人生最後の豪華な食事を取ると、オクタウィアヌスに宛てて手紙を書きました。
「自分をアントニウスと一緒に葬って欲しい」
手紙を読んだオクタウィアヌスが駆け付けますが、既に彼女は毒蛇に自らの胸を咬ませ、自害していたのです。
胸ではなく腕
オクタウィアヌスが彼女の自室に入った時、美しく着飾った彼女は黄金の寝台に横たわっていたと言います。
彼女の忠実な召使いであるイラスはその足元に倒れており、髪結いのカルミオンが最後の力を振り絞り、女主人の冠を整えていました。
最後の仕事を終えた彼女もその場に倒れ、動かなくなります。
室内には争った跡も無く、血も流れていませんでした。
エジプトコブラの噛み跡、もしくは毒針を刺した跡を思わせる二つの浅い刺し傷が片方の腕にあった、との話が伝わっている。しかし、体には服毒の症状である斑点は一つもなく、部屋のなかで蛇は一匹も見つからなかった。
(『王妃たちの最後の日々 上』 原書房 P33)
オクタウィアヌスは解毒剤を与えるなどしましたが既に遅く、クレオパトラは絶命しました。
享年39歳でした。
紀元前1552年頃に書かれた『エーベルス・パピルス』には阿片、ヒヨスなどの記載がありました。
生前のクレオパトラも毒には強い関心を持っていたそうです。
当時のエジプトでは毒薬の取引がさかんだった。鳥兜(とりかぶと)、菲沃斯(ひよす)、毒人参(どくにんじん)といった毒草は簡単に手に入る。クレオパトラの腕には、小さな刺し傷が二か所残っていた。蛇に咬まれたのではない。毒薬をつけたヘアピンで刺したのである。
(『偉人は死ぬのも楽じゃない』 河出書房新社 P29 )
『毒と薬の世界史』(中公新書)では、「熟睡した人間のように早く安らかな死を与える」例としてコブラを挙げておられます。
たとえば、その自害について現在知られている最も古い記録であるギリシャの思想家・伝記作家プルタルコス(四六頃-一二〇頃)によれば、クレオパトラはコブラ科のアスプ(エジプトコブラ)に腕を咬ませたということになっている。しかし、自害に使ったのはクサリヘビ科の毒ヘビであるという説や、咬ませた部位についての記述は、腕ではなく、乳房を咬ませたとなっているものもある。さらに、クレオパトラは、簪に仕込んでいたヘビの毒で自害したという説もある(松井壽一 『薬の文化誌』)。
船山信次(著). 2008-11-25. 『毒と薬の世界史 ソクラテス、錬金術、ドーピング』. 中公新書房新社. pp.12.-13.
クレオパトラは種々の毒を調べ、熟睡した人間のように早く安らかな死を与える(今でいう神経毒作用を示す毒を持つ)エジプトコブラを見いだしたという。一方のクサリヘビ科の毒ヘビの毒は咬まれた部位に強い出血作用を持ち、ひどい出血のみならず、皮膚の爛れや壊死も惹き起こす。現在知られているヘビの毒には、大まかに、これらの神経毒作用と出血毒作用の二種類がある。
船山信次(著). 2008-11-25. 『毒と薬の世界史 ソクラテス、錬金術、ドーピング』. 中公新書房新社. pp.13.-14.
『クレオパトラの死』 1658年 グイド・カニャッチ

引用元:『クレオパトラの死』
17世紀の画家カニャッチの絵では蛇は胸ではなく、「伝承」通りに腕に絡みついています。
胸(乳房)を蛇に噛ませて死ぬほうが腕より劇的と言えますが、わざわざ生きているコブラをイチジクの籠に入れて調達する手間を思うと、予め簪などに仕込んでおいた毒を使用したという説のほうが納得できる気がします。
- 『西洋絵画のなかのシェイクスピア展』(1992-93). 主催:東京新聞.
- 『世界悪女大全』 桐生操(著) 文春文庫
- 『世界の歴史ミステリー27の真実』 森実与子(著) 新人物文庫
- 『怖くて美しい世界の名画』 綜合図書
- 川端康雄(監修・著). 加藤明子(著). 2015-3-31. 『ウォーターハウス 夢幻絵画館』. 東京美術.
- 『王妃たちの最後の日々 上』 原書房
- 『偉人は死ぬのも楽じゃない』 河出書房新社
- 船山信次(著). 2008-11-25. 『毒と薬の世界史 ソクラテス、錬金術、ドーピング』. 中公新書房新社.
コメント
コメント一覧 (6件)
しゅん様
いつもコメントを寄せてくださって有難うございます。遅くなって申し訳ありません。
ずっと「自分しか面白くないブログ」でしたので、勉強になると仰っていただくと本当に恐縮ですが光栄です。
毒にも薬にもならないけれど、知らないでいるより楽しいと思っていただけたら大変嬉しいです。
またよろしくお願い致します。
こんばんはー。
恥ずかしながら、クレオパトラの最期がこんな
だったとは知りませんでした。
今回も勉強になりました。
有難うございます。(^-^)/
今では「クレオパトラってそんなに美人じゃなかった」と言われますが、絵の中のクレオパトラは皆美人ですよね(笑)。
話に描かれていない場面を絵にした画家たちの想像力もスゴイなと改めて思います。それぞれ自分なりのクレオパトラ像があったんですね。
今回もコメント下さり、有難うございました。
人によって、こんなに表情といい、構図といい変わるものなんですね。
結構一般的なイメージに近いクレオパトラもいれば、そうでない感じの作品もある。
人間の捉え方って千差万別なんだなって感じました。ある意味面白いですね。
パンダさん
コメント、本当に有難うございました。
あれもこれも盛り込みたい誘惑を抑え、更に量を省き、読んでくださる方に伝わるようにしているつもりですが、省き過ぎてわかりにくくなっていないかなと思います。(不足しているところなどはいずれ別の記事で補うつもりですが、いつになるか…)
パンダさんにそう仰っていただけて、とても嬉しいです。ブログを始めて良かったと思いました。
パンダさんも今年一年お疲れ様でした。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
ハンナさん、私は本当に知らないことが多いです。クレオパトラってこういう人生だったんですねΣ(‘◉⌓◉’)それにしても、お噂通り美しい方ですね。
絵画と歴史のお話の2つで、歴史音痴の私も学べます。ハンナさん、知らないことを学ばせていただき、ありがとうございます。
あっという間に新年を迎えそうですが、風邪などひかれませんように。良いお年をお迎えください。