画家ヴァン・ダイクの名が付いたレースとヒゲ(ヴァンダイク・ブラウンの項に追記しました)

メリュジーヌ伝説と『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の3月

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中世フランス王の弟で、「金持ちおじさん」であるベリー公ジャン1世がランブール兄弟に作らせた、『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の3月の図。

塔の上には何かが飛んでいます。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(3月) コンデ美術館蔵
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(3月) コンデ美術館蔵

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目次

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(3月)

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(3月) コンデ美術館蔵
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(3月) コンデ美術館蔵

引用元:『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(3月)

ベリー公ジャン( Jean de Berry, 1340年11月30日-1416年3月15日)

ベリー公ジャン1世(1340年11月30日-1416年3月15日) コンデ美術館蔵
ベリー公ジャン1世(1340年11月30日-1416年3月15日) コンデ美術館蔵

引用元:ベリー公ジャン

フランス王ジャン2世の三男で、兄はフランス王シャルル5世です。

『フランスをつくった王 シャルル七世年代記』 悠書館

豪華な生活をして税金ばかり取るなど、ジャン1世は同時代人からも「悪評サクサク」と、『フランスをつくった王 シャルル七世年代記』(悠書館)でも言われています。

フランス国王シャルル7世はジャンヌ・ダルクとも関係が深い人物です。

本書に掲載されている絵画もカラーで見やすく、著者の解説もわかりやすいです。(この手の本はソコが大事です)

ジャンヌ・ダルクに興味がある方、特にジャンヌ・ダルクに関する分厚い書籍を読破した方にお勧めしたい。

シャルル7世を、彼の時代を、また別の側面から眺めることができると思います。

(画像をクリックすると Amazonのサイトに移動します。)

『フランスをつくった王 シャルル七世年代記』

時祷書とは

聖職者ではない世俗のキリスト教徒の個人的な礼拝用に作られた祈祷書です。一日の定められた時刻に唱えるべきお祈りの言葉を集め、その内容に合わせてしばしば豪華な挿絵や装飾がほどこされました。通常は一年の月毎にキリスト教の聖人の祝祭日を表した暦で始まり、そこには各月の行事と星座の十二宮を示す挿絵が描かれます。

神林恒道・新関伸也(編著).2011-12-20.『西洋美術101鑑賞ガイドブック』.三元社. p.37.

しかし、この『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』を依頼したジャンは1416年3月に死去。

同じ年にランブール兄弟も亡くなってしまいます。

それにより制作は一時中断しますが、他の画家によって時祷書は1400年代後半に完成します。

ドイツのヨハネス・グーテンベルクが1445年に活版印刷技術を発明するまで、書物はすべて手書きでした。

これは22㎝×13.5㎝とそんなに大きくない物ですから、細かい装飾等、1枚分を仕上げるのにも大変な労力が要ったことでしょう。

持ち主のひとり マルグリット・ドートリッシュ

マルグリット・ドートリッシュ(1480年1月10日ー1530年12月1日) 1518年 ベルナールト・ファン・オルレイ ブルー美術館蔵
マルグリット・ドートリッシュ(1480年1月10日ー1530年12月1日) 1518年 ベルナールト・ファン・オルレイ ブルー美術館蔵

引用元:マルグリット・ドートリッシュ

その後の所有者は様々に変わり、16世紀初頭には、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の娘、サヴォイア公妃であり、ネーデルラント17州の総督でもあるマルグリット・ドートリッシュが所有していたこともありました。

関連記事:ネーデルラント17州総督マルグリット・ドートリッシュ(前)

関連記事:ネーデルラント17州総督マルグリット・ドートリッシュ(後)~1529年「貴婦人の和約」締結

『3月』の図柄

さて、この『3月』に描かれた農村風景ですが、「?」となる箇所があります。

まず、農民の服装が綺麗過ぎる。

確かに。

これはこの時代のリアルな農民の姿ではありません。

お金持ちなジャンが思い描く、ある意味「理想的な」農民の姿なのです。

更に、塔の上をご覧ください。

塔の上(『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(3月) コンデ美術館蔵)
塔の上(『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(3月) コンデ美術館蔵)

引用元:塔の右上の拡大部分

何か飛んでいます。竜です。

描かれているのは、リュジニャン 城(Lusignan)という実在の城です。
1375年、ベリー公ジャンはこの城を占拠していたイングランドに大金を払って獲得。

早速城の改築に乗り出しました。

( 城は1574年に砲撃を受け、破壊されました。)

『フランスをつくった王 シャルル七世年代記』によると、 

その郊外に、畑を耕す農夫や、ブドウ畑の剪定をするブドウ作り、羊を放牧する牧夫などを配して平和を演出した。

樋口淳(著). 2011-3-31. 『フランスをつくった王 シャルル七世年代記』. 悠書館. p.71.

ジャンが特にこだわったのが、美しい瓦屋根と大きな党である。そして、右端の塔のオレンジ色のとんがり帽子の屋根のうえに、小さく竜が描かれている。この竜が、伝説のメリュジーヌなのだ。

樋口淳(著). 2011-3-31. 『フランスをつくった王 シャルル七世年代記』. 悠書館. p.71.

「美しいメリュジーヌ」の伝説

ジャンの時代より前から、この地域にあった「メリュジーヌ」( Melusine )の伝説。

メリュジーヌは、上半身は中世の衣装をまとった美女で、下半身は蛇、背中には竜の翼が付いていた、と言われています。

話にはいろいろなパターンがありますが、『フランスをつくった王 シャルル七世年代記』のものが簡潔でわかり易いです。

かつてリュジニャンの領主は貧しい若者だった。若者は森で美しい娘と出会い、娘から授けられた知恵で、広大な所領と美しい城を手に入れる。若者は娘とむすばれて、かわいい子供がつぎつぎに生まれるが、娘には一つの秘密があった。
娘は、毎週土曜日に水浴する折りに、その姿をけっして見ないように夫にたのむ。ところがある日、夫はその姿を見てしまう。水浴中の妻の下半身は竜だったのだ。妻はそれを恥じて城を去るが、折々にあらわれて城の危機をすくった。特に、城の主がかわると、そのたびに現れて城を守ることを約束したのである。

樋口淳(著). 2011-3-31. 『フランスをつくった王 シャルル七世年代記』. 悠書館. p.72.
入浴中のメリュジーヌと、覗き見る夫レイモン(レモンダン) 1450年から1500年の間 フランス国立図書館蔵
入浴中のメリュジーヌと、覗き見る夫レイモン(レモンダン) 1450年から1500年の間 フランス国立図書館蔵

引用元:入浴中のメリュジーヌと覗き見るレイモン(レモンダン)

窓から飛び去るメリュジーヌ 1468年
窓から飛び去るメリュジーヌ 1468年

引用元:窓から飛び去るメリュジーヌ

子供が小さかったので授乳のために戻る フランス国立図書館蔵
子供が小さかったので授乳のために戻る フランス国立図書館蔵

引用元:子供が小さかったので授乳のために戻る

詩人ジャン・ダラスに依頼して、竜に美しい「メリュジーヌ」という妖精の名を与え、英雄の始祖伝説を今日のような「お伽話」として世に残したのは、ジャンの手柄である。

樋口淳(著). 2011-3-31. 『フランスをつくった王 シャルル七世年代記』. 悠書館. p.72.

このメリュジーヌはドラゴンやマーメイド、セイレーン、ヴイーブルの伝承とも関連していると言われます。

マーメイドは魚、ヴイーブルは蛇、と下半身の姿に違いはありますが、どちらも上半身は美しい女性の姿をしています。

また、尾は二股に分かれていることもあります。

セイバイン・ベアリング=グールド(1834 - 1924)の著作 (1866) Curious Myths of the Middle Agesより
セイバイン・ベアリング=グールド(1834 – 1924)の著作 (1866) Curious Myths of the Middle Agesより

引用元:Curious Myths of the Middle Agesより

参考までに、『名画の謎を解き明かすアトリビュート・シンボル図鑑』(KADOKAWA)の「竜・大蛇」 について書かれた一部をご紹介します。

竜は水に関わる陰獣で大母や女性器を表し、これを太陽英雄が陽光=陽根を表す剣や槍、矢(139頁)を刺すことで、豊穣の宝を得るという話は、人類共通の元型的な物語といえます。

 一方、キリスト教は、この竜=蛇を悪魔とみなし、竜退治を、悪に対するキリストの勝利と考えたのです。

平松洋(著). 2015-9-28. 『名画の謎を解き明かすアトリビュート・シンボル図鑑』. KADOKAWA. p.126.

「“見るな”のタブー」 なぜ、お風呂? 

日本にも「決して覗かないでください」という有名な昔話があります。

もし「見ぃたぁなぁ~」となどと言われたらコワイです。

メリュジーヌの場合、「入浴シーンを覗いてはいけない」というものでしたが、何故夫は見てしまったのでしょうか。

彼女が浴場で秘密の愛人と密会しているとでも?

単純に好奇心、もあるかもしれませんが、だって、結婚する時の約束でしょう?

この、私の「?」に対する答えに近いものが、『ペストの文化誌 ヨーロッパの民衆文化と疫病』(朝日新書)にありました。

ペスト、中世の浴場や入浴習慣、衛生観念など、大変面白い本ですが、

その頃にはまた、富裕者や王侯貴族たちも競って邸館に化粧室ないし浴室を構え、パリではシテ島の端にある王宮庭園に王家用の蒸し風呂も作られている。ルーヴル宮など数カ所にも、蒸し風呂と湯風呂とからなる浴場があった(風呂水は主にセーヌの川水を利用した)。ちなみに、ジャン・ダラスが一三九二年に編んだ、中世ヨーロッパ最大の伝承のひとつ『メリュジーヌ』の中には、毎週土曜日、美しい貴婦人から呪われた蛇身に戻ったメリュジーヌが、夫レイモンダンに隠れて入浴する場面がある。その巨大な風呂は、フランス中西部ポワティエ近郊の居城リュニジャン城に設けられていた。

蔵持不三也(著). 『ペストの文化誌 ヨーロッパの民衆文化と疫病』. 朝日新書. p.330.

夫に異形の姿を見られてしまったメリュジーヌは竜の姿に変身し、城の窓から飛び去ってしまいます。

レイモンダンの不信は、自分に富と名誉と子宝を授けてくれたメリュジーヌが、愛人との逢瀬を楽しんでいるのではとの疑いに起因する。あるいはそれは、当時、王侯貴族が足しげく出入りした浴場が、しばしば密会の場として用いられたことと符合するのかもしれない。多少時代を先取りしていえば、一六世紀末、ブルボン朝初代の王アンリ四世は、バスティーユ広場近くのスリゼ通りにあったザメ館、のちのレディギエール館に入浴を口実に頻繁に出掛け、快楽に耽ったという。それゆえこの館は、口さがないパリっ子たちから「愛の王宮」なる尊称を奉られたものだった。

蔵持不三也(著). 『ペストの文化誌 ヨーロッパの民衆文化と疫病』. 朝日新書. p.330.

当時の浴場が、売春などの温床となっていたことから考えると、夫が抱いた疑惑も納得出来ます。

最後に、1400年頃のメリュジーヌに関連する木版画と現在の塔をどうぞ。

入浴中の竜 1400年頃
入浴中の竜 1400年頃

引用元:入浴中の竜 1400年頃

現在のメリュジーヌの塔
現在のメリュジーヌの塔

引用元:メリュジーヌの塔 Llann Wé²CC-BY-SA-3.0

『フランスをつくった王 シャルル七世年代記』 樋口淳(著) 悠書館
主な参考文献
  • 神林恒道・新関伸也(編著).2011-12-20. 『西洋美術101鑑賞ガイドブック』.三元社.
  • 樋口淳(著). 2011-3-31. 『フランスをつくった王 シャルル七世年代記』. 悠書館.
  • 平松洋(著). 2015-9-28. 『名画の謎を解き明かすアトリビュート・シンボル図鑑』. KADOKAWA.
  • 蔵持不三也(著). 『ペストの文化誌 ヨーロッパの民衆文化と疫病』. 朝日新書.
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