古代のミルク風呂とミルクを使ったレシピ

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果たして、ミルクは飲むものか、使うものなのかというハナシです。

ポッパエア・サビナ( 30年-65年) ローマ国立博物館蔵
ポッパエア・サビナ( 30年-65年) ローマ国立博物館蔵
目次

ミルク風呂

古代エジプト

古代エジプトにおいて、クレオパトラはその美を保つために、ロバの乳のお風呂に入っていました。

『ネフェルティティもパックしていた』(原書房)によると、クレオパトラひとりが 1回入浴するのに、500頭ものロバのミルクが必要だったそうです。

クレオパトラ7世頭部像 Louis le Grand 紀元前40年-前30年頃 旧博物館(ベルリン)
クレオパトラ7世頭部像 紀元前40年-前30年頃 旧博物館(ベルリン)

引用元:クレオパトラ7世頭部像 Louis le Grand

お風呂にはミルク以外にも、サンダルウッドのオイルやバニラ・エッセンスなどが入っていました。

新王国時代の第18王朝のファラオ・アクエンアテンの正妃ネフェルティティのミルク風呂に入れる材料も、デーツや卵黄、ゴマ油など、何やら美味しそうなものの名前が挙げられています。

 ロバやトナカイのミルクは、牛よりも栄養価が高いミルクです。プロテインを多く含み、皮膚の炎症を緩和する性質が多くあるので美容に向いています。

アンヘラ・ブラボ(著). 今木照美(訳). 2016-4-5. 『ネフェルティティもパックしていた』. 原書房. p.197.
ネフェルティティ胸像 紀元前1345年頃 ベルリン新博物館蔵
ネフェルティティ胸像 紀元前1345年頃 ベルリン新博物館蔵

引用元:ネフェルティティ胸像 Giovanni  CC-BY-2.0

本当に実践していたのかな(゚Д゚)ノとは思いますが、この手の本、結構好きなんです。

古代ローマ

ポッパエア・サビナ( 30年-65年) ローマ国立博物館蔵
ポッパエア・サビナ( 30年-65年) ローマ国立博物館蔵

引用元:ポッパエア・サビナ TcfkaPanairjdde CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0

ローマ帝国の第5代皇帝ネロ( 37年12月15日-68年6月9日)の二人目の妃であるポッパエア・サビナ( Poppaea Sabina, 30年-65年)も、

自分の浴槽をロバの乳で満たすために、どこに行くにも(子ロバを含めて)雌ロバの大群を引き連れていったという。ロバの乳は肌のきめを整えてやわらかくするだけでなく、しわを取り除き、美白効果があると考えられていた。

ハンナ・ヴェルデン(著). 堤 理華(訳).『ミルクの歴史』. 原書房. p.65.

こちらもロバ乳ですね。

入浴のために連れて行かれる多くのロバ。

さぞ圧巻でもあったろうと想像しますが、それには何人のお世話係がいたのでしょうね。

ロバに餌を与え、入浴のための乳をしぼる…。

一体どれくらいの人手、時間を費やしたのでしょう。

ポッパエア・サビナ(フォンテーヌブロー派) 1570年頃 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵
ポッパエア・サビナ(フォンテーヌブロー派) 1570年頃 ジュネーヴ美術・歴史博物館蔵

引用元:ポッパエア・サビナ(フォンテーヌブロー派)

「アウグスタ(女皇)」の称号を受けたポッパエア。

ポッパエアは野心家で非情な女性だったとされ、ネロの母小アグリッピナの殺害にも関与したと言われています。

支配的な性格と邪悪な心に満ちたポッパエアは、皇帝ネロと結婚するために、何人もの人を殺しました。もくろみが成功して結婚し念願の権力を手に入れたものの、仲のよい夫婦というわけにはいきません。

アンヘラ・ブラボ(著). 今木照美(訳). 2016-4-5. 『ネフェルティティもパックしていた』. 原書房. p.206.

情緒不安定で激昂し易いネロは、妊娠していたポッパエアの腹部を蹴り、彼女はそれが原因で亡くなりました。

 不幸な最期をとげたポッパエアでしたが、美への執着心から、だれよりも美しい肌を手に入れようと天然素材で作った化粧品で、毎日さまざまなスキンケアをしており、そのひとつが女王クレオパトラと同様のミルク風呂です。

 ポッパエアの入浴法は広まり、美肌を求める多くの女性たちがまねをしました。ポッパエアがローマを離れるときも、ミルク風呂を続けたい一心で、ロバの群れを連れていく許可を申請したという記録が残っています。

アンヘラ・ブラボ(著). 今木照美(訳). 2016-4-5. 『ネフェルティティもパックしていた』. 原書房. p.207.

また、『ミルクの歴史』によると、古代ギリシアやローマの女性たちは夜になると、「パンをミルクで浸した美顔パック」を顔に乗せていたそうです。

ミルクで浸したパン (゚д゚)!。

これに卵と砂糖を追加してフライパンで焼いたら、立派なフレンチトーストが出来上がりそうですね。 美味しそう!

英語で「フレンチトースト」( French toast )といいますが、フランス語では「 pain perdu 」(失われたパン)。

硬くなったパン(失われたパン)を、牛乳や卵に漬けてやわらかくして「生き返らせ」ていただきますもんね。

使う材料は少し違うかもしれませんが、この食べ方は古代ローマ帝国の頃からあったそうです。

下はポンペイの遺跡(1世紀)で発見された古代のパンです。参考までに。

ポンペイで発見された古代ローマのパン 国立考古学博物館 (イタリア)
ポンペイで発見された古代ローマのパン 国立考古学博物館 (イタリア)

引用元:ポンペイで発見された古代ローマのパン Beatrice CC-BY-SA-2.0-IT

『パンの文化史』から一部引用します。

また、この遺跡から現れたパンや菓子の実物、あるいは壁画がナポリの考古学博物館にある。それを見ても現代のそれと比べ何の遜色もないできばえである。そのパンの実物は、写真のようにふっくらふくらみ、八等分できるように分割線がはいっているのが特徴。このような八つ割りパンは、古代ギリシャから受けついだものらしい。ヘーシオドス(紀元前七〇〇年前後)の『仕事と日』に、「八人前のパンを四つ割りにして食事に与え」という表現で現れているのだから、大変に古い伝統をもつパンで、「オクタブロモス」という名がついていた。

舟田詠子(著). 2014-7-2. 『パンの文化史』. 朝日選書. pp.130-133.

別館 【 hanna and books 】の記事 『パンの文化史』で学ぶパン食の歴史

後世の、イングランドのエリザベス朝時代でもアンチ・エイジングはやっぱり盛んでした。

美白に保湿と、美肌を保ちたい女性にとっては大きな関心事でした。

しわ取りと肌の潤いを保つため、化粧水やクリームの成分にはロバの乳が用いられたそうです。

『ミルクの歴史』には、簡単に真似できそうな「蜂蜜入りミルク風呂」のレシピが、『ネフェルティティもパックしていた』ではクレオパトラとネフェルティティのミルク風呂の作り方が載っていますので、ご興味のある方はどうぞ。

古代のレシピ

イシスの乳

「神々の食べ物」として、『ミルクの歴史』には、古代エジプトの女神イシスの名を取った「イシスの乳」が掲載されています。

ミルクにアーモンドシロップとイチゴを加えた、聖なる「イシスの乳」というレシピが今に伝えられている。ほのかなピンク色と甘味をおびたこのミルクは、イシスの息子ホルス、死者、そしてファラオ ー ホルスの化身でイシスの聖なる息子とされた - を養うためにイシスが与える癒しの乳をあらわしていた。

ハンナ・ヴェルデン(著). 堤 理華(訳).『ミルクの歴史』. 原書房. p.52.

これも実に美味しそうですねえ。

イシスと息子ホルス 紀元前680年頃と640年頃の間 ウォルターズ美術館蔵
イシスと息子ホルス 紀元前680年頃と640年頃の間 ウォルターズ美術館蔵

引用元:イシスと息子ホルス ウォルターズ美術館 CC-BY-SA-3.0

そしてミルクは「シトゥラ」( Situla )という、「乳房の形をした壺」に入れられ、供物として礼拝に向かう人々の列によって運ばれて行きます。

ブロンズ製のシトゥラ(2-3世紀、ローマ時代)  ニーダーザクセン州立博物館
ブロンズ製のシトゥラ(2-3世紀、ローマ時代)  ニーダーザクセン州立博物館蔵

引用元:シトゥラ User:Bullenwächter CC-BY-SA-3.0-migrated-with-disclaimers

アピキウスのレシピ

『ミルクの歴史』では、古代の美食家・アピキウスによる著書を挙げています。

マルクス・ガウィウス・アピキウス( Marcus Gavius Apicius )は、1世紀頃の、ティベリウス帝の時代の料理人ですが、その生乳を使ったレシピについて、

料理法は、塩漬け肉をやわらかくするためにミルクで煮るという簡単なものから、魚、鶏肉、ソーセージ(ほかにオイスター、脳髄、クラゲなども入っている)をミルクと卵のクリームで煮てテリーヌにするという豪華な一品まで幅広い。また、木の実とカスタードのパイなどの菓子にも使われたほか、「cocleas lacte pastas(乳で肥育したカタツムリ)」という実験的な料理もあった。

ハンナ・ヴェルデン(著). 堤 理華(訳).『ミルクの歴史』. 原書房. p.38.

もちろん、生乳を醗酵させ、ヨーグルト状にして食べたりもしたようです。

そして、期待の cocleas lacte pastas のレシピは、

  1. カタツムリをとり、スポンジできれいにする。
  2. その後、(殻から)出られるように膜を取り除く。
  3. 容器に、カタツムリとミルクと塩を入れて一日間おく。
  4. その後の数日間はミルクだけにして飼い、一時間おきに排泄物を取り除く。
  5. カタツムリが殻に戻れなくなるほど肥ったら、オリーブ油で揚げる。

だそうです。

ミルクは使用するものか、または飲食するものか、ですが、私はやっぱり飲んだり食べたりする方がいいですね。

主な参考文献
  • 舟田詠子(著). 2014-7-2. 『パンの文化史』. 朝日選書.
  • アンヘラ・ブラボ(著). 今木照美(訳). 2016-4-5. 『ネフェルティティもパックしていた』. 原書房.
  • ハンナ・ヴェルデン(著). 堤 理華(訳).『ミルクの歴史』. 原書房.
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