騎士ランスロットに惹かれ、運命に抗うように小舟で漕ぎ出す乙女の絵。ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの『シャロットの乙女』です。
『シャロットの乙女』( The Lady of Shalott ) 1888年 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス テート・ブリテン蔵
引用元:『シャロットの乙女』
1886年に開催されたジョン・エヴァレット・ミレーの回顧展で、『オフィーリア』を目にしたウォーターハウス。
その影響を受けて描かれたのが、本作『シャロットの乙女』でした。
引用元:『オフィーリア』
” The Lady of Shalott ” は、19世紀英国、ヴィクトリア朝時代の詩人・アルフレッド・テニスン(1809年 – 1892年)の作品です。
「アーサー王伝説」に登場する騎士ランスロットとの悲恋で知られる、アストラットのエレイン( Elaine of Astolat )に強く関連しています。
『赤毛のアン』で、アンが真似していますよね。 横たわった乙女がゆるやかに流されて行く場面です。
『水の女』から引用させていただくと、ウォーターハウスによる本作は、
テニスンの詩の第四部の「川がぼんやりと広がるあたりを、自分の不幸を見抜いた預言者が陶然となるがごとく、ガラスのような顔付きで、女はキャメロットを見やった。川面が暮れなずむ頃、女は鎖を外して横たわった。広い流れが女を運び去った、シャロットの女を」という部分を視覚化したものである。
髙宮利行. 『水の女』.トレヴィル,
更に、ウォーターハウス独自の想像力から、再解釈を施した部分もある、とのことです。
ミレーの絵画について
あらすじ
キャメロットに向かって流れる川。
その中州の塔に住む姫(乙女)は、外の世界を直接見ると死ぬ、という呪いをかけられていました。
姫は毎日織物を織って暮らしています。
部屋にある鏡を通してでしか、彼女は外の世界を見ることができません。
川の向こうにはキャメロット城があります。
その世界に住む人々の、恋を楽しむ姿を見ているうち、姫は「影には半ば飽きてしまった」と口にします。
ある日、キャメロットに住む “ 円卓の騎士 ” ランスロット卿が「テラ リラ」と歌う声が聞こえてきました。
姫は織物を織る手を止め、外の世界を直接覗いてしまい、ランスロットの姿を見てしまいました。
その途端、織物は翻ります。
糸は姫に巻きつき、鏡には左右にひびが入ります。
呪いが現実に姫に降りかかったのです。
「ああ、呪いが我が身に」と姫は叫びました。
ランスロット卿のあとを追い、城を飛び出す姫。
姫は自分の乗る小船の船首に名前を書き記します。
小船は横たわる姫を乗せ、キャメロットへと流れていきます。
「川面が暮れなずむ頃、女は鎖を外して横たわった。広い流れが女を運び去った、シャロットの女を」
しかし、岸に辿り着いた時、姫は既に息絶えていました。
姫の亡骸を目にしたランスロット卿は祈りを捧げます。
「神のおん恵みうるわし、シャーロットの姫君に垂れたまわんことを」
『シャロットの乙女』絵画
『レディ・オブ・シャロット』 1894年 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス リーズ美術館蔵
引用元:『レディ・オブ・シャロット』
歌に誘われて、“円卓の騎士”ランスロット卿の姿を「直接」見てしまう姫。
糸が、彼女を縛るように足元に巻き付く。
「織物は翻り、糸は姫に巻きつき、鏡には左右にひびが入る」シーン。
アガサ・クリスティーの作品『鏡は横にひび割れて』( The Mirror Crack’d from Side to Side )のタイトルの由来です。
『「影には半ば飽きてしまった」とシャロットの姫は言った』 1915年 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス アートギャラリー・オブ・オンタリオ蔵
引用元:「影には半ば飽きてしまった」とシャロットの姫は言った
機織の手を休め、「影には半ば飽きてしまった」と呟くシャロットの姫の図。
『シャロットの乙女』 1888年頃 – 1905年 ウィリアム・ホルマン・ハント with エドワード・ロバート・ヒューズ ワズワース・アテネウム美術館蔵
引用元:『シャロットの乙女』 Daderot
この主題に魅せられたひとり、ウィリアム・ホルマン・ハントによる、乙女に呪いがかかる瞬間の絵。
姫の逆巻く髪が何よりも印象的です。
逆巻くのは、彼女の激情でしょうか。
助手のエドワード・ロバート・ヒューズは英国の画家で、画家アーサー・ヒューズの甥。
『シャロットの乙女』 1853年頃 エリザベス・シダル The Maas Gallery蔵
引用元:『シャロットの乙女』
ミレーの絵画『オフィーリア』のモデルを務めたエリザベス・シダルによる作品。
エリザベス・シダルはラファエル前派のミューズであり、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの妻。
『シャロットの乙女』 1873年頃 アーサー・ヒューズ
引用元:『シャロットの乙女』
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『シャロットの乙女』 19世紀 ジョン・アトキンソン・グリムショー
引用元:『シャロットの乙女』
『シャロットの乙女』 19世紀 ジョン・アトキンソン・グリムショー
『シャロットの乙女』 1857年頃 – 1903年の間 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティにちなむ メトロポリタン美術館蔵
引用元:『シャロットの乙女』
The Lady of Shalott (from Tennyson’s Poems, New York, 1903) メトロポリタン美術館
生きてランスロットに会うことは叶わなかった姫。
メトロポリタン美術館によると、本作は、ロセッティが1857年に描いたテニスンのイラストを基に制作された版画とのこと。
美しいオフィーリア多数。シャロットの乙女も載っています
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849年4月6日 – 1917年2月10日)
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、ラファエル前派を強く意識していながらも、自身はロイヤル・アカデミーの枠に留まり、後に会長に就任。
引用元:ウォーターハウス
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シャロットの乙女
この『シャロットの乙女』のテーマは、ラファエル前派の画家達に非常に好まれました。
姫がなぜ呪いをかけられていたのかは謎ですが、死んだ後で恋しい男性の目に留まる、という箇所にとても切ないものを感じます。
20才の時、ロンドンで、年上の友人へのお土産にこの絵葉書を買い求めましたが、当時はこれが何の絵なのか分かりませんでした。ただ、彼女が好きそうだな、という思いだけで選んだのです。テート・ギャラリー(現在はテート・ブリテン)には行かなかったので、実物は見ていませんでした。
絵葉書でしたが、タペストリーの美しさが印象に残った作品でした。(当時は工芸品の方に強い興味アリ)
ラファエル前派が大好きな友人は、この絵が ” The Lady of Shalott “「シャロットの女(シャーロットの乙女 / シャルロット姫)」というタイトルの絵だと知っていましたが、これがテニスンの詩の一場面だということは知らなかったようでした。
調べるうちにすっかり自分がハマり、その数年後ミレーの『オフィーリア』と、この絵の本物を観にロンドンのテート・ギャラリーを訪ねました。
それぞれ本当に美しく、日本から時間をかけて観に来た甲斐があったと感動しました。
19世紀の英国は大変道徳に厳しく、この物語も、「禁を破って(堕落し)、外界に出ようとすると、死に等しい罰(呪い)を受けるよ」と言う解釈もされているようです。「だから女性は(男性の庇護の下)家庭にいなさい、家事(機織)をしてなさい」と。
当時私はそんな時代背景は知らなかったので、単に、「生きているうちに恋する男に逢うことは叶わなかったけれど、禁を破ってでも別の世界に踏み出していく、恋に殉じた乙女の刹那的なロマンチシズム」を感じたんだけどなー。
この『シャロットの乙女』をきっかけに、ラファエル前派、ヴィクトリア朝の大英帝国の光と影、切り裂きジャック…、と、好きな世界、興味ある世界が増え、今でも思い出深い作品です。
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