フェルメール作品のなかで最も小さい『レースを編む女』。
画集等でご覧になってから実物を観られた方、絵を前に「小さっ!」と、思われませんでしたか?
私は思いました。
『レースを編む女』( The lacemaker ) 1669年-1671年頃 ヨハネス・フェルメール
引用元:『レースを編む女』
フェルメールにしては珍しい、右側からの光です。
引用元:『レースを編む女』(手元) Sailko CC-BY-3.0
通常なら流し見をして終わってしまうところですが、レースを編む手元と糸の拡大図です。
こぼれる赤い糸が、印象的ですね。
実物を至近距離で独占して眺め回すのは不可能ですが、これなら何処でも観ることができますし、拡大するなどしてじっくり観られます。
フェルメールについて多くの本を書かれている小林賴子氏は、著書『フェルメール 作品と生涯』(角川ソフィア文庫)で、「フェルメールの筆の動きをそのまま伝えるような糸の流れは、17世紀絵画のなかでは飛び抜けて近代的な印象を与える。」と仰っていますが、私にはこちらの解説がウレシイ。
糸を絵の具の流れに変えたことは、見る者に一種の焦点ぼけの画像を想起させる。青い針山の四隅についた房飾り、その右の本を閉じておくためのカマキリのような形をしたリボン、テーブルクロスの装飾に付された点状の小さな筆触もまた、焦点ぼけの効果を狙ったものであろう。この筆触は、焦点の合った部分を探すことになれた見る者の視線を自然に少女の手元へと導いてゆく。しかし、ウェット・イン・ウェットの描法を用いた水色とピンクの編み台も、そして糸を操る手も、決して曇りのない像というわけではない。
小林賴子(著). 『フェルメール 作品と生涯』. 角川ソフィア文庫. 角川書店. p.154.
確かに、画家の思惑通りに、糸や布を経て女性の手元に視線が行きます。
しかし、当時の針仕事の様子や、使っている道具などに興味があり、「どうなっているんだろう」「あれは何だろう」と思っていた私には嬉しい情報でした。
派手な感じがしない絵なのに、なぜこの絵がフェルメールの傑作のひとつに数えられるのか、本書を読むと納得します。
『フェルメール 作品と生涯』にはフェルメールの作品がカラーで掲載され、ひとつひとつの作品が丁寧に解説されています。
文庫本ですので持ち運びにも重くなく、それこそ通勤通学の合間に画集と解説を一緒に楽しめて、教養も身についてお得です。
おススメします。
ヨハネス・フェルメール( Johannes Vermeer, 1632年10月31日?-1675年12月15日)
引用元:自画像?
引用元:『取り持ち女』
フェルメール自身が署名し、制作した年が記されている三つの絵画のうちひとつ、『取り持ち女』。
左端の人物はフェルメール自身ではないかという説があります。
生涯において、30数点しか残さなかった画家・フェルメール(本名はヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト ( Jan van der Meer van Delft )。
当時ネーデルラントと呼ばれたオランダの出身です。
同郷の有名画家にレンブラントがいます。
結婚し、フェルメールは10人以上?の子どもの父親となりましたが、1670年代の戦争以来、経済状況が悪化。
フェルメールは困窮のうちに亡くなりました。
思い出のフェルメールの切手
昔、父や叔父からの外国土産、といえば、「切手」でした。
大型の、きれいな切手を見るたび、「この字は何て読むんだろう」「どこの国のものなんだろう」「この絵はいつ、誰が描いたんだろう」と、遠い異国に思いを馳せていました。
世の中には、たくさんの国、たくさんの言語があるんだな、と漠然と思っていました。
ずっと後に、デザインの先生が、「一枚の切手には、国名、金額、発行の趣旨、『伝えたい事柄』が、この決まった、小さなスペースに収められている。デザインのいい勉強になる」というようなことを仰っていました。
それまでそんなこと、考えもしませんでしたね。
ひとから貰う一方で、ただ漫然と積み上がっていったコレクションでしたが、時々見返しては、「この美術品やこの絵の本物を見てみたい」と強く思うようになりました。
この切手を手にするまで、フェルメールの名は知りませんでした。
マネは知ってる。ルノワールも。ドガもね。
でも、この画家って誰?と、学校の図書館で調べた記憶があります。
この時、「ボビンレース」という言葉も初めて知りました。
ルーヴル美術館で実物を観たとき、案外小さいことに驚きました。
これも後に知ったのですが、『レースを編む女』は 23.9×20.5㎝ と、フェルメールの作品の中で最も小さいサイズでした。
他にも好きな絵はあるのですが、いろんなことを教えてくれた、思い出の一枚、といえば常にこの『レースを編む女』が浮かびます。
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