画家ヴァン・ダイクの名が付いたレースとヒゲ(ヴァンダイク・ブラウンの項に追記しました)

サラミスの海戦の英雄テミストクレス以上!「古代ギリシア最強の男」とは?

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古代ギリシアの英雄として知られるテミストクレス。しかし、古代ギリシアには彼以上の最強の男がいた!
その男とは一体誰?

『テルモピュライのレオニダス』 1814年 ジャック=ルイ・ダヴィッド ルーヴル美術館蔵
『テルモピュライのレオニダス』 1814年 ジャック=ルイ・ダヴィッド ルーヴル美術館蔵

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目次

大王クセルクス1世

父ダレイオス1世の死後、後を継いだペルシア帝国のクセルクス(紀元前519年-紀元前465年)は大規模なギリシア遠征を企て、4年という時間をかけて準備を整えました。

紀元前480年、「第三回ペルシア戦争」が始まろうとしていました。

このときのペルシア軍は100万をこえていたと古代の記録はつたえているが、信憑性はまったくない。とはいえ、海陸あわせてその4分の1、つまり約25万の兵力と仮定したとしても、それでもその数はノルマンディ上陸作戦のDデイのときまでにヨーロッパが目撃した最大規模の侵攻兵力になる、ということは念頭に入れておくべきだろう。同様に、ペルシア軍騎兵の軍馬は8万頭以上だったという古代の報告も納得できるものではない。馬匹をその半分と見積もったとしても、それでも1世紀半後のアレクサンドロス大王がアジア征服に動員した騎兵の兵力のほぼ5倍なのである。ペルシア軍の作戦の真意は、こうした大軍を集中して、まるごとギリシアにおくりこむことにあった。

(『図説 古代ギリシアの戦い』 ヴィクター・ディヴィス・ハンセン(著) 遠藤利国(訳) ジョン・キーガン(監修) 東洋書林 P119)

クセルクス大王の侵略に対し、ギリシア側は協議を重ねます。

やがて、スパルタが指揮する陸軍がテルモピュライで防御にあたることが決まりました。ギリシア陸軍はテルモピュライの隘路で敵をくいとめることを約束。

海軍国のアテネがギリシア海軍を担当し、ペルシア艦隊がスパルタ軍の背後に上陸することを阻止する作戦でした。

テルモピュライの戦い(Battle of Thermopylae)

「テルモピュライの戦い」は「テルモピレーの戦い」とも表記されます。 

スパルタではカルネイア祭の時期でしたが、他の同盟諸国も同じ様な状況でした。オリュンピアの祭典に重なったのです。各ポリスは戦争に積極的ではありませんでした。しかし、スパルタの王レオニダスは自ら300人の兵を率いて出撃、諸ポリスの参戦を促します。 

 遠征指揮官マルドニオスは、陸軍と海軍の連携をとりながら、戦闘船約1500隻、兵站支援船約3000隻の大艦隊をもってギリシャ半島の沿岸を前進した。

ペロポネソスのギリシャ軍は、一戦も交えることなく北部ギリシャを放棄した。そしてレオニダス王のギリシャ軍約7000は、テルモピュライの険に計画通り防御線を構成した。

一方、テミストクレス提督の指揮する約330隻のアテネ海軍は、テルモピュライの真東で、エウポイアの北東海岸のアルテミシオン沖に展開して、スパルタ陸軍と連携した。

(『戦争学』 松村劭(著) 文藝春秋 P74)

テルモピュライは山に囲まれた狭い街道で、レオニダスは前進してすぐ後退、追ってきた敵に対して反転し、長槍で撃退する戦法を選択。ペルシアの不死隊もこの戦法に苦戦した。

(『ゼロからわかる古代ギリシア』 Gakken P72)

陸軍と海軍はほぼ同時に開戦し、テルモピュライでは激戦となりますが、スパルタ軍は大軍を相手に善戦しました。

しかし、裏切りによって状況は一変します。地元のギリシア人がペルシア軍に間道の存在を教えてしまい、後方に回り込まれてしまうのです。

レオニダスは降伏を受け入れず、スパルタ兵、そしてレオニダスらを見捨てられなかったテスピアイ人部隊と共に最後まで戦いました。

『テルモピュライのレオニダス』 1814年 ジャック=ルイ・ダヴィッド ルーヴル美術館蔵
『テルモピュライのレオニダス』 1814年 ジャック=ルイ・ダヴィッド ルーヴル美術館蔵

引用元:『テルモピュライのレオニダス』

フランスの新古典主義の画家ダヴィッドによる歴史画。

死を覚悟した戦いに赴くレオニダスたちを描いた傑作です。

アルテミシオンの海戦(Battle of Artemisium)

テルモピュライの戦いとサラミスでの動き
テルモピュライの戦いとサラミスでの動き

引用元:テルモピュライの戦いとサラミスでの動き

テルモピュライの戦いと並行して行われたのが、「アルテミシオンの海戦」です。

アルテミシオンに接近したペルシア艦隊は猛烈な嵐に遭い、戦力が半減します。

しかし、数で劣るアテネ艦隊も慎重になり、両者は決戦を避けていました。

そこに、テルモピュライ陥落の報告がアテネ艦隊にもたらされます。

 BC480年、「第三回ペルシア戦」において、天険テルモピレーは陥落し、主将スパルタ王レオニダスとその軍隊は全滅した。その陸軍と呼応して中部ギリシア東岸アルテミシオンの海峡でペルシア海軍を迎撃していたギリシア海軍は、テルモピレーでのスパルタ軍玉砕の知らせを聞き、アテネ西方サラミス湾にしりぞき作戦会議を開いた。

(『2時間でわかる図解「孫子の兵法」を身につける本』 是本信義(著) 中経出版 P196)

テルモピュライは突破され、ペルシアの大軍がギリシア本土へなだれ込みました。

南下を続けるペルシア軍は各地のポリスを焼き払います。

アテネ艦隊で指揮を執っていたテミストクレスは、市民のうち婦女子をサラミス島に避難させます。

戦闘可能な男子市民は全員、艦隊に乗り組んで戦うことになりました。  

アテネの政治家テミストクレスは、非戦闘員をサラミス島周辺に避難させてから残りの戦闘員を乗せた200隻の艦隊で出港。ついにペルシア軍がアテネを占拠した。

(『ゼロからわかる古代ギリシア』 Gakken P72)

『戦争学』ではもう少し詳しく、

レオニダス王は最後の一兵とともに敢闘して戦死し、残余のギリシャ軍はペロポネソス半島入口のコリント地峡まで退却した。アテネは無防備に放り出された。

この報告を聞いたテミストクレス艦隊は急いでアテネに引き返し、市民を出来るだけ多くペロポネソス半島に避難させた。

ペルシャ陸軍は無防備になったアテネを占領して破壊した。テミストクレスは、約700隻のペルシャ艦隊がペロポネソス半島の後方に上陸して陸軍と協同することを恐れた。

(『戦争学』 P55)

さて、勝利に勝ち誇ったペルシア軍は南方を一掃し、一週間ほどでアッティカ地方に進撃した。ところが、ここはすでに撤退が完了し、放棄されていた。この歴史的な決定は以後の150年間、さまざまな余波をのこすことになった。アテナイ ー 首都の周辺に支えとなる城砦をめぐらしていなかった ー はテミストクレスと海軍に最後の望みを託して、都市を放棄したのである。

(『図説 古代ギリシアの戦い』 P119)

「マラトンの戦い」の後

ここで話は紀元前490年の「マラトンの戦い」に遡ります。

ギリシア側の勝利となったマラトンの戦いは、ペルシア戦争を終結させたかに見えました。しかし、テミストクレスは当時、まだこの先も戦争は続くと考えていたのです。

そのような時、次のペルシアとの戦いをどうすべきかについて、「木によって戦え」というデルフォイの信託が出ました。この文言をめぐり、「アクロポリスに柵を作れ」ということだとする解釈と、テミストクレスの主張する「軍艦を建造し、海上で戦え」ということだとする解釈が対立しましたが、彼は強引に軍艦を建造させます。

(『30の戦いからよむ世界史 上』 関眞興(著) 日経ビジネス人文庫 P47)

紀元前480年代末にテミストクレスはアテナイ人を説得して、あらたに発見されたラウレイオンの銀山からの収入を200隻の艦隊の建造費用にあてさせたが、これは賢明な策だった。

(『図説 古代ギリシアの戦い』 (P127)

 テミストクレス以外には、都市国家をすくえるのは艦隊だけだ、と思っていたギリシア人はほとんどいなかった。海軍は金がかかることもあり、紀元前五世紀以前では戦略的重要性はまったくもっていなかった。

(『図説 古代ギリシアの戦い』 (P126)

結果としてテミストクレスの予想は的中しました。 

サラミスの海戦

テルモピュライ陥落の知らせを聞き、ギリシア海軍はアテネ西方のサラミス湾に退いて作戦会議を開きます。 

…、やがて大勢はアテネ防衛を放棄し、ペロポネソス半島(スパルタのあるギリシア南部)に撤退へと意見が傾きつつあった。

この撤退案に唯一人反対したのが、アテネの名政治家でもある提督テミストクレスであった。

(『2時間でわかる図解「孫子の兵法」を身につける本』 P196)

サラミスでの決戦を望むテミストクレスはアテネ防衛を主張、こう言って脅しをかけました。

「ふみとどまるべきだ。さもなければ、我らアテナイ人は別の地に都市を再建し、同盟軍とは一切手を切る」。

連合軍の総指揮官エウリュビアデスはアテネ海軍の離脱を恐れて承知しますが、会議は紛糾しました。

そこでテミストクレスは内通する振りをして、クセルクスに使者を送ります。

 「ギリシア海軍は、テルモピレーの敗戦を聞き戦意喪失、浮足立って南方へ退却しようとしている。ペルシアにとって、サラミスに集結中に攻撃するのが最良の策である」と伝えさせた。

この時クセルクスは艦隊をそのままアテネ市に向けて、進撃中の陸軍と呼応して同市を挟撃するか、また邪魔者のアテネ海軍をまず片付けるかで大いに迷っていた。

このテミストクレスの内通に喜んだクセルクスは、信頼する女提督アルテミシアの強い助言もあり、艦隊決戦を決心、夜のうちにサラミスを封鎖してしまった。

(『2時間でわかる図解「孫子の兵法」を身につける本』 P196)

アテネ艦隊「背水の陣」

アテネ艦隊の艦船数に対し、ペルシア艦隊は約2倍。

そのペルシア艦隊のペロポネソス半島への侵攻を阻止するため、テミストクレスはサラミス海峡に入りました。

自ら全軍を袋のネズミとしたのです。

アテネ艦隊「背水の陣」の動き
アテネ艦隊「背水の陣」の動き

引用元:アテネ艦隊「背水の陣」の動き

サラミス海峡の入り口にある、プシュッタレイア島(Psyttaleia シッタレイアと表記するものもあり)。

この小さな島を挟み、ペルシア艦隊主力500隻が東西に分かれ、アテネ艦隊を封鎖します。

また、ペルシア軍の命令を受けたエジプト艦隊により、海峡の西側の出口も封鎖されました。

クセルクス大王はサラミス本島に上陸し、玉座からアテネ艦隊を見下ろしていました。

…、ギリシアの船体は優美さではおとるかもしれないが、甲板が高く、つくりも頑丈だった。したがって、作戦展開が困難なせまい海域でも、ギリシアの船団なら、民族もよせあつめで、せますぎて自由がきかないペルシアの無敵艦隊を封鎖し、目標をさだめ、激突することができた。そして、沈没した船団から浜辺にうちあげられた残存兵は、重装歩兵が槍で刺し殺す。戦いの成否は、アテナイの船団が敵の全艦隊を本土とサラミス島のあいだの海峡にさそいこめるかどうかにかかっていた。海峡の出入口はせまく、ギリシアの船団であふれかえっていた。ペルシア艦隊には、作戦の余地はたいしてのこされていなかったのである。そして、罠におちた。

(『図説 古代ギリシアの戦い』 P125)
三段櫂船(復元)
三段櫂船(復元)

引用元:三段櫂船(復元)

 テミストクレスは、小島を挟んで東西に分かれているペルシャ艦隊がサラミス海峡に入って合流し、態勢を整えるときに混乱が生ずるだろうと予測し、その機会に乗ずることが、唯一の勝機であると判断していた。

大部隊が狭い地域に入ることは、「大魚が網にかかった」のと同じであり、前後左右へ軽快に身動き出来ない。その結果、劣勢な戦力が敵の一部分と戦っても、他の敵が容易に応援に来られず、勝つことが出来る。

(『戦争学』 P56)

しかし、自軍にも退路はありません。この戦法は正に「捨て身」なのです。

そして、その機会が来ました。

彼は叫びました。

「勝利の秘剣は計画の中にあり。神は不注意を決して許さないことを思い知れ!」

  アテネ艦隊は、狭い海峡にペルシャの大艦隊が押し入って陣形が乱れ、身動きがとれなくなったところを襲いかかって撃滅した。

(『名将たちの戦争学』 松村劭(著) 文春新書 P138)

レオニダス同様、テミストクレスも部下と共に戦いました。

激戦は約7時間に及び、ペルシャ艦隊は約250隻が沈没。何千もの水兵が溺死しました。

それに対し、ギリシア軍の三段櫂船の損失は40隻以下でした。

 ペルシア側780隻に対し250隻と半数以下の劣勢にありながら、ギリシア海軍は敢闘した。祖国防衛の念に燃える闘志と操艦術は、多民族からなり統制を欠くペルシア海軍を終始圧倒し、午後から吹き始めた西風が、強い向かい風となってペルシア海軍を混乱させたこともあり、「サラミスの海戦」はギリシア方の大勝で終わりを告げたのであった。

(『2時間でわかる図解「孫子の兵法」を身につける本』 P198)

勝利の立役者はアテナイ人とアイギナ人。

紀元前480年9月、ギリシア軍の一方的な勝利でした。 

陶片追放

サラミスの海戦で煮え湯を飲まされたクセルクス大王は、テミストクレスの首に莫大な賞金をかけました。

一方、サラミスの海戦後のテミストクレスはアテネの城壁の建設など、防衛の強化に尽力しました。しかし、アテネの政治家の嫉妬を買い、また自らの強欲のせいもあり陶片追放によりアテネを追われてしまいます。 

例えば、ヘロドトスの『歴史 下』(P248)にこのような記述もあります。

 テミストクレスはなおも私腹を肥やすことをやめず、先にペルシア王の許に送ったと同じものたちを使者に立てて他の島々へも威嚇的な申し入れをし、金銭を要求した。もしこちらの要求するものを与えねば、ギリシア軍をさし向け、包囲して占領すると伝えさせたのである。テミストクレスはこのような言辞を弄して、カリュストス人やバロス人らから多額の金を集めたのであるが…

(略)

このようにテミストクレスはアンドロスを基地とし、他の指揮官には内密で島嶼とうしょ民から金銭をまき上げていた。

ヘロドトス『歴史 下』
陶片追放に用いられたオストラコン。「ネオクレスの子テミストクレス」と刻まれている
陶片追放に用いられたオストラコン。「ネオクレスの子テミストクレス」と刻まれている

引用元:陶片追放に用いられたオストラコン Marsyas CC-BY-SA-3.0-migrated

陶片追放(とうへんついほう)とは:古代ギリシアの僭主防止制度。紀元前五世紀、アテナイで施行された。僭主となるおそれのある人物の名を陶片に書いて投票させ、規定を超えた得票のあった人物は、一〇年間国外に追放された。ただし、財産の没収と市民権の剥奪はなかった。(陶片追放(とうへんついほう)とは – コトバンク

各地を放浪し、行き場のなくなったテミストクレスは、なんとペルシアに亡命。

クセルクスはテミストクレスに対し、「自分で自分の首を持って来た」として莫大な報奨金を与え、以後自分の側近として用います。(クセルクスの息子で次代の王アルタクセルクセス1世との説もあります。)

しかし、後にペルシア王からアテネ遠征を命じられた彼は祖国に弓を引くことを拒み、自害したとのことです。

『戦争学』では、逃れた先のマグネシアで「貧困のうちに悲惨な65歳の生涯を終えた。」(P58)と結んでいます。

テミストクレス以上に強い男

古代ギリシアのアテネで、「市民」とは男性のことであり、女性は市民として認められていませんでした。

女性は家にいて、糸をつむいだり、機を織ったり、家庭を守るために働くべきだとされてきたようです。

一般家庭では、少年が7歳になると学校へ通うようになりますが、子どもを育てるのも女性の仕事でした。

 スパルタの女子は健全な子孫を生むためにきびしい訓練をうけたが、結婚後は自由であった。そして、健康な子供を育てるのを誇りとした。

これに対してアテナイの婦人の地位は低く、祭や演劇などの他は外出することも少なく、家事に専心した。アテナイを形成したイオニア人は優美で典雅な、あくまで女性的なものを特徴としたが、スパルタはドーリア人の簡素で剛健な男性的であった。それは服装の上にもよく現れている。

ホメロスの詩にも、機械織りをする女王から衣服の洗濯をする女を監督する女王まで、その作品の題材にしている。

妻が無視されている一方、高級売春婦、つまり妾(hetaera ヘタエラ)は需要が多かった。

(『西洋化粧文化史』 青木英夫(著) 源流社 P33)

このように女性の生活の場はほとんど家のなかに限られていましたが、衣服や髪型はきちんとしたものだったそうです。入浴の習慣もあり、脱毛など体の手入れもしていました。

 ギリシアの家では、はさみ、爪みがき、かみそり、そしてギリシア神話を美しく絵画化した浮彫のある青銅の鏡などがあった。また、香料用の小さなビンや香油用のフラスコ、化粧品用の小さな入れ物などが置かれていた。 

(『西洋化粧文化史』 P35)
紀元前5世紀のギリシアのヘアピン  クリーブランド美術館蔵
紀元前5世紀のギリシアのヘアピン  クリーブランド美術館蔵

引用元:紀元前5世紀のギリシアのヘアピン クリーブランド美術館蔵  CC-Zero

 女性が自分の境遇をどう思っていたのか、夫を愛していたのか、それはわかりません。古代ギリシャの証言はほぼすべて男性の書いたもので、男性側の意見しかないからです。しかし、その中にも、かの有名な将軍テミストクレスのこんな言葉があります。

「ギリシャで一番強い男がこの俺だって?違うね。それは俺の息子さ。確かに、全ギリシャを指揮するのはこのアテナイ人で、そのアテナイ人を指揮するのはこの俺。だけどその俺に命令出してるのは俺のカミさん!でもって、そのカミさんは息子のいいなりだから!息子が全ギリシャで最強なんだよッ!」

(プルタルコス『テミストクレスの生涯』18節15行目以下)

このエピソードから、テミストクレスが家庭内では奥さんの言うことをある程度聞いている姿が垣間見れるのです。

藤村シシン(著). 2015-10-21. 『古代ギリシャのリアル』. 実業之日本社. pp.244.-245.

あまり高くないとされる古代のアテネの妻、女性の地位。本当に英雄の夫に命令を出していたのでしょうか?

ホントのところが大いに気になりますが、ホントだとしたら、妻にあれこれ言われる古代のアテネの英雄が、ぐっと身近に感じられませんか?

主な参考文献
  • 『要点解説 世界の歴史 〈人類の誕生と歴史の始まり〉〈ヨーロッパ・アメリカの歴史〉編』 水村光男(著) 知的生きかた文庫
  • 『歴史 下』 ヘロドトス(著) 松平千秋(訳) 岩波文庫 
  • 『図説 古代ギリシアの戦い』 ヴィクター・ディヴィス・ハンセン(著) 遠藤利国(訳) ジョン・キーガン(監修) 東洋書林
  • 『戦争学』 松村劭(著) 文藝春秋
  • 『ゼロからわかる古代ギリシア』 Gakken 
  • 『2時間でわかる図解「孫子の兵法」を身につける本』 是本信義(著) 中経出版
  • 『名将たちの戦争学』 松村劭(著) 文春新書
  • 『30の戦いからよむ世界史 上』 関眞興(著) 日経ビジネス人文庫
  • 藤村シシン(著). 2015-10-21. 『古代ギリシャのリアル』. 実業之日本社.
  • 『西洋化粧文化史』 青木英夫(著) 源流社
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コメント

コメント一覧 (14件)

  • 佐馬鷹 (id:coatsofarms)様
    返信遅くなって申し訳ありません。
    古代の話ですし、誇張もあるかと思いますが、もしこれが本当に「息子最強」のテミストクレスだったらすっごくいいな~と思っています。
    こういう世界史だったらとっつきやすいですよね(^^)。でも受験にはカンケーなーい(≧▽≦)
    そして私はそーゆー世界史(文化史)が好きでーす(≧◇≦)
    今回も読んでくださって有難うございました。

  • いやいや、なんとも面白いドラマを読ませていただきました。
    レオニダスはもちろん偉いですが、テミストクレスときたら!
    英雄が同時に聖人君主であれば民衆も楽なのですが、なかなかそうはいかない。
    晩節を汚したのがもったいない、と言えば贅沢でしょうか。
    その分、妻子への思いが伝わるコメントで持ち直しました。
    キレ者で憎めないキャラクターですなぁ。

  • ナンシー様
    こちらこそ有難うございます。私も同じように思っております。
    服装の変化というのは面白いですよね。フランスの宮廷ファッションが英国の上着に変化していく様、ネクタイの巻き方の流行、知っていると絵や映画を観た時に秘かに「おっ!」と思って楽しいものです(笑)。
    私も思いっ切りシロウトですので、確認しながらブログにしています。
    元が備忘録ですので、自分のために時々すっごく盛り込みたくなるのですが、終わらなくなりますので、無理矢理切り上げています。読んでくださる方がいる場合は、却って中途半端だったり、わかりにくいのではないかといつも心配です。
    記事の内容がナンシー様のご興味と合っているようでしたら私も嬉しいです。ぜひご一緒に愛でさせてくださいませ。
    またよろしくお願い致します。
    有難うございました。

  • パンダ様
    今回も有難うございます。
    パンダさん、筋肉もお好きですか?さすが、美しいものにはやはり敏感でいらっしゃいます。
    私がダヴィッドの『テルモピュライのレオニダス』についてあまり言及しなかったのは、この絵について別記事でやりたいからなんですのよん♡(ビヨ~ンとしていただいたのなら、気付かれたこともあるでしょう。この人の、この動きって?と)
    テミストクレスの言葉は私にとっては大きなツボでした。
    こういう受験の世界史に関係ないものが面白いんですよねえ。
    またどうぞお付き合いくださいませ。有難うございました。

  • schun様
    今回も有難うございます。
    本当に、侵略戦争、医療レベルの低さなど、常に命は危険な状態にあったのだと思います。
    それでもこうして人間は生き延びてきている…これだけでもスゴイことのように思えますね。
    今回も読んでくださって有難うございました。またどうかお付き合いいただけますようお願い致します。
    有難うございました。

  • ハンナさん、
    最新記事と関係なくてすみません。読者登録、ありがとうございます!!光栄です。
    私のブログの最初の方で、ちょっと服装についての記述があり、ヨーロッパの服装について、興味を持っていました。貴族の服装とか、近代になるにつれ、それがどう変化してきたのか、とか。ネクタイの柄の意味とか。
    ハンナさんとは、全然レベルの違うシロウトですが、とても面白く読ませていただいています。これからもどうぞよろしくお願いします。

  • テルモピュライのレオニダス。ま〜〜、すっばらしい絵画ですね。いうまでもありません。肉体美をビヨーーーンと見せていただきました。
    そして息子が全ギリシャで最強!と思う過程が興味深いです。いつの世も女性は強く美しい!!!

  • こんばんは!!
    この時期って過酷な時世ですよね。
    日本の戦国時代もそうですが、
    この辺の世界史って、ホント男子は過酷。女子はつらい時代だったろうなって思っています。
    その描写をしっかりとらえている作品はやはり見ごたえがありますね。
    今回もお勉強になりました~
    ありがとうございました!!o(_ _ )o。

  • しゅん様
    今回も読んでくださって有難うございます。
    今も昔も、鍵を握るのは情報戦なのだと思います。今回参考にした書籍は全て私のもので、昔から読んではいても奥が深過ぎてついていけてません。
    個人的には、古代・中世の補給部隊などの兵站、ミリメシに興味が有ります。
    一般にアテネでは女性の地位が低くても、ペルシア側には女提督がいて、クセルクスは彼女を重用していたようです。地域によっていろいろ違うんですね。
    古代は「役割分担」がハッキリしていた分、女性に挑戦する機会を与えるなんて、思いつかないこともあったのでしょう。
    男女平等とは最近の概念ですが、私としては「性差に関係なく、出来るやつは出来て出世する」とシンプルに思っています。
    そして、補い合い、助け合い、尊重し合うのが男女、あるいは人間同士かなと。平等とは難しい言葉ですね。
    改めて考えさせられます。
    またお付き合いください。よろしくお願い致します。
    有難うございました。

  • こんにちはー。
    今回は戦争がテーマですね。
    歴史を見ると、戦争は情報戦が勝敗のカギを握るんですね。
    今も昔も女性の地位はあまり高くはなかったんですね、
    それでも、カミさんを立てる漢気のある男がやはりいて、
    それでバランスがとれていたんですね。
    今の男女平等は何か倒錯してしまっている感じがしますね。
    ひとは、これから長い時間をかけて、答えを見つけていくことになるんでしょうね。
    今回も面白かったです。(^-^)/

  • まーたる様
    有難うございます。
    私のアイドルはカルタゴのハンニバル将軍なのですが、同じ「背水の陣」で戦いに臨み、大軍に勝利したテミストクレスも結構好きです。
    しかし、このテミストクレスのカミさんの話の方がもっと好きで、やっぱり女性は強い、そして子供に甘かった?のね♡、と妙にほっこりなのです。
    そこに気付いてくださって有難うございました(笑)。
    また次回もお付き合いくださいますようお願い致します。

  • こんばんは(о´∀`о)
    『テルモピュライのレオニダス』、いざゆかん❗️と鼓舞しているようですね。
    色彩鮮やかで、すごく立体的に描かれているから、めちゃくちゃリアルな感じが伝わってきました。
    古代アテネの女性の地位は低かったんですね。
    でも一生懸命に家を守り子どもを育て、やっぱりいつの時代も女性は強いなと思いました(*´∀`*)
    最後にあったテミストクレスの談話に和みました〜(●´ω`●)
    ハンナさんのブログはいつも勉強になります❗️
    今回もありがとうございます(●´ω`●)

  • まどろみ様
    有難うございます。
    そうなんです、船がですね、実にカッコいいんですよ!
    この船で激突して襲いかかるって、向かって来られる側は相当怖かっただろうと思います。
    読んでくださって有難うございました。

  • 復元されている船、
    めちゃくちゃカッコめちゃくちゃ良くて好きです!
    生で見ると迫力ありそうですね☆

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