15世紀の寵姫アニェス・ソレルのファッション(ジャン・フーケの『ムランの聖母子』)

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美しいバストが自慢だった、フランス王シャルル7世の公式寵姫アニェス・ソレル。宮廷で彼女が着ていたドレスとは。

『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵
『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵
目次

『ムランの聖母子』( Virgin and Child Surrounded by Angels ) 1450年代前半 ジャン・フーケ

『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵
『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵

引用元:『ムランの聖母子』

『ムランの聖母子』
『ムランの聖母子』

引用元:『ムランの聖母子』

モデルはシャルル7世の愛妾だったアニェス・ソレルだと言われていますが、この絵は彼女の死後に描かれています。 

聖母が被る冠は真珠やルビーにエメラルドと、大変豪華な造りです。

聖母は死後、天で主なる神または御子キリストに冠を授けられ、「天の女王」として認められる。《ムランの聖母子》では、シャルル7世の寵愛を受け、間に子どもをもうけたアニエスを”天上の聖母”として称えている。

木村泰司(監修). 2012. 『名画の美女 巨匠たちが描いた絶世の美女50人』. 洋泉社. p.54.

幼いキリストに授乳する聖母の姿ですが、つい、はだけた胸と頭上の冠に目が行きますね。

聖母が胸を露わにする表現は、「神と人を取りなす乳母」としての役割を意味する「オステンタティオ」といいます。(参考:『ヌードの美術史 身体とエロスのアートの歴史、超整理』 美術手帖)

胸を露わにするマリアの表現は「授乳の聖母」という伝統的な聖母子像のタイプに由来するもので、目を伏せたその表情には血の気が失せているものの謎めいた気品を帯びている。だがこの聖母像は仏王シャルル7世の寵姫アニュス・ソレルの面影を伝えていると言われている。彼女は年代記も折り紙付きの美女と伝えているが、国政を左右するほどの寵愛を受け、ボーテ=シュル=マルヌの城館を賜り、「ボーテの奥方」といううってつけの呼び名を与えられた。

利倉隆(著). 2004. 『エロスの美術と物語』. 美術出版社. p.94.

(『エロスの美術と物語』では「アニュス」と表記されています) 

聖母子の周囲に描かれている印象的な赤と青の天使は、

赤い天使が玉座を支え、青の天使は聖母子に向かって両手を合わせたり、仰ぐようにしたりして2人を見守っている。天使にも階級があり、人間が目にする天使と違い、絵画に描かれる赤や青の天使は上級天使と見なされる。

木村泰司(監修). 2012. 『名画の美女 巨匠たちが描いた絶世の美女50人』. 洋泉社. p.54.

つい、「ブキミ」と思ってしまいますが(;・∀・)。 

「コルセット」という言葉

『図説 ヨーロッパ服飾史』では、この『ムランの聖母子』を挙げ、

コルセットということばは、前開きの紐締めを特徴とするこのような衣服を指したのが最初である。

徳井淑子(著). 2015-10-30. 『図説 ヨーロッパ服飾史』. 河出書房新社. p.95.

とあります。

この聖母の衣装は「前開きの紐締め」。

コルセットと聞くと、私にとっては背後でぎゅーぎゅー締め付けるイメージです。

19世紀絵画の中のコルセット

愛妾アニェス・ソレル( Agnès Sorel, 1421年-1450年2月9日)

アニェス・ソレル 16世紀 画家不詳 フランス、アンジェ美術館蔵

アニェス・ソレル 16世紀 画家不詳 フランス、アンジェ美術館蔵
アニェス・ソレル 16世紀前半 画家不詳 フランス、アンジェ美術館蔵

引用元:アニェス・ソレル 16世紀

アンジェ美術館:http://www.myartprints.co.uk/a/french-school/portrait-of-agnes-sorel.html

フランス王シャルル7世の愛妾、アニェス・ソレル。

シャルル7世に見初められた時の彼女は22歳くらい。

アニェスは、王妃マリー・ダンジューの弟ルネ・ダンジューの妻イザベルの侍女をしていました。

絵の中のアニェス・ソレルは犬の背に手を置いています。

犬は「忠実」のシンボルであることから、シャルル7世に対するアニェスの愛情や忠誠心を表現しています。(参考:『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』 光文社新書)

『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』ではこの絵の制作年代は「15世紀」となっていますが、アンジェ美術館のサイトでは「16世紀前半」とありましたので、この記事では後者の方を参考にしています。

「ヨーロッパで初の公式の寵姫(メトレス・アン・ティトゥル)になった」

「女性で初めてダイヤモンドを身につけた」

「才色兼備」

「抜群のプロポーション。バストがご自慢だった」

バストがご自慢だった」までは「へえ」なのですが、そのご自慢バストを見せつける衣裳を着ていたと聞いたら、いかがです?

「それがね、アナタ、剥き出しなんですよ」と言われたら、「へ、へえ」となりませんでしょうか。

王の愛人だった美姫びきアニェス・ソレルは歴史上もっとも有名な乳房の持ち主の一人であった。腰のあたりまでデコルテにした衣裳が流行したほどである。ジャン・フーケ〔一四一五(二〇)~七七(八一)。宮廷画家〕はアニェスが惜しげもなくはだけてくれた胸を、幼子イエスに乳を与える聖母の姿におきかえて描き、その美しさを永遠のものにした。

ロミ(著). 高遠弘美(訳・解説). 2016-9-25. 『乳房の神話学』. 角川ソフィア文庫. p.42.

「腰のあたりまであるデコルテ」かー (゚Д゚;)

いや、それは「デコルテ」なのか?

アニェス・ソレル 16世紀 画家不詳 個人蔵

アニェス・ソレル 16世紀 画家不詳 個人蔵
アニェス・ソレル 16世紀 画家不詳 個人蔵

引用元:アニェス・ソレル

『エロスの美術と物語』では、この黒衣の肖像画についても言及があります。

一方でアニュス終焉の地ロシュ城には無名の画家による彼女の肖像画が伝わっている。やはりコルセットをはずし胸を露わにしているが、こちらは肖像画だけに慎みを欠いた印象を与え(片方の胸を見せる女性像はしばしば娼婦を意味する)、その伏目にも誘惑者の妖しさが漂っている。これは彼女が創案した大胆きわまる着付けであったとされ、かなりの悪評を買ったらしい。

利倉隆(著). 2004. 『エロスの美術と物語』. 美術出版社. p.94.

シャルル7世が与えたボーテ・シュル・マルメの別荘の名前から「メトレス・ド・ボーテ〈麗しの君〉」と呼ばれたアニェスは、

美しい胸が自慢の余り、体型を強調したドレスだけではもの足りず、片方の乳房をむき出しにしていました。

木村泰司(著). 2010-11-20. 『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』. 光文社新書 . p.58.

剥き出し。まる出し。

自信が無ければできないファッションですね。

当然、王妃を始めとした宮廷人たちからは顰蹙ひんしゅくを買いましたが、シャルル7世はこれを禁ずることはありませんでした。

シャルル7世の妃マリーは嫉妬を表すことをせず、アニェスとうまくやっていくことを選びました。

 一四人生んだ子どものうち四人が死んで以降、敬虔なマリー王妃は黒いドレスしか着なくなった。一方、アニエスは宮廷のファッションリーダーだった。廷臣ジャン・ジュヴナル・デ・ジュルサンはアニエスの - 彼の見るところ - 恥じらいのなさに憤っている。デ・ジュルサンは王に進言した。あまりに肌を露出するローブ・デコルテは禁止なさるべきです。乳首が、いえ、乳房が全部丸見えではありませんか。だが王はこのファッションが気に入っていたようで、禁止しようという素振りをついぞ見せなかった。

エレノア・ハーマン(著). 高木玲(訳). 2005-12-30. 『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』. KKベストセラーズ. p.92.

丸見えを指摘、非難する廷臣もいたんですね。

15世紀頃の被り物・エナン( hennin )

14世紀末から15世紀頃流行した被り物で、エナン( hennin )と呼ばれるものがあります。

エナンにはいろいろなデザインがありますが、円錐形の、高さのある帽子で、こんな感じです。

『若い女の肖像』 1470年頃 ペトルス・クリストゥス 絵画館(ベルリン)
『若い女の肖像』 1470年頃 ペトルス・クリストゥス 絵画館(ベルリン)

引用元:『若い女の肖像』

この時代は髪が見えないことが美しいとされたため、髪はエナンの下にすべて隠し、隠しきれない髪の生え際を剃っていた。

能澤慧子(監修). 2016-3-30. 『世界服飾史のすべてがわかる本』. ナツメ社. p.66.

このクリストゥスの絵には、きれいに剃った額に、エナンを起こすためのループが見えます。 

フーケにちなむというアニェス・ソレル像の額にも輪のようなものが見え、『ムランの聖母子』なども額が随分綺麗に出ています。

アニェス・ソレル 1526年頃-1550年頃の間  ジャン・フーケにちなむ ウフィツィ美術館蔵
アニェス・ソレル 1526年頃-1550年頃の間  ジャン・フーケにちなむ ウフィツィ美術館蔵

引用元:アニェス・ソレル

『ムランの聖母子』
『ムランの聖母子』

引用元:『ムランの聖母子』

アニェスは「ブロンドのアニェス」とも言われていました。

『ムランの聖母子』ではとても上手に髪を隠して、つるんとした額をしていますよね。

本当に髪を剃ったり抜いたりしていたのかな、と実は気になっていたのですが、近年アニェスの遺骸を調査したフィリップ・シャルリエ氏の『死体が語る歴史 古病理学が明かす世界』にそれについての記述がありました。

調査されたアニェスの遺骸『死体が語る歴史 古病理学が明かす世界』から、寵姫アニェス・ソレルの死因

シャルル7世( Charles VII, 1403年2月22日-1461年7月22日)

シャルル7世 1450年頃 ジャン・フーケ ルーヴル美術館蔵

シャルル7世 1450年頃 ジャン・フーケ ルーヴル美術館蔵
シャルル7世 1450年頃 ジャン・フーケ ルーヴル美術館蔵

引用元:シャルル7世

フーケが描いた、フランス・ヴァロワ朝の第5代国王シャルル7世の肖像です。

イングランドとの百年戦争のなか登場した「オルレアンの少女」ジャンヌ・ダルクが、戴冠に協力・貢献した王様ですね。 

19世紀の画家が描くジャンヌ・ダルクの甲冑と1429年時の武具の値段

同時に、イングランド側に捕らわれたジャンヌを「見殺しにした」王様としても知られています。見殺しにした理由については諸説あるようです。

シャルル7世の墓碑彫刻

シャルル7世 サン・ドニ修道院の墓碑彫刻
シャルル7世 サン・ドニ修道院の墓碑彫刻

引用元:シャルル7世 サン・ドニ修道院の墓碑彫刻

『デスマスク』によると、シャルル7世は死後すぐにデスマスクがとられ、蠟製の人形が制作されたことが知られているそうです。

この像は、18世紀末のフランス革命で、歴代王の墓が掘り起こされ、荒らされた時に破損したようですが、

サン=ドニ修道院に眠っていたその墓碑彫刻は、やはり同じく革命の犠牲となったため、現在は胸から上の部分しか残されていないが、どこか憂いを宿して妙にリアルなその表情には、たしかにデスマスクの面影が生きているにちがいない。

岡田温司(著). 2011-11-18. 『デスマスク』. 岩波新書. p.48.

言われてみれば妙にリアルな…。

シャルル7世とその周辺にご興味があれば、『シャルル七世年代記 フランスをつくった王』がわかり易いです。

アニェスの死

王の子どもを三人も産み、寵愛を得て王妃以上に贅沢な生活をしていたアニェス。

女と見れば手当たり次第と言われたシャルル7世の心をしっかりと捉え、時には叱咤激励し、王の関心を国政に向けさせます。

一方、母のマリー王妃を想うシャルルの息子ルイは、父の寵姫アニェスを憎んでいました。

1450年、4番目の子どもを妊娠していたアニェスは病に倒れます。

そして2月9日、まだ28歳という若さで亡くなってしまいました。

アニェスの死を「毒殺」と考えたシャルル7世は、財務官だったジャック・クールに疑いをかけます。

アニェスという後ろ盾を失ったジャック・クールは国王の資産を横領したことがばれ、シャルル7世は彼の財産を没収、禁固刑に処してしまいます。クールは三年後に脱走します。

アニェスの死はヒ素中毒と考えられてきましたが、2005年に彼女の遺骸を調査したところ、毛髪から多量の水銀が発見されたそうです。

調査に当たった病理解剖学博士フィリップ・シャルリエ氏の研究チームは、彼女の死を水銀中毒であるとしています。

彼らの調査によると、アニェスは当時、回虫症を病んでシダや水銀で治療をしていたといいます。古くから水銀はさまざまな病気の薬として用いられてきましたが、使い方を誤れば死を招く猛毒であることはいうまでもありません。

桐生操(著). 『本当にこわい宮廷の物語』. 中公新書ラクレ. p.96.

hanna and books でご紹介しています『死体が語る歴史 古病理学が明かす世界』から、寵姫アニェス・ソレルの死因

アニェス・ソレルの死についてはフィリップ・シャルリエ氏の著書をどうぞ

人びとの関心を集めたアニェス・ソレルの死。通勤通学のお供に是非(笑)

容疑者のひとり ルイ11世

死亡当時から毒殺されたと思われたアニェス。

容疑者のひとりとしてシャルル7世の息子ルイの名も挙がっていました。

シャルル7世は晩年、原因不明の足の腫瘍に悩まされていました。

彼はルイによる毒殺を恐れて食を絶ち、痩せ衰え、最後には食べ物を受け付ける力を失って行きました。

1461年7月22日午後、シャルル7世は亡くなります。

憎い父の死を待ち侘びていた息子ルイが国王に即位。

後に人々から「蜘蛛」と呼ばれるルイ11世の治世が始まりました。

ルイ11世(1423年7月3日 - 1483年8月30日) 16世紀 ジャン・フーケにちなむ絵 ブルックリン美術館蔵
ルイ11世(1423年7月3日-1483年8月30日) 16世紀 ジャン・フーケにちなむ絵 ブルックリン美術館蔵

引用元:ルイ11世

ネーデルラント17州総督マルグリット・ドートリッシュ

ルイ12世妃マリー・ダングルテールの「胎児管理人」

フランチェスコ・ラウラーナに帰属するデスマスク

フランチェスコ・ラウラーナに帰属するデスマスク
フランチェスコ・ラウラーナに帰属するデスマスク

引用元:フランチェスコ・ラウラーナに帰属するデスマスク Michel wal CC-BY-SA-3.0

白い大理石で作られた、アニェス・ソレルの「デスマスク」です。

フランチェスコ・ラウラーナ( Francesco Laurana, 1430年頃-1502年以前)という彫刻家がいますが、以下の説明文によると、このマスクは「フランチェスコ・ラウラーナに帰属」するようです。

Masque mortuaire d’Agnès Sorel (marbre). Attribué à francesco da Laurana. Hôtel Lallemant, Bourges, Frances

「フランチェスコ・ラウラーナに帰属するデスマスク」の解説(Wikipedia)

説明文には「レプリカ」とは書いてありません。

例えレプリカであったとしても、レプリカを作るにはその元がなきゃね。

デスマスクの耳の部分を取ることはとても難しく、後から別につけられるほうが多いそうです。

このマスクには耳がありません。

てことは、これって、耳をつける前の、直接取ったデスマスク???

ジャン・フーケ( Jean Fouquet, 1415年 / 1420年頃-1478年 / 1481年頃)

メダルの自画像 1452年-1458頃 ルーヴル美術館蔵
メダルの自画像 1452年-1458頃 ルーヴル美術館蔵

引用元:メダルの自画像

フランス、トゥール出身の画家。

パリやイタリアでも活動し、フランドル美術の影響が見られます。 

シャルル7世亡き後は、シャルルの息子であり次のフランス王となったルイ11世に宮廷画家として仕えました。

『ムランの二連祭壇画』( Melun Diptych )

聖母に抱かれているキリストが指で何かを指しています。

『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵
『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵

引用元:『ムランの聖母子』

この指の先には、『エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステバノ』(聖ステファノとも表記)がありました。

『エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステバノ』(ムランの二連祭壇画左翼)
『エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステバノ』(ムランの二連祭壇画左翼)

引用元:『エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステバノ』

現在この絵はベルリンの絵画館に収蔵されていますが、本来は二連の祭壇画なんですね。二枚で一対です。

『聖母子像』の宝石、『エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステバノ』の人物の表情、柱、衣服のリアルな質感。見事ですね。

左の人物、エティエンヌ・シュヴァリエはフランス国王シャルル7世の財務官でした。

右の男性は「聖ステバノ(ステファノ)」で、彼の守護聖人です。

二連祭壇画では、シュヴァリエのように注文主であり寄進者でもある人物が対となって、聖母子に祈りを捧げるさまが描かれた。シュヴァリエはフーケのパトロンでもあった。

木村泰司(監修). 2012. 『名画の美女 巨匠たちが描いた絶世の美女50人』. 洋泉社. p.55.

『エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書』( Heures d’Étienne Chevalier ) ジャン・フーケ

『三賢者の礼拝』(1460年以前) 『エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書』のミニアチュール
『三賢者の礼拝』(1460年以前) 『エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書』のミニアチュール コンデ美術館蔵

引用元:『三賢者の礼拝』 『エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書』のミニアチュール

こちらもフーケによる作品。

コンデ美術館の収蔵品であるこの絵は子牛皮紙(ヴェラム)に描かれたミニアチュール。

高さ 21 cm、幅 15 cm の大きさです。

左端にはシャルル7世の兵士達がいますが、彼らは王のシンボル・カラーの三色(赤・白・緑)を着けています。(参考:『ヨーロッパ服飾史』 河出書房新社)

主な参考文献
  • 木村泰司(監修). 2012. 『名画の美女 巨匠たちが描いた絶世の美女50人』. 洋泉社.
  • 利倉隆(著). 2004.『エロスの美術と物語』. 美術出版社.
  • 美術手帖(編). 2012. 『ヌードの美術史 身体とエロスのアートの歴史、超整理』. 美術出版社.
  • 岡田温司(著). 2011-11-18. 『デスマスク』. 岩波新書.
  • 木村泰司(著). 2010-11-20. 『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』. 光文社新書.
  • 能澤慧子(監修). 2016-3-30. 『世界服飾史のすべてがわかる本』. ナツメ社.
  • エレノア・ハーマン(著). 高木玲(訳). 2005-12-30. 『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』. KKベストセラーズ.
  • 桐生操(著). 『本当にこわい宮廷の物語』. 中公新書ラクレ.
  • 徳井淑子(著). 2015-10-30. 『図説 ヨーロッパ服飾史』. 河出書房新社.
  • ロミ(著). 高遠弘美(訳・解説). 2016-9-25. 『乳房の神話学』. 角川ソフィア文庫.
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