肖像画家として名高いハンス・ホルバイン(子)による、大英博物館収蔵のデザイン画。

ホルバインによるジュエリーのデザイン画 1532年 – 1543年頃 大英博物館蔵
楕円形または円形の金属の台座の真ん中に、どーんと鎮座する大きな宝石。 カボッション・カットのガーネットなんかがイイ味出しているヴィクトリアン・ジュエリーに、昔どハマりしましてね。 コレクション見たさに欧州まで出掛けて行きました。
画像が探せなかったので、イメージに近い(ギリ近い程度ですが)品が掲載されている書籍を挙げてみます。現代のものなら、ブシュロンからそれっぽいデザインが出ていたと思います。
テューダー朝時代(16世紀)に流行したデザインが、ヴィクトリア朝時代(19世紀)に「再発見」され、再び流行しました。
「ヴィクトリアン・ジュエリー」のデザインのヒントとなったのが、テューダー朝時代の画家 ハンス・ホルバイン(子)のスケッチだと言われています。
ヘンリー八世の宮廷画家であったハンス・ホルバインは、余技としてジュエリーや工芸品のスケッチを描き、それは現在、大英博物館の図書館に収蔵されていますが、十九世紀の中頃から、このスケッチに着想を得たジュエリーが作られるようになります。楕円形で、中央に大ぶりな宝石を据え、そのまわりに多彩な七宝、さらには色石を配し、裏面には精緻な彫りが入っているペンダントなどが、よく見る作品です。非情に華やかでわかりやすい特徴を備えており、これらの作品はホルバイネスク様式と呼ばれ、高い評価を受けています。
山口 遼(監修). 1995-6-20. 『アンティーク・ジュエリー入門』. 婦人画報社. pp.61-62.
Wikipedia による「ホルバイネスク・ジュエリー」の解説
画家 ハンス・ホルバイン(子)( Hans Holbein ( der Jüngere ), 1497年/1498年 – 1543年)

引用元:ハンス・ホルバイン(子)自画像
南ドイツのアウクスブルク出身で、イングランドのヘンリー8世に仕えたハンス・ホルバイン(子)。
ルーヴル美術館の『アンナ・フォン・クレーフェの肖像』、ナショナル・ギャラリーの『大使たち』など、多くの傑作を残しています。
hanna_and_art’s blog
ヘンリー8世妃アン・オブ・クレーヴズ(アンナ・フォン・クレーフェ)が着る1530年代のハイ・ファッション
hannaと美術館
リシュリュー翼ホルバイン(子)作品『アンナ・フォン・クレーフェの肖像』他
実物より美人?『アンナ・フォン・クレーフェの肖像』(ハンス・ホルバイン(子)作)
ホルバインによる、イングランド王ヘンリー8世の肖像画です。

引用元:イングランド王ヘンリー8世
この時代に流行した、体を大きく見せる衣装が印象的ですが、国王の胸に輝く宝飾品にも目が行きますねー。

引用元:『ヘンリー8世』
このホルバインが描いたジュエリーなどの「デザイン画」が、イギリスの大英博物館にあります。
ジュエリーの歴史に「デザイン画」登場
ジュエリー史に登場した「デザイン画」。
実は、このデザイン画の歴史が、同時に版画の歴史でもあるらしい。
西欧において、木版画は 1400年前後、銅版画は 1420年から1430年頃に登場したのだそうです。
銅版は金属の板に傷を付け、そこに入れたインクを紙に転写する。この金属の表面に入れる彫りは金銀細工の技術と同じもので、初期の銅版画は彼らが彫ったとも推定される。このふたつの職業はそれぞれ独立してゆくが、15世紀末あるいは16世紀の初めの頃は同じ職業だったのだろう。したがって初期の銅版彫刻師がジュエリーのデザインに使えるような画題を彫ったのは、決して不思議ではない。
山口 遼(著). 『すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術』. 東京美術. p.44.
金銀細工師、といえば、同時代のニュルンベルク生まれの画家 アルブレヒト・デューラーも、金銀細工師の父からその手ほどきを受けていました。
この銅版画という新しい技術に魅せられたのか、高名な画家2人が余技としてジュエリーのデザイン画を残している。デューラーとホルバインである。特にホルバインはヘンリー8世の宮廷に仕えながら、179枚のデザイン画を残し、今は大英博物館の所蔵となっている。ただし不思議なことに、どちらのデザインも実際に作られた気配はなく、現物のジュエリーは存在しない。19世紀の末頃になって、これを使ったと称するジュエリーが作られ、ホルバイネスクの名前で売られた。
山口 遼(著). 『すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術』. 東京美術. p.44.

引用元:ジュエリーのデザイン画
左上, 中上 drawing, 右上 drawing drawing
左下, 中下 drawing, 右下 drawing drawing

引用元:ジュエリーのデザイン画

引用元:ジュエリーのデザイン画

引用元:ジュエリーのデザイン画

引用元:ジュエリーのデザイン画

引用元:短剣のパーツのデザイン画
左上, 右上 drawing; album drawing; album
左下, 右下 drawing; album drawing; album
ホルバイン作のスケッチ画、肖像画に見られるネックレスなど、重厚でいて華やかなデザインがすごくいいなと思います。 しかし「ホルバイネスク・ジュエリー」「ホルバイネスク様式」の名が付いたジュエリーを探すと、時々、なんかちょっとホルバインのものとチガウ…と感じるものに当たります。
『すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術』にも、ヴィクトリア朝時代の「ホルバイネスク」ジュエリーの写真が掲載されていますが、著者のお言葉通り、ホルバインのデザイン画とはあまり似ていない気が…。
下は Wikipedia で「ホルバイネスク」ペンダントとして掲載されている1870年頃のジュエリーです。 円形の中心に大きな飾りがどーん、てあたりが似ている、かな。

肖像画のジュエリー
Portrait of a Lady, probably a Member of the Cromwell Family 1535年 – 1540年頃 ハンス・ホルバイン(子) トレド美術館蔵

引用元:Portrait of a Lady, probably a Member of the Cromwell Family
Portrait of a Lady, probably a Member of the Cromwell Family トレド美術館蔵
フレンチ・フードと呼ばれる被り物を着けた、若い女性の肖像。
トレド美術館のタイトルは「クロムウェル家のひとりと思しき貴婦人の肖像」ですかね。
ヘンリー8世の妃のひとり、アン・オブ・クレーヴズの衣装について。「フレンチ・フード」も出てきます
ヘンリー8世妃アン・オブ・クレーヴズ(アンナ・フォン・クレーフェ)が着る1530年代のハイ・ファッション
トレド美術館の解説にも、ホルバインがヘンリー8世妃のためのジュエリーをデザインしていたことが書かれています。
ドイツ生まれのホルバインは1532年にイングランドに定住しました。1533年までにヘンリー8世(在位1509~1547年)に雇われ、おそらくヘンリー8世の2番目の妻アン・ブーリンの宝飾品をデザインしていました。この肖像画が描かれた頃には、ホルバインは国王の宮廷画家となり、宮廷の人々の肖像画を描くことが主な仕事でした。この女性の身元は特定されていませんが、絵画には彼女の年齢(21歳)が金で刻まれています。この絵画は何世紀にもわたってクロムウェル家の所有であったため、おそらくこの名家の一員だったのでしょう。ヘンリー8世の有力な大臣トーマス・クロムウェルの義理の娘で、ヘンリー8世の3番目の妻ジェーン・シーモアの妹であるエリザベス・シーモアではないかと言われています。」(Google翻訳 Portrait of a Lady, probably a Member of the Cromwell Family )
この肖像画のコピーが、イギリスのナショナル・ポートレート・ギャラリーにあります。
Unknown woman, formerly known as Catherine Howard 17世紀後半 ハンス・ホルバイン(子)にちなむ ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵

引用元:Unknown woman, formerly known as Catherine Howard
Unknown woman, formerly known as Catherine Howard ナショナル・ポートレート・ギャラリー
かつて、ヘンリー8世の5番目の妻 キャサリン・ハワードはないかといわれていたモデルは、近年では、クロムウェル家のひとり エリザベス・シーモアだと考えられています。
ナショナル・ポートレート・ギャラリーの解説では、この女性の胸元を飾るジュエリーについて言及があります。
現在ではクロムウェル家の一員、おそらくエリザベス・シーモア(1518年頃 – 1568年)であると考えられています。エリザベスはヘンリー8世の3番目の妻ジェーン・シーモアの妹で、トーマス・クロムウェルの息子グレゴリーの妻でした。
ハンス・ホルバイン・ザ・ヤンガー(小)による4分の3の肖像画(現在はオハイオ州トレド美術館所蔵)に基づき、技術的な分析によりこの木製パネルの制作年代は17世紀後半と判明しました。モデルの金のメダリオンはロトとその家族がソドムから逃げる場面(創世記19章)を描いており、ホルバインがデザインしました。このデッサンは現在大英博物館に所蔵されています。(Google翻訳 Unknown woman, formerly known as Catherine Howard )

引用元:Unknown woman, formerly known as Catherine Howard

モチーフは『旧約聖書』の、ロトの物語です。
このメダリオンについての大英博物館による解説です。
天使に導かれソドムから逃げるロトとその家族を描いたメダリオン。メダリオンの10種類のデザインのうちの1つ。『宝石の書』より。中央に女性の姿に石がはめ込まれ、左には町が炎に包まれ、右にはロトと他の2人の人物を導く天使が描かれ、その下に巻物で碑文が刻まれている。(Google翻訳) drawing

引用元:Toledo portrait medallion vs Medallion with Lot’s wife Primaler CC-BY-SA-4.0
天使に付き添われ、滅亡するソドムの町から脱出するロトとその家族。
しかしロトの妻は、「後ろを振り返ってはいけない」との言い付けを破って振り返り、塩の柱に変えられてしまいます。
これは、ホルバインの肖像画に描かれた人物が身に着けているメダリオンの、現存する唯一のデザインです。問題の肖像画は、オハイオ州トレド美術館所蔵の、おそらくクロムウェル家の一員である女性の肖像画です(Rowlands, ‘Holbein’, p. 146, no. 69, repr.)。これは、以前は確たる証拠もないまま、キャサリン ハワード女王の肖像画であると考えられていました (L. Cust, ‘Burlington’, xvii, 1910, p. 195)。そして、C. Adams (‘Genealogists’ Magazine’, xiv, London, 1964, pp. 386-7) に倣って Strong が身元確認に疑問を呈するまで、そのように受け入れられていました。Adams は、肖像画に描かれているのはクロムウェル家の一員である可能性が高いと主張しています (‘Burlington’, cix, 1967, pp. 278, 281)。(Google翻訳) drawing
ヘンリー8世妃 キャサリン・ハワード 1540年 – 1541年頃 ハンス・ホルバイン(子) ロイヤル・コレクション蔵

Portrait of a Lady, perhaps Katherine Howard (1520-1542) c. 1540 ロイヤル・コレクション
キャサリン・ハワード( Katherine Howard, 1521年? – 1542年2月13日)は、ヘンリー8世妃の 5番目の妃でしたが、姦通罪で処刑されています。
これまでに「これがキャサリン・ハワードだ」と断言できる肖像画は無いとされてきました。
しかし近年になり、女性が着けているネックレスから、歴史学者の方が “この肖像画の女性はキャサリン・ハワードである” と確認したとのことです。
キャサリン・ハワード? ホルバインの細密肖像画(ミニアチュール / ミニアテュア)
ヘンリー8世妃 ジェーン・シーモア 1536年 – 1537年頃 ハンス・ホルバイン(子) 美術史美術館蔵

引用元:ヘンリー8世妃ジェーン・シーモア
Jane Seymour (um 1509-1537) 美術史美術館蔵

引用元:ジェーン・シーモア
Queen Jane Seymour (1508/9-1537) c.1536-7 ロイヤル・コレクション
ヘンリー8世 3番目の妃 ジェーン・シーモア( Jane Seymour, 1509年 – 1537年10月24日)のネックレスと、「キャサリン・ハワードとされている女性の肖像」を見比べてみると、よく似ていますよね。

引用元:ネックレス Primaler CC-BY-SA-4.0
左と中央はジェーン・シーモアの、右は「キャサリン・ハワードではないか」とされている女性のネックレスです。
キャサリン・ハワード? ホルバインの細密肖像画(ミニアチュール / ミニアテュア)
ホルバインによる時計のデザイン
身に着けたり持ち歩いたりする物以外のデザイン画もあります。

引用元:Astronomical clock, design by Hans Holbein the Younger
大英博物館の解説には「 Photograph of a drawing by Holbein kept at the BM depicting the design for a clock-salt. 」( 大英博物館所蔵のホルバインの時計塩のデザインを描いたデッサンの写真。」とありましたが、ここでは Wikipedia の解説欄を参考にさせていただきます。
ホルバインは、2年前に肖像画を描いていたアンソニー・デニーのために、時計、砂時計、日時計、コンパスを組み合わせたこのクロックソルトをデザインしました。デニーは宮廷で頭角を現した人物で、ヘンリー8世の治世末期には彼の署名の印鑑を管理し、エドワード6世の治世には摂政会議で重要な役割を果たしました。デニーはホルバインの個人的な友人だったようで、同じ近所に住んでいて彼に金銭を貸しており、ホルバインは遺言でそれを返済しました。ホルバインは1543年に亡くなりましたが、それは彼がこのクロックソルトをデザインした年と同じ年です。
素描に付された注釈によると、デニーはこのデザインで作られた時計を、多数の時計と時計塩を所有していたヘンリー8世に新年の贈り物として贈った。貴金属製で高価な品だったと思われる。ホルバインは金細工師の職業の中心地であったアウクスブルクで修行を積んで以来、金細工師のためにしばしばデザインを手がけていた。スケッチに付された注釈のうち2つは、ホルバインの友人で王室天文学者のニコラス・クラッツァーの手によるもので、おそらくこの作品の技術的設計に協力したと思われる。(フォスター、77ページ)(Google翻訳 ) Astronomical clock, design by Hans Holbein the Younger
“ Design for Anthony Denny’s Clocksalt ” とありますが、 Anthony Denny(アンソニー・デニー)はヘンリー8世の寵臣のひとりです。
ニコラス・クラッツァー( Nicolas Kratzer )は、ヘンリー8世の宮廷に仕えていたドイツ人天文学者。 ホルバインによる肖像画が有名です。
hannaと美術館の記事でニコラス・クラッツァーの肖像を掲載
リシュリュー翼ホルバイン(子)作品『アンナ・フォン・クレーフェの肖像』他
clock-salt について、ロスチャイルド財団のサイトの「ロイヤル・クロック・ソルト」に関する記事を引用します。
ゴールドスミス・カンパニー・コレクションの最大の宝物の一つである「ロイヤル・クロック・ソルト」は現在、大英博物館のワデスドン遺贈ギャラリーの来訪品ケースに展示されています。
この展示は、大英博物館のチームがその起源、歴史、そして構造についてより深く知るために行った集中的な科学的調査に基づいて行われます。例えば、時計のムーブメントは初めて研究され、塩は大英博物館所蔵の同じ製作者による小箱と綿密に比較されます。
おそらくフランス国王フランソワ1世からイングランド国王ヘンリー8世への外交上の贈り物、あるいは二人の廷臣の間で贈られたと思われる「クロック・ソルト」は、1530年から1535年頃にパリで、王室御用達の金細工師ピエール・マンゴによって製作されました。展示品として、置時計と塩入れの両方の機能を備えていました。
ハンス・ホルバイン(子)の図案には、1545年にサー・アンソニー・デニーがヘンリー8世に献上する予定だった時計のソルトが描かれている。ヘンリー8世の死後、コレクションに収蔵された11個の時計のソルトのうち、現存するのはこの1個のみである。1649年の内戦後、王室コレクションから売却されるまで、目録に再び登場した。ヘンリー8世がかつて所有していた数千点の金細工品のうち、現存することが知られているのはわずか4点のみである。もう一つは、大英博物館に収蔵されている15世紀のフランス王室の金杯である。
マンゴは、ワデスドン遺贈の「シビルの棺」のように、貴重で珍しい素材を用いた贅沢品をフランス宮廷に納めていました。「ロイヤル・クロック・ソルト」にはピエール・マンゴの個人刻印があり、1530年から1535年頃にパリでホールマークが押されました。(Google翻訳 ) The Royal Clock Salt
同時代の芸術家 アルブレヒト・デューラー( Albrecht Dürer, 1471年5月21日 – 1528年4月6日)
アルブレヒト・デューラー 自画像( Selbstbildnis im Pelzrock, 1500) 1500年 アルテ・ピナコテーク蔵

引用元:アルブレヒト・デューラー自画像
Selbstbildnis im Pelzrock, 1500 アルテ・ピナコテーク
ドイツ出身の画家・版画家で、数学者。 同じ名前の父(アルブレヒト)は、ハンガリー出身の金銀細工師でした。
ブリュッセルのハプスブルク家の邸宅で、メキシコからスペインへ運ばれてきた金細工品を目にしたデューラーは、その素晴らしさに言葉を失っています。(参考:『図説 金の文化史』)
デューラーは、メキシコの金細工品を熟練した目で見ていた。当時の多くのヨーロッパの芸術家がそうだったように、彼もまた当初は金細工職人としての訓練を受けていた。とくに冶金によって板金を作り、尖筆を使って金属の表面に模様を彫る版画家にとって、その技術は金細工と密接に結びついていた。しかし、金細工の分野が才能ある芸術家たちを惹きつけたのは、それが上流階級のあいだで非常にもてはやされていたからだ(イザベラ・デステの贅沢な肖像入りメダルもその一例)。
レベッカ・ゾラック, マイケル・W・フィリップス・ジュニア(著). 高尾菜つこ(訳). 2016-11-28. 『図説 金の文化史』. 原書房. pp.147-148.
デューラーはハプスブルク家の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の肖像画を描いています
デューラーのドローイングや版画作品は数多く残されており、大英博物館には装飾品の図案などが収蔵されています。
東京上野の国立西洋美術館にも、デューラーの超有名版画『メレンコリア I』があります。

引用元:『メレンコリア I』
チェッリーニがイケメン過ぎて困る
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