太陽王と呼ばれたルイ14世と浣腸のお話。ルイ14世が受けた浣腸は、生涯で2000回だったそうです。
フランス国王ルイ14世( Louis XIV, roi de France, 1638年9月5日-1715年9月1日)
晩年になっても、性欲はともかく食欲が衰えることは無かったという、フランス国王ルイ14世。
引用元:ルイ14世の肖像
身長はそんなに高くなったそうですが、威厳たっぷり。鬘にハイヒール、おしゃれなレースと、豪華な装いですね。
壮麗なヴェルサイユの主・ルイ14世は恋多き男性であり、風呂嫌いであり、大食漢でありました。
『太陽王ルイ14世 ヴェルサイユの発明者』では、「ロミの『悪食大全』(高遠弘美(訳) 作品社)」内の、ある夜のルイ14世の「公式晩餐」を挙げています。
ルイ14世の淫食家ぶりは、弟の妃だったパラチナ侯女シャルロット=エリザベート・ド・パヴィエールの書簡によって知ることができる。
鹿島茂(著). 『太陽王ルイ14世 ヴェルサイユの発明者』. 角川書店. p.406.
「国王陛下がとりどりのスープを四皿、雉まるごと、山鶉一羽、サラダ大皿、ハムの大切り二枚、煮汁に浸した大蒜入り羊肉、お菓子一皿、果物、ゆで卵を召し上がるのを見ました。 …」
食欲旺盛な国王陛下。さすがです。
『公式晩餐』は公開されていたから、臣下にとっては最上の見せ物だった。彼らは柵ごしに、あるいは階段にならんで、国王がもりもり食べ、手をソースにつっこむ(というのもルイ14世はまだ指を使って食べていたからだが)さまを見物した。
鹿島茂(著). 『太陽王ルイ14世 ヴェルサイユの発明者』. 角川書店.p.406.
フォークがフランス宮廷にもたらされたのは、1553年にイタリアからカトリーヌ・ド・メディシスがアンリ2世に輿入れした時といわれています。
しかし、1670年くらいまでは、ルイ14世の宮廷でもフォークはまだ使われていませんでした。
ルイ14世は、「歯が人間に死をもたらす病の巣」と考えていた医師から歯を抜かれてしまっており、きちんとよく噛んで食べるということができなかったのですが、
しかし、これだけの大食では、いかに頑健な肉体に恵まれたルイ14世といえども健康を損なわないわけはなく、慢性的な便秘と下痢の繰り返し、そしてそれに伴う浣腸のしすぎからくる痔疾に苦しんでいたようです。さらに最晩年には、成人病(おそらくは糖尿病)が進み、最後は脚の壊疽が進行してこれが直接の死因となりました。
鹿島茂(著). 『太陽王ルイ14世 ヴェルサイユの発明者』. 角川書店. p.406.
食事は適量をよく噛んでいただきましょう(大事)。
それなりに厚めの書籍ですが、電子書籍なら持ち運びしやすいです。私は興味ある部分だけ時々見てます(・∀・)。
浣腸
古代エジプトでは、浣腸はあの優美な鳥トキが発明し、その長くて先の細いくちばしで自分を浣腸していた、と信じられていたそうです。
…あの、トキね。
自分でね…。
…。
ルネサンス期のフランスでは、上流階級の人々のあいだでは浣腸はとてもファッショナブルなことだと考えられていました。(参考:『「最悪」の医療の歴史』 原書房)
ルイ14世が受けた浣腸は、生涯で2000回、ときには一日4回。
浣腸に際しては、国王陛下は「片脚を前に曲げ、恥じらいや不要な慎みを示すことなく必要な個所をすっかりさらけ出す」ことを求められた。浣腸を執行するとは、さながらオーケストラを指揮するがごとくだった。
ネイサン・ベロフスキー(著). 伊藤はるみ(訳). 2014-1-28. 『「最悪」の医療の歴史』. 原書房. p.127.
しかし、『毒殺の世界史(下)』(原書房)によれば、例えばルイ14世の治世より数百年遡る1345年アグネス・デ・デュラスという人物は、浣腸に仕込んだ毒によって毒殺されたそうです。
当然ルイ14世も警戒しますよね。その最中は無防備ですもんね。
当然、浣腸は王宮の陰謀の対象だった。ルイ一四世は毒殺をおそれるあまり、浣腸暗殺者を暴きだすための特別な役職を設け、お尻を出したまま高官たちとの会議を行うこともあった。
ネイサン・ベロフスキー(著). 伊藤はるみ(訳). 2014-1-28. 『「最悪」の医療の歴史』. 原書房. p.127.
お尻を出したまま会議を行う太陽王…。
ロメイン・デ・ホーホの風刺画
下はオランダ生まれの画家、ロメイン・デ・ホーホ( Romeyn de Hooghe, 1645年-1708年)による1689年の風刺画です。
浣腸を受けるルイ14世の姿です。大きいですね、浣腸器。さすがです、国王陛下。
「浣腸王」の名は他国にも轟いていたのですね。さすがです、太陽王。
排泄しながら臣下に命令を与えていたルイ14世。
与えられる側は…文句も言えなかっただろうな…浣腸王だから…いや、国王だからな。
1689年
ホーホの絵が描かれた1689年、イングランドでは、ホーホと同じオランダ出身のウィレムが、ウィリアム3世として国王に即位します。
妻のメアリー2世と共にイングランドの共同統治者となりました。
引用元:オラニエ公としてのウィレム3世
引用元:メアリー2世
引用元:ウィリアム3世と、妻メアリー2世
ウィリアム3世の母親メアリー・ヘンリエッタと、メアリーの父親ジェームズ2世は、姉弟です。
そしてメアリー・ヘンリエッタとジェームズ2世は、ルイ14世にとってはいとこに当たります。
ウィレム3世は、この後のアウクスブルク同盟戦争でルイ14世と敵対することになります。
- 鹿島茂(著). 『太陽王ルイ14世 ヴェルサイユの発明者』. 角川書店.
- ネイサン・ベロフスキー(著). 伊藤はるみ(訳). 2014-1-28. 『「最悪」の医療の歴史』. 原書房.
- フランク・コラール(著). 吉田春美(訳). 2009-7-25. 『毒殺の世界史(下)』. 原書房.
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